気づき

https://dananet.jp/?p=9783 【『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(18)】

より          石嶌 岳

繭玉の揺れてゐるそれもまた夢     今井杏太郎

 繭玉はお正月の飾り物で、紅白のお餅を小さく丸めて柳などの枝に付け、神棚の近くに飾って豊作を祈るものです。その繭玉がゆらゆらと揺れているのです。繭玉の揺れているという時間のひろがりもまた夢だというのです。半ば眠っていて、半ば覚めているようなぼんやりとした感覚にいるのでしょうか。いわば現実の世界と夢という虚の世界との移ろいの間に作者はいるのでしょう。

夢の夜のゆめのむかうの菫かな     今井杏太郎

 夢の向かうに見えた菫は、どちらにあるというのでしょうか。

ゆらゆらと揺れて雀はかげろふに    今井杏太郎

 ゆらゆらと揺れて雀は陽炎の中へ入っていく景色なのですが、その雀も陽炎と同化して仕舞には陽炎になってしまうというのです。眼前にある空間が別の時空へと広がっていきそうですね。

みづうみの水がうごいてゐて春に    今井杏太郎

 大きな湖の水がゆらゆらと動いているうちに春になるというのです。そうした揺蕩いという空間的感覚に移ろいゆく時間的意識が加わっている感じなのであります。

水に波冬百日をただよふか        今井杏太郎

 そうして水は揺蕩い始めるのです。冬の間中。この空間と時間の揺蕩いに対する作者の眼差しは、次第に自分の内なる漂い心へ向けられ、限りない深みと移ろいをもたらし、意識が時空のなかを漂っているみたいです。

そうしますと、今、ここに、当たり前のようにある景色が、なんとも不思議に満ちているように思えてくるのです。「気づき」であります。

すこし揺れそれから暮れて五月の木    今井杏太郎

 杏太郎の俳句はいつも揺蕩っているのです。

揺蕩いながら当たり前の景色を眺めているのです。

夕風の吹くころ水に燕来る        今井杏太郎

 夕風が吹いて来るころ、水面に燕は来るというのです。その当たり前のことを不思議がっているのです。

杏太郎は、「猿が木から落ちることの意外性を考えているうちに、猿があたり前のように上手に木をのぼることの面白さに気づいた。むかしから、あたり前のことを不思議のこととして思い続けていたが、この頃にして漸く、なんでもないあたり前のことの面白さが見えはじめてきたような気がしている」と言うのです。

春の野に妻と居ることふしぎなり     今井杏太郎

 そこにあることの不思議さは、儚さであり、それを呟くということは自分の心の深みへの問いかけでもあるのです。それを俳句にしていっているのです。つまり、「呟けば俳句」なのであります。

*  *  *

私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。

芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。

石嶌 岳(俳人)


Facebook清水 友邦さん投稿記事

「苦悩とは、人間を成熟させて真実の自己を呼び覚まし、生きる意味を成就させるチャンスそのものである」(ヴィクトール・E・フランクル)アウシュヴィッツ捕虜収容所から奇蹟的に生還した心理学者

仕事がうまくいかない 対人関係の破綻 一緒に暮らす事に耐えられない夫婦

誹謗・中傷にされされる 病気による体の苦しみ 愛する人との別れ 将来に対する不安

「死と再生」の体験はかならず人生に訪れます。

生老病死を否定的に捉えると苦しみになります。体を自分と同一視していると肉体が病むと苦しみます。苦悩を避けることはできません。そして苦悩には終わりがありません。

生きている限り苦しみは繰り返し訪れます。

苦悩は自我の枠組みが激しく揺り動かされている状態です。

今までの自我では適応できないので新しい環境に適応するために嫌でも変わらざるをえません。自我の破綻は、より大きな器の自我に変容するチャンスです。

今までの古い自我が死ぬことで、新しい自我が再生されます。

何もない平和な状態だと、自分を変えようとはしません。

生老病死を人生の通過儀礼と捉えると、自己成長のきっかけになります。

自分の意志ではどうすることもできない事態に襲われた時、硬直した自我は保守的なので、受け入れることができません。

古い自我を超えようとする時には、分離した影との境界で激しい葛藤が起きます。

さけられない事態に直面すると、自我は動揺し、うろたえ、悲しみ、恐れ、不安が襲ってきます。否定的なエネルギーに飲み込まれて自暴自棄(じぼうじき)になり、絶望して破壊な行為をしたり自殺する人もいます。

自己成長の最大の障害は恐怖です。

高次の自己は生死を超えているのですが、過去に低次の自我は、何度も恐怖を経験してきているので湧き上がる衝動に飲み込まれて「もうたくさんだ」「死んでしまう」「耐えられない」

