https://kumamoto.guide/look/terakoya/104.html 【No.104 「 高天原(たかまがはら)日の宮・幣立(へいたて)神宮について 」】より
講師/幣立神宮宮司 春木 伸哉 氏
幣立(へいたて)神宮についてご存知でしょうか。熊本よりも県外で、いや世界で知られているといって過言ではない希有な存在です。「高天原(たかまがはら)神話の発祥の神宮である」と由緒に記されているように、この地に足を一歩踏み入れると厳かな霊気がみなぎり、まさに心のふるさとの根源にふれる思いがします。今回のふるさと寺子屋塾は「高天原日の宮・幣立神宮について」と題して、幣立神宮の春木伸哉宮司にお話していただきました。
九州の屋根の分水嶺
幣立神宮は"九州のへそ(中心)"と呼ばれる蘇陽町にあります。国道218号と265号が交差する要衝の地でもあります。
お宮は小高い森の上に鎮まっています。縄文の太古から生き続けているような大木がうっそうと茂り、おごそかな神域の雰囲気につつまれます。神殿の屋根に降る雨は東は五ヶ瀬川に注ぎ太平洋へ、西は緑川へ流れインド洋へと通じています。九州の屋根の分水嶺です。
見晴らしのよい所に立つと阿蘇、久重、祖母、由布、鶴見の峰々の景観が一望です。大自然に抱かれているという実感が理屈なしにズシンと体の中にしみこんできます。いつしか時空を超えて人類の根源、宇宙の摂理といったものへ思いが馳せていきます。
この地こそ高天原発祥の地といえば、みなさんは驚かれるでしょうか。あれは神話の世界の話、大和朝廷が自らの権威付けのために作られた物語にすぎない。ようするに観念上の所産であると思われています。しかし、そうした科学的といわれる古代史観を絶対とする視点からは古代の人々の願いや伝承が語り継いできた"真実"は見えてこないのです。
樹齢一万五千年のご神木
幣立神宮には樹齢一万五千年と伝えられるヒノキの巨樹がそびえています。ここに天孫がご降臨され、神霊がお留まりになりました。カムロギ・カムロミの命です。幣立神宮はこの二柱を祀る聖地の根本の神社であり、高天原・日の宮とも呼ばれるゆえんです。一度ご神木の前に立ってみてください。おそらく屋久島の縄文杉よりも古い無限の生命力に心うたれることでしょう。それは、一万五千年前の神に向き合うことであり、悠久の太古から未来永劫に続いていく宇宙の真理に向き合うことでもあるのです。
天照大神(あまてらすおおみかみ)については天の岩戸籠もりのご神業が伝えられています。幣立神宮で旧暦十一月八日(平成十四年は十二月十一日)に行われる巻天神祭の祭典は、天照大神の天の岩戸からのご帰還を祝う日です。日向風土紀に「天暗く、昼夜わかず、人道を失い、色別き難しかりき」とありますが、これは明らかに阿蘇の噴火による降灰現象を示しています。天照大神はこの天変地異を鎮めるために天の岩戸に籠もられたのでした。
火山活動は農業に潰滅的な打撃をもたらします。ところが幣立神宮の森だけは被害を免れるオアシスでした。周辺を豊かな湧水池に囲まれ、棚田水田の原初的姿が今に伝えられています。神々はここで穫れる籾(もみ)を分け与えて民人を救済していきました。天孫降臨の主題がここにあります。天孫降臨とはこの籾をもって新しい文化、稲作文化を普及していくことにあったのです。神武東遷もその流れの中に見ることができます。
ところで今の蘇陽町、清和村、五ヶ瀬町、高森町一帯はかつて知呆(ちほ)郷と呼ばれていました。この地名の由来を日向風土紀では「皇孫の尊、千穂の稲を搓(ても)みて籾と為して、投げ散らしたまひければ、即ち、天開晴(そらあか)り、日月照り光(かがや)きき。因りて高千穂の二上(ふたがみ)の峰と曰(い)ひき。後の人、改めて知鋪(知呆)と號(なづ)く」と記しています。高千穂とは知呆にほかならず、その知呆郷の中心に位置しているのが幣立神宮というわけです。
太古の波動を体感
阿蘇開拓の主、健磐竜命(たけいわたつのみこと)は神武天皇の孫に当ります。日向国から五ヶ瀬川に沿って三田井(高千穂)、馬見原を通って草部に入られました。このとき一羽の白鳥が幣立神宮へ案内しました。命は御幣(ごへい)を立てて奉祀されたので「幣立神宮」の名が起こったといわれています。でも、それは偶然の結果といったものではありません。命はこの地が高天原・日の宮であることを知っており、阿蘇開拓に情熱を注がれたのもこの"神代の神都"の備えを固めるためです。ここに伝承の背後に秘められた歴史の真実があると思うのです。
幣立神宮には人智では計ることのできない不思議がいろいろあります。八月二十三日の五色神祭には世界から人々が集います。五色とは世界の人種を肌の色で表したもので、赤色・白色・黄色・黒色・青色の五つの色です。幣立神宮にはモーゼの水玉、五色神面が奉斎されています。詳しい由来は省きますが、五色神祭は世界の神々が集まって人類の幸福、世界の平和を祈る儀式です。祭典は時代を超えて人々の霊的精神のなかに生き続ける根源的なものを呼び覚まし、その波動は参列者の魂を深くゆさぶらずにはおきません。五大人種が互いに認め合い助け合う和合の世界の実現は全地球的願望です。
