Facebook認定NPO法人 富士山世界遺産国民会議さん投稿記事
写真は『吉田口登山道』の入口付近にある猿の像。なぜ猿の像が設置されているかご存知でしょうか?実は、猿は富士山の使いとされています。
神使とされた由来には、『富士山は、庚申(かのえさる)の年に姿を現した』や『猿は山岳そのものをご神体とする神の使いにふさわしい』など、諸説あります。
富士山が誕生したとされる60年に一度の庚申の年は「御縁年」と呼ばれ、昔から特別にお祝いされていたようです。
この「御縁年」に登山をすると、1回が33回分に相当するほどのご利益があるとされ、多くの人々が富士山を訪れていたと言われています。ちなみに次の庚申の年は2040年です!
吉田口登山道の猿像は、合掌して富士山を拝む姿をしています。
ぜひ、登山の際に通る際は猿の像など、富士山の自然だけではなく、歴史や信仰の文化などにも触れてみるのはいかがでしょうか?美しい風景に加え、富士山の深い文化や伝統に思いを馳せることで、登山がより特別なものになるはずです。
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富士山世界遺産国民会議
いつまでも富士山が世界遺産であるために。
富士山世界遺産国民会議は、国民みんなで富士山を守るお手伝いをする、認定NPO法人です。
http://an-hana.com/662 【神社の起源!神様が宿る「依代」】より
古代の時代から、人間は自然とともに生きてきました。
古代の人々は、人間や動物などの生物だけではなく、植物、天体、無機物のものまで、すべてのものに霊魂が宿っていると考えていました。
このような自然信仰の考え方を「アミニズム」といい、人々は自然を神様として崇敬し、その崇敬の心から祭る(祀る)ようになっていきます。
そして、祭りのたびに、神様をお招きすることで、神様が山や木、岩に宿り、それが依代(よりしろ)となると考えられてきました。神様が降臨し、依代に神が宿ることで、その場所は聖地となる。これこそが、神社の起源であると考えられてきたのです。
今回は、聖地には欠かせない「依代」(よりしろ)について、考えていきます。
山を神様として考えた聖域「神奈備」
神道において、神が宿る依代を擁している森など、その領域のことを「神奈備」(かむなび・かんなび・かみなび)といいます。そして、「神代」(かみしろ)として自然環境をご神体とするものも神奈備であり、ここでいう自然環境とは、山のことです。
日本では、古来から山岳信仰という言葉があるように、山をご神体として信仰を深めてきた痕跡が地方でいくつも確認され、今もその姿を残しています。
山の中でも、特に神は籠る聖地として相応しい山々は、信仰の対象として人々から愛されてきたのです。代表的な山といえば、富士山。そして、奈良県の三輪山などがあります。
神様が降臨する場所と考えられた「磐座」 山の次は、岩です。
昔から、石や岩は神様が降臨する依代として考えられてきました。その依代となった岩のことを磐座(いわくら)といいます。磐座は、岩石が扁平で、神座にふさわしいような形のものを指すといわれています。また、同じく岩を依代とした磐境(いわさか)という言葉もありますが、磐境は神域を分けるために使われています。
他にも、巨大な「巨石」から小ぶりなもの、変わった形をした「奇石」など種類は様々ですが、今もそれらが数多く残されていることで、私たちは古代からの神様のメッセージを受け取ることもできるのです。
神様が宿る「磐座」と、その神様の領域を分ける「磐境」の違いを知ると、岩や石には様々な使い方があることまで、教えてくれているのがわかります。古代の人はちゃんと、石や岩は間違えた使い方をしてはいけないものだと認識し、それらをしっかり使いこなしていたのではないでしょうか。
氣の流れをコントロールする案内役「神籬」最後は、木です。神様が宿る木は、「神籬」(ひもろぎ)といいます。
磐座が「神様が宿る場所」だと考えると、神籬は「神様が宿る場所だと教えてくれる案内板」のようなものだと考えると、わかりやすいかもしれません。
自然の栄養素(氣)をいっぱい吸い込み、成長することで天に向かって大きく伸びる木は、神様を導くものとして信仰されてきたのです。
成長すればするほど、木はどんどん高くなり、そして太くなり年輪を重ねていきます。
人々は、それらを生命力の象徴だと捉えるようになりました。
天に向かってどんどん成長する木は、天と地をつなぐ柱でもあると考えられていました。
その柱が神籬であり、今でも地鎮祭などでは神籬を祭壇として設置し、祈願を行っています。
依代を、探すだけでも面白い!
