そよぐ風

母なる大地にそよぐ風。風はルン、神の息、聖霊ともいわれます。風が肉体に入って 命をいただく。新しい風を寿ぎ希望を受け取り 豊かに育まれる私たち。

風は気、気運とも呼ばれます。私が出会った天地気運は 天軍の歌を歌い 自らの意志を語ります。

私は 創造主の波動は 創造主がスピン(全ては自転・公転。光は波動であるとともに回転する粒子)で謳い交わすことで 生まれると(内なる声から)聞いています。

創造主の波動は 原子さえも動かすほど 超微細だということです。


https://ameblo.jp/azisai888/entry-12461742747.html 【数霊・言霊の話1( 火と水、左と右の話)】

http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/kazunomeisou.html 【数の瞑想】


http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/cat_1231498.html?p=2 【五島列島・野崎島の王位石】より

(前略)

富士山は世界の中心か?-10 369真法陣-3 平均値と日月神示

「369真法陣」を「Excel」で表にすることによって、理解が高まった。

今や「Excel」は世界標準の「表計算ソフト」で、僕も仕事で長く使っている。

経理事務や日報、請求書作成など全て「Excel」でやっている。

「369真法陣」に興味を持ちだして、その表を見ているだけでは分かり辛いので、「Excel」」で表にしてみた。

数字だけなので、入力は簡単だし、罫線を入れたり、セルを着色したり、文字を着色して強調してみたりと、装飾も自在にこなせる。

何より便利なのが、指定したセルの範囲の合計数、データ個数、平均値が、票の右下に表示されることだ。

いちいち計算しなくても、即座に確認できる。

02-21-1

「369真法陣」は、「9×9=81」の81枡に、1~81までの数値を法則にのっとて配置すると、「立・横・斜の合計数が全て369」になる。(すでに「富士山は世界の中心か?-7 369真法陣-1」、「富士山は世界の中心か?-8 369真法陣-2 陰陽」で考察して来た)

「369」という数値は神秘的で、宇宙真理を掴む鍵ともされているし「ミロク・弥勒」にも繋がり、理想世界としての「ミロクの世」の到来を暗示しているとさえされているようだ。

「立・横・斜の合計数が全て369」の確認も「Excel」369と簡単に確認できる。

また、81枡の総合計の計算も簡単にできる。

総合計は3321で、データの個数は81。

平均値は「3321÷81=41」となり、この41は、「369真法陣」の中心数でもある。

平均値がその中央に示されている意味は大きいと思う。

また、「369÷9=41」となる。

また「369真法陣」は、9枡ごとの9ブロックに分けることが出来る。

各ブロックの平均値も、ブロックごとの中心に現れる。

例えば下段の中央の1のブロックの場合は37となる。

興味深いのは、この各ブロックの中央に現れた数値は「37→38→39→40→41→42→43→44→45」となる。

この各数値を一桁の数値にする(4+3=7のように)すると「1→2→3→4→5→6→7→8→9」となる。

さらにブロックごとの合計数を「立・横・斜」で合計出すと、全て1107となり、データ数は27なので、その平均値は全て「1107÷27=41」となり、ここでも41が現れる。

02-21-3

「369真法陣」の各枡の数値を一桁にすると、上の表のようになる。

この表の「立・横・斜の合計数が全て45」で平均値は「45÷9=5」で、5になる。

「369真法陣」の中心の数値は41で、これも一桁になすると5。

「369真法陣」の中心の数値は、「5・イ・五」に帰結する。

「Excel」で表を作りながら、何と無く気になって「魔法陣」に付いて調べたら、色々ある事が分かった。

魔方陣(まほうじん、英:magic square)とは、n×n 個の正方形の方陣に数字を配置し、縦・横・対角線のいずれの列についても、その列の数字の合計が同じになるもののことである。特に1から方陣のマスの総数 n2 までの数字を1つずつ過不足なく使ったものを言う。

このときの一列の和は

「02-21-4

と計算できる。

魔方陣の歴史は古く、中国では紀元前190年前には存在していた。魔法や神話的な意味を獲得し、芸術作品の象徴として様々な場所で用いられてきた。 現代では縦・横・対角線以外の形状の和や、数字の積などの単なる和以外の演算などにも一般化されている。

(ウイキペディアの「魔法陣」よりコピー)

「3×3魔法陣」、「4×4魔法陣」、「5×5魔法陣」、「6×6魔法陣」、「9×9魔法陣」があり、さらにい大きな「魔法陣」もあるようだ。

今まで使って来た「369真法陣」は、「9×9魔法陣」である。

数値的にピッタリなので、これ以外の配列はないと思っていたが、いろんな配列も成り立つらしい。

興味深いのでいくつかを「Excel」で表にしてみた。

02-21-5

中国の「程大位」が考えた「369真法陣」。(ウイキペディアの「魔法陣」を参考に作図)

各枡を一桁にして見ると、

02-21-6

このようになり、各ブロックの数値パターンは全て一緒で、その中心は全て5で、その平均値も5。

02-21-7

この「369真法陣」の各数値を一桁にして見ると、(ウイキペディアの「魔法陣」を参考に作図)

02-21-8

数値の配列はかなり違うが、平均値は5で、配列も面白い。

どのパターンの「369真法陣」であっても中心の数値は5でり、平均値も41になる。

そして一桁にすると5。

「カタカムナ」の41番目の音・文字は「ヲ」でその思念は「奥に出現する」。

まさに一番中心の深奥に鎮座しているのが、不動の「41・ヲ」。

「ヲ」の「ヲシテ文字」は、

ヲ-2

で、四角を45°ずらせて重ね、中心に「点」。

「点」の無い、

この「オシテ文字」も使われている。

これは、

丸チョン

イメージとして知っていた「丸チョン」も同じか?

「岡本天明」の「日月神示」に登場するようだけど、「丸チョン」に付いて何も知らないので、ちょこっと調べてみた。

先ずこのような記事を見つけた。

日月神示の原文において「神」を表す記号として、Θ(マルの中にチョン)と表記されることが多く見受けられます。

それでは何故「Θ」が「神」であるのか?、そもそもこの「Θ」の初見は、日月神示より遥か以前にさかのぼります。

人間は誰しも神の分け御魂を持つのだから、身体(○)の中に神のキ(ゝ)が入っているのが本来のあるべき姿で、魂である神のキ(ゝ)が曇って光を失うと、(○)だけになります。

太陽系で言えば、太陽が中心の(ゝ)にあたり、その周囲を廻る惑星が(○)になり、原子で言えば、原子核が(ゝ)、電子が(○)になります。

マクロの世界からミクロの世界まで、この世はどこを切り取っても、中心があり周りがあり、これが完全なる弥栄の形であり、神の形だと言えるのです。

(「hifumi1810さんのブログ」の「日月神示の記号Θ(マルチョン)の意味とは?」よりコピー)

「日月神示」も気になるので調べてみた。

「五十黙示録 至恩之巻」

・第16帖・・・946帖

太陽は十の星を従したがえるぞ、原子も同様であるぞ

物質が変わるのであるぞ

人民の学問や智では分からん事であるから早く改心第一ぞ

二二と申すのは天照大神殿の十種とくさの神宝に

「・」を入れる事であるぞ

これが一厘の仕組み、二二となるであろう

これが富士の仕組み

七から八から鳴り鳴りて十となる仕組み

なりなりあまるナルトの仕組みtyphoon

富士不二と鳴門成答の仕組み愈々ぞ

これが分かったならばどんな臣民でも腰を抜かすぞ

一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが

それでは終わりは全まっとう出来ん九分九厘でリンドマリぞ

神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな

卍ぶつも十キリストもすっかり助けると申してあろうがな

助かるには助かるだけの用意が必要ぞ

用意はよいか

このこと大切ごと大切事気付けておくぞ

なりなりなって十とひらき、二十二となるぞ

富士普字晴れるぞ、大真理世に出るぞ

新しき太陽が生まれるのであるぞ

・第15帖・・・945帖

神の申すことは一分一厘違わんのであるぞ

今度言う事を聞かねば大変な気の毒となるぞ

地(智)の下になって了うのであるぞ

12345678の世界が

12345678910の世となりて

012345678910の世となるのじゃ

012345678910がマコトと申してあろうがな

裏表で二十二じゃ、二二の五じゃ

二二ふじは晴れたり日本晴れぞ、分かったか

(「日月神示全文 至恩之巻」よりコピー)