「もうダメ」「助けて」と叫んでしまうのです。

恐怖から自由になるには、否定的な受け入れがたい感情が自分にあることを、受け入れることからはじまります。

思考は身体に対して自己イメージを持ち、それが自分だと思い込んでいます。

自我は保守的であるがままが嫌いなので、自己イメージに合わないことが起きると、自動的に逃げようとします。

恐怖や痛みを感じたくないので思考を使ってエネルギーの流れを堰き止めて、直面しないようにします。

自己納得のメロドロマを作ることに、エネルギーを無駄使いしてしまうと、バッテリーが消耗して元気がなくなります。

分離でもなく同一化して飲み込まれるのでもない状態を脱同一化といいます。

全体を見守ることができるのが観照者、観察者、本当の自分です。

沈黙して自分の心の動きを見守っていると、現在よりも過去や未来に心がさまよっていることに気がつきます。

気づきという虚空から見守ると絶え間なく浮かんでは消える泡と流れがあるだけで、あると思っていた頭の中の私はいない、ということがわかります。

すべては瞬間から瞬間へ過ぎ去り、あらゆる事象に実体がありません。

すぎ去っていく、そのすべてを眺めているのが本当の自分です。

外から植え付けられた思考に乗っ取られて、混乱し葛藤しているのが、現象世界のマインド・自我です。

苦悩は、眠っていた自分を目覚めさせる目覚し時計です。

偽りの自分を根底から揺るがすような混乱は、本当の自分に気がつくチャンスです。

思考に囚われ、乗っ取られてしまった偽りの自我から脱同一化すること、そこから調和された社会が開花するでしょう。

盛岡の桜は散って若葉が出ています。例年より2週間早いです。

明日から奈良の天河辨財天社で岡野弘幹さんと3日間のワークショップです。

おかげさまで満席です。

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呼吸道は呼吸と身体感覚に注意を向けて体全体をやさしく動かします。

力を入れすぎてもいけないしかといって力を抜きすぎてもいけません。

その間にある、ちょうど良い感覚を身につけます。今ここに注意を払います。

背骨を左右にゆらします          背骨を前後にゆらします

背骨を左右にまわします          自然に背骨を動かします

全身をゆすります(骸骨ダンス)      前にうなだれてゆすります

後ろにのけぞってゆすります        上半身を左右に傾けてゆすります

左右に捻ってゆすります          ゆすりながら経絡を刺激します

立つか座るか仰向けになり         動きを静かにして

沈黙したまま               呼吸を見守ります

自覚の領域が広がると           体の微細な身体感覚がわかるようになります。

心と体と呼吸が統一体になると本当の自分に気がつきます。

ボディに気づき マインドに気づき スピリットに気づくと 自己の全体性に気づきます。

生きる価値がないダメな人間や 不幸な私は 思考が作り上げた幻想でした。

それは外から植え付けられた考えでした。

次から次へと現れては去ってゆく思考や感情を観照して、 それ自体が実体のない空である事を見抜くと常に見守り続ける本当の自分があらわれます。

すべての出来事は完全なので あらゆる出来事の中に 良い悪いを含んでいます。

物事が最悪の時でも 同時に非常に素晴らしいことが起きてます。

どんな状況でも良い悪いの二元性は、いつでも均衡を保っています。

宇宙から見ると、すべてはそのままで素晴らしいのです。

私という思い込みがそれをわからなくしています。

私という囲いを取り払うと光がさして闇は消えます。光明は今ここにいつもあります。

岡山の重ね煮で有名な船越さんのわら倶楽無で開催された岡部明美&清水友邦のコラボワークショップが終了しました。

参加された皆様、明美ちゃん、カミさん、素晴らしい食事と会場を提供していただいた船越さんとわら倶楽無のスタッフの皆様、本当にありがとうございました。

以下参加された方の感想です。

◎50代 男性

呼吸の体験は目の前が真っ白になり指先が熱くなり、その熱が手のひら全体に広がって

全身が脱力して、無の感覚になりました。

視界が広がり、研ぎ澄まされて自然の木々の色が新鮮に見え、全身が解放されました。

体に活力が湧いて前へ前へと進んでいける力強さを身に着けた感覚になりました。

◎40代 女性

感じて感じて感じまくると何が見えてくるのか、そして、それが恐怖、であっても、それが過ぎていくと、また新しい世界があらわれるという自然の流れを体感することができました。

◎50代 女性

体を意識して動かすことで体が心地よくほぐれエネルギーが通った感覚がありました。

呼吸のワークで座ったとき、なんとも言えない精妙な空気に包まれた感覚と気持ち良さを感じました。

◎60代 女性

ウグイスが啼く美しい新緑の中、美味しい食事と心の栄養になるお話、根源の力の体験、最高の時間でした。

◎40代 男性

自分の中にしまい込まれていた感情や記憶が呼び起こされて消化さえてゆく感覚が清々しく、

自分の身体がクリアになったこで、どれだけ自分が抱え込んでいたのか腑に落ちました。

これまでにない静けさが、なんとも言えない体験でした。

もうひとりの自分が自分を客観して見ている経験ができて新たな扉が開きました。

◎40代 男性

「自分は不十分な存在だ」「まだ足りない存在だ」できていなかった自分にダメ出しをしていたけれど ただ眺めることで「そうだよね」と抱きしめて、あげることができました。

嬉しい!!呼吸のワークで死にました。死んだけど生きている。

苦しかった苦しかったけど、それは本当の自分とは別だった。

◎40代 女性

閉ざされていく感覚にとんでもない恐怖が湧いて、息が吸えない、息を吐けずにパニックになって固まりました。

そのときに呼吸に意識を向けるように言われ呼吸に意識を向けると収まり恐怖は流れていきました。

再び恐怖に襲われたときに呼吸に意識を向ける事ができると恐怖は流れていきました。

呼吸の感覚に意識を向けると全ては流れていく「絶対大丈夫」の感覚がわかった。

最初の自己紹介で自分の欲しいものとして答えた「自分の軸」を受け取れたぞと思いました。

◎40代 男性

「今起きていることに委ねてください」と言われたときに自分のストッパーが外れて留めていたものがいっきに吹き出しました。

大きな何かと繋がっている感覚、すべてと繋がっている状態になり、頭から下がするっと参道から抜けて誕生した様な気持ちになりとても清々しくなりました。

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音楽と呼吸で外側と内側の境界を超えた意識を探求する

スペシャルなワークショップを天河大辨財天社で開催します。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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