俳句は「モノの見方」

https://yumenavi.info/vue/lecture.html?gnkcd=g012757 【俳句を読み、考えることで見えてくる「モノの見方」】より

「俳句」の誕生

じつは、「俳句」という言葉ができたのは明治時代です。それまでは俳諧連歌というより長い形式の文芸であり、その冒頭の「五・七・五」が独立性を強めたのが俳句です。さらにいうと、現代の俳句の基礎ができたのは、1920~30年頃です。アメリカではディズニーが、ヨーロッパではシュルレアリスムが生まれ、日本でも震災後に交通網が整備され、自動車が普及し始めるなど、文化や生活が激変した時代。小説と同様に、その影響を受けた俳句にもさまざまな筋道や可能性が議論された末、その後に続く現代俳句の見取り図が確立されました。

「写生」がつくる現代俳句の基礎

俳句には抒情的な句や「五・七・五」に縛られない非定型の句など、さまざまなタイプがありますが、現代俳句の基礎のひとつに「写生」があります。写生は、正岡子規が19世紀末に理論的に注目した考え方で、小説や日記、新聞記事と同じく、事実や情景を淡々と書き、そこから読み手に共感させる手法です。子規が注目した与謝蕪村を例にとりましょう。「春の海 ひねもすのたり のたりかな」には、「春の海があり、一日中ゆったりとのどかである」ということしか書かれていません。前提となる文脈や文学的知識がなくても創作・共感できるため、俳句は写生によって一般大衆にも親しまれる文芸になったのです。

俳句=モノの見方

また、俳句は書き手だけでなく、読み手の想像力によって補われる文芸でもあります。そのため、ある俳句について研究するには、その作品がどのようにつくられ、その後どんな人たちが、どのように読み、語ってきたのかを知ることも重要です。こうした作業を通して見えてくるのは、俳句とは「モノの見方そのもの」であるということです。俳句をどのように読むかが「今」を映し出すと同時に、自分が無意識に前提としている「今」のモノの見方を炙り出してくれるのです。しかも、短時間で多くの作品に触れられるという意味で、「モノの見方を問う」ことの本質により近づきやすい点も、俳句のもつ重要な特性なのです。


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★現代宗教

今のキリスト教・仏教・イスラム・ヒンズーという宗教が、社会の中で地位を低下していった。それは何故かというと、そういう宗教というのは独善的で閉鎖的で排他的で、それらは実は競争社会を構成している要因と同じルーツなのです。

したがって近代文明社会がいき詰まったのとまったく同じ理由で、いき詰まっています。だから、既存の宗教を持ち出して、その中から価値観を取り出して、次の社会の柱にするというのは無理なのです。宗教という言葉自体、非常に大きな問題をはらんでいます。

アメリカインディアンやアボリジニは誰も彼らの信仰を宗教とはいいません。たとえば母なる大地とか、彼らの創造主などは、日常の生活と一体化していますから、宗教といわなくても瞬間瞬間を、自然や創造主と一体の中で生活していますから、宗教みたいなものはありませんし興味もないのです。

宗教家もいないし、宗教組織もありません。また教会も寺も墓もありません。したがって、他の宗教が来ても、矛盾するものとは捉えないでどんどん受け入れて自分たちの生活に取り入れてしまい、人間が本来持っている魂の宗教性と矛盾しないのです。

人間が心の奥底に持っている非常にピュアな神性・霊性というものと既存の宗教というのは、すでにもう大きな乖離(かいり)と矛盾が発生しています。人間の神性・霊性に答えていないのが今の宗教です。文明社会では宗教は大きな建物、大きな組織があり、大きなお金が動いています。「組織は絶対に腐敗する」し、独善的で排他的な教義があります。だから今の宗教というのは、殆どピュアな神性・霊性を失ってしまったと言えるでしょう。

下記の画像の真ん中はホピ族の創造主のらせん構造を描いたものです。


http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/uzunomeisou.html 【渦の瞑想】

 

https://www.amorc.jp/material_012/ 【渦巻とらせんの神秘】より

ディニ・ヤコブス

 渦巻(Spiral)は、エネルギーの流れを表わすために、太古の昔から用いられていた神秘的象徴で、世界中のさまざまな遺跡の道具類に見ることができます。エジプトの先王朝時代の陶器や、神殿の石壁の彫刻に渦巻の模様が使われています。また、西ヨーロッパや南北アメリカ大陸や東洋の、巨石からなる遺跡やストーンサークルにも見ることができます。渦巻は現在もなお、さまざまな宗教団体や神秘学派で用いられています。また、神秘的な象徴として一般にも使用されています。

幾何学的図形の中でも、渦巻は極めて古くから使われていたので、何か特別な意味があるに違いないと、考古学者は長い間考えていました。渦巻きが表していたのは、一年の4分の1の期間に、太陽が空に描く軌跡であることが、研究と数々の実験によって明らかにされています。春分から夏至までの間、太陽が空に描く通り道は右回りの渦巻きで、太陽はこの渦巻きを、外側から内側へとたどります。夏至が過ぎると、内側から外側に進み、秋分には元の点に戻ります。一方冬期には、左回りの渦巻きをたどり、冬至までは外側から内側へと進み、その後春分に最初の点へと戻ります。

