アニミズムという希望

Facebook近藤裕子さん投稿記事  ☘️秋彼岸に寄せて☘️

『一塊の石にも供華や秋彼岸 』(伊能松並)

「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉にもあるように、厳しい夏の暑さも少し和らぎはじめ、稲穂も色づき、田や畑のあぜ道に彼岸花が咲き始めました。

お彼岸の語源は、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」を漢訳した「到彼岸(とうひがん)」にあるといわれています。

サンスクリット語のパーラミターには、「完成する」、「成就する」といった意味があり、仏教の世界では迷いや煩悩から解き放たれて悟りの境地へ至ることを意味するのだそうです。

この悟りの境地を「極楽浄土」といい、秋分は〈太陽が真東から昇り、真西に沈むことから〉、西方にある極楽浄土への思いを込めて沈みゆく太陽を拝んだのがお彼岸の始まりとされています。

このお彼岸、実はインドや中国などの仏国には無く、日本独自の習慣だそうです。

平安時代の「日本後紀」によると、延歴25年(806年)に朝廷により日本で初めての彼岸会(彼岸中に行う仏事)が行われたとされています。

秋分の日は、国民の祝日となっており、「祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ」日であるとされています。

春彼岸では春の花の牡丹から「ぼたもち」、秋彼岸では秋の萩の花から「おはぎ」をお供えるのは面白い風習です。

夏から秋へ。

生かされてある事に感謝したいと思います。


https://note.com/kazumasa1009/n/n21e3ead82618 【屋久島で生を紡いだ詩人 ~山尾三省『アニミズムという希望』から

川口和正

緊急事態宣言の間に読み始めて、胸に刻まれた本がある。

一冊は、カミュ『ペスト』(新潮文庫)。この時期に手にした人も多いだろう。

そして、もう一冊は、山尾三省『アニミズムという希望』(野草社)。

三省さんは、1970年代に東京から屋久島へ家族で移住し、農を営み、詩を紡ぎ、思索を続けた人である。

海を見に行くとき

三省さんの本は、それまでいくつか読んできた。その文章は、素朴で、余分なものが付いてない。生きるうえで大切なことは、火であり、水であり、人とのつながりなのだ…といった、実にシンプルなことなのだと教えてくれる。

たとえば、こんな一節。

「僕は海が好きである。心の底から。海と恋とは同じものであり、海と愛とは同じものである。海と自由とは同じものであり、海と神とは同じものである。海と詩とは同じものであり、海と悲しみとは同じものであり、海と苦しみともまた同じものである」(『新版 狭い道~家族と仕事と愛すること』野草社)

私も無性に、海を見に行きたくなるときが、しばしばある。

風に吹かれ、波をただただ見つめ、水平線の向こうに思いをはせる。ただ、それだけの時間が、いかに心地よいか。

いま改めて、三省さんのこの文章を読んで、海をこんなふうに「鏡」として感じることもできるのかもしれない、と思った。

「アニミズムという希望」

コロナ禍にあって、私は自分を落ち着かせるべく、ランニングを再開したり、プチ断食をしたりしていた。余分なものを削ぎ落としたい。そんな気持ちもあった。

三省さんのこの本を手にしたのも、その一つだった。

「五分、十分、わずか五分、十分の短い間でも月を眺める。森の中で月を、そして形を変えていく雲の姿を見ていれば、その五分なり十分なりの短い時間の中に、月と雲という慰めと喜びがあります。それを与えてくれる月なり雲の姿というのがカミなんだと思うんですよね」

「自分の生死を託すほど大事にする木というものを見つけてしまうと、生きるということがずいぶん豊かに、楽になります。楽しくなります。困った時にはその木に会いに行けばいいし、遠すぎる時にはイメージすることも出来るんですよね」

