感覚、感性が自分の真実

https://www.osho.com/ja/read/featured-articles/body-dharma/tapping-into-our-intuition 【直観に触れる】より

 完全に目覚めていると、転換が起こる。左脳からエネルギーが右脳に動く。油断のないときは、あなたはつねに直観が働くようになる。ひらめきがやって来る。突然、未知なるものからのひらきめきが。あなたはそれらに従わないかもしれない――だとしたら、あなたは多くを逃す。

 事実、科学の偉大な発見もすべて、左脳からではなく、右脳から生まれる。

 キュリー夫人、ただひとりノーベル賞を受賞した女性のことを聞いたことがあるはずだ。彼女は3年間、ある数学の問題に一生懸命取り組んでいたが、解くことができなかった。必死に取り組み、あれこれと論証してみたが、どうしようもなかった。ある夜、彼女は疲れて、疲労困憊して、寝入ってしまい、眠っている間も問題を解こうとしていた。夜中に彼女は目を覚まし、歩いて、なにかの紙に答えを書き、ベッドに戻って眠った。

 朝になって、彼女はテーブルの上にある答えに気づいたが、誰がそれをやったのか確信できなかった。この答えはどこから生じたのか? 左脳からはありえない。左脳は3年間、必死に働いていた。しかも、紙には結論だけで、過程がなかった。左から生じたのであれば、過程があるはずであり、段階を踏んで進む。だが、これはひらめきに似ていた……洋服だんすの中の少年に起こったのと同じ種類のひらめきだ。左脳は疲れ、疲労困憊し、絶望して、右脳の助けを求めたのだ。

 論理が成立しないという窮地に陥ったときはいつでも、自暴自棄になってはいけない、絶望してはいけない。これらの瞬間が、あなたの生における最大の祝福を証明するかもしれないのだ。これらは、左が右に自由にさせる瞬間だ。そうなったら、女性的な部分、受け身の部分が、あなたに思いつきを与える。もしあなたがそれを許したら、多くの扉が開かれるだろう。だが、あなたは見逃すかもしれないということもあり得る。あなたはこう言うかもしれない。「ばかげている!」

アートはすべて、いかにマインドの女性的な部分から働くかということに尽きる。というのも、女性は全体とつながっているが、男性は全体とつながっていないからだ。

 男性は攻撃的だ。男性は絶えず闘っている――女性は絶えず明け渡し、深く信頼している。だからこそ、女性の体はとても美しく、とても丸みがある。深い信頼と、自然との深い調和がある。

 女性は深く明け渡して生きている――男性は絶えず戦い、怒り、あれこれとやっている。なにかを証明しようとして、どこかに行き着こうとして。女性はどこかに行き着こうとしなくても、幸せだ。月に行きたいかどうか、女性に聞いてごらん。彼女たちはただびっくりするだけだろう。なんのために? どんな意味があるの? どうしてそんな面倒なことをするの? 自分の家がいちばんいい。女性は、ベトナムはどうなっているのかとか、朝鮮はどうなっているのかとか、イスラエルはどうなっているのかということには興味がない。彼女が興味をもつのは、せいぜい、隣近所はどうなっているのかということくらいだ。興味があるのは、誰と誰が恋に落ち、誰と誰が駆け落ちしたかということくらいだ……うわさ話であって、政治の話ではない。彼女は即時の、今ここにあることに興味をもつ。それは彼女にハーモニー、魅力を与える。男性は絶えずなにかを証明しようとし、そうすることで戦い、競い合い、積み上げなければならない。

頭がしゃべりつづけているから、あなたは生において多くを見逃す。それは許そうとしない……。

 そして、頭の中にある唯一の資質は、よりはっきりしている、ずる賢い、危険、暴力的だということだ。その暴力ゆえに、それは内側での指導者になっている。そして、その内側での指導力が、男のための外側での指導力になっている。男は外側の世界でも女性を支配している。優美なものが暴力に支配されている。