2つの渦巻を組み合わせた模様が、多くの古代文化で共通して使われています。そこから発展した3つの渦巻を組み合わせた象徴も現れました。しかしどの象徴においても、ひとつひとつの渦巻は3ヵ月という期間を意味しています。3つの渦巻を組み合わせた象徴は、人間の胎児が子宮にいる期間を表していると考えられています。

自然界で見ることができる形には、異なる構造であるにもかかわらず、同じ数式に従っているものがあります。渦巻状の運動はマクロコズム(macrocosm:大宇宙)の中に様々な種類のものを見ることができます。最もよく知られている例は、美しい渦巻銀河であり、星々でできた腕を優美なカーブを描いて外側に伸ばしています。ミクロコズム(microcosm:小宇宙)では、自然界や人間の体に見ることができる、さまざまな形と周期がその例です。渦巻は、人生の展開やあらゆる生物の成長がたどる自然な進行を表しています。その渦は常に大きくなっていき、同じ地点を通ることはありません。渦巻の性質からして、それは必然的なことであるように思えます。そして、変化と成長、カオス(chaos:混沌)の中にある秩序、相反すると同時に同じであるものを、渦巻は見事に表しています。

古代エジプトのナカダ文化第2期(紀元前3400 年頃のゲルゼー文化期)の渦巻模様のある陶器のつぼ(Photograph by Jon Bodsworth:http://www.oocities.org/unforbidden_geology/ancient_egyptian_stone_vase_making.html)

ギリシア人は、ものごとの物質的な面と非物質的な面を総合して、有機的統一体として把握することの重要性に気づいていました。ギリシア語の「コスモス」(Kosmos)は「秩序」を意味していて、そこには、次のような考え方が反映されています。つまり、物質はそれ自体の運動と秩序があるから存在しているのでもあり、成り立ってもいるのだという考え方です。言い換えれば、物質とは振動であるということです。原子核の周りを回る電子の運動や、分子の中の原子の振動、DNA鎖の中の分子のリズミカルな運動などについて考えるとその意味がお分かりになるでしょう。

同じように、人間の意識が生まれ、進化していくということは、意識の構造を継続的に、より洗練されたものにしていくということであり、ひとりの人間というミクロコズムを、より秩序あるものにしていくということです。このような観点から見ると、渦巻は魂(soul:ソウル)が永遠の生命に向かって進化していくことを象徴しています。

単純な二次元の渦巻には、いくつかの特徴的な性質があります。それはその源から始まって、その源に戻っていきます。それはすでに起こったことの意味を明らかにし、新たな光を当て、その結果として起きる新しい発見へと私たちを導きます。渦巻は過去の説明であり、未来の予言なのです。

時空(space-time)という四次元の世界では、渦巻は圧力の低い領域の周囲で形成され、上向きもしくは下向きに圧力をおよぼす、らせん状の流れと考えることができます。たとえば竜巻や台風を思い浮かべると良いかもしれません。渦の中心に、それとそっくりなもうひとつの渦ができ、らせん状の流れが2つ重なると、内向きの運動と外向きの運動が組み合わせられます。

人間の本質の核心には、このような二重のらせんがあります。上向きのらせんは、人間の意識が高められることを表現しており、下向きのらせんは人間の身体が物質化され、物質の領域で進化することを象徴しています。それによって全体的な存在、つまり「生ける魂」を、二重のらせんが創造しているのです。

私たちが殿堂内や自宅で瞑想するときには、私たちは自身の意識を〈創造主/神〉の精神に同調させようと試みています。そのような時には、上に向かうらせんとして自分自身の意識を視覚化することができます。創造されたすべてのものを包み込むような大きさの渦になるまで、ずっと広がっていく円として、らせんを思い浮かべます。意識を上昇させている間に、私たちはある「滞在の場所」に到達します。バラ十字会員には〈天上の聖所〉として知られている精神の状態です。

渦巻と密接に関連しているのが「迷宮」(labyrinth:ラビリンス)です。迷宮とは、二重になっている渦巻と考えることができます。アメリカ先住民族のホピ族は迷宮のことを「母なる地球」の象徴と呼び、地下にある彼らの聖なる場所「キバ」(Kiva:円形の大広間)を、それになぞらえています。この「キバ」を通して、以前の世界からホピ族が出現したという言い伝えがあります。迷宮の中の線と通路のすべては、創造者の普遍的な企画が具体化されたものであり、この企画には、すべての人が〈人生の道〉を歩む上で従わなければなりません。

知られている最も古い迷宮は、エジプトで発見されたものであり、紀元前19世紀にさかのぼります。しかし最も有名な迷宮はもちろん、クレタ島のミノス王のラビリンスであり、神話のアリアドネの糸の話で知られています。

迷宮は、作られては破壊され、広げられたり狭められたり、また、姿を消したり現れたりします。それは正しい道を知っている人にとっては秩序正しい〈宇宙〉であり、道を見失っている人にとってはカオス(混沌)です。ウィリアム・ブレイクの言葉には、こうあります。

私はあなたに黄金の糸の端を渡します。 ただ、それを巻いて糸玉にしなさい。

この糸があなたを、エルサレムの壁の中に作られた 天国の門へと導きます。

(参考文献)

Lyall Watson, Dark Nature, Hodder & Stoughton, London, 1995

Jill Purce, The Mystical Spiral: Journey of the Soul, Thames & Hudson, London, 1975

Christopher Knight & Robert Lomas, Uriel’s Machine, Arrow Books, London, 2000

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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