この「日月神示」の全文データは、後ろから順番に表示しているので、前からもう一度読んでみる。

・第01帖・・・931帖

岩戸言答開きと申してあるが天は天の、地は地の

人民は人民の、動植物は動植物の

それぞれの岩戸を開くのであるから

その立場立場によって違うところがあるぞ

それを自分の物差ものさしで計って

岩戸開きとはこんなものぞと定めていると

いよいよ分からない時代となって来るぞ

気を付けておくぞ

・第02帖・・・932帖

フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ

神示では012345678910と示し

その裏に109876543210があるぞ

〇九十まことの誠であるぞ

合わせて二十二、富士普字、不二であるぞ

神示ふでの始めに示してあろう

二二富士は晴れたり日本晴れぞ

この数値を表にすると、

02-21-9

この数列の合計は110、出た個数は22、平均値は5。

・第03帖・・・933帖

分かるように説いて聞かせるから今までの智知識を一先ず捨てて

生まれ赤児となって聞いて下されよ

天之鈿女うずめの命が天照大神に奉った巻物には

12345678910と書いてあったのぞ

その時はそれで一応良かったのであるなれど

それは限られた時と所での事で永遠のものでは無いぞ

・第04帖・・・934帖

この時代には一二三四五六七八九十の数と言葉で

死者も甦よみがえる程の力があったのであるなれど

段々と曇りが出て来て

これだけでは役に立たない事になって来たのぞ

岩戸開きの鍵であったが

今度の岩戸ひらきには役に立たない様になったのであるぞ

始めに⦿がなくてはならない、⦿は神ぞ

・第05帖・・・935帖

人民の肉体も心も天地も

皆同じものから同じ想念によって生まれたのであるぞ

故に同じ型、同じ性をもっているぞ

そのかみの天津神はイザナギ、イザナミの神と現われまし

成り成りの成りの果てに

イザナギ、イザナミの命と成り給いて

先ず国土をつくり固めんと

オノコロの四音の島をならし

八尋殿やひろどのを見立てられたのであるぞ

これがこの世の元、人民の頭に

東西南北の四方があり、八方と拡がるであろうが

八十となり、八百、八千と次々に拡がって

八百万やおよろずとなりなるのであるぞ

・第06帖・・・936帖

四と八によってなされたのであるから

森羅万象の悉くがその気を受けているのであるぞ

原子の世界でもそうであろうが

これが今の行詰まりの原因であるぞ

八では足らん、十でなくてはならん

〇でなくてはならんぞ

岩戸開きの原因はこれで分かったであろうがな

・第07帖・・・937帖

根本の元の元の元の神は

〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのであるぞ

別天津神五柱と申してあろうがな

五が天であるぞ、五は数かずであるぞ

転じて十となるなれど

動き栄えるには+と-の神が現われねばならない

これが中を取り持つ二柱の神ぞ

・第08帖・・・938帖

ナギ、ナミ夫婦は八分通り国土を生み育てられたが

火の神を生み給いてナミの神は去りましたのであるぞ

物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ

心得なされよ

ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ

妻神に去られたナギの神は

一人でモノを生む事の無理である事を知り給い

妻神を訪れ給い、相談されたのであるなれど

話が途中からコジレて遂に別々に住み給う事となり

コトドを見立てられて千引きの岩戸を閉め

両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ

・第09帖・・・939帖

千引岩を閉とざすに際して

ナミの神は夫神の治しらす国の人民を

日に千ち人喰い殺すと申され

ナギの神は日に千五百ちいもの産屋を建てると

申されたのであるぞ

これが日本の国の、また地上の別名であるぞ

数をよく極めて下されば分かる事ぞ

天は二一六(216)

地は一四四(144)と申してあろうが(合計360)

その後ナギの神は御一人で神々をはじめ

いろいろなものを生み給うたのであるぞ

マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理

この道理をよくわきまえなされよ

ここに大きな神秘が隠されている

一神で生む限度は七乃至ないし八である

その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが

本来は十万十全まで拡がるべきものである

ある時期までは八方と九、十の二方に分かれて

それぞれに成長し弥栄して行くのであるぞ

・第10帖・・・940帖

国常立神も素戔嗚命も大国主命も

総て地智にゆかりある神々は皆

九光と十透の世界に居られて

時の来るのをお待ちになっていたのであるぞ

地は智の神が治しらすのぞと知らせてあろうが

天運正にめぐり来て千智引きの岩戸言答はひらかれて

これら地智にゆかりのある大神達が

現れなされたのであるぞ

これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ

・第11帖・・・941帖

いよいよ分からん事が

更に分からん事になるぞと申してあるが

ナギの命みことの治しらす国もナミの命の治しらす国も

双方からお互いに力が押し寄せて交じりに交じるから

いよいよ分からん事になるのであるぞ

・第12帖・・・942帖

分からんと申すのは一面しか見えぬ事であるぞ

双方を見る目に、早く改心致してくれよ

この白黒まだらな時は長くは続かん

最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ

死んでからまた甦よみがえられる様に死んで下されよ

マコトを心に刻み付けて居って下されよ

・第13帖・・・943帖

死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ

神々様も

森羅万象の悉ことごとくが同様であるぞ

しばらくの生みの苦しみ

八の世界から十の世界になるのであるから

今までの八方的な考え方

八方的な想念や肉体では

生きては行かれんのであるぞ

十方的想念と肉体でなくてはならんぞ

・第14帖・・・944帖

八方的地上から十方的地上となるのであるから

総ての位置が転ずるのであるから

物質も念も総てが変わるのであるぞ

これが元の元の元の大神の御神業ぞ

今までは時が来なかったから

知らせること出来ん事であったなれど

いよいよが来たので皆に知らせるのであるぞ

百年も前からそら洗濯じゃ

掃除じゃと申してあったが、今日の為であるぞ

岩戸開きの為めであるぞ

今までの岩戸ひらきと同様で無い

末代に一度の大岩戸言答ひらきじゃ

僕が「富士山は世界の中心か?」のシリーズで探っていたことの多くがここに書かれていたので、長くなったが全文コピーした。

僕は構想を練ってから書くというのではなく、閃きと発想から書き始め、行き詰まると調べ、ない頭であれやこれやと思いを巡らすのが常。

それ故にまとまりがないかもしれないが、書いている本人は面白くてたまらない。

「岡本天明」の「日月神示の至恩之巻」には、先に書いた「富士山は世界の中心か?-9 イサナギ・イサナミ-1」で書いたことをより発展させてくれたように思う。

八咫鏡の目・陰陽

「細川秀人」さんデザインの「ヤタノカカミ・八咫鏡」に数値を入れたこの図が、

フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ

神示では012345678910と示し

その裏に109876543210があるぞ

〇九十まことの誠であるぞ

合わせて二十二、富士普字、不二であるぞ

神示ふでの始めに示してあろう

二二富士は晴れたり日本晴れぞ

を探る鍵となりそうだ。

7~7への「黄泉平坂」のラインを、取っ払うことが、「岩戸開き」に繋がるのかもしれない。

「岡本天明」も「中心としての五」を強調している。

「五→吾」へ!

「自我の中心に在る吾に気付くこと!」への示唆だろうか?

