Facebook石川 眞樹夫さん投稿記事
サハジャ瞑想とは、坐らず、瞑目することもなく、ただ生かされて生きることであり、これだけが真の瞑想です。この瞑想では何にもしがみつくことなく、この瞑想を生きる人には意思というものが存在しなくなります。それでも他の人からは、彼は、彼女は、普通に生きてゐるように見えます。
この瞑想の始まりでは、本人にとってさえ自我が残っているように思われますが、その自我は、燃え尽きたロープのようなものであり、ロープとしては使えません。
この瞑想は本当の自然であり、する事ではなく、何か常にそこに在るものです。それは「サハジャ」と呼ばれ、「自然」を意味します。これがサハジャ瞑想です。
我が師プンジャジの教え
https://tomoiki.site/2020/06/01/post-1338/ 【心を綺麗にする方法ー心を綺麗にしようと思わずに静かにすることーパパジ】より
心を綺麗にするとはどういうことか?
それでこの汚い世の中を生きていけるのかについて書いていきます。
世界一、幸せなみなさんへ 今日も読んでいただき感謝しています。
そして、幸せでいてくれてありがとうございます。
くろちゃんも、いつも幸せを感じています。くろちゃんは、世界一幸運です。
毎日、奇跡を感じているくろちゃんです。
プンジャジ
6歳で見性して至福に満たされたプンジャジ。31歳でやっとそれを導いてくれる師ラマナマハリシに出会い、悟り体験をします。
面白いのは、師は出家をゆるさず(当時パキスタンだったので、プンジャジが出家すると女性ばかりの家族が大変生活に困ることになるので)、商売や鉱山経営の仕事を続けます。
55歳にしてはじめて自由の身になれますが、結局出家ではなくて在家の智者として悟りの智慧を人々に広めます。
北インドのラクナウという町の彼の家に世界中から真理を聴くために人々が集まるようになりました。
師ラマナマハリシのいる南インドのアルナチャラのアシュラムにはほとんど行かず、臨終の時にも行くことがありませんでした。でもラマナマハルシの最大の弟子としてその真理のことばは燦然と輝いています。
無我でも仕事ができる と強調しています。
彼の弟子で今活躍しているのが米国在住の女性アントワネットRヴァーナー(ガンガジ)です。彼女については、平成の悟りを開いた人に詳述しています。
心を綺麗にする方法 ほこりを積まない
衝撃的な事実をパパジは言っています。それは『心』がほこりだということです。
心を綺麗にしたいと思う”心”こそ『ほこり』なのです。
ほこりを取り除き綺麗にしたいと思えば思うほどほこりを積んでしまいます。
ほこりでほこりを掃除しているみたいなものです。ですから、何もしないことなのです。
エイヤ!とすべてを手放してください。『こうしたい』、『こうありたい』というがんばった心を解放するのです。
『静かにしてください』とパパジが言うのは『こうしたい』、『ああしたい』という心の中のおしゃべりを止めなさいということなのです。
心を綺麗にする方法 苦行では悟れない
「シャカは29才の時、出家し6年間厳しい修行を積んだ。しかし、それによって悟りを得ることはなく、苦行をやめ里に下りることにした。そして菩提樹の下で瞑想中に悟りを得、ブッダとなった」
お釈迦様は苦行のすえ苦行では悟れないということを悟りました。
では、苦行は無駄だったのでしょうか?そんなことはありません。
苦行したから苦行では悟れないことを知ったわけですから苦行がなければそこにはたどり着けなかったのです。
心を綺麗にするためには『何もしないこと』『静かにすること』だとパパジは言っています。
しかし、それは心を綺麗にするためにあらゆることをした『あなた』にしか通用しないことです。ここまでがんばったから、がんばることを止めることが出来るのです。
がんばっていない者に止めるものはありません。心が綺麗な状態とはがんばった自分を解放した状態なのです。
心を綺麗にする方法 心の鏡を取り除く
誰もが心に鏡を持っています。そこに自分が創り上げた自分を映し出し、こんな自分ではダメと思ったり、逆に今の自分はイケていると自画自賛したりします。その鏡がほこり(ジャッジ)です。その鏡はありたい自分とそうでない自分を創り出すのです。
『こうありたい』『今のままの自分ではダメ』だという自己否定がはじまります。それが苦しみになります。
ではその逆にイカした自分ならいいのか?それもまた苦しみになるでしょう。
過去の後悔を創り、未来の不安を創ります。なので鏡そのものを取り除くことが出来るのが最高なのです。
心を綺麗にする方法 『ほこりを積まない』とも思わない
『ほこりを積まない』実践は今この瞬間からしか出来ません。準備が出来たら、明日から・・。無理です。それがほこりだからです。
今この瞬間に『こうありたい』『ああなりたい』を心から取り除くことです。
いえ。そうとも思わないことです。
『ほこり』を積まない。
しかし、『ほこりを積まない』とも思わない。
心を綺麗にする方法 この汚い世の中を生きていけるのかここまで読み進めた方は気づいているかもしれませんが、この世の中を汚いと評価しているのも自分のほこりだということです。
ほこりがあるから『欺あざむかれる』『詐取さくしゅされる』という思いと戦わないといけません。
本当に心が綺麗になるとそんなほこりさえなくなってしまうのです。
『バカになれ!』バカでいいじゃないですか。自分にとって何が大切かが重要なのですから。
心を綺麗にする方法ー心を綺麗にしようと思わずに静かにすることーパパジのまとめ
今日は『心を綺麗にする方法ー心を綺麗にしようと思わずに静かにすることーパパジ』と題してパパジの教えから心を綺麗にする方法を解説しました。
心を綺麗にする方法はほこりを積まないことです。
