Facebookトイビトさん投稿記事 【無常】
―― 仏教は死を強く意識する宗教だというお話ですけど、仏教でも宗派によって死の捉え方が違うんじゃないかなってなんとなく思うんですけど。
仏教の根本的な概念は「無常」というものです。すべてのものは儚(はかな)い、存在し続けるものはない、いつかは消滅する。これは生き物であれば死ぬということであり、人間もまたしかりです。
生きているということは死を運命付けられてるということであり、そのことを早く自覚することが大事なんだと。その滅びゆくものとしての人間をどのようにして超えていくか。これが悟りを求めるということになります。
―― 死ぬという運命を超える、という考えですね。
そのひとつの形式は、極楽浄土に往生するという形で輪廻(りんね)を超えていくということです。輪廻とは生と死の循環。無常というのは別の見方をすると輪廻であって、生まれては死に、生まれては死にを繰り返すということです。
しかし、その繰り返しの中にある限り、究極の安心、安らぎ、心の落ち着きは見いだせない。だから、それを超えた次元へと心を高める。悟りとか涅槃(ねはん)というのはそういうことです。
したがって武士も、死の恐怖に見舞われてもそれに動じず、生きる、死ぬということを超えた心の状態を目指す。武道にはそういうところがありますよね。一瞬の中に生死を超えた永遠のものがあって、その境地を悟ることが武士の道である、といったような。
こういう考えは浄土教にもあるし、禅にもあります。禅は一瞬の中の無常を超えたものに心を向けるというか、そういうものになりきろうとする感じですね。
―― 無常という考え方は日本独自のものなんでしょうか?
これは世界中にあると思うんです。死を意識することで生きていることを愛おしむ。中国でいえば、漢詩の世界は死を意識して今を楽しむみたいな。これは仏教よりも道教に近いですね。李白なんかはそれで酒を飲む。
こういうのはイスラムの世界にもあって、オマル・ハイヤームというイランの詩人に『ルバイヤート』という詩集があって、これは無常を歌っています。今、われわれは人生の楽しみを味わっているけれども、これは結局短いものである。だからああしろ、こうしろということではないんだけれども、それを思いながら今を大事にするということです。
現代でも「オマル・ハイヤーム」とか「ルバイヤート」っていう名前が付いた飲み屋やレストラン、あるいはホテルがあります。そこでワインを飲むと、実に一生をはかなみながら今の時間を楽しむことができます(笑)。
旧約聖書には『伝道の書』というのがあって、今は『コヘレトの書』と訳されてますけれども、これも実は人間の生のはかなさ、頼りなさを歌っている。
『ルバイヤート』も『伝道の書』も一神教の神と矛盾しない。神は永遠のものだけど人間は、はかない。ですから、永遠のものとはかないものという対比は世界中の文化にあると思います。
―― 神は移り変わらない絶対的なもので、対する私たち人間ははかなく、常に移り変わる。
それは英語でいうと「モータル(Mortal)」という言葉ですね。死にゆくもの、死すべきもの。これは植物も動物も人間も死すべきものであり、時間の流れの中で限定的な存在であるということです。
それに対して「イモータル(Immortal)」はそういう儚さを超えた、永遠のもの、確かなもの。人間はどこかでそういうものを求めてもいる。
それは神であったり、あるいは名誉の死を通してそこに通じるということもあると思うんです。
(島薗進「日本人の死生観」より)
Facebook牟田 康治さん投稿記事
世界は進むだけ進んで、その間、幾度かの闘争が繰り返され、最後に闘争に疲れる時が来る。
その時、世界の人間は必ず真の平和を求めて、世界の盟主を仰がなければならぬ時が来るに違いない。
その世界の盟主は武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した最も古く、かつ尊い家柄でなければならぬ。
世界の文化はアジアに始まりアジアへと帰り、それはアジアの最高峰である日本に立ち戻らねばならぬ。
我々は神に感謝する。
天がわれら人類に日本という国を創っておいてくれたことを。
アインシュタイン
これは90年前 日本で滞在していたアインシュタインの言葉です 既にアインシュタインは日本が世界の神国・親国と知っていたんですね
現在日本人が親国であってはならない者により 日本人を迫害・消滅させようと躍起になってるということ 覚醒し立ち上がらなければ 日本を作ってくれた創造主に申し訳が立たない
