https://fuanclinic.com/warakukai_blog/5178/ 【マインドフルネスの臨床効果と脳科学⑰ 不安症やうつ病とデフォルトモード・ネットワーク(ケセラセラvol.111)】より
ケセラセラ貝谷久宣理事長のコーナー
医療法人和楽会 理事長 貝谷久宣
人が生きている時の脳活動には3つのパターンがあることが近年分かってきました。
デフォルトモード・ネットワーク(DMN)は車のエンジンのスイッチは入っているが走っていない時の状態にたとえられます。特別あることに注意が払われるのではなく、ぼんやりとして雑念にふけっている時や睡眠中の脳が示す神経活動のパターンです。一日のうちの多くの時間をDMNが占めます。車を始動し運転に熱中している状態はセントラル・エグゼクティブ・ネットワーク(CEN)です。運転中に赤信号に気づきブレーキを踏みます。この気づきの状態がサリエンス・ネットワーク(SN)です。
DMNの中でも脳の内側面に位置する眼窩内側前頭前皮質、前帯状回皮質、内側前頭前皮質、および後部帯状皮質は重要な働きをしています(図1)。
この部は自分に関係する言葉、記憶、感情、そして種々な外的刺激といった情報を処理しており、自己に関するさまざまな概念を形成していると考えられています。端的に言えば、DMN、とりわけ後部帯状回は自我機能と直接結びついた領域といえるでしょう。DMN内の各脳領域はお互いに連絡しあい、さらに海馬や扁桃体といった辺縁系とも連絡を取りあっています。
うつ病や不安症にはDMNの過活動状態が根底にあることが最近の脳科学で示されました(図2)。その実態は、クヨクヨ考えることの堂々巡りです。精神医学ではそれを反芻思考と言っています。反芻思考(うつ病)や心配(不安症)が強ければ強いほどうつ病や不安症は重度であることが分かっています(図3)。また反芻思考が強ければ強いほどDMN内の神経活動が盛んになります。
マインドフルネスは、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」と日本マインドフルネス学会では定義されています。マインドフルネスは只今この瞬間にのみ心を置くことであり、過去や未来に心をおけば考えることになります。すなわち、マインドフルネスは考えない状態を続ける練習であります。ですから瞑想状態ではDMNの活動性は低下します(図4)。マインドフルネスは反芻思考を減らし、うつ病の改善を引き起こします(図5)。
まとめますと、うつ病や不安症では反芻、心配、自己評価で頭がいっぱいになっている状況であり、これは脳科学の立場からはDMNの活動性が高まっている状態であり、マインドフルネスはこのDMNの活動性を減弱させる作用により不安症やうつ病に効果を発揮すると考えられています。
文献(略)
https://www.fuanclinic.com/byouki/y_fuan12.htm 【不安・うつの力(ⅩⅡ)
― 宮沢賢治の場合 ―】より
医療法人 和楽会 横浜クリニック院長
山田 和夫
宮沢賢治は躁うつ病があった人です。躁うつ病の人は、いろいろな夢を持ったり、理想を追い求めたり、情熱的で行動的になる事がしばしばあります。宮沢賢治は将にそのような人で、躁うつ病があったからこそ、求道的に理想を求めて詩人・童話作家をはじめ多彩な活動が出来た訳です。宮沢賢治は一つの呼称では納まり切らない人です。人類全体だけでなく、生命全体、更には宇宙全体の幸せを希求し続けた人です。この壮大な発想こそ、躁うつ病者の発想ですが、また躁うつ病者にしか生じることの出来ない発想です。壮大な夢に押し潰される場合もありますが、賢治はそれらの夢の実現のため、全ての人生の時間を捧げました。その夢は、芸術、科学、宗教などの多方面からの活動を通す事によって達成する事が出来ました。将に神業的行為です。これらの活動は自分のため、栄誉のために行われたのではなく、純粋に人類、生命のために行われました。躁うつ病の人は時に神に近い存在になる事があります。宮沢賢治もその一人です。賢治は、詩人、童話作家、農業技術者、地学者、宗教者として情熱を持って普及活動を続け、37歳という短い人生の中で多くの業績を成し遂げました。東北の一角、岩手をイーハトーヴと呼び、ここに宇宙的メルヘンの世界を詩や童話を通して築き上げました。神の使者のように、人間の有るべき道を判り易く説きました。「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。」と説き、実践しました。
