Facebook田中 宏明さん投稿記事
もっと現実を見て生きなさい
あなたは 後何十年か経てば もしかすれば もっと早いうちに 必ず死んでしまいます
今の自分の仕事や ライフスタイルが 本当に死ぬという ことに直面した時
本当にリアリティを 持ったものだと思えるでしょうか?
誰かの顔色を伺いながら家族や相手のためだと言い聞かせながら自分を押し殺して生きている
それが本当に現実的な生き方だと思いますか?
本当に現実的に生きているという事は自分を大切に生きているということです
自分をいたわり愛して生きているということです
どんな仕事や生き方をしているかは関係ありません それは一種の映画のようなものです
我々が現実と呼んでいる社会や国家やシステムというのはただその時代に応じてマインドが
創り出した幻影のようなものです
本当のリアリティは自分自身を生きているということです
あなたが戦国時代に生きていようと縄文時代に生きていようとはるか先の宇宙文明を生きていようとあなたがあなた自身を生きていなければそれは時代に合わせた幻影を生きているだけなんです^ ^ 死はその幻影を人生の最期に強制的に消し去ってくれます
死を目前にした人が口を揃えて言う後悔があるそうです それは「もっと自分自身を生きれば よかった」という言葉です
自分が社会や他人に合わせた偽りの自分を 生きていたのだと 死を前にして 自分は何かの役割ではなく純粋な命そのものだったとはっきりと悟るからです
それはいわゆる「悟り」と同じことです 死が思考の幻を払いとってくれたわけです
幻から覚ましてくれるもの それが本当のリアリティです
そして死を前に幻から覚めた人たちがいう言葉が「もっと自分自身を生きる べきだった」
つまり自分に与えられた命をもっとありのままに生きるべきだったという後悔なんです
でも安心してください^ ^誰でも今すぐ簡単に自分自身を生きることが出来るのです
いいですか?今苦しいなら苦しいと認めること逃げ出したいと思っているなら逃げ出したい自分を認めること実は何にも強くも賢くもなかった自分を認めること弱くて誰かに寄り添って欲しかった自分を認めること
お父さんとお母さんにもっと優しく愛されたかった自分を認めること
他にもたくさんの認めたくない自分を認めること そうすることで偽りの自分が剥がれ落ちて行きます
本当の自分の思いを隠すために創り出した たくさんの仮面が消えて行きます
仮面が剥がれ落ちた 後に残っているのが 何者でもないただのあなたです
そしてそのあなたには必要なものは何もありません ありのままの自分でいるだけで
人は幸せを感じられる ように出来ているからです
ありのままの自分の 幸せを感じた時 世界はありのままで 美しい事がわかります
その美しさこそが 本当の現実だとわかるのです^ ^
「もっと現実を 見て生きなさい」今日瞑想の後にふと湧いてきた言葉です
何となくでも伝わったら嬉しいです😊
では皆さまもよい一日を🌈✨😆らぶ💓
Facebok長岡 美妃さん投稿記事
30年後の人たちにとって「五感覚で感じ取っている世界は虚像である」ということが常識となっているだろう。
目で見る世界が絶対であるとなぜ言えるのか?
耳で聞く世界が絶対であるとなぜ言えるのか?
口、鼻、皮膚で感じる世界が絶対となぜ言えるのか?
この世界に絶対はないと言いながら、自分の体験経験は絶対だと思い込んでいる矛盾。その行き着く先は自分の知っている世界が絶対だと主張し合い、人と人とは争いを起こす。争いの種はズバリ、虚像を実像だと思い込んでいることにある。
人間いじめや戦争をなくして世界を平和にするために、誰かを悪者だと非難するのはナンセンスである。目糞鼻糞を笑うという慣用句があるが、五感覚に依存していては誰もが戦争を起こす可能性を持つ。
世界平和を実現するために軍事戦争も経済戦争も階級闘争も必要ない。自分が持つ根源的な絶対的概念を否定することである。思想・イデオロギー・宗教などの込み入った世界の否定ではなく、世界の大前提である「自分も含め、存在がある」の否定の要求である。
今の教育は「存在は虚像である」という真実を教えられていない。むしろ「存在の実像」を強調するようなことばかりを教え込む。世界の危機は教育の不完全性にあるとハッキリと言える。
存在があれば愛になれない。
存在があれば恐怖が付きまとう。
存在があれば平和にならない。
人類に今必要なものは、時空間存在すべては虚であることを誰もが知る教育である。
For people 30 years later, it will be common knowledge that "the world we perceive through our five senses is an illusion."
How can we say that the world we see with our eyes is absolute?
How can we say that the world we hear with our ears is absolute?
How can we say that the world we feel with our mouths, noses, and skin is absolute?
The contradiction of believing that one's own experiences are absolute while saying that there are no absolutes in this world. This leads to people claiming that the world they know is absolute, and conflicts arise between people. The source of conflict is precisely the belief that an illusion is real.
To eliminate human bullying and war and bring about world peace, it is nonsense to accuse someone of being evil. There is an idiom that says that the pot calling the kettle black. If you rely on the five senses, you can start a war.
There is no need for military war, economic war, or class struggle to achieve world peace. It is a denial of the fundamental absolute concepts that one holds. This is not a denial of the complicated world of thought, ideology, religion, and so on, but a demand to denial the fundamental premise of the world: that”existence, including oneself."
