天下太平への祈り

Facebook船木 威徳さん投稿記事【 何をやりたいか?ではなく 】

モノがあふれ、物質的には「豊か」になったこの国では、もう、いつからでしょう。

「たった一度の人生なんだから『自分がやりたいこと』をやればいい、嫌なことなど

やっている時間が無駄だ。」と言うような考えがはびこり、では、どうやって、「やりたいこと」だけで稼いでいくか?について、教えることで稼いでいる人もいます。

それはそれで、正しいのかも知れません。私も「やりたいこと」をやってきました。

医師として、医療と言う仕事は、やはり、楽しいし、つくづく幸せを感じるものです。

しかし、たくさんの人たちの病気を診て、死にゆく姿を見ていると「たった一度の人生」なのにこの眼の前の、貴重な命を持つこの人は、こうするしかなかったのか?こんなふうに生きるしかなかったのか?これが望んだ人生だったのか?医師として、やれることは他になかったのか?いや、同じ人間として、力になる術は他にないのか?そんな思いが、20年以上消えません。

年がら年中、たくさんの方々を看取っているとつまり、やがては死んでゆく、自分の最期を何度も何度も考えると私が「やりたいこと」など、本当に、心から、「どうでもいい、ケチくさいこと」に見えてくるのです。

過去を振り返ってみたら、自分で「やりたかったこと」ができたときの喜びよりも、

「(私に)会えてよかった」「(私たちに)診てもらってよかった」と、泣きながら手を握って感謝を伝えていただいたときの感動や文字通り、笑顔で亡くなってゆく人を見ながら「よかったなあ」と冷たくなった身体を触り、泣きたくなるくらいの想いを持ったときの方が、

何百倍も、強い想い出になっています。

私は、この歳になって改めて思うのです。

自分が「何をしたいか」も大事だけれど、「誰の役に立てるか?そのために、自分には

何ができるか?」を、周りの人たちや、お客様や、自分のことを知る人たちに素直に聴くほうが、自分がやるべきこと、「これをやってきてよかった」と深い幸せを感じられることを

見つけるには、近道なのではないかと。

たった一度の人生だからこそ、「自分が、自分が」「私が、私が」ではなく、なにかの縁、不思議な巡り合わせで同じ時代、同じ場所で、逢うことになった人たちが、あなたや私に「求めている」ことその人たちのためにあなたや私が「役に立てる」こと同じ人がふたりといない、

あなたや私が、「できる」ことにもっともっと、集中するほうが素晴らしいのではないかと

そう感じるのです。

私について言えば「もっと身体にいいもの」「本当に身体に必要なもの」を、食べたい、食べさせてあげたいという声をさんざん聴いてきました。

私が野菜作り、農業について勉強しもうすぐ畑を耕し始めるきっかけになったのも、患者さんたちの声でした。

もう、数日生きられるかどうかわからないおばあさんを診察した後 咲き始めた桜を見ながら、涙が出てきました。

たった一度の人生だからこそ私は「求められている」ことを優先していきたいと思うし、

そうすることが私の一番「やりたいこと」なんだとつくづく感じます。

この春、新しいことを始める方々へ。

〜王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり


Facebook相田 公弘さん投稿記事 「商人の生き方」というお話です。

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今も昔も、商人は不特定多数の相手と取引するため、その「道」とは、「何が正しいのか」や「人の心とは何か」を十分に考えることであると説いている。

その結果導き出された商人道は、信頼の社会を築き上げるためのルールであるといえる。

そのルールを明確に示したのが石田梅岩である。梅岩は「石門心学」を庶民に広め、利欲・色欲・名誉欲を抑えることを説いた。その著書『都鄙問答(とひもんどう)』に次のように書かれている。

「商人はもともと、余っているものを不足しているものに替えるところに成り立つ仕事である。

そして、商人は細かく勘定をすることによって、生活をしているのであるから、一銭といえども軽んじてはならない。その一銭を積み重ねて富を成すのは、商人の道である。

しかし、その富のもとは天下の人々である。人々の心も我々と同じく、一銭を惜しむ心を持っている。だからしっかりとした良い商品を売れば、買う人もお金を使うことを惜しいと思わなくなる。そうすれば、天下にお金や物が流通して、万民の心が安まる。

