https://web-mu.jp/history/1762/ 【富士王朝 超古代史文献に記された富士山麓の王朝/世界の新七不思議】より
超巨大建造物から超常事件の現場まで、各地のさまざまなミステリーを、超常現象研究の第一人者・並木伸一郎がセレクトした〝世界の新七不思議〟をご案内! 今回は神武天皇以前の時代に富士山麓に存在していたとされる謎の超古代王朝・富士王朝を見てみましょう。
富士山麓に謎の王朝があったことを記す文献
山梨県富士吉田市大明見の旧家、宮下家に伝わる古記録・古文書の『宮下文書』。別名『富士古文書』『富士古文献』とも呼ばれ、これらは、かつてこの地にあった「富士王朝」について書かれたものという。
約2300年前、中国・秦の時代、始皇帝に命じられて不老不死の妙薬を求め、方士・徐福が一族約500人を連れ、目的地の蓬莱山である日本の富士山麓を訪れた。そこで日本最古とされる神社、不二阿祖山太神宮に伝わる神代文字で書かれた記録を発見し、漢字で編纂した。これが『宮下文書』である。
ちなみに、現存する『宮下文書』の写本は江戸末期に成立し、漢語と万葉仮名が併用されている。大正時代にはこれを元にした『神皇紀』(美輪義熙著)も成立している。『神皇紀』には、近年になって初めて科学的に解明された、富士五湖が1000年前にはふたつの湖だった事実なども記されている。
富士山麓に鎮座する、日本最古とされる神社、不二阿祖山太神宮。超古代の荘厳な神宮を再興したものだという。
富士北麓の明見湖近くに立つ徐福像。彼は一族を率いて富士山麓の不二阿祖山太神宮を訪れ、『宮下文書』を発見した。
神武以前より存在した超古代王朝
では、富士王朝とはどんな王朝なのか? それは神武天皇の時代よりはるか以前から富士山麓に存在した、超古代王朝なのだという。日本民族の発祥地は、メソポタミア(現在のイラク)もしくはペルシア東北部(現在のイラン)で、約7000年前に日本に移住した。そして、富士山麓に不二阿祖山太神宮を中心とした壮麗な帝都を築き、高い文明を誇ったのである。
この都にはアマテラス大神やスサノオ尊らの神々も住み、神武天皇以前から存在したとされる歴代の天皇も、すべてこの地で即位した。人々は、驚異の熱伝導性をもつ「ヒヒイロカネ」と呼ばれる金属を使い、若さを取り戻す方法を知り、また、空飛ぶ船や優れた通信手段など、現代よりはるかに優れた文明を享受していたという。
だが、富士王朝は富士山の度重なる噴火によって滅びた。噴火口から流れ出る溶岩が王都を埋めつくし、そこにやがて植物が生えた、現在の青木ヶ原樹海となった。堆積した溶岩のため、金属探知機なども使用できないこの地に、富士王朝の痕跡を捜すことはできない。
富士山北麓の中心都市、富士吉田の金鳥 居から望む富士山。この地に超古代文明、富 士王朝が存在していたのだろうか。
不二阿祖山太神宮から北東へ車で30分ほど 行った場所に太神社という小さな社がある。 その参道の石碑には、「太神宮」の文字。こ れは阿祖山太神宮の末社だったことを示すも のなのだろうか。
http://zinhakase.web.fc2.com/seisyonosekai/n-10_huzinosikumitonarutonosikumi.html 【富士の仕組みと鳴門の仕組み】より
「二二と申すのは天照大神の十種の神宝に・を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。富士(不二)と鳴門(成答)の仕組いよいよぞ、これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終わりは完う出来ん、九分九厘でリンドマリぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍も十もすっかり助けると申してあろうがな、助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、気つけておくぞ。なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士は晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生まれるのであるぞ。」(至恩之巻、第十六帖)
日月神示で重要になる神仕組みが、この『富士の仕組み』と『鳴門の仕組み』です。神示のメインテーマともいえる最重要項目です。世にどのような大事変が起きたとしても、これを見失わないことが神を見失わないことにつながります。神は、この二つの仕組みで世を大改革します。
まず、富士です。富士を上から見るとその形は「〇」と「・」です。「〇」は輪郭です。「・」は火口部分です。真円を描いているわけではありませんが、とりあえずエベレストのような山脈ではないのでそんな形を見つけることができます。
日月神示では「〇」に「・」を入れよと説いています。「〇」に「・」の入った「⦿」が神を表わすシンボルだからです。それは太陽を中心に周遊する星々だったり、悪魔という「〇」の中に入る神という「・」だったり、身体という「〇」の中に入る心という「・」だったり、物質世界に入る精神世界だったり、光の中の闇、闇の中の光だったり、さまざまな「⦿」があります。あちこちに「・」を入れてこの世を神の世とするのがその趣旨です。
それゆえに富士は神の山とされています。神の君臨を象徴する形だからです。この中心の「・」が神の原点です。その「・」を世に出すことが『富士の仕組み』です。
富士は不動です。不動ゆえにそれは永遠でもあります。永遠の大真理が説かれ、世に広められ、人々が真理に目覚めるなら、『富士の仕組み』が完成します。それが神世への初めの一歩となります。ゆえに日月神示ではその第一声が「二二(富士)は晴れたり日本晴れ」という文句で始まっています。富士は霞みがかかっていると見えません。その霧が晴れると富士が見えます。
