https://nihonjintoseisho.com/blog001/2020/04/20/japan-and-israel-259/ 【【日本とイスラエル】古事記と聖書(3)】より
天地創造
日本と古代イスラエル人との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「古事記と聖書」からご紹介いたします。
天地創造
古事記をみると、この造化三神のことが述べられたあと、二柱の神様が現れる。神道では神の数を数える際に「ひとり、ふたり・・・」とは言わず、「一柱の神、二柱の神・・・」という。その二柱の神とは、①宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)、②天之常立(あめのとこたち)という神様である。難しい名前だが、・・・宇摩志阿斯訶備比古遅とは地面、大地のことである。天之常立は天のことだ。つまりこれは、地と天を、擬人化ならぬ「擬神化」して、神になぞらえて表現したものにほかならない。
創世記
宇摩志阿斯訶備比古遅は、神話学者の説明によると、まだ泥の状態であった混沌とした大地のことだという。一方、天之常立とは、天を成り立たせているエネルギーのことで、天のことである。聖書にも、創世記の一番初めに、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしかった」と書かれている。この「天と、むなしかった地」という部分を、古事記では、擬人化ならぬ擬神化をして、神になぞらえて表現しているのである。つまり、はじめに造化三神が天と地を創造した、ということを言い表している。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。
旧約聖書 創世記 24章34~49節
そこで彼は言った、「わたしはアブラハムのしもべです。主はわたしの主人を大いに祝福して、大いなる者とされました。主はまた彼に羊、牛、銀、金、男女の奴隷、らくだ、ろばを与えられました。主人の妻サラは年老いてから、主人に男の子を産みました。主人はその所有を皆これに与えました。
ところで主人はわたしに誓わせて言いました、『わたしの住んでいる地のカナンびとの娘を、わたしの子の妻にめとってはならない。おまえはわたしの父の家、親族の所へ行って、わたしの子に妻をめとらなければならない』。
わたしは主人に言いました、『もしその女がわたしについてこない時はどういたしましょうか』。
主人はわたしに言いました、『わたしの仕えている主は、み使をおまえと一緒につかわして、おまえの旅にさいわいを与えられるであろう。おまえはわたしの親族、わたしの父の家からわたしの子に妻をめとらなければならない。そのとき、おまえはわたしにした誓いから解かれるであろう。
またおまえがわたしの親族に行く時、彼らがおまえにその娘を与えないなら、おまえはわたしにした誓いから解かれるであろう』。
わたしはきょう、泉のところにきて言いました、『主人アブラハムの神、主よ、どうか今わたしのゆく道にさいわいを与えてください。わたしはこの泉のそばに立っていますが、水をくみに出てくる娘に向かって、「お願いです。あなたの水がめの水を少し飲ませてください」と言い、「お飲みください。あなたのらくだのためにも、くみましょう」とわたしに言うなら、その娘こそ、主がわたしの主人の子のために定められた女ということにしてください』。
わたしが心のうちでそう言い終わらないうちに、リベカが水がめを肩に載せて出てきて、水をくみに泉に降りたので、わたしは『お願いです、飲ませてください』と言いますと、彼女は急いで水がめを肩からおろし、『お飲みください。わたしはあなたのらくだにも飲ませましょう』と言いました。それでわたしは飲みましたが、彼女はらくだにも飲ませました。
わたしは彼女に尋ねて、『あなたはだれの娘ですか』と言いますと、『ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です』と答えました。そこでわたしは彼女の鼻に鼻輪をつけ、手に腕輪をつけました。
そしてわたしは頭をさげて主を拝し、主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は主人の兄弟の娘を子にめとらせようと、わたしを正しい道に導かれたからです。