つづく

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カテゴリ:言霊・数霊カタカムナ

2021

2月

18

富士山は世界の中心か?-8 369真法陣-2 陰陽

このところ「369真法陣」にハマっている。(「富士山は世界の中心か?-7 369真法陣-1」参照)

「9×9=81」の81枡にに「1~81」の数字を当て嵌めると、縦・横・斜めの合計数が全て「369」になる配列がある。

入るべき数字の位置は、全てピッタリ決まっている。

その中心は「41」で、一桁の数字にすりと「4+1=5」で、この中心の「5」にも振り回されている。

意識を向けていると、いろんな情報が入ってきて、その意味が深まって行くのを感じている。

この「369真法陣」を単純化すると、

02-10-1

このような数字配列になる。(「富士山は世界の中心か?-7 369真法陣-1」参照)

1~9の数字の入るべき位置ははこれ以外にはない。

ところが、この数字の並びの意味が分からない。

カタカムナ研究家の「細川秀人」さんデザインの「ヤタノカガミ・八咫鏡」に、

369八咫鏡の目

先ず「1~9」までの数字を、右横を「1」とし、中央の丸に「5」を入れた数字順の図を作ってみた。(「富士山は世界の中心か?-7 369真法陣-1」よりコピー)

この「1~9」までの数字の並びだと「369真法陣」が示す順番と異なってしまう。

02-18-1

先の9枡の図を90°旋回して、「1」を右横に移した配列を作ってみた。

この配列を、

八咫鏡の目・陰陽

細川さんデザインの「ヤタノカガミ・八咫鏡」に当て嵌めてみると面白い結果が見えて来た。

並びの隣り合わせの数字の大きい方から小さい方を引くと、「1・5・7」

という数字が表れてきた。

「2と9」の間と「8と1」の間が「7」となり、「6と7」の間と「4と3」の間が「1」となる

その他の「4ヵ所」が「5」となった。

「5」が圧倒的に多く浮かびあがてくる。

「7」が対抗する部分には「赤のライン」が走っている。

このラインを「吉野信子」先生は「黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)」と呼んでいる。

「カタカムナ」の「七番目の文字」は「ワ」でその思念は「調和」。

また「7」は「ナ」でもあり、その思念は「核・重要なモノ」。

数字的に「1~4」を「陰・-」とし、「6~9」を「陽・+」とするなら、「黄泉平坂」のラインを境にして、「1陰・6陽・7陽・2陰」と進み、中央の「5」に進み、「9陽・4陰・3陰・8陽」と進み、再び中央の「5」に進んで「1」へと循環して行く形になる。

そして対角する数字を足すと、全て「10・十・ト」になる。

そして、「陰・-」と「陽・+」が対角している。

「ト」の思念は「統合」。

正に「陰・陽の統合」。

その対角の中央に「5・五・イ」が鎮座している。

「イ」の思念は「伝わるモノ」。

「1→6→7→2」と進み「5」に「転がり入り」、「転がり出て」「9→4→3→8」と進み、再び「5・10」に「転がり入り」、「転がり出て」、「1」へと循環して行く。

この循環は、「平面」ではなく「回転」し「球」となっているように思われる。それは「玉」であり「霊」でもあるようだ。

その中央にあるのが「5・五・イ」であり、正に「中心・真中」。

悩まし続けられてきた「5・五・イ」だけれど、少し糸口が見えてきたようだ。

「二コラ・テスラ」は、「あなたが3・6・9という数字のすばらしさを知れば、宇宙への鍵を手にすることになる。」と言っているようだ。(「ニコラ・テスラ。369が宇宙と世界のシークレットを解明する!」参照)

「二コラ・テスラ」の[369」に付いて、調べてみたが、今のところ「369真法陣」との関わりは見つかていないが、強く惹かれるものがある。

今回、我田引水的に導き出した「思念」の読みは、次回に・・・。

富士山は世界の中心か?-7 369真法陣-1

このところ「369魔法陣」にハマっている。

「吉野信子」先生の「カタカムナ学校」では、「佐藤敏夫」さんの「ヒフミ九九算表」や、「千々松健」さんの「フィボナッチ数列ヒフミ九九算表」に付いて習ったが、理解できていない。

「369真法陣」に出会ったのは最近だけど、何故かこれが面白い。

02-09-1

縦・横・斜めの数(黄色のライン)を全て足すと「369」になる。

「369」を語呂合わせ的に「ミロク」と呼んでいるようだ。

「カタカムナ」や「ヲシテ文献」に出てくる数詞は、

「ヒ・フ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ・ヤ・コ・ト」で、この数詞に従って読めば「ミ・ム・コ」になるので「ミロク」とは読めない。

「いち・に・さん・し・ご・ろく・しち(なな)・はち・く・じゅう」と通常よく使う数詞と合わせると何と無く「ミロク」になり「弥勒」とイメージ的に重ねているように思う。

この「369真法陣」にハマった理由に付いては「富士山は世界の中心か?-5 「イ・5」は中心-1」と「富士山は世界の中心か?-6 「イ・5」は中心-2方位」にも書いたが、その中心に「5・五・イ」が有るからだ。

「369真法陣」は「9×9=81」の「81升」で構成されていて、各々の枡に1~81の数値を縦・横・斜めの数値の合計が「369」になるように配置している。

各々の枡に入る数値は決まっている。

またこの81升は「九ブロック」に分けることが出来る。

02-14-1

この表をExcelで作り、分かり易いように「九ブロック」を色分けしてみた。

各々のブロックには、一桁の1~9の数値が入り、各々の「10倍数」が入っている。

ところが「九のブロック」には、その「10倍数」の90は入っていない。

81が最大数なので当然であるが、「九のブロック」だけが「九九表」になっている。

「9・九・コ」は、特別な数字であるようだ。

面白いのは、各々のブロックの真中の数字は、そのブロックの平均値になっている。(Excelで表を作ると、指定範囲から、合計数、平均値が即座に分かる。)

     合計数 平均値

1のブロック→333→37→10→1

2のブロック→342→38→11→2

3のブロック→351→39→12→3

4のブロック→360→40  →4

5のブロック→369→41  →5

6のブロック→378 →42  →6

7のブロック→387→43  →7

8のブロック→396→44  →8

9のブロック→405→45  →9

また各ブロックの合計数を一桁にすると全てが「9・九・コ」になる。

この整合性は、極めて興味深く面白い。

02-09-2

全ての枡が、そのブロックの一桁の基本数になる。

つまり「5・五・イ」を中心にして左回りに「1・6・7・2・9・4・3・8」が取り囲むことになる。

これを簡略化すると、

02-10-1

このような「方陣」になる。

また各々のブロックの縦・横・斜めの合計数は、いずれも同じで、

02-14-2

各々のブロックの上段に入れた数字となり、その数字の合計を足して一桁にすると「3・6・9」のいずれかの数値になる。

その縦・横の並びには「3・6・9」いずれかの数値が入り「369」を表す。

左上から右下への斜めのラインは「369」となるが、右上から左下へのラインは「666」になる。

ただ「三つの6・六」なので「ミロク」には違いがないが、この「666」が表す意味に付いては、まだ読み解けていない。

先ほどの「方陣」を、「ヤタノカカミ・八咫鏡」の「円陣」な当てはめると、

369・八咫鏡

このような配列になる。

各々の対角線の数値を足し合わせると「1+9=10」のように全て「10・十・ト」になる。

この配列に随分悩まされている。

「ヤタノカカミ・八咫鏡」の中心は「十文字」で、「10・十・ト」を示唆しているようでもあるが・・・。

八咫鏡・数霊

通常は「1~8」で、中心の数値は示されていない。

八咫鏡9

このような配列も出来、対角線の数値を足すと「1+8=9」となり「9・九・コ」になる。

これは「ヒフミ九九算表」と同じ考えで「9=0」で「0は零・霊」と捉えているようでもある。

「カタカムナ」や「オシテ文献」に「0は零・霊」の概念が出てくるのかどうか、未だ確かめていない。

02-10-1

「1~9の方陣」

再度この「方陣」を見つめていて、カタカムナ研究家の「細川秀人」さん(通称シュートさん)デザインの「ヤタノカカミ・八咫鏡」を思い出し、

八咫鏡の目

この「八咫鏡の目」は、「ユニクロ」の「Tシャツ・コンテスト」のためにデザインされたもので、販売もされた。(僕も数種類買った)

カタカムナ研究家で「カタカムナ学校」の校長である「吉野信子」先生は、このヤタノカカミ・八咫鏡図」を、非常に重要視している。

「カタカムナ学校」でも何度も教わったが、よく理解できなかった。

(僕は、習ったことをそのまま信じられない難儀なたちで、面白いと思っても、自分なりの解釈が成り立たないとだめで、それさえも疑ってしまう場合も度々で、それ故、これだけ色々ブログに書いていても、なかなか纏め切れない。)

シュートさんの許可を得て、このデザインに数字を入れてみた。

369八咫鏡の目

真中に「5・五・イ」を入れることによって、1~9までの数字が揃い循環する。

吉野先生は、赤のラインを事象の境界面「黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)」と呼んでいる。

1・2・3・4と進み5の中心に入り、6・7・8.9と進み、9~5あるいは10に入り、1に戻るという循環。

1~4までが「潜象世界」であり、6~9を「現象世界」と僕なりに解釈してみた。

5は中間領域で「中心」。

「カタカムナ5首」、「ヒフミヨイマワリテメクルムナヤコト」とあるように、「5・五・イ」を中心に回るのではなかろうか。

「カタカムナ2首」には、「ヤタノカカミカタカムナカミ」と短く記され、「ヤタノカカミ・八咫鏡」こそ「カタカムナの神」としている。

「5種」は「アウノスヘシレカタチサキ」とつづく。

「アウ」の思念読み「ア・生命」、「ウ・生れ出る」で「命の生まれ出る、術(スベ)を知れ(シレ)、それは形(カタチ)が先(サキ)なのだ」と勝手解釈してみた。

「見えない潜象世界」は「見える世界の現象世界の形」で示されているということであろうか?