宮沢賢治は1896(明治29)年8月27日、岩手県花巻川口町に生まれている。家業は質屋・古着商で地元では裕福な家だった。1907(明治42)年岩手県立盛岡中学に入学。寄宿舎に入り、野山を歩いては、植物や鉱石の採集に熱中する。盛岡高等農林・農芸化学科を卒業後、地質土壌肥料の研究技師になり、後には花巻郊外で自炊・開墾の生活を始める。羅須地人協会を作り、農業の技術指導に努め、農民芸術を語る献身的な生活を行う。一方盛岡高等農林在学中から熱心な日蓮宗信者となり生涯信仰の生活を送った。農業指導の体験、陸中の高原地帯の地形にイーハトーヴという夢幻の世界を空想し、「グスコーブドリの伝記」「銀河鉄道の夜」などの自伝的・幻想的童話を書いた。あくまでも土着に徹し、民話や風土に取材しながらも、その地方や人にエスペラント語をつけるような国際性を持っていた。夢追い人で生活力は乏しく、結婚もしなかったが、農民の生活の向上に情熱を注ぎ込んだ。
賢治は多方面に渡る献身的な活動を精力的に行ったため、時に疲弊してうつ状態を呈した。最愛の妹トシが肺結核となった際も献身的な看病をした。一旦は回復したが、実家で最期の時を迎えた。大正11年11月27日の未明であった。喘ぎ苦しみながらも、最期は蝋燭の火が消えていくような静かな死であった。死後深いうつ状態を呈したが「永訣の朝」という詩を書くことで悲しみから「訣別」し立ち直っていこうとした。
この詩を書き写していて賢治の詩作の意図を感じた。切々とした悲しみは感情のままひらがなで、臨終のトシの言葉は括弧内に甘えるような花巻の方言で、象徴的な物は漢字で表現して賢治の深い世界観が表出しているそして題は「永訣」という決然として死を受容する理知的な表現となり、賢治の深い悲しみを言語化し、賢治から切り離し詩の中に封印してしまっている。詩を読む読者は読む度にその封印が解かれ、一気に賢治とトシの深い悲しみの交流の中にタイムスリップしてしまい切々とした悲しみの状況を目の当たりにしてしまう。シャーベット状になった、霙の白さ冷たさが、熱で苦しんでいるトシの口内を冷たく甘く冷やしてくれる事が甘美な表現ともなり、皆の救いになっている。詩は凄い。一気に人と人の情感、魂と魂を繋いでしまう躁うつ病は感情障害であるが、大きな感情のうねりを作り出し、初めて詩の中に生き生きとした息吹を吹き込んでしまう。これも感情障害の大きな力である。賢治はこれらの作品を「心象スケッチ」と呼び、スケッチのように多作し名作「春と修羅」という詩集が出来あがった。「春と修羅」自体、一つの喪失の悲しみから立ちあがるグリーフワークでもあった。賢治も、トシが亡くなった11年後1933年(昭和8年)9月21日、同じ肺結核で花巻の自宅で急死した。享年37歳であった。しかし残されたたくさんの詩と童話によって賢治ワールドとも言うべき世界を花巻に確固として作り上げてしまった。これも躁うつ病の力である。
Facebook小森 圭太さん投稿記事
私は仕事中の7、8割はぼーっとしてます。
白状すると、セッション中も割とぼーっとしているかもしれません爆。
なぜぼーっとするかというと、その方が色々アイディアが浮かんだりするからです。
「あ、そうか!」「こうすると面白い!」「これってこうかも!」など浮かびやすくなる。
反対に「なんとかせねば!!」という意識で、一生懸命頑張って考えている時はなかなか良いアイディアは出なかったりします。
一番アイディアが出にくい場所が会議室、という話もありますし。出席者一同一生懸命考えているからです。そして時々ぼーっとしている出席者が良いアイディアを出したりする。
で、なんでぼーっとしている人が良いアイディアを出すのか?
