https://www.suzukake.co.jp/saijiki/4275 【十三夜 栗・芋・大豆】より
秋は夜空に輝く月がもっとも美しくなる季節。九月には中秋の名月、スーパームーンと夜空を見上げ、初秋の月を堪能された方も多いでしょう。中秋の名月である十五夜の月を愛でるのはよく知られたところですが、このお月見観賞、十五夜だけで終わりにしては「片見月」といって縁起が悪いとされています。十五夜のお月見をしたのならば、中秋の名月の次の満月となる十三夜の「後(のち)の月」も同じ場所でお月見をしなければならないという習わしがあるのをご存知でしょうか。
この十三夜は、お供えするものにちなんで「栗名月」「芋名月」「豆名月」とも言われます。団子十三個と栗やさつま芋、里芋、大豆などの秋の農作物の収穫を感謝して月にお供えするのです。お供えだけでなく、例えば栗は体を温めるのに効果的な食材として知られます。暑かった夏から冬に向かう季節である秋にしっかりと体を温め、生命力を補う食材として栗は効果的ですので、十三夜のお月見観賞のお供に栗ごはんや、栗をつかったお菓子などで楽しまれてみるのも良いですね。
春の七草は“食べて”楽しみますが、秋の七草である「萩・すすき・桔梗・撫子・葛・藤袴・おみなえし」は“見て”楽しめる美しい草花ですから、揃うものだけでもお供えとして一緒に飾り秋を存分に愛でたいものです。
今年の十三夜は十月二十五日の夜。「十三夜に曇り無し」との言葉どおり、空が澄み渡って美しい月が拝めますように。
https://www.i-nekko.jp/nenchugyoji/otsukimi/tsukiusagi/ 【月うさぎの話】より
何気なく見上げた夜空。輝く月......ただ、それを眺めているだけで心が和んできます。でも、そんな時ふっと思い浮かぶのが「月うさぎ」。月でお餅をついているという、あの月うさぎです。なぜ月にうさぎがいるのでしょう?
ちょっと悲しい月うさぎ伝説
月の模様の黒い部分は「海」と呼ばれる低地。その黒い部分で「餅をついているうさぎ」の姿を見立てます。こうして見ると...確かに月うさぎはお餅をついています。
意外と知らない月うさぎ伝説。月うさぎ伝説にも諸説ありますが、一般的に言われているのは次のようなお話です。
『昔、あるところにうさぎときつねとさるがおりました。ある日、疲れ果てて食べ物を乞う老人に出会い、3匹は老人のために食べ物を集めます。さるは木の実を、きつねは魚をとってきましたが、うさぎは一生懸命頑張っても、何も持ってくることができませんでした。そこで悩んだうさぎは、「私を食べてください」といって火の中にとびこみ、自分の身を老人に捧げたのです。実は、その老人とは、3匹の行いを試そうとした帝釈天(タイシャクテン)という神様。帝釈天は、そんなうさぎを哀れみ、月の中に甦らせて、皆の手本にしたのです。』
これは、仏教説話からきているお話です。
また、このお話には続きがあり、『うさぎを憐れんだ老人が、その焼けた皮を剥いで月に映し、皮を剥がれたうさぎは生き返る』という説もあります。だから、月の白い部分ではなく、黒い部分がうさぎなのですね。
では、なぜ餅をついているのでしょうか?
「うさぎが老人のために餅つきをしている」とか「うさぎが食べ物に困らないように」という説がありますが、中秋の名月が豊穣祝いであることを考えると、たくさんのお米がとれたことに感謝する意が込められているようです。
世界の月の模様
月の模様がうさぎに見えるのは万国共通ではありません。月は地球に対していつも同じ面を向けて回っているので、世界中どこで見ても、ほぼ同じ表面を見ています。
しかし、月の模様をどう捉えるかは国によって様々です。
韓国や中国では、日本同様うさぎに見えるそうですが、中国のうさぎはお餅をついているのではなく、薬草を挽いています。また、中国の中でも、うさぎではなく大きなはさみをもった「カニ」という地域もあります。
モンゴルでは「犬」で、嘘をつくと吠えるとか。
アラビアでは「ライオンが吠えている」といわれています。
欧米では「女性の横顔」だといわれていますし、
インドネシアでは「編物をしている女の人」、
ベトナムは「木の下で休む男の人」、
オーストリアでは「男性が灯りを点けたり消したりしている」のだそうです。
他にも、「インディアン」「本を読む老人」「怪物」「ワニ」「ロバ」など、様々です。
地球から月までの距離は約384,400km。肉眼で月の表面が見えるわけですから、すごいことです。ススキや月見団子を供えてお月見をしたり、仕事帰りに立ち止まって月を眺めたり...。月うさぎに思いをはせながら、月をゆっくりと愛でてみるのもよいものです。
https://ii-nippon.net/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%A2%A8%E7%BF%92/678.html 【お月見のお供え物にはどんな意味があるの?】より
お月見といえば・・・月見団子でしょ^ ^甘いものには、目が無いのよねぇ~!って・・・
それはちょっと違いやしませんか???