我々人間は、一足飛びに「潜象世界」を感じ、知ることは出来ない。

先ず「形ある現象世界」をよく観察し感じることから始め、その奥に在る真実である「潜象世界」に迫るより方法はない。

「潜象世界」は見えないので、人によってその解釈は様々で、混乱が生じてくるのが現状だろう。

「5・五・イ」が中心あるということは、「五」に言葉を発する「口」を上下に並べれば「吾(ワレ)」という漢字になる。

「吾こそを中心に置け」と言うことではなかろうか?

「釈迦」は生まれてすぐに三歩歩んで「天上天下唯我独尊」と言ったという。

これは傲慢ではなく「吾こそが中心と捉えよ!」との思いではなかろうか?

「富士山は世界の中心か?-6 「イ・5」は中心-2方位」でも書いたが、

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「ヲシテ文献」で方位を表す「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」の中心は「ヲ」で「ハニ・土」を表す。

「369真法陣」の中心の「41」は、「カタカムナ」では「ヲ」に当たる・。

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「五行」の「木・火・土・金・水」の中心は「土」。

「ハニ・土」を「地球」と解釈する、「地球こそ中心」、「國魂こそ中心」になる。

「北極星」を天の中心としているのは「地球の回転軸」であり、「太陽の登る方向を決めている」のも「地球の自転軸」である。

「公転面」に対して「自転軸」が傾いている故に、四季がある。

まず足元の「地球」をよく観察し感じることが「術(スベ)」である。

最も見えにくいのが、「地球の内部」なのだ。

僕が、磐座や地形に注目するのも、この形を探していることに繋がっている。

「レイライン」も形として示しているし、生きている樹木もその樹形などで、「その場の意思を形で示している」ように思う。

「岡本天明」が「ひふみ神示」で、

極め之巻~第6帖     

和すには5と5でなくてはならんが、

陽が中、陰が外であるぞ、

天が主で地が従ぞ、

男が上、女が下、これが正しき和ぞ、

逆さかさまならん、

これが公平と申すものじゃ、

陰と陰と、陽と陽と和しても陰じゃ、

陽と陰と和して始めて新しき陽が生れる、

陽が本質的なもの、この和し方が祓はらい清きよめ。

極め之巻~第8帖     

元は5で固めたのじゃ、

天のあり方、天なる父は5であるぞ。

それを中心として、ものが栄えゆく仕組み、

それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰まって世界の『難なん渋じゅう』であるぞ。

手や足はなぜに5本であるか、

誰にもわかるまいがな。

極め之巻~第9帖     

天の5を地に移すと地の五則となるのじゃ、

天の大神は指を折りてかぞえ給うたのであるぞ、

天の大神の指も五本であるから、

それを五度折りて二十五有法となされ、

五十を元もととされたのじゃ、

神々、神心、神理、神気、神境であるぞ、

この交叉弥栄いやさかは限りなし、

これを五鎮と申すのであるぞ。

上天、下地、照日、輝月、光星、これを五極と申すぞ。

東木、南火、中土、西金、北水、これを五行と申す。

裸物、毛物、羽物、鱗物、甲物を五生と申し、

文則、武則、楽則、稼則、用則を五法と申すのじゃが、

それだけでは足りない、

その中に◯があるのじゃ、

大神がましますのじゃ、

人民の頭では中々に理解できんなれど、

理解して下されよ。

これが妙であるぞ、

奇であるぞ、

天の父の教えであり、地にうつした姿であるぞ。

(「極め之巻」よりコピー)

と記して「5・五・イ」を重要視していたようだ。

つづく

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カテゴリ:言霊・数霊カタカムナ

2021

2月

13

金鳥山の磐座に南中の太陽が!!

2021年2月12日、七名で「カタカムナの大聖地金鳥山」に登った。

大分県からやってきた「猿田彦」さんこと「横山航宣」を「金鳥山」に案内してほしいと、「サラシャンティ」の「清水正博」さんに頼まれたからだった。

集まったのは、七名。

今年1月11日に「第二回 111 金鳥山 カタカムナ祭」を開催し、かなりボウボウに生えてしまった笹を刈り、周辺の整備をした。

「保久良梅林」で「十字架の樹」に出会い、「保久良神社・磐座群」を案内し、「金鳥山」山頂に着いたのは、11時45分頃だった。

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1月11日に周辺整備をしたので、「狐塚」と呼ばれているこの磐座も、スッキリ。

「金鳥山の磐座群」出会う度に大きく感じ、その存在感を増している。

同行の「瑠璃」さんも同じ感覚。

常識的には石が大きく成るはずはないけれど、やはり大きく成ったように感じる?

以前から、この磐座に「南中する太陽が入る」と思っていたが、当日はその確認が出来る。

子午線のある明石から少し東側の「金鳥山」では、南中するのは12時より少し早いだろうと思うが、12時を待つ。

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12時きっかりに、真南を向いて撮影。

「南中する太陽光」が、磐座に差し込んでいるのがよく分かる。

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南側の石と、南北に繋がっている。

この南側の石を見つけたのは、2018年3月3日だった。

完全に笹に埋まっていたが、頭だけほんの少し見えていた。

すぐ傍に在る「狐塚」には全く気づかなかった。

それほどボウボウに笹が茂っていた。

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これがその最初に見つけた、南側の石。

陵角上に切れ込みがあり、少し水が溜まる。

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同じ石を、横から。

「狐塚」と思しき磐座の一番大きな石を見ていて、

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「十字字」があると叫んでしまった。

ハッキリとした横筋に、幾本かの縦のライン。

石は丸っこいので、

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「ヤタノカカミ・八咫鏡」を思わせる。

「六甲山」の殆どは「火成岩の花崗岩」だけど、「保久良神社」から「金鳥山」にかけては「堆積岩の泥岩」で、より古い石質。

その石質故の模様でもある。

すると横から、「ハート型が有る!」と。

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十字の交点の右上に、何と無く「ハート型」。

他にもないだろうか?と「ハート型」探しが始まる。

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この石には、かなりはっきりした「ハート型」の窪み。

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ここにも何と無く「ハート型」。

「宗像三女神!」の声も。

「瑠璃」さんが、「吉野信子先生、喜ぶよ!!」と。

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天端に窪みのある「三角石」と「狐塚」。

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「狐塚」を南側から見る。

皆で「きみがよ」と「カタカムナ5・6・7首」を歌い、「ミトロカヘシの沼」に向かう。

1月11日に行った時より、踏み跡がハッキリしている。

2019年10月10日に初めて行った時は、猛烈な笹ジャングルで難儀したのだが・・・。

笹に泥が付いているので、この踏み跡を、猪も通るらしい。

「ミトロカヘシの沼」は、猪にとっての「蒐場(ヌタバ)」。

「ミトロカヘシの沼」は、人口の土手によって出来ている「ダム」であることを、2020年3月3日、周辺整備をして確認した。

今はほんの少ししか水は溜まっていない。

「ダム」の上から水溜まりを見ると、

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「ン・・・??」

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綺麗な「ハート型」の水溜まり。

偶然にしては出来過ぎ!!