実はぼーっとしているほうが脳が良く働いているからです。
最新の研究では、ぼーっとしている方が脳の働きが良いことがわかっています。
ぼーっとした状態の脳には「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれる状態が形成されています。
この状態になると一生懸命思考している時の20倍以上も脳の働きが活発になることが確認されているんです。
なので、ぼーっとしている人は、実は頭をフル回転させていることに。ぼーっとした状態はある意味瞑想状態です。瞑想状態になると脳波はα波あるいは浅いθ(シータ)波となります。
こういう時に人はインスピレーションやひらめきを得やすくなります
量子力学的に言えば、ゼロ・ポイント・フィールドにアクセスして情報を引き出しやすい状態になるんです。
天才が言う「おりてくる」状態ですね。さらに言えば、そのような状態は副交感神経が優位になっています。副交感神経は、休息している時やリラックスしている時、またはワクワクしながら何かに集中している時などに働く神経です。表情も緩んでおり、体の筋肉も弛緩した状態です。このような状態が人間のパフォーマンスが最大限に発揮されるんです。
アスリートが顕著ですよね。トップに行けば行くほど『本番でいかにリラックスできるか』が勝負になりますよね。それは私たちにとっても同じことなんです。
あなたには一生懸命頑張っているけどなかなか上手くいかないこと、思ったように改善しないことないですか?その原因は、そもそも頑張っちゃっているからかもしれませんよ。
私たちは子供の頃から「頑張れ、頑張れ」って言われ続けています。他人に対するちょっとした声掛けでも「頑張ってくださいね」とか言ってます。
そうすると、なにするにしても自然と「がんばろう」と意識するようになります。
「がんばろう」と常に意識しているので、がんばり続ける現実が確定していく。
で、「あー、もうこれ以上頑張れない」って思った時に氣づくんです。頑張ってるのに報われないという事実に。誤解しないでくださいね。努力を否定しているわけではないですよ。
自分が情熱を傾けられることなら、それこそ死ぬ氣で一生懸命やっても良いと思います。
というか、本当のあなたが喜びや楽しさを感じることなら、むしろ一生懸命努力したほうがいい。その努力がさらなる喜びや楽しさにつながるからです。
近所の生き物好きの女の子。いつもダンゴムシやトカゲを探しては捕まえています。
それを家に持って帰っては育て方を調べながら世話をしてる。夏の蒸し暑い時期も、蚊がいっぱいいてもお構いなし。目を輝かせながら一生懸命やってます。そこに頑張っている雰囲氣はみじんもない。興味があるから、面白そうだからやってるんです。
本来、人はこういうことに一生懸命になった方が本当の力が発揮されるんです。
その方が脳の状態が良くなるからです。そう言う時もある種の瞑想状態。
なので「デフォルト・モード・ネットワーク」が形成されているのです。
「人から認めらるために頑張らねば!!」「お金を稼ぐために頑張らねば!!」というような悲壮感に満ちた無理くりのがんばり。これだとうまくいかないんです。
それでは本来のあなたの能力を発揮できません。そもそも本当のあなたはそんなことを求めていません。
あなたは、本当はやりたくないことや苦手なことを頑張ることで現状を改善しようと一生懸命になっていませんか?
こんなこと言ったら申し訳ないですが、その頑張りはなかなか報われないと思いますよ。
それよりも本来のあなたが求めていることを見極めて、それをさらに高めたり深めたりすることに一生懸命になるんです。
そうすることが本来のあなたの能力を発揮することにつながるばかりか、その喜びの意識がさらなる喜びの状態を引き寄せるんです。
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