ここでは、神奈備・磐座・神籬について書きましたが、自然信仰の名残として残る依代を探すだけでも、神社参拝はもっと面白くなります。
日本の神社では、山・岩(石)・木の他にも、いろいろな依代を見ることができます。
そして、山の雰囲気、いろいろなサイズや形の岩、木が植えられている場所や大きさ、さらにその周辺に何があるのかなどをチェックしてみると、これまで以上に楽しい神社参拝になるでしょう。神社にお参りしたら、神様が祀られている社殿だけではなく、依代も探してみてください。古代の人々が大事にしてきた自然の魅力を、きっと感じ取ることができると、「あん・はな」は思います。
https://mannen.jp/patchtheworld/15557/ 【アニミズムとは?定義や現代で再び見直される理由などを解説】より
アニミズムとは?定義や現代で再び見直される理由などを解説
アニミズムとは
アニミズムとは、生物・無生物を問わず、すべてのものに霊的存在が宿っているという考えのことである。アニミズムという言葉の由来は、ラテン語の“anima”で、これは霊魂を意味する言葉だ。自然界に存在するすべてのものに精神性を認めることは世界中の思想や信仰で見られているが、「アニミズム」自体は、そうした人々の間でのみ使われていたものではなく、人類学の研究の中で誕生した概念および用語である。
なお、ここでの霊的存在というのは幽霊や怨霊のような恐ろしいイメージの存在ではなく、私たちが想像する「人間の魂」のようなものと考えると分かりやすいだろう。つまり、霊魂や死霊、精霊、神などといった存在である。それらの霊的存在は、人間だけではなく動物や植物、石、月、水、家など、すべてのものに宿っているというのがアニミズム思想のもととなる考え方だ。
現代でも、世界の各地域でアニミズム信仰を継続している部族や民族が見られるほか、風習という形で残っている地域も見られる。日本では、太陽、山、川など森羅万象に霊魂が宿り、家庭においても家そのものや台所、トイレ等にもそれぞれ神様がいると信じられてきた。特に、創作されて長い年月が経ったものに神が宿り、意思を持って動き出すとされる「付喪神(つくもがみ)」の信仰は、日本独特のものである。
アニミズムの概念が生まれた背景
アニミズムとは
アニミズムを定義したのは、19世紀末頃に活躍し、「イギリス人類学の父」といわれた人類学者エドワード・バーネット・タイラーである。
新大陸の発見などによって世界がグローバル化し始めた大航海時代以降、西洋の知識人たちは、キリスト教以外の宗教的儀式や文化を「原始的で劣等なもの」と見なす傾向にあった。こうした時代背景の中で、タイラーによるアニミズムの概念は誕生したのである。
タイラーは、それまで世界中に存在していたアニミズムのもととなる思想について、「原始宗教における最小限の共通単位」と捉えた。つまり、アニミズムがすべての宗教のもととなる共通の信仰の形であるという。
タイラーの定義によると、原始文化の中で生まれた精霊信仰から、多神教、そして一神教に至るまでのすべての過程においてアニミズム信仰が見られるという。
なお、現在でもアニミズムはキリスト教や仏教などの「高等宗教」と比較し、「原始的なもの」とされていることが多い。なぜなら、もしそれらの宗教がアニミズムと紐づけられれば、「原始宗教にとどまっている」と捉えられ、高等宗教に達していないと認識されてしまうからだ。そのため各宗教は、自らについてアニミズムとは別の原理があると主張してきたという。
アニミズムが見直されている理由
そんな「原始宗教」とされるアニミズムが、なぜ現代で再び評価されるようになったのだろうか。その理由として、環境問題への関心が高まったことが挙げられる。
近代の産業革命以降、地球温暖化やゴミ問題を始めとした環境破壊が多発し、世界共通の大きな課題となっている。人間の生活や活動が豊かになる中、自然界にも精神があるという考えを持つ人は少なくなり、自然は「人の発展のための道具」と認識されることが多くなった。
しかし近年、環境問題について関心を持ち、自然を大切にしようとする人が増えるにつれ、アニミズムの概念が再び注目されるようになっている。このような自然保護をベースにするアニミズムの考え方は、もし自然にも人間のような意識があるのならば、自分たちを破壊されて悲しんでいるはず。だからこそ、自分を大切にするように自然も大切にしよう、というものだ。