ページを開いて、ちょっと見返しただけでも、こんなフレーズが飛び込んでくる。

そして、その文は、心を落ち着かせてくれる。

1999年夏に琉球大学で行われた5日間の集中講義を活字にまとめたもので、400ページ近い本だが、実に読みやすい。

三省さんの講義を毎日、聴くように、日々、少しずつ読むのがいいと思う。少しずつ安堵し、穏やかな心持ちになっていく気がする。

*追記

三省さんのこの本と出会えたのは、お気に入りの本屋「Title」の辻山さんのおかげである。今年2月、三省さんの詩集や生原稿、写真などの展覧会が、Titleで開かれた。その折、辻山さんは、以下のツイートをしていた。

「開催中の「詩人・山尾三省展」ですが、著作の中でも私が好きなのはこれ。『アニミズムという希望』(野草社)。「アニミズム」という言葉は、様々な場面で語られますが、それを自らの実感から体系立てて語った本はほとんど見たことがない。土と交わり、自分のわかることをわかる言葉で書いた晩年の傑作」(2020年2月21日)

https://teratown.com/blog/2010/05/17/oycyeyssyyaeoeu/ 【『アニミズムという希望』 山尾三省】より

実は2006年夏にこの本に出会っている。その時、屋久島に行くと言うことで、一緒に行く友達が勧めてくれたのだ。ただ、400ページにもなる本で、少しだけ読んで本を閉じてしまっていた。内容としては興味があり、それからもずっとこの本は気になっていたけれど、読むことはなかった。ゴールデンウィークの後半、再びこの本を開いた。すると無我夢中になって読みはじめ、この日は本を読む以外に何をしたかを覚えていないほど、一心不乱に読んだ。

以前は読みはじめても、今回のように惹き付けられることはなかった。その時と今の何が違うと考えれば、社会というものを知ったこと、長距離を走ることを知ったことの違いじゃないかと思う。社会と言うものを経験して、それをどこかに抱きながら自然の中を長い時間走りながら考える。考えると言うよりは、感じる。その後、何かを考える。この行程を繰り返すことによって、自分の考え、さらには自然をいかに捉えるかということを深化させていった、そんな3、4年を過ごしてきたのだろう。そして、再びこの本を手に取った。

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この本は大雑把に言ってしまえば、「これからの世界を、何を拠り所にして、どう生きていくか。」について書かれた本だったと思う。そのベースとなるのが、「アミニズム」という考え方である。

そんなことが書かれた本だった。

大学での講義を元に作られているので、非常に分かりやすく、どんどんと読み進められた。自分が考えていることと同じようなことが、山尾三省の言葉で書かれている。さらに、僕が知らない、その周辺の内容や山尾三省の経験が記されている。そのひとつひとつが腑に落ちる。大学時代にこんな講義を受けれたらいいなと思う。僕も大学時代に芸大に通って美術解剖学の授業を受けたことは、かけがえのない時間だった。今思うと、本当に大切な時間だった。当時も大切な時間だと思っていたけど、時を経た今、その時間のありがたさを痛感している。

さて、この本について語る前に、この本の著者である山尾三省について。僕は山尾三省が部族を作っていた頃の時代を知らない。その当時、一般的な人々から彼がどのように見られていたのかは知らない。だからそれを踏まえた発言はできない。あくまで、この本を通して知った彼、そして彼の考えのみを元にした発言になる。こういうと、自分の発言から逃げているように感じるけれど、この本に書かれていたことは全面的に肯定する。それに関しては責任が持てる。

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「生きる土地の重要さ」「知識ではなく知恵」「カミの存在」「太陽、水、土の存在の大切さ」「回帰する時間」「生命と非生命」日本と言う国が誕生した頃から、大切にしてきたこと、それを現代の人に伝えているかのようだった。それを表している「アニミズム」とは何か。そもそも「アニミズム」の元になっている「アニマ」とは霊魂という意味らしい。その考え方アニミズムとは「生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。」らしい。wikipediaに聞いた。こうやって書くと、怪しさを感じるが、「日本の神」は八百万の神であり、すべてが神様だった。この考え方と変わらない。

この本を読んだり、色々と考えて僕の考え方はアミニズムに近いと思う。もっと厳密に言えば、自然信仰のようだと思う。簡単に言えば、何か物事を考える時に、自然の摂理に従って考えることだ。