あなたがたが、もしわたしの主人にいつくしみと、まことを尽くそうと思われるなら、そうとわたしにお話しください。そうでなければ、そうでないとお話しください。それによってわたしは右か左に決めましょう」。
神に従う
アブラハムのしもべは事の顛末をラバンに話しました。その話は事実をありのままに伝えるものであり、ラバンの返事をどちらかに誘導しよう、誘導したいという意図はまるで感じられません。しもべ自身はこれまでの顛末から、これは間違いなく神様の導きだと受け止めているようですが、だからと言って、自分の人間的な思いで、これを無理やりに進めようとはしていません。すべての事実を客観的に伝え、それをラバンはどう受け止めるのか、その判断を聞きたいという態度です。その上で、ラバンもこれを神の導きと受け止めるのであれば、それで良し。もし、そうでなければ、それも良しという態度のようです。事ここに至ってなお、しもべは人間中心を退け、ひたすらに神の御心だけがなるように、人間的な思いは排除して、ただ神に従いたいという態度であると感じます。神を中心にして歩む、それはとても重要な態度ではないでしょうか。
いかがでしたか
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FacebookYagumi Chiyumaさん投稿記事
8月から三回に渡って講義して戴きました、吉野信子先生 言霊・数霊講座『カタカムナ=生命至上主義の復活』。
三回目の10/15の講座は、聖書のカタカムナによる読み解きでした。ヨハネによる福音書は、新約聖書の中の一書。ヨハネ⇒4(ヨ)8(ハ)音(ネ)。
世界で一番売れてゐる書物である聖書に書かれてゐる「本当の意味」とは?
日ユ同祖論、
日本とユダヤの「本当の関係性」は、ヨハネ(48音)である聖書の「本当の意味」を読み解くことで、浮き彫りになるのでした。
聖書には、言葉や数のウラに秘められてゐる思念からでないと、わからないたくさんのワードが散りばめられてゐます。
その中でも大変に重要なキーワード「153匹の魚」。吉野先生は、言葉や数に秘められてゐる思念を総合させて、「153」という数の特殊性、「魚」という言葉に秘められた深い意味を解説しながら、「復活後の主イエスが弟子たちに命じて、ガラリヤ湖で網を張らせ、そのとき153匹の魚が網にかかった」という、まったく持って「??????」な文章が意図してゐることを、明るみにしてくださいました。
そして、その他の様々なキーワードをカタカムナで紐解いた結果、浮き彫りとなった、「聖書の本当の意味」。
人がこの世に生まれてきた目的は、言葉による言霊で憎しみや諍いに打つ勝つ、「愛」を学ぶためである「人」と「学ぶ」が、数霊18で「ア」という母音の最初の音であり、「生命・感じる」という思念を持つところにも、深い感動を覚えるのでした。
[ことたま]
人 ひと 根源から出て統合する
愛 あい イノチ(根源)が伝わる
学ぶ まなぶ 受容した重要なモノが中で増える
[かずたま]
人 ひと 18
愛 あい 23
学ぶ まなぶ 18
ひとがこのよにうまれてきたもくてきは 18 -25 40 32 113 82 42
ことばによることだまで -9 48 13 -9
にくしみといさかいにうちかつ 69 17 63 32 115
あいをまなぶためである 23 41 18 36 -9 30
人がこの世に生まれてきた目的は、言葉による言霊で憎しみや諍いに打つ勝つ、「愛」を学ぶためである
数靈数 780(調和が∞トーラスとなってはなれるもの) 150(飽和するもの)
次元数 6(受容の広がり・マ・ム)
この吉野信子先生の講座は、全三回で1パックのDVDとなります。
超必聴!ぜひ繰り返しお聴き戴きたい内容です。
年内には、発売されると思いますので、またその際にはお知らせさせて戴きますね~^^
『人は愛を学ぶ故に存在する。聖書の本当の意味をカタカムナで読み解く』
Facebook赤塚 高仁さん投稿記事·
組曲・ヤマト人への手紙 見本できました。魂に沁みます。聴いてください。
ブログ更新しました。