「どうか日本人よ 回帰せよ!」
Facebook清水 友邦さん投稿記事·
私達は今、人類史の大転換期にいます。
人間は、物質的な欲望に振り回されて自己中心的な行動をとり、他の生物を滅ぼし自身の生存も脅かしています。
農地面積が拡大する一方で、森林の面積は急速に減少し、すでに地球の半分以上の森が消失しています。
現代社会は偽りの欲求をいい車、いい家、高価な宝石、一流ブランドの衣服、昇進、成功、金と権力、名声、地位、財産など物質的な欲望で満たそうとします。
満たされない欲求を消費社会では消費によって表現しようとしますが、それは偽りの欲求なのでいくら大量消費しても本当の満足はえられません。
労働者が失業するから消費を増やさなくてはと言う考えは、資源はやがて枯渇するという事実を無視しています。
産業革命以後、生活の豊かさを求めて大量生産・大量消費社会が世界中に広がりました。
現代の企業は近視眼的で、一体何の為に利益を上げているのかわからなくなっています。
大量消費はやがて資源は枯渇するという事実を無視しています。
そして大量消費は大量破棄をもたらし環境汚染を起こしています。
利益を上げる事だけの目的に同化して自己増殖を続けると、最後は資源の枯渇と環境破壊で破滅します。
理性中心の科学的合理的な思考をするようになって、左脳優位になり全体との繋がりが見えなくなってしまったのです。
気象変動、大気汚染、海洋汚染、放射能汚染、森林破壊、水不足、農地不足、宗教対立、民族対立、人種差別、ストレスによる免疫の低下、伝染病の蔓延、移民・難民、内戦、領土紛争、経済格差、などの多くの問題が地球上で起きています。
生物の増殖に「ロジスティック曲線」という段階があります。
緩やかに数が増える助走期、急激に増える大爆発期、安定する安定平衡期の3段階です。
多くの生物は大爆発期が終わった後、資源を食い潰して滅びます。
人類は安定平衡期に移行する段階に来ています。
新しい生き方や価値観やシステムを生み出す時期に来ています。
それは、発展も進歩もなく、永遠の至福がいまここに持続している世界です。
現代社会は偽りの価値に縛られ機能不全に陥っています。
マインドが作り出す虚構の世界を真実と思い込んで行動しています。
今何が起きているのか?私たちはどこへ向かっているのか?
根本的な変容が起きるには、全体を俯瞰する意識が、目覚めなければならないでしょう。
「白人たちはわれわれの国を破壊し、自然界にうめき声をあげさせている。
草を長いナイフで切り、野の草を枯らすので、野の草は涙をながす。
森を伐採し鉄で木を殺し、木に不当な仕打ちを与えるので木は涙を流す。
彼らは大地のはらわたをえぐりだし、大地を痛めつけるので、大地は泣いている。
われわれの清らかな川の水を汚し、濁し、魚を殺すので、魚と川は泣いている。
大地は泣き、野の草も泣く。そうなのだ。自然のすべては白人に泣かされているのだ。
なんという恩知らずな者たちよ。だが彼らにも罰があたるだろう。」
北米インデアンのキカプー族
コロナで中止になっていた龍神まつりが7月30日に金華山で4年ぶりに再開されました。
東北大震災311の震源地だった宮城県の金華山は日本五大弁財天の一つに数えられています。
厳島神社・広島県廿日市市
竹生島神社・滋賀県長浜市
天河大辯財天社・奈良県吉野郡天川村
江島神社・神奈川県藤沢市
金華山黄金山神社・宮城県石巻市
金華山は黄金山神社以外民家がない離島で、500頭近いニホンジカが生息しています。
鹿は古くから神の使い「神鹿(しんろく)」として大切にされ、猟が禁じられてきました。
鹿は草食動物なので、島中の植物をどんどん食べるので樹木が育たず草原化して、金華山はハゲ山のようになりました。
芝以外の低木や藪が食べつくされると、それを食べる昆虫がいなくなり、今度はその昆虫を食べる鳥がいなくなります。
こうして生物多様性が失われると、生態系は変わってしまいます。
芝は夏の間しか生えないため、寒さが厳しい冬は鹿の食糧がなくなってしまいます。
金華山で、過密状態になった鹿の500頭のうち300頭の鹿が死ぬ、大量死が起こりました。
地球も金華山とおなじく、人間が生きていくために必要な資源は有限なので、欲望のまま使い捨ての大量消費を続けたなら、金華山の鹿と同様な運命が人類にも起きるでしょう。
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