https://portal.okusuriplus.com/healthcontents/kokorotalk/2018/11/23/3205/ 【第165回 「見守ることがもたらすメリット」】より
前回は日本のターミナルケアの先駆けの柏木先生の講演を紹介して、寄り添うことの大切さついて書きました。
ターミナルケアを専門にしている人は、死を間近に控えた人が自分らしく生きていくのを手助けします。
そうした人を目の前にしてただ寄り添うだけに徹するには勇気がいります。
極限状態にある人をみると、できるだけの手助けをしたいと考えます。
自分なりにいろいろと手を尽くしたくなります。
しかし、まわりからできることには限りがあります。
もっとこうすれば良いのにと考えても、代わりに現場で動くことはできません。
そうしたときには、むしろ手を出さないでじっと見守ることが大事になります。
それは、ターミナルケアの場面だけでなく、日常生活のいろいろな場面でも同じです。
子育ての場面、教育、スポーツ、介護、実にさまざまな場面で見守ることが大きな意味を持っています。
見守るというのは、ただ見ているというのとは違います。
自分のこころを相手のこころに寄り添わせることです。
一緒に喜び、一緒に悲しみ、一緒に怒ることです。
このようにお互いにこころが寄り添うような体験は、私たちのこころや身体を元気にするためにとても大事な役割を果たします。
家族や友人など近い立場の人との関係が良い人や、地域との交流がある人はうつ病など精神的な問題を抱えるリスクが低くなると報告されています。
自分は一人ではないと感じられることで、心を強く持つことができるのです。
その一方で、孤独を感じるような環境に置かれるとこころや身体が弱くなるという研究も、数え切れないほどたくさんあります。
高齢者の研究を見ると、孤独になると、うつ病や不眠、高血圧になる人が多くなることがわかっています。
アルツハイマー型認知症になったり、早く亡くなったりする可能性も高くなるようです。
孤独感は経済的にも影響するようで、高齢になって単身生活を続けると貧しくなる可能性が高くなるという海外の研究もあります。
自分にとって大切な人を見守るというのはとてもエネルギーのいることですが、そうするだけの価値があることを知って欲しいと思います。
一指李承憲@ILCHIjp
ヒナが孵化するには内と外から親鳥と雛鳥が互いに殻をつつく必要があります。でも、最終的に殻を破って出るのは雛鳥自身です。子供が自分自身と対話して自分の答えを見つけられるように脳の力を育ててあげましょう。自分が選択した夢を堂々と言える子は自分の人生に責任を持てる魅力的な大人になります
Facebook河野 修一さん投稿記事【問題探しをしない生き方】
問題探し、欠点探し、原因探しはキリがない。
解決したいテーマが、心の症状であっても、体の症状であっても、アプローチの仕方は同じだ。
それは「長所進展法」だ。個人であっても、組織であっても、長所を伸ばすことに集中してみる。
すると全体のエネルギーが上がり、弱点や欠点と思えるものは相対的に小さくなって見えなくなる。人生も同じだ。
全体のエネルギーが上がれば、問題と感じていたことは離れていく。病的なエネルギーやゴミも、自然に剥がれて、離れていく。
全体のエネルギーを上げることは、実はとっても簡単!
・もっと丁寧に生きてみる
・無我夢中になれるものを見つける
・インスピレーションで動く
・何か一つのものと強い愛の関係を築く
・正しい自分よりも楽しい自分を選択する
・遊びや冒険を人生にもっと取り入れる
これらはすべて「いま」「ここ」を生きることに通じる。
すると僕たちは、勝手に元気になり、エネルギーは軽くなり、ついには蛹から蝶へと変容を始める。
つまりその人はより高い現実に移行する。
問題や病気は、人をより高いステージへと導くガイドだ。
問題と闘わない生き方を選ぼう。自分のエゴと闘うことも時間の無駄だ。左脳のお喋りは、ほって置く。
理性的な判断は、時に人を愚かにする。なぜなら理性は「既知」だから。生命や魂は「未知」だ。
自由で創造的な人生を歩みたいなら、湧き上がる想い、ハートが唄う感覚に素直に従ってみよう。
Facebook清水 友邦さん投稿記事
瞑想についてクリシュナムルティはこんなことを言っていました。
『「瞑想には色々な流派が、メソッド、システムがあります。なかには「自分の足の親指の動きを見よ。それを見よ、ひたすら見守るのだ」と言うシステムもあります。
また、ある姿勢で座り、規則的に呼吸をするか、気づきを練習することを提唱するシステムもあります。これらはすべて全く機械的なものです。