https://www.akatsukakensetsu.co.jp/akatsukakoji-blog/cd%e3%81%ae%e3%83%aa%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%81%ab%e5%af%84%e3%81%9b%e3%81%a6/?fbclid=IwAR1k3eWaNDOH8R0Cl2L58Q643cPo0fv890rkHQ7Hlvq_JIBbqLIUMWCBL3I 【CDのリリースに寄せて】より
人生というものは、思いもよらないことが起きるものですね。
以前から本を書きたいとは願っていましたが、その本が、音楽になるとは思いませんでした。運命とは、人が運んでくれる私の命。出逢いが生み出すものだと、改めてしみじみ噛み締めます。矢吹紫帆・矢中鷹光夫妻とのイスラエルツアーが、また新しい風を吹かせてくれました。「ヤマト人への手紙」の13章の物語が音楽になったのです。
やまとこころのキャンドルサービス、新しい扉が開きます。
CDのリーフレットに書き下ろした文章を掲載します。是非、音霊も聴いてください。
11月10日 桑名で発表されます。
「組曲・ヤマト人への手紙」に寄せて
ポーランド、アウシュヴィッツ近くの宿で、この序文を書いています。
国を失ったユダヤ民族がどのような運命をたどったのかを目の当たりにし、国があることが当たり前ではないという事実を改めて知らされました。
無数の国々が興っては滅びて行く中で、2600有余年にわたり国家が続いている日本は人類の奇跡です。
魚に水が見えないように、日本人には日本が見えません。
今から72年前、第124代昭和天皇は、日本国のみならず世界平和のために終戦の御聖断を下されました。
しかし、国土は焼け野原と化し、人々は住む家もなく、食べるものもなく、着るものもありませんでした。
310万人というヤマトの民が命を失い、外地で終戦を迎えた人々も640万人いました。
何もかも失い、着の身着のままで祖国に帰ってきた同胞たちはまだしも、満州、北朝鮮ではソ連による暴行、略奪、殺戮、強制収容など悲惨を極めました。
国内でも、寒さの夏で不作のうえ、働き手がなく米がとれません。
そこに外地からの引き上げ者がやってきます。
冬までに一千万人が餓死するであろうと予想されました。
昭和天皇は、ただ一人で連合軍最高司令官マッカーサーのところに出向き、
「自分の命はどうなっても構わないので、国民を救ってもらいたい」と仰ったのです。
命乞いにきたのだろうと待ち構えていたマッカーサーは、そんな天皇の姿に驚き、
「生けるキリストを見た」と感動して日本に食糧を送るよう本国に命じました。
日本は、我が身を捨てて国民を守ってくださった昭和天皇によって救われました。
天皇は、朝な夕な、国の平安と国民一人ひとりの幸せを祈ってくださる大祭司です。
天皇にとって国民は大御宝(おおみたから)、大切な赤子です。
昭和天皇は苦しむ国民をわが身の痛みと受け止め、途方に暮れている国民の中に飛び込んで行かれました。
軍部の罪をも一身に背負い、8年間、全行程3万3千キロに及ぶ沖縄を除くすべての都道府県を御行幸された天皇陛下のお姿に国民は感激し、心一つになり日本は復興しました。
今の日本があるのは、昭和天皇のおかげです。
世界唯一、2千6百年を超える歴史を刻む、日本。
それは天皇の祈りによって支えられてきた歴史でもあります。
天皇と国民が一つになり、大きな和をもって作り上げられてきた日本。
この日本の尊い国柄こそ世界の希望の光です。
原爆を落とされ戦争に負けても、地震が来ても、津波が来ても、原発が爆発しても、日本は復興します。
しかし、天皇がなくなれば日本は終わります。
そのとき世界も終わるでしょう。
このたび一冊の本、「聖なる約束2・ヤマト人への手紙」が、矢吹紫帆・矢中鷹光氏によって「組曲・ヤマト人への手紙」としてCDになりました。
13の章に込めた願いが、音霊となりヤマト人の心に響き渡りますようにと念じます。
125代今上陛下最後の年に「日本よ永遠なれ」と祈りを込めて。
赤塚高仁
求めなければ得られないけれど、
求めたからといってやってくるものではありません。
なぜか時の流れの中で、やってくる恩寵の中に、生きていることの懐かしさを感じます。
https://www.youtube.com/watch?v=do1_lWTmcV4
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