Today's education does not teach the truth that "existence is an illusion." Rather, it only instills things that emphasize the "reality of existence." It can be said clearly that the world's crisis lies in the incompleteness of education.
With existence, you cannot be love.
With existence, fear is always present.
With existence, there can be no peace.
What humanity needs now is an education that lets everyone know that all existence in time and space is illusion.
Facebok田中 宏明さん投稿記事
本当に命という全体を生きるなら目には見えない世界を遠ざけてはダメなんです
僕は普段は土を触ったり自然の中で生活をしていますが よく不思議な気持ちになることがあります 一体この自然という 奇跡的なシステムは何なのだろうと^ ^
草一本を見ているだけで十分に摩訶不思議の世界に旅することが出来ます
この自然という働きを見ているだけでまさに目には見えないものの力を感じざるを得ないわけです そしてその目には見えない力を感じること つまり絶え間ない 未知を感じること
それ自体が僕を いつも新鮮でワクワクした状態にしてくれます
そういう意味では 自然はとても優れた ヒーラーでもあります
目に見えないということと 「わからない」ということは よく似ています
そしてこの「わからない」が人生を多く占めてくるとあなたは子どもの頃のように活力に溢れてくるのです
大人というのは未知を失った子どもです^ ^
彼らは自分の 知りえた世界だけを生きています それはあまりにも狭く硬直した世界です
だから彼らの顔には生気がないのです きつい言い方ですが 彼らは生きているのに 死んでいます なぜなら世界のことは すでに「知っている」からです
わたしはどう生きるのが正しいかを「知っている」 わたしはどう生きるのが安全かを「知っている」 この思いこみこそが 広大な命の輝きを 失わせるんです
命とはもっと 雄大で未知の喜びに 溢れています
目には見えない ものを感じること それはあなたが 子どもの頃に自然にやっていたことなんです 「知らない」を 思い出してください 「わからない」に気づいてください
それがまたあなたを子どもに 戻してくれます そしてそこに 神というエネルギーを見つけるのです 僕はそれを愛と呼んでいます 目には見えないもの それは愛そのもの ワハハ🌈らぶ💓
ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
現実に対して私たちが持つ観念が変われば、現実も変わるのでしょうか?
アドラー心理学サロン@adler_salon
世の中に対する意味付けの変更や、「今」に集中することが必要かもしれません
Facebook清水 友邦さん投稿記事
人は世界をあるがままには見ていません。頭の中の思考が結ぶ自分の内面を投影した世界を見ています。
心理学の調査によると自分のことが好きで、自己肯定感が高い人々が信じている神は、愛が深く寛大な神のイメージを持っていました。
一方、悲観的で罪悪感を持った自己肯定感が低い人々は、罰を与える拒絶的な神のイメージを持っていました。
「人間は神のかたちに似せて造られた」は「人間は自分のマインドに似せて神のイメージを造った」でもあるのです。
この分離したマインドの投影のために私たちは真の自己から離れて苦しんでいます。
シャドーの分離が強いキリスト教徒は自分は神様から愛されて天国へ行き、キリスト教以外の人々は異教徒なので地獄へ行くと思ったのです。
他者と自分を切り離し相手を敵とみなして争って来たのが人類の歴史です。
インド哲学は有形な神をサグナ・ブラフマンと呼び、二元性を超越した無形の神をニルグナ・ブラフマンとよんでいます。
感情を持ち怒り狂う人格を持った神はサグナ・ブラフマンです。
私たちはこの二つの神の性質を持っています。
怒り狂う自分とそれを静かに見ている自分 嘆き悲しむ自分とそれを静かに見ている自分
世界を分離しているマインドが沈黙した時 二元性を超越したもう一人の静かに見ている自分が現れます。
怒り、不安、恐怖、心痛、思考、あらゆる現象には実体がなく、すべては関係性によって起こり、変化していることがわかります。
思考や感情の囚われから自由になると マインドが起こしている葛藤にエネルギーを消耗しなくなります。
自分を偽ることをやめて自分自身に正直に生きると葛藤がなくなり他者に対する攻撃性が低下して寛容さが生まれます。
消費社会では心の分離感を偽りの欲求で満たそうとしますが本当の満足は得られません。
盲目的な大量消費は地球環境の汚染と資源の枯渇を招いています。
有限な地球で無限に物質的な成長することは出来ません。
利益を上げる事だけの目的に同化して自己増殖を続けると最後は資源を食いつぶし破滅します。
私達は今、経済が成長しない安定平衡(へいこう)期という人類史の大転換期に入っています。広告宣伝で欲望を煽りシェアを伸ばし利益を上げる企業戦略はなりたちません。
経済成長がゼロの時代は競争相手を打ち負かして勝利することに価値はありません。
地球に負荷をかけない循環経済の企業が生き残るでしょう。
人類の意識変容は1960年代に宇宙から地球を見ることで新たな段階に達しました。
人々は偽りの価値であった富の蓄積に興味がなくなり意識の成長に喜びを見出すようになってきました。
目覚めた人の数が臨界をこえると指数関数的に増えます。
そうなると相互に信頼し、尊敬しあう持続可能な循環文明がこの地球に誕生することでしょう。
宇宙は統合に向かって意識の変容を人々に促しています。
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