これも「この地の意思表示」、「何らかの暗示」!!

「金鳥山」山頂に在る「狐塚」と思しき磐座を振り返ってみよう。

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発見した2019年2月22日、石組の中央部はほとんど土に埋まっていた。

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2019年5月5日、第一回目の周辺整備をし、埋まっていた石を掘り出したが、ドロドロだった。

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2019年11月1日、「111 金鳥山 カタカムナ祭」で再度整備。

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2021年2月12日、やっぱり存在感が増している。

雨風に洗われて、美しくもなっているし、陽の光を受けて元気になっているようにも思う。

決して大きくはないけれど、これからますます楽しみな磐座。

保久良梅林の十字架の樹

2017年2月12日、山口県周南市に在る通称「望海山」に登った。

「上森三郎」さんは「望海山」が「空海の本当の墓」だというので、四名で探索に行ったのだった。

山頂付近で、薮に埋もれた岩を見つけて、その岩を掘り出し、掃除をした。

上森さんはその場所が「空海の本当の墓」だと言うが、僕にはよく分からない。

しかし独特な雰囲気の場所であると、僕も何と無く感じていた。

一通り掃除を終えて振り返ると、面白い樹木が生えていた。

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まるで巨人のようでもあり、大きな蟹の詰めのような手の「バルタン星人」のようでもあった。

何より凄いのは、幹から出た枝が「十字架」そのもの!

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幹のほぼ同じ場所から、左右に枝が水平に伸びている。

僕は造園家でもあり、沢山の樹木を扱ってきたが、こんな樹形を見たのは初めてだった。

「空海の本当の墓」に相応し形だと思って、感動した。

当日、Facebookにもこの写真をアップしていたので、「Facebookの思いで機能」で2月12日に表示され、シェアした。

そしてその当日2021年2月12日、案内を頼まれて「金鳥山」に登ることに成っていた。

「金鳥山」は「カタカムナ」にとって大聖地でるので、大分県からやってっ来た「猿田彦」さんこと「横山航宣」さんを「金鳥山」に案内してほしいと「サラシャンティ」の清水さんに頼まれていたのだ。

横山さんも「カタカムナ」に取り組んでいるからだ。

先の「Facebookの思いで機能」から、「金鳥山」の登り口である「保久良梅林」にもよく似た「十字架の樹」が在るというのを思い出した。

何度も「保久良神社」から「金鳥山」に登っているのに、僕はまだその「十字架の樹」に出会っていなかった。

9時半に阪急岡本駅で待ち合わせをした。

横山さん、清水さん、「瑠璃」さん、そしてあと三名の女性も来ていたので、僕を含めて七名だった。

「瑠璃」さんはその「保久良梅林の十字架の樹」を知っていたので、案内してもらった。

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正に「十字架の樹」で「望海山の十字架の樹」よりも大きい。

樹種は「モチノキ」であることはすぐに分かった。

「望海山の十字架の樹」も「モチノキ」の可能性が高いのだが、ハッキリと確認は出来ていない。

横に在る小振りの三角の石が気になる。

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明らかに何らかの意図をもって据えられているように思う。

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階段脇には、このような石の配列も。

石そのものは、この「十字架の樹」より古くからあるかも知れないが、周辺は梅林として整備されているので、「保久良神社の磐座」と同様の古さかどうかは分からない。

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樹冠はかなり大きいい。

幹の瘤状の部分は、そこに在った枝が伐採された痕跡。

瘤が「十字架」の交点辺りにいくつかあるので、元々はぐるりに枝が幾本か生え、伸びていたと推察できる。

したがって、それらの枝が切られるまでは「十字架」という形にはなっていなかったはず。

「望海山」の「十字架の樹」にはそのような痕跡がなかったので、自然のままで「十字架」になっていたのだと思う。

自然、人工に関わらず、この場所に「十字架の樹」が生えていることは、何らかの「この地の意思表示」のように思える。

「カタカムナの中心図象」の一つ、

八咫鏡

「ヤタノカカミ・八咫鏡」と、

フトマニ

「フトマニ」には、中心に「十字架」がある。

通常「丸・十」などと呼ばれている。

「金鳥山」は、「楢崎皐月」が「平十字」にから、「カタカムナ神社」の「御神体とされる巻物」を見せられた場所であり、この場所から「カタカムナ」が始まっている。

未だに「カタカムナ神社」はどこに在るか分からないし、「御神体とされる巻物」も見つかっていない。

「楢崎皐月」が書写した「カタカムナ80首」が唯一の「カタカムナ文献」なのだ。

したがって、謎も多い。

謎を払拭して行く方法として、僕は「何らかの暗示」を探している。

「磐座」や「地形」が「何らかの暗示」を示していることが多い。

これは、「超古代からの暗示」。

「植物による暗示」も最近見つけるように成って来た。

特に「樹種」、「樹形」、「合体木」など。

「樹形」では「板根」が多いが、「異形」のものもよく見かける。

樹木が表す何物かは、磐座や地形に比して、歴史が極めて浅い。

古くても千年、多くは百年以下。

樹木は生き物であり、一旦根を下ろすと、通常はその場から動くことはなく、その場で成長を続ける。。

「その場の氣」を最も受けている存在であり、その場に秘められた「何ものかを暗示」している可能性が高いと感じ、考えている。

「十字架の樹」もその「異形」一種だが、未だ二例しか出会っていない。

「カタカムナの聖地」である「金鳥山」の中腹にこの樹が生えている意味は大きい。

「保久良神社」の境内には、「鹿子の木」が生え、「板根」の巨樹が多い。

「幹が空洞化した樹」も多い。

これ等の樹木は、いずれも「金鳥山とカタカムナ」を何らかの形で示しているような気がしている。

やっと出会った「十字架の樹」から、妄想が膨らむ。

正に「この地の意思表示」!!

そして実に面白い!!

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カテゴリ:カタカムナ巨樹探訪

2021

2月

10

富士山は世界の中心か?-6 「イ・5」は中心-2方位

「富士山は世界の中心か?-5 「イ・5」は中心-1」で、Excelで書いた「369真法陣」を示した。

02-09-1

その中心は「41」で、「カタカムナ」では「ヲ」に当たる。

「ヲ」の「オシテ文字」は、

ヲ-2

このように書き、正に「八方の中心」を表している。

これは「カタカムナの中心図象」の「ヤタノカカミ・八咫鏡」と「フトマニ」にも通ずる。

八咫鏡

「ヤタノカカミ・八咫鏡」

フトマニ

「フトマニ」

この二つの図象を重ねた図形にも通じるように思う。

二重基本形

「輪注連縄」から発想を飛ばした「二重基本図形」。

また「ヲ」の「カタカムナの思念」は「奥に出現する」と解釈する。

「水谷哲郎」さんの「フトマニカード」(「瑠璃」さん絵)の解説によると、「ヲ」を、

母音 ハニ(土)

子音 凝縮しおわる

ハニが凝縮し、奥へ収める波動

と解説していた。

これも「369真法陣」の「41」の位置と符合する。

この「ヲ」から思い出したのが、「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」。

「ヲシテ」で「方位」を表す。

詳しくは知らないので調べてみると、

一日の太陽の巡りで、正午に天中にある方角が南です。

南の語源は、身にナミうけるミナミ。

南が前上なら左手側は東です。

東の語源は、日が昇るカシラはヒガシ。

そして右手側は真っ赤に沈む夕日、煮え沈むニシです。

ニとは、丹生(水銀)、赤を象徴した表しです。

さらに、沈んだ太陽は後ろの正面、、気を溜めるキタとなります。

すると、中央が現れます!