それは天地が常に変化して万物を養っていることと同じである。

それによって大金持ちになったとしても、それは決して欲心から出たものではない。

要するに、商人が欲心をなくして一銭を大事にすれば、天下の倹約にもかない、天命にも合うことだから、福を得るのは当然のことだ。

商人が福を得ることが万民の心を安んずることにつながるならば、商人が仕事に励むことは、常に天下太平を祈ることと同じである。その上に、法を守り、身を慎むことが大切だ。

ただ、商人といえども、聖人の道を知らなくては、同じお金でも不義のお金を儲けて、子孫に災いをもたらす」

和の人間学 吉田善一 著 冨山房インターナショナル

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※石田梅岩ウィキペディア

https://ja.m.wikipedia.org/.../%E7%9F%B3%E7%94%B0%E6%A2...

石田梅岩の「石門心学」から大きな影響を受けた、松下幸之助さんは、

「商人道というものは、基本的には何が正しいかということを考え、実行することによって、共存共栄、繁栄に結びつくものなのである」

「企業活動とは、世のため人のために働き、利益を出し、税金を納めることである」

と言っております。

税金を納めるということは、それだけ世のなかに貢献していることにも繋がります。

日本一のお金持ちといわれた斎藤一人さんは、納税することをも楽しんでいると著書にありました。商売を一生懸命がんばると、その分、納税額も上がっていきます。

しかし、そのお金が世のため人のためとなっているのであれば、喜んで商売を頑張ろうと思えます。

第三十五代アメリカ大統領J・F・ケネディは大統領就任演説で、「国民諸君、国家が諸君のために何をなし得るかを問うのではなく、諸君が国家に何をなし得るかを考えよ」と述べました。

福沢諭吉さんは、「国を支えて国に頼らず」「一身の独立なくして一国の独立なし(国民一人ひとりが独立しなければ、国家の独立などありえない)」と言いました。

一人一人が、欲しい欲しいと欲しがっていたのでは、国も企業も潰れます。

一人一人が、一肌脱ごうと与える気持ちでいたら、国も企業も潤います。

商売で大きく稼いでいる人を非難する人がいますが、間違いなく国のための税金や、雇用の創出、地域の活性と、大きな役割を果たしていると思います。

もちろん、お金がすべてだとは思いませんが、「お金=信用」「お金=ありがとう」「お金=喜び」と考えたら、お金を得る人の多くは、その道を歩んでいるのでしょう。

職業に優劣はないと思いますし、どれだけ思いを込めてやったかの方が大事。

どこの会社に入るかより、どんな職業に就くのかより、どんな働き方(生き方)を自分がするのか(主婦・主夫も含めて)。

その場所で、一生懸命働くことは、国を支えることと一緒です。

誇りを持って、働いていこうとおもいます。

※魂が震える話より

https://tabi-mag.jp/yg0089/ 【立石寺・五大堂】より

山形県山形市、山寺と通称される立石寺(りっしゃくじ)山上にある五大堂は、大聖不動明王、東降三世明王、五大明王を祀って、立石寺を守護し、天下泰平を祈る道場。仁王門をくぐった先で左に分かれ、納経堂、開山堂方面へと歩を進めれば五大堂です。岩場に築かれた五大堂は、立石寺随一の展望台になっています。奥の院からなら20分ほどの行程。

舞台造りになった立石寺随一の展望台

五大明王とは、台密(たいみつ=天台宗系の密教)において、不動明王を中心に降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、烏枢沙摩明王((うすさまみょうおう)のパワフルな明王が勢揃いしたもの。

明王とは、密教で、最高仏尊大日如来の命を受け、民衆を仏教に帰依させようとする役割を担った仏尊。

炎の世界に住む不動明王はその炎で、民衆の煩悩を焼き払ってくれます。

現存する五大堂は、正徳4年(1714年)に再建された舞台造りの建物で、舞台の上からの眺めは、立石寺随一。

ここからは、麓の家並みが一望にできます。

夏季の夜間ライトアップの際には、麓から断崖にせり出す五大堂を見上げることができます。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

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