また、人間も自然の一部であり、動植物にも敬意を払って共生することが大切だという人も増えている。こうした風潮を受け、「原始宗教」である本来のアニミズムについて改めて考え直し、一部の人々の中で新しいアニミズムの定義づけが行われている。
世界でのアニミズム信仰の例
アニミズムは世界共通の原始宗教ともいえるものであり、信仰の名残が見られる地域も多く存在する。ここでは、日本および海外のアニミズムについてみていこう。
日本
八百万の神
「八百万の神様が存在する」という神道の考え方は、無宗教が多いといわれる日本人の中に唯一根付く宗教文化ではないだろうか。アニミズムは神道の考えに通ずるものであり、自然と神は一体であると考えられている。
世界の中でも独特の宗教観とされているが、その理由は一神教ではないこと、創始者および聖典が存在しないことが挙げられる。それは、古来日本では多種多様な神が森羅万象に存在し、信仰対象として認識されていたからだろう。
アイヌ民族
アイヌ民族は、現在の北海道周辺を中心に栄え、今では日本とロシアの一部に居住する少数民族である。アイヌの信仰では、すべてのものには霊魂が宿るとされ、それらを「カムイ(神)」として敬っている。そして、この世界は人間とカムイが共存することで成り立つと考えられているのだ。
アニミズムに基づくこの宗教観は、極寒の環境下での生活や、狩りによって食料を得たり、動物の毛皮を防寒着として着用していることから生まれたものだ。動物を殺生した際には、「肉体を人間が受け取り、その動物に宿る魂をカムイの世界に返す」という儀式が行われている。
付喪神(つくもがみ)
付喪神とは、古道具に宿るとされる神である。日本では古くから「100年使いつづけた道具には魂が宿る」と信じられており、「ものを粗末にすることはいけない」という教えにも繋がっている。
特に、幼いころから一緒に過ごしているぬいぐるみに愛着を持っていたり、人形を簡単に捨ててしまうことに抵抗がある人も多いだろう。人形供養や針供養が今でも行われていることからも、アニミズムの思想が日本人の中で広く根付いていることが窺える。
海外
ケルト民族
古代ケルトでは、「ジャイア」と呼ばれる渦をシンボルとしていた。このジャイアは、「万物に上下はない」という思想から生まれたものとされる。ケルト信仰では、森羅万象は流動的かつ平等な存在であると考えられており、一神教であるキリスト教が流入する以前は日本における八百万信仰と近しい信仰が行われていたという。
イヌイット
カナダやグリーンランドの氷雪地帯で暮らすエスキモー系民族の一つであるイヌイットは、極寒の環境を生き抜くため、オットセイやセイウチ、トナカイなどを狩りながら暮らしている。
イヌイットの宗教観は、シャーマニズムとアニミズムに基づくものだ。「イヌア」という生命の根源を成すものが存在していると考えられており、このイヌアは、生物だけでなく無機物や「食べる」「歩く」といった行為そのものにも宿るとされている。
ラオスのピー(精霊)
ラオスの山岳部に住む少数民族は、その多くがアニミズムを信仰しているという。あらゆるものに「ピー」という精霊が宿るとされ、人々の生活を守ってくれる一方、もしも不敬な行いがあった場合は病気や災害などをもたらすと考えられている。
また、ラオス国民の大多数は上座部仏教を信仰しているものの、寺院の中にはピーを祀るところもあり、仏教の教えとアニミズムの信仰が融合している様子がみられている。
まとめ
すべてのものに霊魂が宿ると考えるアニミズム。古来、世界中の地域や民族でみられていた信仰の形であり、様々な宗教の「原始の形」とされている。古代の人々は、人智の及ばない超常現象に対して畏怖の念を抱き、自然の中に神を見出したりしながら崇拝してきた。それは、人間以外にも身の回りのあらゆるものを尊敬し、共存しようと大切にしたからだろう。
一方、現代人の多くは人間の生活を重視するあまり、自然に対して無頓着になり、傲慢な態度を取っていることは否めない。結果として、大型化する災害や地球温暖化など、私たちの生活に大きく影響している。また、大量生産・大量生産・大量廃棄の現代社会では、ものの使い捨てが一般的となっている。
アニミズムについて知ることは、自然を敬い、ものを長く大切に扱うことの喜びに繋がっていくかもしれない。
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