ただ『ほこりを積まない』というのもほこりですから。何もしないこと。
今のままの自分を良しとすることがすべてを良しとする綺麗な心につながります。
自分の心が綺麗なら世の中も綺麗なのです。今日も読んでいただきありがとうございます。
http://www.e-ainet.com/tao-mindfulness.html 【無為自然とマインドフルネス】より 竹腰重徳
『老子』は、孔子の『論語』に勝るとも劣らない影響力を持つ思想書です。そこに記された言葉は、時代を超えて私たちの心に多くの“気づき”や人生のヒントを与えてくれています。『老子』の思想の根幹にあるのが、「道」。英語でTao=タオと呼ばれています。「道」は、人としての在り方だけでなく、さらに大事なものとして、天地や万物が生み出される際の根本的な原理、あるいは根拠という意味が含まれています。人間社会のことだけでなく、はるか宇宙に至るまで、ありとあらゆるもの生成や存在は「道」に拠っていると考え、万物の生成や存在を自然科学的にとらえたものです。「道」は、天地が始まる以前から存在するもので、天地や万物(人間を含む)の根源であり、それを支える原則は、絶えず生まれては変化し、移り変わっていく常に変化を繰り返しながら永遠に変化し続けます。「宇宙のあらゆる現象には、人間の力が及ばない普遍的な法則が貫徹されて、そこには小賢しい人間の作為が入り込む余地がない」という考えが基本にあります(1)。
「道」と並んで重要な老子思想に「無為自然」があります。万物が「道」に順って生きていくのに基本となるあり方が「無為自然」です。「自然」は「自(おの)ずから然り」、他からの影響を一切受けることなく、大昔からそれ自体がそのようであるさまをいい、「無為」は「なんら作為をしないとこと」という意味になります。つまり「無為自然は「なんら作為をせず、あるがままの状態」です。『老子』では、「道」と「無為」の関係を「道は常に何事も無為でいながら、すべてのことを為している」と述べています。「無為」という言葉は、何もしないでいることという意味で使われますが、『老子』で使われている「無為」は一切何もしないということでなく、作為的なことはなにも行わないという意味です。「作為的なことは何もしないのに、すべてを為している」とは、どういう状態か。天地を例にして考えてみると、天や地は意思を持たないから常に「無為」の状態といえますが、無為でありながらも、その働きは常にこの地球全体に行きわたっています。季節は巡り、太陽は大地を照らし、雲は雨を降らし、大地のうえでは植物や動物がそれらの恩恵を受けて育っていきます。つまり、「何かしようとわざわざ考えなくても、天地はすべてのことを為している」ということになるわけです。「道」のあるがままの営みは、万物を育てても、それは作為的なものでなく、当たり前ととらえ、万物を生み育て、無限のエネルギーを秘めたものでもあります。だからこそ、その「道」にしたがって、あるがままに生きることが大事なのだと、「無為自然」な生き方こそが理想なのだと老子は説いています(1)。
マインドフルネスでは、心の状態を「することモード(Doing Mode)」と「あることモード(Being Mode)」に分けて考えます(2)。「することモード」とは、何かの目的を達成しようとする心の状態で、私たちの日常活動のほとんどが「することモード」になっています。物事が望ましい状況にあるかどうか、目的を達成できているかなど、常に判断・計画・評価して、効率よい解決策や達成の道筋を考えようとします。それが思い通りに進めば目的をスムーズに達成できるため、達成感や満足感を得ることができ、私たちの日常活動を大いに支えてくれます。しかし、何かの問題が発生して思い通りに行かないことが起こると、「することモード」が、心をやっかいな状況に追い込んでしまいます。このモードでは、思い通りに進まないと、物事が見えなくなり、「今のままでは、駄目だ」と、ぐるぐるとネガティブな考えを巡らせていき、否定的な評価を増殖させていきます。そして自分の駄目さへの確信が高まり、より一層落ち込んでいくといったことが起こり、強いストレスとなっていきます。これが「することモード」の問題です。そんな時には、一旦冷静になって、客観的に物事をみて判断することが大切です。そこで、役に立つのが「あることモード」です。このモードでは、起こっている現象が悪くても、冷静にあるがままに受取る心の状態となり、自身が置かれた状況を客観的に観察することが可能となり、危機的な状況から抜け出すための方法を柔軟に判断できるようになります。「あることモード」は、「ありのまま」を受けとめる心の状態で、「何もしない」状態です。「何もしない」というのは、単に、物事をそのままにしておき、それらが自然に展開するに任せるということです。どんな状況にあっても、「悪い」「駄目」「失敗」などと評価せずに、現在の経験のひとつとして、ありのままを受容して、そのままに「させておく」心の状態です。この状態は、『老子』の「無為自然」の状態で、マインドフルネスの実践は、心を「無為自然」になるよう育ててくれるものといえます。マインドフルネスの実践により心が無為自然になると、見えなかったことが鮮やかに姿を現し、これまで気づかなかった可能性が現れ、新たな道が開けてくるのです(3)。
参考文献
(1) 蜂谷邦夫、老子、NHK100分de名著、NHK出版、2013
(2)Zendal Sigeal、Difference Between ‘Being’and ‘Doing’、Mindful.org、2016
(3)ジョン・カバットジン、毎日の生活でできる瞑想、田中麻理他訳、星和書店、2012
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