Facebook辻 信行さん投稿記事 幻の音源
長らく行方不明だった寺山修司作・吉永小百合出演のラジオドラマ「二十歳 詩によるドキュメント」の音源が発見され、本日放送されました!
10/8まで聴き逃し配信中です!(21:30~40:33)http://k.or.jp/radio/player/ondemand.html...
実際の放送と寺山の作品集に収録されている脚本を比べると、ところどころアダプテーションがあって、興味深いです。
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二十歳 詩によるドキュメント わたしは母に訊きました。
――お母さん。空にも、年があるのかしら?
すると母が答えました。
――勿論よ。空だって生きてるのですもの。
またわたしは訊きました。
――じゃあ、空は何歳?
すると母は言いました。
――お母さんの空はお母さんと同じ年、おまえの空はおまえと同じ年だよ。
わたしの空はわたしと同じ年!するとあの青く果てしない空も ことしで二十歳になったばかりなのでしょうか? わたしはなんだかおかしくなりました。わたしはなんだか幸福になりました。わたしは窓をあけました。二十歳の空に話しかけるために――
詩とドキュメントによるダイアリー
「二十歳」
作 寺山修司 出演 吉永小百合 音楽 湯浅譲二
1
クロスフェイド気味に戦争、 または空襲時の録音をBGする。
(ただし、その上に、ギターによる べつのテーマが流れている)
二十歳の誕生日に、わたしは小さな地球儀をひとつ買いました。
両手ですっぽり包んでしまえるような世界のなかに、数千年の悲惨と栄光の歴史があるなんて、とても不思議な感じ。
そこで、わたしはわたし自身の歴史について考えてみようと思ったのです。
録音クロスフェイド。
NHKカムカムおじさんの英語教室。
一歳。
わたしのバラックの上の空は なんだかとても頼りなさそうでした。
二歳。
わたしの子守唄は 唄にならない雑音ばかり。戦後の喧噪、またはニュースのコラージュで。
(天皇の人間宣言、復活第一回メーデー、すしづめ列車、新興宗教
――そしてその底から湧きあがってくる「林檎の歌」)
でもわたしは幸福でした。
お兄さんたちの時代には、爆音と悲鳴とが子守唄だったのですから。
わたしは生まれてくるのが、早すぎも遅すぎもしませんでした。
2
五歳。
わたしの空にも春がやってきました。
貧しい母はリュックサックを背負って、買い出しに出かけました。
ギターのテーマ。
わたしはミルンの童話を読みながら、留守番をするようになりました。
「階段を半分降りたところに、あたしの座る場所があるの。これと同じ場所はどこにもない、
一番上にも一番下にもない」
わたしは子供心に考えました。階段を半分降りたところがわたしなら、一段上はお母さん。
その一段上はお母さんのお母さん。その一段上はお母さんのお母さんのお母さん。
そのまた一段上はお母さんのお母さんのお母さんのお母さん。
そして数えながら眠ってしまったっけ。
クロスフェイド気味にニュースの効果音。 (メーデー事件、はっきりと)
……独立したSectionとして長さ保つ。
七歳。
小学校の運動場の屋根に、わたしは燕の巣を見つけました。でも、そのことは誰にも言いませんでした。
ゆっくりとギターのテーマBGへ。
八歳。
だぶりゅう、えいち先生には、なぜひげがあるのでしょうか?ぜんまいは、なぜ、ひだりまきなのでしょうか?男の子たちはなぜ、戦争の話ばかりするのでしょうか?