私の話は神がかりと思われる方も多いと思います。それはそれで構いません。ただ、人間は志を高くもって生きなければ存在する意味がありません。幣立神宮の神域のなかに身を置くと宇宙の意志といったものを体感し、人間どう生きるべきかを考えさせてくれることと思います。
https://moritayasuo.wixsite.com/country-ology/single-post/2018/06/20/%E3%80%8C%E5%B9%A3%E7%AB%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%B9%A3%E7%AB%8B%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E3%80%8D%E3%80%81%EF%BC%92%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E 【「幣立神社」と「幣立神宮」、2つの物語】より
★リテラシーの学習素材?/大野郷の産神「幣立神社」と五色神祭のパワースポット「幣立神宮」。後者の方が、「悠久の太古から未来永劫に続いていく宇宙の真理に向き合うことの出来る」古くて、大きくて、そして新しい神話である。
【幣立神社】
幣立神社(へいたてじんじゃ)は "九州のへそ"とも呼ばれる熊本県上益城郡山都町(旧阿蘇郡蘇陽町)に鎮座する阿蘇神社の末社で、『角川日本地名大辞典 43熊本県』(角川書店/1987年)には次のように説明されている。
「幣立神社<蘇陽町>:
阿蘇郡蘇陽町大野にある神社。旧郷社。祭神は神漏岐命・神漏美命・天御中主大神・天照大御神。幣立大明神と称し(肥後国誌補遺)、日の宮と通称される。社伝では健磐竜命がこの地に休憩した時、幣帛を立て天神地祇を祀ったという。延喜年間に阿蘇大宮司友成が社殿を造営して伊勢両宮を祀り幣立社と号したと伝える。天養元年に阿蘇大宮司友孝が阿蘇両所を併せ祀り、大野郷の産神としたという(肥後国神祠正鑑/肥後国誌補遺)。」
延喜年間(901年-923年)に伊勢両宮(太陽神である天照大御神と農業を中心とする全産業の守護神である豊受大御神)を祀り、天養元年(1144年)に阿蘇両所(阿蘇開拓神である健磐龍命をはじめとする阿蘇十二明神)を併せ祀り・・・とあるので、幣立神社がこの地の国土造り・農耕の神であることは確かであろう。
幣立神社は、天孫降臨の伝承を持つ高千穂にも近く、他にも神話、伝承などが伝わる。最近では、『五色神祭』(地球全人類の各々祖神(大先祖)(赤、白、黄、黒、青(緑)人)がこの地に集い、御霊の和合をはかる儀式を行ったという伝承に基づく聖なる儀式)が開催されるパワースポット『幣立神宮』としても有名で、インターネット検索の上位表示情報と現地の案内によれば、次のような説明を行うことも可能である。
幣立神宮(JAPAN WEB MAGAZINE)↓
https://japan-web-magazine.com/japanese/kumamoto/japan-kumamoto-heitate-jingu-shrine1-japanese.html
幣立神社は不思議ご利益のあるパワースポット?(Travel Note )↓
https://travel-noted.jp/posts/1104
阿蘇 幣立神社の五色神祭↓
http://www1.bbiq.jp/sonoda/jinjya/heidate.htm
【幣立神宮】
"九州のへそ"と呼ばれる熊本県上益城郡山都町(旧阿蘇郡蘇陽町)に鎮座する幣立神宮(へいたてじんぐう:別名「日の宮」)は、社伝によれば、神武天皇の孫である健磐龍命が、阿蘇に下向した際この地で休憩し、眺めがとても良い場所であると、幣帛(へいはく)を立て天神地祇を祀ったといわれている。
幣立神宮の春木伸哉宮司は、
「阿蘇開拓の主、健磐竜命は神武天皇の孫に当ります。日向国から五ヶ瀬川に沿って三田井(高千穂)、馬見原を通って草部に入られました。このとき一羽の白鳥が幣立神宮へ案内しました。命は御幣(ごへい)を立てて奉祀されたので「幣立神宮」の名が起こったといわれています。でも、それは偶然の結果といったものではありません。命はこの地が高天原(たかまがはら)・日の宮であることを知っており、阿蘇開拓に情熱を注がれたのもこの"神代の神都"の備えを固めるためです。ここに伝承の背後に秘められた歴史の真実があると思うのです」と語る。