この中央は自分の立ち位置でもあり、また宇宙の中心でもあります。

また、政庁のミハシラを宇宙の中心に見立てたヤヒロのトノは、

クニの中心として、宇宙の法則に則って

社会をオノコロ(自ずと安定する)に治める意があります。

宇宙をタカマハラと表し、政庁をそれに準えてタカマと呼んでいました。

東西中央南北の別の呼び名がキ・ツ・ヲ・サ・ネです。

キは、きざす(兆す・萌す)東、季節は春を象徴しています。

白々と夜が明ける、また春は新芽が山を白く染めていきます。

東・春・白・左・男性的エネルギーでもあります。

ツは、燃え尽きる(夕日・紅葉)西、季節は秋を象徴しています。

赤い夕日、紅葉も赤、また収穫の季節、実を結びます。

西・秋・赤・右・女性的エネルギーでもあります。

ヲは中央。

四方(東西南北)、ヨモとナカなりです。

サは、サにさかえ(栄え)の南、季節は夏を象徴しています。

生い茂るアオバ、日照時間が長く、恵みの雨、サミダレ(五月雨・梅雨)の季節です。

南・夏・青です。

ネは、根っこのネ、黄ばみ落ちる落ち葉の季節、冬を象徴しています。

根を構築する季節、また、夜は寝るゆえキタはネです。

北・冬・黄です。

(「喜びの種」の「キツヲサネ(東・西・中央・南・北)」よりコピー)

分かり易く解説されていて有難い。

各方位の色も示しているので、これもExcelで書いて見た。

「ヲシテ文献」では「南」を上にするので、それに従った。

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先ず「369真法陣」の9ブロックを集約した数字の表で、中央が「5」。

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「方位」を表す「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」を当て嵌める位置にそれぞれを収めると、中央に「ヲ」。

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「東西南北の方位」を当てはめる。

「五行」の「木・火・土・金・水」も方位を表す。

「五行」の場合は、北を上にし、色の表示も違うので、それに従った。

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「369真法陣」の9ブロックも上下逆にして「1」を上にした。

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「木・火・土・金・水」の方位配置。

「五行」でも「土」は中央。

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「北」を上にした通常みる「方位配置」。

「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」でも「木・火・土・金・水」でも、中央は「土・ハニ」。

「ヲシテ文字」の「ア・イ・ウ・エ・オ」の母音は、「ア」は「ウツホ」、「イ」は「カセ」、「ウ」は「ホ」、「エ」は「ミツ」、「オ」は「ハニ」を表す。

この意味は、仏教の「五大」に等しい。

「五大」は下から「地・水・火・風・空」とし、それを形で表したのが「五輪塔」。

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「五輪塔の構造」

「地・水・火・風・空」を表す梵字が彫られていることが多く、下から「キャ・カ・バ・ラ・ア」と読む。

それぞれの音を引っ張って読むと、全て「アー」になり、「アの母音」で構成されているのが面白いが、その意味までは分からない。

「五輪塔」で強調したいのは、「地」が「基礎」になっていること。

それは「中央」に等しいのではないかと考えられる。

母音「ア・イ・ウ・エ・オ」の「オ」は「5番目」に位置している。

「ア・オ・ウ・エ・イ」の母音表記も知っているが、「ヲシテ」では「ア・イ・ウ・エ・オ」の順序表記されている。

「五十音図」の「ワ行」を「半母音」というようだが、その「5番目」が「ヲ」で、「369真法陣」の中央に現れる「音」で、「41→5」とういう数字。

「方位」やいろんな文化からアプローチして見ても、「イ・5」は、「中心」になるようだ。

まだまだ、妄想は広がりそうだ。

つづく

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カテゴリ:ホツマツタヱカタカムナ

2021

2月

9

富士山は世界の中心か?-5 「イ・5」は中心-1

随分前から「伊豆」は「いず」ではなく「イヅ・イツ」ではないかと思っていた。

過去ブログを検索して見ると、2016年10月6日すでにそのようなことを描いていた。(「西宮の甲山と神呪寺のレイライン-1 眞名井神社と丹生都比売神社」参照)

「瀬織津姫」には「撞賢木厳之御魂天疎向津媛(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ)」という長い名前があり「厳之御魂」に「イツ」が入っている。

「古事記」には「伊豆能賣(イズノメ)」という神が登場する。

神産みにおいて伊邪那岐命が黄泉から帰って来た際、黄泉の穢れから禍津日神二柱(大禍津日神、八十禍津日神)が生まれた。その禍津日神がもたらす禍(災厄)を直すために、直毘神二柱(神直毘神、大直毘神)と伊豆能売が生まれたとしている。

(ウイキペディア「伊豆能売」よりコピー)

「大本」の「出口王仁三郎」は「伊豆能賣」を「伊都能賣(イヅノメ)」と書いているようなので、氣になって調べてみた。

ウイキペディアの「伊都能売神諭」に、

厳の御魂である出口直の昇天によって、瑞の御魂である王仁三郎が、厳と瑞を一つに合わせた伊都能売の御魂として活動するようになった。そのため伊都能売神諭と呼ばれる。

と書かれていた。

やっぱり「厳(イツ)」の文字が登場した。

しかしさっぱり分からないので、探して見ると、

“吾々大本人の唱導する、伊都能売の御魂とは、如何なる神格を具有する神であるかと云ふに、古来仏教家の間に唱へて来た、観昔に等しきものである。神道にては、木の花姫命と称へて居る神の事である。

 観音の性質を調べると、報身の観音あり、法身の観音あり、応身の観音あり、或は蔵通別(ぞうつうべつ)教の観音あり、円教の観音あり、理想の観音あり、事相の観晋あり、分身の観昔あり、本体の観音があつて、その一々の意味が、幾分づゝ違つて居る如くに、木の花姫命の性質又は御活動の点に於ても、幾分の違いがあるのである。

 扨て茲に読明せんとする、観音即木の花姫なる伊都能売神は、右のやうな狭い意味の者では無く、色合の付いた木の花姫でも無い。仏祖の言葉をかりて云へば報、法、応三身一体の観音、即ち木の花姫神であつて、絶対的の一実法如の観音、木の花姫をいふのである。

 木の花姫榊は、本有無作(ほんゆうむさ)の一実体神であつて、決して世界の森羅萬象の存在より推理せる所の、運命上の唯一神論的の神でも無く、又単に自然界の因果律を見て宗教化した、酬因感果(しゅういんかんか)上の一神格でも無い。木の花姫神は、無始本有妙覚円満の神であって、天地宇宙に遍満し一切の時、一切の処を悉く照覧する処の神である。仏家の所謂、無所不至の宇宙の一大生命である。大本尊である。然も体の上に於ては、本然として衆生と一如なる神格を有し玉ふ神であって、所謂汎神的一神観上の、或は一神的汎神観上の神格が、即ち伊都能売神で、又の名は木の花姫神、仏称聖観音である。

 信仰の上から見れば、世界一切教化の現象とも云ふべきものは、悉く、観音即木の花姫神の活動であつて、天地八百萬の神も、仏教の諸々の仏も、諸宗教の神々も、世界一切の教典も、一切の教化的人格部ち釈迦も、孔子も、基督も、皆悉く木の花姫神、観音の顕現である。世界一切宗教の本尊神は、悉く木の花姫神 即 観晋即伊都能売神の活現であつて、世界を創造せりと云ふ基督教の神や、婆羅門教の大自在天大梵天、ウラル教の盤古神王の如きも、木の花姫神即観音の一顕現として見らるゝのである。厳の御魂、瑞の御魂の神も、亦た伊都能売神の分身的活現であります。”

“伊都能売神は慈愛の本源であつて、如何なる罪悪者をも救済して、一人も漏さない絶対無限の慈悲の神である。精神界は勿論、現界に於ける人間一切の苦悩を払ひ清めて、天国に導き玉ふ愛善神であつて、その愛善たるや絶対無限である。故に既成宗教の唱ふる如き、審判的思想は全然無いのである。善悪を超越し且つ審判思想を打破する、大愛大善大慈悲神であつて、一人と雖も蒼生の滅亡するのを忍ぶことの出来ぬ愛の生神である。而して霊肉の調和に就ても、難行苦行の修行を経過せず、信仰と歓喜との内に実現せしめんとする、真の絶対愛に住する神である。”

(「出口王仁三郎全集 第一巻 『伊都能売』より」

と書かた記事を見つけて、聊かびっくり。(「スサノオと出口王仁三郎」の「伊都能売(いづのめ、出口聖師の神格)」よりコピー)