人間も動物も植物も大地も空も海も自然なんだから、それを元に考えていれば大きな勘違いをすることはないと思う。自然好き、アウトドア好きな人はアミニズムが多いだろうし、そうでない人も突き詰めて考えれば、ここに至と思う。僕は高校時代、この考え方とは大きく異なる考え方をしていたと思う。それはディベートをしていた時に、価値を比較する際にほぼ経済的な指標のみに頼っていたからだ。

でも、考えて見れば用は人間は動物なんだし、自然の中の一部として生きている訳だから、自然の摂理に従って考えたり判断することは当たり前である気がする。我々は自分の意志とは関係なく自然によって作り出された有機物なんだし、自分の意志とは関係なく死に、土に還っていく。まさに自然の一部なのだ。自分達が自然のほんの一部でしかないことを忘れてしまい、人間が中心だと言う風に勘違いしだすと、おかしな思想に走っていく。アニミズムのような考えって、一般的には年をとると実感し始める考え方だと思う。自分の死というものがおぼろげながら見えてくると、考え始めることなんだろうな。

この本を読んで思い出した話しがある。屋久島を旅していた時、カヤックをやった。そのガイドさんが話していた言葉だ。「僕たちって先祖から決して途絶えることがなく続いているんだよ。自分、両親、じいちゃんばあちゃん、ひいじいちゃんばあちゃん、その先の祖先、そしてもっと先と。一人一人たどっていけば、人類の始まりに行き着く。一人でも駆けていたら、絶対に僕はここにいない。人類が生まれてから自分まで、ずっと繋がっているんだよ。」こんな話し。当たり前だけど、そんな視点で改まって考えたことがなかったから、そうかと深く頷いた記憶がある。

って、この本についてあまり書いていないけれど、何かに迷ったときは、この本を読み返そうと思うような、非常に大切な一冊になった。そして、山尾三省が選んだ土地である屋久島をゆっくり旅したくなった。今は屋久島ブームらしいので、人が少なくなった時にじっくりと巡りたい。

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以下は特に気になった部分。

「住むということはとても大事なことですね。中略人間というものは、植物と同じように基本的にはその住む場所に属していますから、望むと望まざるとにかかわらず、住む場所に属しますから、好きな場所に住むというのは、とっても大事なことですね。中略 自分の生涯住む場所というものを探していくといいますか、求めていくといいますか、それを意識化して、意識して探していくということがとても大事なことのように思います。中略 ひとつの離島にすぎない場所を「ついの栖」として見つけたことによって、生きるということが本格的になったし、それからずいぶん豊かになりました。中略 特に死から考えることが大切だと思います。この場所で自分が充分に死ねるかと言うことを尺度にして住む、生きる場所を選んでいくと間違いがない感じがしますよね」P132

「何かに感動する、何かに心を奪われていわゆる自我がなくなってしまう時に、本来の私が現れてくるんだと思います」P157

「存在が残した言葉というのは、自分の体でゼロから体得していく以外にないんですよね。存在の知恵というのは一世代しか持たないものです。そして世代ごとに循環してもう一回ゼロから学び直さなければならないものなんです。それだからこそ、千年前、二千年前の知慧が、現在の知慧として光を放ちつづけているのです。 中略 鍬を手にするという体を動かす世界に入っていったわけですね。そしたら、頭脳で学んできた世界の喜びどころではない、ものすごく奥深い喜びの世界がそこにあるんだということが分からされたんです。」P166

「こういう話しをしますと、どうしても直線的に進歩する文明の時間を悪者にせざるをえないように聞こえるかもしれません。事実として二十年前には、ぼくにはこの進歩する文明の時間というのは悪であるという気持がつよくありました。正直に言ってです。けれどもこの十五年ないし二十年の間にいろいろなことを体験していくうちに、特に宮沢賢治という人と出会い、サイエンスというものが持っている力、美しい力というものを知ることができました。決してそれは悪だけではない、文明というものもまた善、深い善のひとつであるということは、繰り返し申し上げておきたいと思います。」P368