別のメソッドはあなたに特定の言葉を与え、それを唱え続けるなら何らかの並外れた変容体験をもつだろうと教えます。これは純然たるナンセンスです。それは一種の自己催眠です。アーメンだのオームだのコカ・コーラだのと際限もなく復唱することによって、あなたは明らかにある特定の体験はもつでしょう。繰り返しによって精神は静まるからです。それはインドで何千年も実践されてきたよく知られた現象で、マントラ・ヨーガと呼ばれています。
繰り返しによってあなたは精神を温和に、柔和になるよう仕向けることはできます。しかしそれは依然として取るに足りない、安っぽく卑小な精神なのです。庭で拾った棒切れをマントルピースに飾って、毎日花を供える方がまだマシなくらいです。 一ヶ月もたてば、あなたはそれを崇拝するようになっており、その前に花を供えないことは罪になるでしょう。』(クリシュナムルティ/概知からの自由)
マントラ瞑想よりもそこらへんに落ちている棒切れのほうがまだマシだなんてクリシュナムルティはずいぶんと辛辣ですね。
集中的瞑想は眠りをもたらし、夢を見て気持ちが良くなる麻酔のような鎮痛効果があるというわけです。
麻酔は切れるとまた痛くなってしまいます。
努力して瞑想をしている状態はマインドの次元なのです。
こう言いたくなるクリシュナムルティの気持ちもわからないわけではないです。
クリシュナムルティは子供の頃から神智学協会の礼拝儀式にうんざりするほどつきあわされ、高次元のマスターからの啓示、秘儀参入を何回も経験しているからです。
クリシュナムルティが「意図的な努力や訓練、または宗教団体や何かの組織に属することによって覚醒を引き起こすことはできない」と言った背景には秘儀を通過した高位のマスターであるはずの神智学協会の幹部たちが俗物で凡庸なままだったことにあります。
あらゆる秘教的教え、ランクつけされた何段階もの秘儀参入のイニシエーション、そのシステムは どこにも導かなかったことをクリシュナムルティは目撃したのです。
マインドフル瞑想の広告を読むと悩みや不安な心をなくしたり、集中力をつけたり、潜在能力を増大させてビジネスに役立つとかかれているので、瞑想によってある特定の意識状態を得たり、到達すると考えている人は多いと思います。
瞑想はあらゆる思考と感情に気づいていることなので、今ここからはなれて結果や成功を求めるのは瞑想ではないことになります。
瞑想ではなく妄想になってしまいますね。
思考を止めようとしたり鎮めようとしたりすることも瞑想ではないということに気がつかなくてはならないでしょう。
努力して得るのは瞑想ではないのです。
思考を止めようとすること自体が思考なので、結果を期待して、未来を考え、判断し想像して努力することは思考の世界にいることになってしまいます。
思考の世界は自我なのでクリシュナムルティに言わせると「依然として取るに足りない、安っぽく卑小な精神」なのです。
瞑想のメソッドのほとんどが集中を要求します。
思考が常に頭の中で動いているので、集中への努力そのものが思考の網を広げその網に自分が絡まってしまうのです。
やっかいなのは絶え間の無い思考がいつも自己の中心にいますから、努力して集中しているのは思考が投影された自我だということに気がつけないということにあります。
思考という蜘蛛の巣に引っかかっているわけです。
思考を観察できた。思考を支配した。思考をコントロールできた。
できたと思っている観察者もまた思考だということに気がつかなくてはなりません。
これは得する損する。あれは良い。悪い。
と言っている観察者がいる時は観察されるものと観察者に分離しています。
思考が作り上げた観察者がいるうちは葛藤がやむことがありません。
瞑想を訓練していくと一時的に心を制御できるようになります。
しかし瞑想をやめると元に戻ってしまうのです。
意識の集中はマインドを強化してしまいます。
そんな瞑想を何十年もやっているとかえってエゴが育って強固な自我の壁を構築してしまうことがあります。
クリシュナムルティの言葉の理解だと思考を停止しようと努力しないで思考を止めなくてなりません。
では、どうすればよいのかと言っても、あなたを導く教師や救い主はいないし、方法はないと明言するクルシュナムルティの言葉の前では途方に暮れてしまうでしょう。
瞑想の要点を絞れば共通項は見守ることです。
瞑想法は心が静かになることを求めます。
心が静まったとき気づきが起きます。
結局、思考が静まった状態を何回か経験していく中で気づきが何であるか腑に落ちればいいのです。
森を散歩して鳥の声を聞いてる時、水面に映る月を眺めている時 暗闇の中で赤々と燃える炎を見ている時、恋人の瞳を黙って見つめている時 日だまりであそぶ子供達を見ている時、
ただ見守っている気づきだけがあります。
そこには沈黙があり 愛があり 光があり 永遠なるものが在ります。
そもそもの始まりが終りであって 時間と距離はなく 登り行く途上自体が頂上で
出発点が到達点なのです。
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