万緑やわが掌に釘の痕もなし

https://blog.goo.ne.jp/kanekuti3515/e/80476801365d57d869eb6319b3879294 【石榴の花】より

 今日は少し凌ぎやすいかと思っていましたら、とんでもありませんでした。山口県にも熱中症に気を付けましょうと、高温注意報が出ていました。わが旦那様はそれをものともせずに、ゴルフへ…元気のよいこと! ご苦労なことです。でも、しっかりと水分補給をして頑張って下さいねとは言いましたよ。私は久し振りに時間ができたので、整形外科へリハビリ体操へ。これも結構シンドイですが…。今日は「石榴の花」。この木も2年前丸裸になるぐらいに伐り詰めていましたので、去年は全く花が咲かずじまい。だから当然実もありませんでした。(笑) 毎年、少ないながらも〝ザクロ酒〟を作るのが楽しみだったのに…、とても残念でした。それが今年は少しですが、花を付けて、ウレシイ!そして、よく見ると上の方にたった一つですが、もう実が付いていました。

 石榴(ざくろ)は、ペルシャ・インド原産で、栽培の歴史はきわめて古く、ザクロ科ザクロ属の落葉小高木。幹には瘤(こぶ)が多くあって、分枝も多く刺(とげ)があります。葉はつやのある細い楕円形で対生。日本には平安時代ごろ渡来したらしい。6、7月頃筒状で多肉の萼(がく)をもつ、朱色または深紅の六弁花を枝先に咲かせ、秋には大きな球形の実が生る。実のならない八重咲きのものは花石榴といい、白・淡紅・朱・絞りなどの種類があります。盆栽などにする矮小種(わいしょうしゅ)の姫石榴というのもあるようです。スペイン語でザクロはグラナダといい、そのザクロが多く植えられていたことに由来するというグラナダ、そこにある有名なアルハンブラ宮殿も6月は石榴の花が咲き乱れるそうですよ。

   若者には若き死神花柘榴   中村草田男

 解説のいらない句だと思うのですが、石榴には、その花の色や熟して赤く裂けた実からくるのか、どことなく死とつながるようなところがあって、いろいろな人がそのような句を詠んでいます。以前にも書きましたが、草田男の代表作に〈万緑の中や吾子の歯生え初むる〉がありましたよね。この句の季語「万緑」は、初めて草田男が王安石の詩から引用したもので、それが多くの人の共感を呼び、その後季語として定着したものなんですが、その王安石の詩、「詠柘榴詩」(ざくろをよんだ詩という意味)の一節「万緑叢中紅一点」の「紅一点」というのが柘榴の花のことなんですよ。このようにどこかで何となく繋がっていたなどということに気が付いたりするのは、発見とまではいかなくてもとても面白いことだと思いませんか?エッ、一人で勝手に嬉しがったりして…バカみたい!


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498746854.html 【万緑(ばんりょく)】より

万緑やわが掌に釘の痕もなし 山口誓子 (ばんりょくや わがてに くぎの あともなし)

「万緑」とは見渡す限り樹木や草が生い茂っているさまを言う。

中村草田男が作った「夏の季語」である。

萬緑の中や吾子の歯生え初むる (ばんりょくの なかや あこのは はえそむる)

という句を作り、これが評判となり、夏の季語として定着した。

草田男のオリジナルというわけではなく、宋の詩人・王安石の詩の一節、

万緑叢中紅一点(ばんりょく そうちゅう こういってん)から取ったらしい。

「万緑叢中紅一点」とは、あたり一面、緑が生い茂っている中に、一つだけ赤い花が咲いている。という意味だが、この「紅一点」とは何だろう、と以前から思っていた。

先日、それは「ザクロの花」であることを知った。

この王安石の詩も「詠柘榴」…つまり「柘榴を詠ずる」という意味で、緑よりは「柘榴」が主役の詩である。

この詩は、万緑叢中紅一点 動人春色不須多と続き、人を動かすに春色多きを須いず。

となる。

通してみると、見渡す限り緑のくさむらの中に、ただ一輪、紅い柘榴の花が艶やかに咲いている。

人の心を動かす春の景色に多くのものは要らない。赤い一輪の花だけで充分だ。ということらしい。

なるほど…と思うが、「おや?」と思うことがある。

これは「春の詩」ではないか。日本では「万緑」も「柘榴の花」も「夏の季語」である。

中国では「柘榴の花」は春なのであろうか。

まあ、風土ということもあるから、そういうこともあるのだろう。(よく知らないが…)