「私達はありあまる自由の前に立ち往生しているのかもしれませんが、それでもなおかつ自由であることは、基本的にもっとも大事なことだと思います。」P391

「ヒトという生物の特徴はさまざまにあるが、その中で欠かすことのできないことのひとつは、それがカミ(神)という意識を持つ生物である、ということにあるだろう。中略カミ(神)ないし仏という意識は、意識のひとつの究極として訪れるものであるから、それを受け入れるにせよ、否定するにせよ、もしヒトが十分に生きたいと願うならば、避けて通ることのできない主題であると言うことができる。

カミ(神)ないし仏に関わる文化、つまり宗教というものは、ある時は狂信性を生み出し、ある時は排他性そのものとなり、ある時は偽?のシステムともなり得るゆえに、現代はその価値が地に落ち、ひととおりの理性の持ち主であるならば、そのような道に踏み込むことは愚かなことだとする通年が形成されている。

そのことは、二十世紀をかけて私達が獲得してきた良識であり、宗教があいもかわらず戦争や社会的悲惨や束縛の原因となっている事実は、もとより容認されるべきことではない。

しかしながら、一方では、私達というヒト科の生物が、意識の究極を自覚化したいと願う生物である特徴を喪失して、ただ享楽や情報を含む物資のみの獲得で満足できる種にこの百年をかけて変質してしまったわけではないという事実もよくよく見ておかなくてはならない。」P393

Facebook清水 友邦さん投稿記事

8月28日は山尾三省(やまお さんせい、1938年10月11日 - 2001年8月28日)の命日です。

山尾三省は草や木、虫や動物、火と水と風と大地、自然と暮らすことの素晴らしさを、田畑を耕しながら屋久島で著作活動を送った詩人です。

「山尾三省の遺言」

 僕は父母から遺言状らしいものをもらったことがないので、ここにこういう形で、子供達と妻に向けてそれ書けるということが、 大変うれしいのです。

 というのは、ぼくの現状は末期ガンで、何かの奇跡が起こらな い限りは、2、3ヶ月の内に確実にこの世を去って行くことにな っているからです。

 そのような立場から、子供達および妻、つまり自分の最も愛する者達へ最後のメッセージを送るということになると、それは同時に自分の人生を締めくくることでもありますから、大変身が引き締まります。

まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、もう一度飲める水に再生したい、ということです。

神田川といえば、JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、あの川の水がもう一度飲める川の水に再生された時には、劫初に未来が戻り、文明が再生の希望をつかんだ時であると思います。

 これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行くやもしれぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほしいと思います。

 第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世界から原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほしいということです。

自分達の手で作った手に負える発電装置で、すべての電力がまかなえることが、これからの現実的な幸福の第一条件であると、ぼくは考えるからです。

 遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心の中で唱えているものです。

その呪文は次のようなものです。

南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。

われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべて の国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。

以上三つの遺言は、特別に妻にあてられたものなくても、子供達にあてられたものでなくてもよいと思われるかもしれませんが、そんなことはけっしてありません。

ぼくが世界を愛すれば愛するほど、それは直接的には妻を愛し、子供達を愛することなのですから、その願い(遺言)は、どこま でも深く、強く彼女達・彼ら達に伝えられずにはおれないのです。