「高天原(たかまがはら)日の宮・幣立(へいたて)神宮について」(熊本県観光サイトなごみ紀行)↓
http://kumanago.jp/benri/terakoya/?mode=104&pre_page=6
社内に掲示されている「幣立神宮・由緒」にも、
「大日本史に見える知保(ちほ)の高千穂嶺(たかちほのみね)が当宮の所在地である。筑紫(つくし)の屋根の伝承のように、神殿に落ちる雨は東西の海に注いで地球を包むので高天原日の宮(たかまのはらひのみや)の伝承をもつ国始めの尊宮(そんぐう)である。吉末天神地祇(てんじんちぎ)を祭った神籬(ひもろぎ)は、日本一の巨桧(きょひ)として厳存する。
神武天皇のご発輦(はつれん)の原点で皇孫健磐龍命(こうそんたけいわたつのみこと)は勅命によって天神地祇を祭られた歴史がある。なお、祭神は神漏岐命(かむろぎのみこと)、神漏美命(かむろみのみこと)及び大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)、天御中主大神(あめのみなかぬしおおかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)など、最高の神をお祭りしてある」と書かれている。
「知保(ちほ)」郷は、旧蘇陽町、旧清和村、高森町(以上熊本県)、五ヶ瀬町(宮崎県)一帯を指し、隣接する高千穂町は「天孫降臨神話」の地として有名である。また、幣立神宮が鎮座する地はちょうど九州の屋根(九州山地及び阿蘇山)の分水嶺にあたるため、神殿の屋根に降る雨は東は五ヶ瀬川に注ぎ太平洋へ、西は緑川へ流れ東シナ海へと通じている。そして、幣立神宮には樹齢一万五千年と伝えられるヒノキの巨樹がそびえ、神宮周辺には、縄文の太古から生き続けているような大木がうっそうと茂っている。幣立神宮が「高天原神話の発祥の神宮である」ということは、こうした地理・歴史的環境からも頷ける。
さらに、春木伸哉宮司は、「天照大神(あまてらすおおみかみ)については天の岩戸籠もりのご神業が伝えられています。幣立神宮で旧暦十一月八日(平成十四年は十二月十一日)に行われる巻天神祭の祭典は、天照大神の天の岩戸からのご帰還を祝う日です。日向風土紀に「天暗く、昼夜わかず、人道を失い、色別き難しかりき」とありますが、これは明らかに阿蘇の噴火による降灰現象を示しています。天照大神はこの天変地異を鎮めるために天の岩戸に籠もられたのでした。
火山活動は農業に潰滅的な打撃をもたらします。ところが幣立神宮の森だけは被害を免れるオアシスでした。周辺を豊かな湧水池に囲まれ、棚田水田の原初的姿が今に伝えられています。神々はここで穫れる籾(もみ)を分け与えて民人を救済していきました。天孫降臨の主題がここにあります。天孫降臨とはこの籾をもって新しい文化、稲作文化を普及していくことにあったのです。神武東遷もその流れの中に見ることができます。」と語る。
「高千穂」という地名は、稲穂が千々に豊かに実っている様子を示しているとされますが、幣立神宮も、国土造り・農耕の神としての特徴を色濃く持っているのです。
大野郷の産神「幣立神社」と五色神祭のパワースポット「幣立神宮」。後者の方が、「悠久の太古から未来永劫に続いていく宇宙の真理に向き合うことの出来る」古くて、大きくて、そして新しい神話である。
ちなみに、Wikipediaの「幣立神社」に関する記述は次の通りであるが、前者(幣立神社)の説明に軸足が置かれ、後者(幣立神宮)独自の世界は「なお、天孫降臨の伝承を持つ高千穂にも近く、他にも神話、伝承などが伝わる。」と説明するにとどまっている。
「幣立神社(へいたてじんじゃ)、幣立神宮(へいたてじんぐう)は、熊本県上益城郡山都町に鎮座する神社である。日の宮(ひのみや)ともいう。旧社格は郷社。
由緒
社伝によれば、神武天皇の孫である健磐龍命が、阿蘇に下向した際この地で休憩し、眺めがとても良い場所であると、幣帛を立て天神地祇を祀ったという[1]。
その後、延喜年間(901年 - 923年)、阿蘇大宮司友成が神殿を造営し伊勢両宮を祀り幣立社と号した。天養元年(1144年)には、阿蘇大宮司友孝が阿蘇十二神を合祀し大野郷の総鎮守とした[2]。
現在の社殿は、享保14年(1729年)、細川宣紀により改修されたもの。明治6年(1873年)、郷社に列した[3]。なお、天孫降臨の伝承を持つ高千穂にも近く、他にも神話、伝承などが伝わる。(後略)」
幣立神社(Wikipedia)↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%A3%E7%AB%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE
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