草田男がこの詩が春であることを知りながら、「万緑」を「夏」として詠んだのは、「柘榴の花」が日本では「夏」だから…ということもあっただろう。

それにしても…ご存知の通り柘榴の花は小さい。

鮮烈な赤さがあるが、桜や梅のように枝にびっしり花をつけるわけでもない。

見渡す限り緑の中で咲く柘榴の花はほんの小さな「赤」でしかない。

王安石は見えるか見えないかのような小さな柘榴の赤い花を見つけ、春の到来を喜んでいる。「人の心を動かす春の景色に多くのものは要らない。」

桜のように満開の花でなくてもいい、と言っている。

このあたりが王安石の優れた詩心を証明しているようにも思える。

(誓子の句の鑑賞を忘れてしまった…。もう眠いのでこのへんで…。)


https://meiku.exblog.jp/5508168/ 【万緑やわが掌に釘の痕もなし   山口誓子】より

 季題は<万緑>で夏。山々が緑にけぶる季節、じっと見つめたわが掌は白くそしてやわらかく、キリストのように釘のあとなど……、あるべくもない。誓子はクリスチャンではないし、この句の聖痕についてあまり宗教的な意味を深く考えすぎない方がよいだろう。誓子にはまた、<釘うてる天主の手足露の花園>という句がある。これも題材としての磔像というべきだ。

山本健吉は、誓子の釘に関する句、

<昼寝の中しばしば釘を打ち込まる> <こほろぎの昼やずんずん釘をうつ>

をあげて、彼の神経のいらだちから成った作品だとする。たしかに掲句は否定要素の句ではあるが、季題の置き方などからむしろ現実肯定の趣さえ感取できよう。

万緑と掌の対比は大きな生命体の中での小さな自己存在の確認である。また万緑は真っ赤な血潮に通じる。万緑から聖痕に思い至る経緯はそうむずかしくない。<克巳>

 「万緑」は自然界の生命力が最も躍動し充実する季節を象徴した季題である。自然の一部としての自分の生命を凝視する心の動きは自然だ。自分が何をなし得たか、その力を量る時……それが肯定的であれ否定的であれ……人は自らの力の象徴として手を見る。

 掌に釘の痕がないということは、自分がキリストのごとく選ばれた存在でも、使命を負った存在でもないという認識にほかならない。何かに殉じて名誉の負傷をしたこともない。凡人の自己認識とは、たいていこうしたものである。<和子>

  昭和22年作。『青女』所収。


https://blog.goo.ne.jp/new-haiku-jin/e/53ace641513fca75b289adb09b25c74a 【萬緑やわが掌に釘の痕もなし 誓子】より

 昭和二十二年、作者四十七歳のときの句である。長年の病気療養から立ち直り、精神的に安定してきた時期である。万緑という生命力に満ちた自然界のなかで、ふと見つめた己の掌。その少しくたびれた掌は今日までの生活を物語っている。親とわかれて暮らした葛藤、宿痾の胸の病と闘い、また戦時の苦し時期を無事に乗り越えることのできたことで、思わず安堵の溜息がでたかも知れない。

 「掌に釘の痕」から、すぐ絵画や物語などにあるイエス・キリストの磔刑の様子が浮かぶが、誓子がどれだけキリスト教に関心があったかわからないが、キリストの磔刑を意識しての句であることは間違いないだろう。

 ただ誓子が直接的にキリストを題材にした句はないし、文にもほとんどお目にかからないが、磔刑を詠った句は散見する。

 誓子は幾度となく長崎を訪れる機があった。

 昭和二年の夏、会社の出張時の句に〈磔刑や泰山木は花終えんぬ〉〈釘うてる天守の手足露の花圃〉があり、また昭和十五年の正月、誓子が妻とともに長崎に遊んだときのこと、〈異教徒の外套玻璃に朱塗〉〈枯れし苑磔刑の釘錆流す〉〈寒暮来て階梯嶮しき聖歌楼〉などの句を載せている。

 もちろんこれらの句があるからといって、誓子とキリスト(聖書)を短絡的に結び付けることは短絡的過ぎるだろう。磔刑を題材にした以上に誓子とキリスト教の関連ほとんど感じられないのだ。

 つまり鑑賞句においても誓子にとって万緑こそ生命の源、精神の礎だったのだ。幸いにも裏切者や統治者からの仕打ちのなかった無事な生活にほっとしていることが、「掌に釘の痕もなし」なのである。

 因みに、〈五月病むキリストのごと血の気失せ〉があるが、これとて己の病弱さをキリストに擬えただけだ。やはり誓子の精神的な拠り所は宗教などでなく俳句以外になかった。句作し発表することが生きているなによりの証であり心の安らぎであったのだろう。

  俳誌『鴎座』2018年9月号より転載

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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