 つまり自分の本当の願いを伝えるということは、自分は本当に あなたたちを愛しているよ、と伝えることでもあるのですね。

 死が近づくに従って、どんどんはっきりしてきてることですが、 ぼくは本当にあなた達を愛し、世界を愛しています。

けれども、だからといって、この三つの遺言にあなたがたが責任を感じることも、負担を感じる必要もありません。

あなた達はあなた達のやり方で世界を愛すればよいのです。

市民運動も悪くないけど、もっともっと豊かな”個人運動”があることを、ぼくたちは知ってるよね。

その個人運動のひとつの形としてぼくは死んでいくわけですから。

『MORGEN』2001年7月7日号より転載

「火を焚きなさい」山尾三省 

山に夕闇がせまる 子供達よ ほら もう夜が背中まできている 火を焚きなさい

お前達の心残りの遊びをやめて 大昔の心にかえり 火を焚きなさい

風呂場には 充分な薪が用意してある よく乾いたもの 少しは湿り気のあるもの

太いもの 細いもの よく選んで 上手に火を焚きなさい

少しくらい煙たくたって仕方ない がまんして しっかり火を燃やしなさい

やがて調子が出てくると ほら お前達の今の心のようなオレンジ色の炎が

いっしんに燃え立つだろう そうしたら じっとその火を見詰めなさい いつのまにか

背後から 夜がお前をすっぽりつつんでいる 夜がすっぽりとお前をつつんだ時こそ不思議の時 火が永遠の物語を始める時なのだ それは 眠る前に母さんが読んでくれた本の中の物語じゃなく 父さんの自慢話のようじゃなく テレビで見れるものでもない

お前達自身が お前達自身の裸の眼と耳と心で聴く お前達自身の 不思議の物語なのだよ

注意深く ていねいに 火を焚きなさい 火がいっしんに燃え立つように けれどもあまりぼうぼう燃えないように 静かな気持で 火を焚きなさい

人間は 火を焚く動物だった だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ

火を焚きなさい 人間の原初の火を焚きなさい

やがてお前達が大きくなって  虚栄の市へと出かけて行き 必要なものと 必要でないものの見分けがつかなくなり 自分の価値を見失ってしまった時 きっとお前達は 思い出すだろう すっぽりと夜につつまれて オレンジ色の神秘の炎を見詰めた日々のことを

山に夕闇がせまる 子供達よ もう夜が背中まできている この日はもう充分に遊んだ

遊びをやめて お前達の火にとりかかりなさい 小屋には薪が充分に用意してある

火を焚きなさい よく乾いたもの 少し湿り気のあるもの 太いもの 細いもの

よく選んで 上手に組み立て 火を焚きなさい 火がいっしんに燃え立つようになったら

そのオレンジ色の炎の奥の 金色の神殿から聴こえてくるお前達自身の 昔と今と未来の不思議の物語に 耳を傾けなさい

「水が流れている 」山尾三省

水は どこにでも流れているが その水が ほんとうに 真実に流れることは あまりない

多くの時には 水はただ流れているだけで 真実に流れることはない 水が私になる時

水ははじめて 真実に流れるのであるが 水は 私にならないし 私は なかなか水にはならない 私たちは ほんとうは かっては水であり 水として流れ 水として如来したものたちであった 私たちは ほんとうは 今も水であり 水として流れ 水として如来しているものたちである 水は 流れ去り 流れ来る 億の私たちであり ただひとりの私である

森の底を 水が流れている 深い森の底を 深い真実の 水が 流れている

山尾三省 著作

アニミズムという希望―講演録 琉球大学の五日間

狭い道 ―家族と仕事と愛すること

聖老人―百姓・詩人・信仰者として

野の道 ―宮沢賢治という夢を歩く

火を焚きなさい―山尾三省の詩のことば

春夏秋冬 いのちを語る

びろう葉帽子の下で―山尾三省詩集

森羅万象の中へ―その断片の自覚として

森の時間 海の時間

鈴と童子と道元と

ぼくらの知慧の果てるまで

永劫(アミターユス)讃歌 森の家から

新月―山尾三省第三詩集

カミを詠んだ一茶の俳句―希望としてのアニミズム

自己への旅―地のものとして

一切経山―日々の風景

親和力―暮らしの中で学ぶ真実

回帰する月々の記―続・縄文杉の木蔭にて

縄文杉の木蔭にて―屋久島通信

水が流れている―屋久島のいのちの森から

屋久島の森のメッセージ―ゆっくりと人生を愉しむ7つの鍵

屋久島のウパニシャッド (こころの本)

ここで暮らす楽しみ

三光鳥―暮らすことの讃歌

島の日々

深いことばの山河: 宮沢賢治からインド哲学まで

南の光のなかで

原郷への道

法華経の森を歩く

観音経の森を歩く

ジョーがくれた石―真実とのめぐり合い

桃の道―月満ちてぽとりと地に落つ子どもらへ伝えたきこと

リグ・ヴェーダの智慧―アニミズムの深化のために

インド巡礼日記―インド・ネパール巡礼日記

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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