「伊都能賣」を「木の花姫」としていて、「木花開耶姫」を指しているようだ。

「木花開耶姫」を祀る「富士山本宮浅間大社」は「富士山」そのものを「神体」としているようなので、「伊都能賣」と「富士山」が繋がって来たように思う。

また「古事記」には「天之尾羽張(アメノオハバリ)」という神名が登場し、別名「伊都之尾羽張(イチノオハバリ)」とも呼ばれているらしい。

イザナギが所有する神剣(十束剣)で、妻イザナミが黄泉へ行く原因となったカグツチを斬り殺す時に用いられた。『古事記』における神名は、天之尾羽張神(あめのおはばりのかみ)という。別名 伊都之尾羽張(いつのおはばり)。 『日本書紀』の稜威雄走神(いつのをはしり/いつのをばしりのかみ)と同一神とされる。 葦原中国平定(国譲り)神話で活躍する建御雷神(鹿島神宮主祀神)は、天之尾羽張神(伊都之尾羽張)の子供(古事記)もしくは子孫(日本書紀)と記述され、同一神とみなされる事もある。

(ウイキペディア「天之尾羽張」よりコピー)

ここでも「伊弉冉・伊弉諾」の神話が関わって来る。

僕はこのところ「伊弉冉・伊弉諾」の「國生み神話」は、「伊豆半島」つまり「イツ」が本命の場所ではないかと考えているが、何と無く底辺で繋がってきた。(このことに付いては、別項で書く)

今回のテーマは、「イツ」で「イツツ」という数字「5・五」。

本来の大和言葉の数は、「ヒ・フ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ・ヤ・コ・ト」で表されている。

「ト・10」を割愛すると、

アラビア数字で表せば「1・2・3・4・5・6・7・8・9」、漢数字で表せば「一・二・三・四・五・六・七・八・九」で読み方も異なる。

一~九までの数列の「中心」にあるのが「5・五」。

1~9までを足すと「45」になりその平均値は「5・五」。

「5」を除いた数値の合計は「40」で、この平均も「5・五」。

そんな思いで「5・五」について考えていた時に出会ったのが、

02-09-1

上の表。

9×9=81の枡に、1~81までの数字を配置して行くと、縦横全ての合計数が「369」になる配列になり、「369盤」とか「ミロク魔法陣」と呼ばれたりしているが、僕は「369真法陣」と呼んでいる。

興味を持ったが、理解できなかったので、「Excel」で書いて見た。(この表がそれで、計算が極めて容易い。)

すると、この配列が絶妙であることが分かった。

この数値配列以外に無い。

各々の枡の数字を合計して一桁の数値に戻すと、

02-09-2

このようになる。

九個のブロックに分かれ、ブロック内の数は全て同じになる。

九個のブロックの中心が「5・五」。

「365真法陣」の中心の数は「41」を「カタカムナの5首・6首」の、

「ヒフミヨイマワリテメクルムナヤコトアウのスヘシレカタチサキソラニモロケセユエヌオヲハエツイネホン」の「48音」とし、その「41」番目は「ヲ」。

この「ヲ」を「カタカムナの思念」で見ると「奥に出現する」となり、このど真ん中の位置そのもの。

またこの数値をひっくり返して「14」として見ると、「ナ」となり、その思念は「核・重要なモノ」となる。

これもまさしくこのど真ん中の位置を表している。

つまり「5・五」が中心であるということを示している。

「5・五」は「イ」でその思念は「伝わるもの」。

この「伝わるもの」を探るのが、今僕に与えられた使命のようだ。

ここからまだまだ興味深く面白い結果が出てくる。

つづく

沼津の大瀬崎・神池と茅野の葛井神社・神池を繋ぐと金鳥山に

2011年1月11日、「第二回 111 金鳥山 カタカムナ祭」を開催し、金鳥山山頂付近の清掃を行った。(「カタカムナの聖地・金鳥山の狐塚(第二回 111 金鳥山 カタカムナ祭から)」参照)

「111」へのいろんな思いからの開催だったが、その一つが、「伊豆半島の旅」との繋がりだった。

2019年10月末、伊豆半島を一周した。

それは伊豆半島に鎮座する「浅間神社」探索の旅でもあった。

伊豆半島の「浅間神社」には「磐長姫大神」が祀られている。

この旅で伊豆半島・雲見の「烏帽子山」が「富士山」を介して、甲州市の「塩ノ山」とピッタリ繋がることを発見し、そのラインの「烏帽子山」の直角方向の西側に姫路沖の「上島」が在ることを見つけた。(「伊豆半島のイワナガヒメを訪ねる旅-11 ピッタリ繋がった塩ノ山」、「伊豆半島のイワナガヒメを訪ねる旅-12 上島とも繋がった」参照)

2019年と2020年、どちらの旅でも行って感動したのが沼津の「大瀬崎の神池」。

今年になって2020年の旅を振り返りながら「烏帽子山→富士山→塩ノ山の南北ラインと伊豆半島の浅間山シリーズ」を延々と書いている。

「大瀬崎」に付いて書いていて思い出したのが茅野の「葛井神社」だった。(「烏帽子山→富士山→塩ノ山の南北ラインと伊豆半島の浅間山-7 大瀬神社と大瀬神池」参照)

「葛井神社」にもふしぎな「神池」が在る。

「蓼科高原」の別荘地で仕事があり、毎年のように出かけていたことがあった。

読んでいた本に「葛井神社の神池」が紹介されていたので、2010年7月30日、仕事の帰りに寄っている。

「大瀬崎の神池」には、流れ入る川も出る川もないが、「葛井神社の神池」にも出入りの川がない。

「大瀬崎の神池」は海と50m位の場所に在るので、湧き出す水の量が多くないと塩水になってしまうはずだが、真水で沢山の淡水魚が育っている。

「葛井神社の神池」も昏々と水が湧いているのにもかかわらず、水はすぐに地中に流れ落ち消えてしまう。

どちらも不思議な池なので「神池」として祀られている。

その「二つの神池」を繋ぎ、「葛井神社の神池」の直角方向を探るとピッタリと「金鳥山の狐塚」に繋がった。

この三点は、直角三角形で繋がったのだ。

二点間のレイライン的繋がりはいくらでも有るが、「正三角形」、「直角三角形」、「二等辺三角形」での三点の繋がりとなるとそうざらには見つからない。

この三角形による三点の繋がりを見つける名人は「上森三郎」さんだ。

上森さんのブログ「かごめかごめの真実とは」を見れば、膨大な量の地図データを見ることが出来る。

その殆どが「直角三角形」や「二等辺三角形」。

上森さんはこの三点の示す意味の謎解きまでやっている。

今回見付けた「大瀬崎の神池」→「葛井神社の神池」→「「金鳥山の狐塚」を繋いだ「直角三角形」にどのような関係性や意味があるのだろうか。

「金鳥山」や「大瀬崎」に付いては今までに沢山書いてきているが、「葛井神社」に付いては何も書いていないので、ずいぶん前のことだけれど、当時の写真や、ネット上の記事などの記事で、検証しておく必要がありそうだ。

先ずは2010年7月30日の写真記録から。

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鳥居。

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「葛井神社」の拝殿と本殿。

諏訪らしく「御柱」が立てられている。

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本殿の背後に「神池」、つまりこの池が神体・

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「葛井神社」の由緒書き。

境内には、

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「牛頭天皇」の石碑や、

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「庚申塚」や「道祖神」が祀られ、

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このような石碑が在りで、周辺から集められたのかもしれない。

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枯れた欅の古木も大事に祀られている。

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「葛井神社千本欅」と言うらしい。

拝殿の横には、

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小さな磐座が祀られている。

この磐座に付いての情報は得られなかった。

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「葛井神社の神池」、決して大きくはないが、かなりの水が湧き出しているようで、波だっている。

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素朴な鳥居が、祭祀の古さを物語っているように思う。(この写真のファイル№が「0111」で何と無くご縁を感じる)

