文學の森「俳句界」編集部 @bungak_no_mori
巨星墜つ―金子兜太氏死去―
加藤楸邨に師事する金子兜太氏は、弊社の代表・姜琪東の兄弟子でもありました。
社員一同、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
文學の森HP 金子兜太氏のページはこちら↓
http://bungak.com/kanekotoutasikyo/index.html
俳句界TV 金子兜太氏の動画はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=S7lmxsG_EVk
俳句界News http://haikukai.tv/
現代俳句協会名誉会長・「海程」主宰 金子兜太インタビュー
卒寿を過ぎてなお、俳壇をけん引する金子兜太。
自身の体験と、「海程」の50年を語った。
https://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/kumagayabungakukan/hat_kanekotouta.htm 【金子兜太(かねことうた)(1919-2018)】より
俳人。加藤楸邨かとうしゅうそんに師事、「寒雷」所属を経て「海程」を創刊、主宰。戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論・実作両面で中心的な役割を果たし、その後も後進を育てつつ第一線で活動。上武大学教授、現代俳句協会会長などを歴任。現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員、文化功労者。小林一茶、種田山頭火たねださんとうかの研究家としても知られる。
・数々の困難を克服して日本公許女医第1号となった荻野吟子女史生誕の地俵瀬に流れる利根川には、冬になると寒冷な「赤城おろし」が吹き下ろす。こうした環境の中、利根川の広大な流れとともに吟子女史の生命が育まれ、人生の苦難を乗り越える原動力となったことを偲んで詠んだ句。
「荻野吟子の 生命とありぬ 冬の利根」
荻野吟子記念館前の金子兜太句碑(俵瀬)
・江南地域の豊かな里山にゆっくりと時間が流れており、水辺には夏の始まりを告げるホタルも飛び交い、野原地区には古くから知恵の象徴としての文珠寺があるとした江南の原風景を描写した句。
「行雲流水 蛍訪なう 文殊の地」
文殊寺の金子兜太句碑(野原)
・根岸家長屋門の前にある桜が咲き誇る季節に屋敷の高台から東を望むと、その春霞の先に姿を現す筑波山と、新たな時代へと踏み出した根岸友山を対比し、春のうららかな日和を感じる中で、屹立する友山の姿を表現した句。
「草莽の臣 友山に 春筑波峰」
根岸家長屋門前の金子兜太句碑(冑山)
・利根川と荒川の二つの大きな河川に挟まれている熊谷の特徴を描き、その狭間にてにて鳴り響く夏の雷を詠んだものです。二つの河川の存在がここに住む人々の感性や精神に大きな影響を与え、長い時を経ながら熊谷の原像を形成し、雷鳴の躍動感とともに、熊谷に息づく自然の景観と夏の風景を力強く表現した句。
「利根川と 荒川の間 雷遊ぶ」
https://www.asahi.com/articles/ASL6X62WHL6XUCVL02G.html 【加藤楸邨創刊の「寒雷」終刊 生きる「きしみ」を俳句に】より
戦後俳壇を代表する俳人で、朝日俳壇の選者も長く務めた加藤楸邨(しゅうそん)が創刊した俳句誌「寒雷(かんらい)」が78年の歴史に幕を閉じる。6月末発行の7月号(通巻900号)が最終号となった。
「寒雷」は1940年、「伝統の尖端(せんたん)に我々の新しい歩みを常に据えてゆきたい」(41年発行の「寒雷」から)との志で楸邨が創刊。金子兜太や沢木欣一、森澄雄らも参加し、社会性俳句など多様な作品の発表の場になった。93年に楸邨が亡くなって以降は、主宰者を置かずに同人会が運営していた。一般投句の選者は、楸邨の次男の妻である加藤瑠璃子さんが務めた。
「俳句界」編集長で楸邨に師事した河内静魚(せいぎょ)さんは「人が社会で生きていく上でのきしみや嘆きを五七五の落とし込むのが『寒雷』の精神。今のような世の中で、『寒雷』の名が消えるのは寂しい」と終刊を惜しんだ。
8月号からは、寒雷同人会が新たに「暖響(だんきょう)」という誌名で後継誌を発行する。これまで「寒雷」の編集長だった俳人の江中真弓さんが投句の選者を務める。江中さんは「楸邨の俳句理念を継承、発展させる活動を、新誌でも続けていきたい」と話している。(樋口大二)
文學の森「俳句界」編集部@bungak_no_mori
【楸邨忌】
寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃 加藤楸邨
隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな
火の奥に牡丹崩るるさまを見つ
木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ
雪夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び
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