 男性マインドは、問題ばかり起こす現象だ。だからこそ、それは力で抑えつけ、支配する。だが、深いところで、あなたは権力を得るかもしれないが、生を見逃す――そして、深いところで、女性マインドは持続する。

女性に戻ってあなたが明け渡さない限り、あなたの抵抗と闘いが明け渡しにならない限り、ほんとうの生とはなにかということと、その祝祭があなたには分からないだろう。

https://ameblo.jp/inthetic/entry-12788252913.html【感覚、感性が自分の真実】 より

「これ美味しいよね〜」「え?私はどうも苦手」「あの人かっこいい!!」「私全然好みじゃない」「なんかここ雰囲氣悪くない?」「そうかな、私は氣にならないけど」「うわ、これって辛すぎない?」「そう?私にはちょうどいい」

いずれも感性や感覚についての会話です。(*^o^*)その会話がこんな感じで展開したらどうでしょう?

「これ美味しいよね〜」「え?私はどうも苦手」「それは変だよ、〇〇の素材と〇〇ソースなんで美味しいに決まってる」「いや、私は好きになれない」「それはどう考えてもおかしい、舌が狂ってるかもよ」「はー??」

まー、通常こんな会話にはならないと思いますが。(*`▽´*)ウヒョヒョ

なぜ会話が噛み合わないのか?簡単に言えば、感性、感覚を思考で押さえ込もうとしているからですね。例えば私は子供の頃から脂身が多いお肉が苦手です。

小学校の給食で酢豚が出ようもんなら、全然食べられませんでした。

勿体無いからとか、食べ物は大切と言われても苦手は苦手。口に入れたら氣持ち悪くなり「オエッ」となる。大人になってだいぶましにはなりましたが。(;^_^A

成長するつれいろんな耐性が出来ますし、多少の嗜好は変わりますからね。

でも今も苦手は苦手です。なので好んで食べようとは思いません。

なぜ?と言われても分からない。これは感性であり感覚だからです。

体に感じる痛み。これも感覚ですよね。

他人から「それは痛くない」なんて言われても痛いものは痛い。

思考で「痛くない」と思っても痛かったら痛い。つまりその人にとっては感覚が真実なんです。それは感性も同じ。

あなたが「面白い、興味深い」と感じることも、ある人が見たら「どこが?」なんてこともある。

あなたが「氣持ち悪い」と感じることも、ある人が見たら「面白い!!」なんてこともある。

感性もその人の真実だからです。

つまり、いくら思考で「違う、そうじゃない」と言われても、感覚や感性が「そうだ」と感じるなら、「そうだ」が真実なんです。

感性、感覚が本当のあなただからです。でも多くの人は誤解しています。

思考が自分だと誤解しているのです。考えてみて下さい。思考は後から植え付けられたものです。「こっちが正しい、あっちは間違い」「こっちが良い、あっちは悪い」「こっちが上、あっちは下」生まれた時からこんなこと考える赤ちゃんいないでしょ?。゚(゚^∀^゚)゚。 アヒャヒャヒャ

ってことは後から植え付けられたものです。

かたや感覚や感性。

私の場合の「脂身の多いお肉嫌い」は「体に悪いからダメ」と言われてそうなったのか?

そんなことはありません。

むしろ親からはなんとか肉を食べさせようと色々やられましたから。

つまりこれは元々の感覚、感性です。ってことは、それが本当の自分です。

他にも色々あります。

教わったわけでもないのに自然にやっていたこと。理由はわからないけど昔から興味があったこと。なぜか好きで没頭してしまうこと。これなども本当のあなた、つまり感性や感覚の反応です。

そして本当のあなたに従っていた方が状況は良くなります。

好き、楽しい、面白い、嬉しいなどの意識状態が、さらにその様な状態を引き寄せるからです。

この世の全てを作り上げている量子は意識している方に偏る性質があるからです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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