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この護岸石組がなかなか見事。

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本殿背後のこの出っ張りと、四角い石が気になる。

社ができる前の「祭祀場」だったのかもしれないが、石には「金矢」で割られた痕跡が残っているので、そんなに古くはないかもしれない。

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湧き出した水は、ここから地中に消えて行く。

湧き出してすぐ傍で消えて行くのが、不思議でならない。

すぐ北側には「上原温泉・アクアランド茅野」と言う市営の温泉施設がある。

源泉温度は「32℃」と言うことなので、かなりぬるい。

しかし、大きな施設なので、かなりの水量を汲み出しているはず。

そのすぐ横で、この小さな池に、かなりの水が湧いているのも、また不思議。

水はかなり濁っているが、かなりの量の鯉も泳いでいる。

さてこれからは、ネット情報のコピペ。

葛井神社

【くずいじんじゃ】

諏訪大社上社の摂社の1つであり、諏訪大社の大祝の即位の際に御社参りをする13の神社の1つに数えられる。祭神は槻井泉神(つきいずみのかみ)。

この神社の信仰の対象は本殿に隣接する池である。この池は諏訪七不思議の1つ“葛井の清池”に数えられ、色々な伝承が残されている。

最も有名なものは、上社の年中行事の最後となる「葛井の御手幣(みてぐら)送り」の神事である。大晦日に、上社で使われた幣帛や榊、柳の枝や柏の葉を取り下げて、葛井神社に運ぶ。そして寅の刻に前宮御室の御燈を合図に、それらを池に投げ入れるのである。すると翌元日の卯の刻に遠江国の佐奈岐(さなぎ)池に浮き上がってくるという。

またこの底なしの池には片目の魚がおり、それが池の主であり、捕ると祟りで死ぬとも言われている。町中にある何の変哲もない池であるが、非常に神秘的な伝承を持つ場所である。

(「日本伝承大鑑」よりコピー)

先ほどの氣になった四角い石に付いては、

葛井神社には今でこそ本殿がありますが、かつては、池そのものが神体でした。「永禄九年八月、武田信玄、九頭井太夫に朱印状を与える」と題した『矢島文書』には

…、頭井社瑞籬・鳥居、諏方郡上原南北之田役を以て七箇年に一度造立之由、…

茅野市『茅野市史 史料集』

とあり、他の文書に見られる「宝殿(本殿)」が書いてありません。

 竹村美幸著『ちの町史』には、以下の記述があります。

江戸時代の絵図を見ると、葛井神社の近くに、地蔵清水とか宝蔵院清水が記されていて、第二次大戦の頃までは葛井の池は湧水であふれ、それが小川になって江川橋に流れていた。

 葛井神社は、明治以降も社殿はなく、池そのものが神の鎮まるところ、すなわち神殿であった。(中略)  現本殿は、高い石積みの上に建てられているが、この石積みも大正期のもので、それ以前は本殿のすぐ裏の池の中に台石があるが、この上に小さな祠があった。

と説明されていた。(「葛井神社・葛井大明神」よりコピー)

この記事では、かつては小川となって流れ出していたように書かれているが・・・?

このサイトからほんの少しだが「御手幣送神事(ミテグラオクリシンジ)」の動画も見ることが出来る。

また最近「諏訪湖」は、今よりはるかに大きかったと言うことを知り、記事を探して見ると見つかった。

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この「古代諏訪湖の予想図」を見ると、現在の面積の倍以上ある。(「古代の「諏訪湖」は広かった!? 高島城(諏訪の浮城)の謎」よりコピー、元のコピー先があるらしいが、今はアクセスできない)

この地図を見ると「葛井神社」のすぐ傍にまで「諏訪湖」は広がっていたようだ。

「地質図Navi」でこの辺りの活断層を調べてみると「古代諏訪湖」の状況がよく分かる。

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「古代諏訪湖」の周辺を「活断層」(赤いライン)が取り巻いているのがよく分かる。

世界最大級の活断層「中央構造線」を見ると、その理由がよく分かる。

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「中央構造線」の全域を示す地図で、静岡県の辺りから長野県側に急に北上し、

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「諏訪湖」で急展開して、茨城県の方向に南下している。

この理由が、「伊豆半島」!

「伊豆半島」は「フィリピン海プレート」の移動に伴い、当時(1400万年前頃)二つに分断していた「元本州」の割れ目部分である「フォッサマグナ」にぶつかり、その巨大な圧力と「太平洋プレート」の沈み込みにより火山活動が活発になり、「フォッサマグナ」が隆起し、かつまた「富士山」などが噴火し、現在の本州の形が出来上がってきたようだ。

それに伴い「中央構造線」も押し上げられたと考えられている。

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(「伊豆半島のイワナガヒメを訪ねる旅-20 大室山・浅間神社と烏帽子山の繋がり ②」から再コピー)

「プレート」との関連は、

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この図を見ると分かり易い。(「伊豆半島のイワナガヒメを訪ねる旅-20 大室山・浅間神社と烏帽子山の繋がり ②」から再コピー)

「大瀬崎の神池」と「葛井神社の神池」は、構造的に関連がありそうなのだ。

ちょっと飛躍するが、「伊豆半島」の「伊豆」は、「イズ」ではなく「イツ」ではないかと思っている。

それは数字の「イツツ」→「イヅ」となり、つまり数字の「五」ではないかと?

9×9=81升をを作り、それに1~81までの数字を当て嵌めて行くと、縦横斜めの合計数が全て「369」になる配列ができる。

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これを「369盤」ないし[369真法陣」と言う。

中央には「41」が収まり、4+1=5となる。

「41」を取り巻く八枠の数字も、同じように足すと全て「5」になる。

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同じことを他の枠でもやってみると、このようになる。

「5」を中心にその下が「1」で右回りに「1→8→3→4→9→2→7→6」が取り巻くことになる。

未だ咀嚼できていないが、実に面白い。

つまり中心である「5」は「イツ」で「伊豆」で、日本列島は統合されている。

「烏帽子山→富士山→塩ノ山の南北ラインと伊豆半島の浅間山-01 プロローグ」で、「富士山」は「日本の中心」であることを示した。

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その時示した地図の一枚がこれで、「富士山」を中心にピッタリ日本が治まる。

この「富士山」を造るもとになっているのが「伊豆半島」なのだ。

そして「諏訪湖」が今の場所に収まっていることも、「伊豆半島」に起因しているように思う。

聊か強引かも知れないが、「大瀬崎の神池」と「葛井神社の神池」は繋がっているのだと!!

その繋がりが「カタカムナの聖地・金鳥山」を示唆している。

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「伊豆半島西岸」のラインと「富士山」そして「塩ノ山」の関連は、「上島」や「保久良神社の磐座」を示しているし、「大瀬崎の神池」と「葛井神社の神池」は「金鳥山」を示している。

この繋がりは、偶然とは思えない。

「地形は何らかの意図を示している!」と考えている。

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三ヵ所の「直角三角形」の起点。

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「大瀬崎の神池」。

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「葛井神社の神池」。

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「金鳥山」と「保久良神社の三交岩(サンゴイワ)」。

「金鳥山」は「楢崎皐月」が、「平十字」に「カタカムナの巻物」を見せられ、それを書き写した場所とされている。

その「金鳥山」には「狐塚」と呼ばれている石組が在る。

この埋もれていた「狐塚」を掘り出す切っ掛けを作ったのが僕であり、「伊豆半島の各ポイント(磐長姫大神が祀られている)」や「富士山」、「塩ノ山」、「葛井神社の神池」に実際に行ったのも僕。

僕には「神的な存在」が、僕を導くという感覚がまるでない。

ただただ興味に任せて動き、体験したうえでの閃きだけが頼りなので、確信を持てないながら、このようなことを書いている。

まだまだ分からないことばかりだが、書かずにはおれないので、混乱の中でこのようなことを書いている。

『「レイライン」が僕に「カタカムナ」を研究するなら「日本の中心ライン」特に「富士山」に注目せよ!』と言っているかのようだ。

その「富士山」が今異常な状態にある。

真冬だというのに、殆ど冠雪していない。

このような状態は、前例がないらしい。

まれに見る大雪で困っている地域が在るのに、なぜ「富士山」だけに雪が降らないのだろうか。

「富士山」の美しさは、やはりあの冠雪した姿。

今正に、「醜い富士山の姿」を曝して、注目せよと叫んでいるのであろうか??



コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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