頼むから「花より団子」と一緒にしないでぇ~っ!!!って、のっけから騒がしくてすみませんm(_ _)m
お月様にお供えしたものを、お下がりして食べるのが楽しみ!
という気持ちも解らないことはありませんが、お月様にお供えするということは、何かしらの意味があってのことになります。
お月見のお供え物にはどんな意味があるの?
お月見のお供え物は、月見団子・ススキ・その時期に収穫される野菜やくだものです。
これらのお供え物は、いったいどんな意味があって供えられるのでしょうか?
月見団子から、一つずつ見ていくことにします。
月見団子の持つ意味は?
今では、お月見と言えば月見団子がすぐに思い浮かぶと思いますが、元々はその時期に収穫したものをお供えしていました。
団子を供えるようになったのは江戸時代からで、十五夜にはこれからの収穫を祈り、十三夜ではその年の収穫に感謝して、お米の粉で作った団子を供えたのが月見団子の始まりといわれています。
※十五夜には、その年の穀物の収穫に感謝したという説もあります。
月見団子④-min
白くて丸い月見団子は、月が満ちる姿(満月)を模したもので、収穫への祈りや感謝だけでなく、ものごとの結実や健康、幸福をも表しています。
そして、お月様に供えた後のお団子を食べることで、健康と幸せを得ることができると考えられていました。
お月様に供えた団子を食べる風習は、ここからきています。
また、供えるお団子を山形に積むのは、団子の先端が霊界に通じると信じられてきたためだと言うことです。
ススキにはどんな意味があるの?
お月見のススキは、月の神様を招く依り代よりしろとして供えられます。
月とススキ-min
本来、月の神様の依り代は稲穂なのですが、お月見の時期に稲穂が無かったため、稲穂に似たススキを供えるようになったといわれています。
それに加えて、ススキには魔除けの力があると信じられていました。
今でもお月見に供えたススキを軒先に吊るすと一年間病気をしないという、言い伝えが残っているほどです。
※依り代とは?
精霊(神霊や御霊など)が、依り憑くものや場所などのことをいいます。
依り代の対象は、樹木や岩石、人形ひとがた、人間などと考えられています。
野菜やくだものにも意味があります!
お月見には、収穫に感謝して、その時期に採れた野菜や果物をお供えします。
十五夜を例に挙げると、芋類の収穫時期であることから、里芋やさつまいもなどをお供えします。
里芋②-min
「芋名月」という別の呼び方があるのは、こういった背景があるからです。
さらに、ぶどうなどのツルものをお供えすると、お月様との繋がりが強くなると言われています。
お月見だからと、なんとはなしに供えていたものも、こうやって1つ1つの意味が解ると、お供えをする時の気持ちが変わってくるように感じます。
https://anchorage.co.jp/kyoto-letter/2112 【意外と知られていない「お供え」の意味】より
お寺にご法要などをお願いする時に、菓子折りなどの「お供え」を持っていく方は多いと思います。その「お供え」を、「お坊さんへのご挨拶や御礼」と思われている方もいらっしゃるようですが、実は本来の意味は異なります。
「お供え」には、供える対象などによって2つの側面があり、
① 供養(故人の冥福を祈ること)
② 自らの功徳を積む
という意味があるのですが、ここでは特に後者の「功徳を積む」という点についてお話します。
仏教には「功徳」と「利他」という言葉があります。
「功徳」は ″現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行″ のことで、″善い行いは善い報いを生む”という「因果応報」という仏教の道理に基づいています。
また、「利他」には ″自分のことよりも他人のことを想い、困っている人を助ける” という意味があります。
「利他」の行いによって「功徳」を積み、それによって周囲の人も自分も幸せになると考えられているのです。
「お供え」も「利他」の行為で、僧侶やお寺に来られた方のためにお供え(=施し)をすることが、功徳を積むことに繋がります。
また、積んだ功徳は故人に分けることもできるともいわれています。
よく、「追善供養(=故人の徳を、後から追加すること)」「回向(=自分の徳を他の人に振り分けること)」というのは、故人の功徳を増やし、故人が来世も幸せになれるようにという願いによるものです。
「功徳=幸せポイント」と捉えてみると、
「お供え(=善行)」によって幸せポイントが獲得できて、
そのポイントは自分の幸せに繋がったり、故人の為に分けることもできる、というイメージでしょうか。
ただ、注意しないといけないのは、功徳を積むことが「自分の幸せのため」ではいけないという点です。「他者のためを想って」善行をすることが功徳となり、結果として自分の幸せに繋がるとされています。
『善きことをなせる者は、この世にても喜び、死後にも喜び、何れにても喜ぶ、おのれの行為の浄らかなるを見て喜び楽しむ(法句経)』
ただの「手土産」や「御礼」ではない「お供え」。「善行」と意識してみると、より改まった気持ちになれると思います。
※「功徳」については解釈が異なる宗派もあります。ご了承下さい。
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