わたしは汽笛は好きだけど、汽車は嫌いです。だって、汽車は遠くへ行ってしまうんですもの。
NHK「君の名は」。
アバンタイトルからテーマの音楽へ。それをBGにして。
九歳。
雁の渡ってゆく夜、お母さんがお金のかんじょうをしていたら、こおろぎが一匹きて、
そろばんの上にとまりました。
一生懸命働いているお母さんのために、わたしはふと、「こおろぎも貯金できたらいいのにな」って思いました。
効果音メドレー。
南極探検隊の出発。 人工衛星。 マンボ旋風。 死の灰事件。 ロカビリー。
これらのメドレーの上を ギターによるテーマがつらぬいてゆく。
十一歳。
誕生日にわたしはレコードを買いました。わたしの一番好きな曲「?(ピアノ曲がのぞましい)」でした。
その曲流れだす。
ゆっくりと――後半からBGにして。
わたしはときどき、一人になりたいと思うことがありました。
母からも離れて、友だちからも離れて、どこか見知らぬ遠い国へふらりと旅に出かけたい。
そんな心を詩に書きました。
十一歳の詩集から――
時には母のない子のように だまって海を 見つめていたい
時には母のない子のように ひとりで旅に 出てみたい
時には母のない子のように 長い手紙を 書いてみたい
時には母のない子のように 大きな声で 叫んでみたい
だけど心はすぐかわる 母のない子になったなら どこにも帰る家がない
……
3
十三歳。
わたしの家のすぐうらに一人の男の子がすんでいました。
その子はいつも麦藁帽子をかむっていました。お父さんは死んでしまってお母さんと二人ぐらし、かわいそうなことに、その子は目が見えないのでした。
音楽――テーマ、BGへ。
わたしはその子と仲良しでした。わたしたちはいつでも、かくれんぼをしてるみたいでした。
いつでもその子は鬼、目かくしをとらずにわたしを探しにくるのです。
その子の名前はモミ。本名なのかどうか知らないけど、わたしはモミ、と呼んでいました。
一度だけ、モミの書いた日記を、聞かせてもらったことがあります。
モミの日記……
「ぼくは全盲です。ぜんもうは、めくらのことです。ぼくは、げんかいふなのりの夢が見たいです。それは歌です。一回、歌の夢をみました。知らん歌でした。さわると、消えました」
音楽――デゾって海の音ゆたかに、B・Gへ。
「目が見えなくても、夢は見るの?」とわたしは聞きました。
「見るさ」とモミは言いました。「目があるんだもの。涙だってちゃんと出るよ」
わたしはモミと一緒に、海へ行くのが好きでした。
モミは海へ行くとかならず大きな声で歌をうたいました。
S・E――チビタの歌を使う。
アチャバチャ・バーチャ
そのモミが死んだのは、わたしが十五のときです。それがわたしの初恋だったのかも知れません。
音楽――ギターでテーマ、BGへ。
「十五歳。ぼくは十五歳、手で自分をつかんでみる。若いというこの確信。やさしさゆえのあまたの特権をもって。
ぼくは十五歳ではない。過ぎたむかしの方から、くらべもののない静けさが立ちのぼる。
ぼくは夢みる。盗まれた真珠と花の、この美しい愛らしい世界を。
――ポール・エリュアール」
効果音メドレー。
*月ロケット成功のニュース。
*伊勢湾台風のニュース。
*御成婚の録音。
*安保闘争。
そのエフェクト・メドレーの上を、 ギターによるテーマがつらぬいてゆき、F・O
十八歳。
いろんなことがありました。海外旅行に貨物船で出かけていった友だちもいました。
童話ばかり書いている友だちもいました。結婚しちゃって垣根のある家に住んだ友だちもいました。大学へ入って政治活動をしている友だちもいました。映画スタアになった友だちもいました。自動車修理工になった友だちもいました。競馬場で、自分の人生を買っている友だちもいました。病院の片隅で、花々を売っている友だちもいました。
みんな十八歳でした。みんな一生懸命でした。
ジュール・ルナアルの詩のなかの、わたしの好きな一節。
「幸福とは、幸福をさがすことである」
叩きつけるように、オリンピックの入場式の録音。
高らかに――そして、たっぷりと音楽とともに
One Section分。
その雄大な音をBGにして……
十九歳。
とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩(うた)
わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む
そら豆の殻一せいに鳴る夕べ母につながるわれのソネット
吊るされて玉葱芽ぐむ納屋ふかくツルゲネーフをはじめて読みき
しだいにオリンピック音、遠ざかってゆく……
列車にて遠く見ている向日葵は少年の振る帽子のごとし
ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らむ
ゆっくりとテーマ、ギターの音楽、BG。
二十歳。
わたしは二十歳になりました。
わたしは今、木のテーブルの上に頬杖をついて、ぼんやりと物思いにふけっています。
子供の頃から、わたしは学校の先生にも、女大臣にも、大芸術家にもなりたいとは思っていませんでした。
女流探検家にも、デザイナーにもなりたいとは思っていませんでした。
わたしはただ、「質問」になりたいと思っていたのです。
いつでも、なぜ?と問うことのできる質問、決して年老いることのない、みずみずしい問いかけに……
そして、わたしの気持は、いまでも変りません。
わたしは二十歳。わたしの名前は、吉永小百合です。
音楽――ゆたかに変調してending。
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出典:寺山修司「二十歳 詩によるドキュメント」『ジオノ・飛ばなかった男 寺山修司ドラマシナリオ集』より。表記を一部省略しました。
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