霧というのは世の曇り、心の曇りです。その霧を払わないと富士は見えません。そのために必要なことが『身魂磨き』です。身魂の身というのは外の世界、魂というのは内の世界です。外では悪魔が人々を洗脳して真実が見えないようにしています。内では人々の無知が神の真実を見えなくしています。それを水晶玉のように磨いて透明に見え透くようになると、神のこと、未来のことが見えるようになり、富士は晴れたり日本晴れとなります。
「世の元の大神の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、この仕組分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷仕組みであるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。」 (021)
世の元の大神の仕組みというのはユダヤ教もイスラム教もキリスト教も仏教も救いの輪の中に入れることです。ただの真理ではそれは無理ですが、すべての真理を包含した大真理ならそれが可能になります。聖書の真理を解き明かし、釈尊の真の教えをよみがえらせ、日月神示をここに加えたなら、もはやこれ以上のものは存在しません。しかし教えだけで救えるほど世の中甘くはありません。
天照大神は十種の神宝を持っています。それは天空に光り輝く星たちのように地上にきらめいて世を照らします。世を救う神宝、それが七から八、十となるナルトの仕組です。
https://www.ningenclub.jp/blog02/archives/2011/11/post_939.html 【富士と鳴門の仕組み】より
こんにちは、船井勝仁です。いま徳島に向かう飛行機の中でこの原稿を書き始めました。
村松祐羽さんや安倍昭恵さんと剣山に行くためです。
10月29日のコルマンインデックスが終わった日に札幌で講演会をした後、気分が良くて酔っぱらった勢いでお二人を剣山にお誘いしました。合理的な理由は何もありませんが、何かとても大きな意味がある旅になりそうです。羽田を飛び立つと、すぐにきれいな富士山が見えました。飛行機の中でこの原稿を書いてしまおうと少し焦っていた私は、富士山もそこそこに原稿を書き始めようとしたのですが、なぜがPCの調子が悪く、富士山が見えなくなるまで原稿が書けませんでした。
不思議なことに富士山が見えなくなると普通に原稿が書けるようになったのです。それで、富士と鳴門の仕組みのことに気がつきました。富士は火の仕組みで鳴門は水の仕組み、富士と鳴門の仕組みで世の中の立て替え、立て直しをするのだと日月神示に会ったことを思い出しました。
船井勝仁.comに書いたのですが、男性性の時代から女性性の時代に代わっていくことが今回の大激変の意味だと思うのですが、ゆでガエル状態でだんだん苦しくなってきているのに、
それに気がつかないというか現実を直視することなく、いま起こっていることから目をそらし続けるのはそろそろ限界にきているのかもしれません。
眼下に中部国際空港セントレアが見えてきました。
一昨日、沖縄から名古屋での講演をするためにはじめて利用させていただいたのですが、
リーマンショックが起こるまでは日本の経済を引っ張ってきた名古屋が世界につながるために開港したのだと思いますが、これから無くなっていく男性性の時代の象徴のような気がしています。また、今日はやたらにゴルフ場が目につきます。
ゴルフが好きな私はいつも少しだけ申しわけなさを感じながらプレーをしているのですが、それが男性性を象徴するスポーツであるからだということにセントレアのホテルに泊まっている時に気がつきました。ゴルフや飲酒などの男性性の習慣を無理やり止めるのではなく、きっちりと昨日までの世の中ではそれが必要であったことに感謝ができるようになれば、自然に手放せるのだとその時に感じました。
そして、今度は険しい紀伊半島の山々の上を飛んでいます。3月に行った玉置神社もこの下にあるのでしょうか。
女性性の時代は水がめ座の時代ですので、水が主体の文明の時代なのかもしれません。火の時代から水の時代へ、荒々しい創造と破壊の時代から、すべてを包み込む愛と慈悲の時代へ変わってゆくために必要なことをいまからさせてもらいに行くことを肚にしっかりと受け止めなさいということなのかもしれません。
昭和11年に起こったこととシンクロする出来事が2011年である今年起こるのではないかと最近感じるようになりました。
詳しくは「ザ・フナイ」の1月号に原稿を書きましたので、それを読んでいただければと思いますが、神様は数字遊びが好きなのだと思います。
昭和11年には二・二六事件が起こりました。日本が本格的に戦争の時代に突入する契機になりました。
これは昭和6年の満洲事変と並ぶ昭和初期に起こった最も大きなトピックスだと思います。
安倍昭恵さんは安倍晋三元総理の奥様ですが、2006年は安倍内閣が成立した年です。それ以後、毎年のように総理大臣が変わるようになって政治の混乱が誰の目にも明らかになりました。そして、今年起こった東日本大震災後の対応を見ていると日本の政治がいよいよ機能しなくなっていることが明らかになりました。
だから、今度は二・二六事件の勉強をしようと思っています。
そうすると、昨日、渋谷区役所に所用で行かなければならなかったのですが、区役所の横に二・二六事件の慰霊碑がありました。
いまのNHKの場所は、戦前は陸軍の演習場だったという話を聞いたことがありますが、
ここで反乱兵士たちの処刑が行われたのだと思います。
三島由紀夫の「英霊の聲」(河出文庫)を読みながら空港に向かっていたのですが、
これもシンクロを感じさせてくれる出来事でした。
二・二六事件で青年将校たちがやりたかった日本の精神性を取り戻すことの、今度こそ最後の機会かもしれません。しっかりと心して剣山の旅を楽しんで来ようと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=xxeWZw-xEqU
https://www.youtube.com/watch?v=MPP50TB5fnc
0コメント