黒田杏子第六句集『銀河山河』

https://72463743.at.webry.info/201401/article_21.html  【黒田杏子第六句集『銀河山

狼に黒田杏子がついて来た 玉宗

↑の写真は数年前、再建なった興禅寺を金子兜太先生と黒田杏子先生が訪れて下さった折りのものである。

杏子先生は今回、角川学芸出版から第六句集『銀河山河』を発行された。2011年に第五句集『日光月光』で蛇笏賞を受賞されている。以後の平成22年から25年の作品6百句が収められている。

自在な作品群である。僭越ということもあるが、自在過ぎて鑑賞するのも憚れるほどだ。氏の俳句世界はこころが澄み渡っている。思えば、平成7年に初めてお目にかかった時の印象そのままの世界である。好奇心旺盛な、ものを見るに拘りのない、永遠の文学少女然としたその眼差し。そこには自然と多くの、そして様々な世界の人が集まって来るようである。実作に於いて現場主義を貫いて来られたようであるが、人との付き合いも又、多くの出会いが氏の人生を豊かに、味わいのあるものにしたであろうことは想像に難くない。羨ましさを越えて驚嘆に値するといってよい人生の脚力である。氏が75歳になられたという現実が私などには俄かに受け入れられないほどである。

さて、黒田杏子の俳句世界であるが、当に現場主義の作品群であることは察しがつく。そしてその多くは文台引き下ろせば即ち反古、といった一種の希薄さが漂う。一方にそうであるからこその垢ぬけた軽み、黒田杏子という人間の、嘘いつわりのない気息が感じられもするのである。作品は紛うかたなく黒田杏子自身である。独自と言えば独自な世界である。その俳句を一番深く、濃厚に味わえるのも作者自身なのかもしれない。私としては黒田杏子俳句のその辺がものたりないと言えなくもない。正直なところ、その生身の黒田ほど作品が面白くないのだ。何故だろうかといつも考えさせられてきた。写生の限界なのだろうかと勘繰ったり、氏の魂は俳句という器に収まり切れているのだろうかと要らぬ詮索をしてみたりした。然し、恐らく、黒田杏子という文学者の魂を救い取れない私の力不足なのである。

「七十五歳を機にこれからは出歩くことを止め、読み書き詠みそして思索することに時間をたっぷり使います」

作者の言葉である。

文学者・黒田杏子の面目を垣間見る思いだ。散文にせよ、韻文にせよ、これからの作品が楽しみでならない。敢えて俳句界の大御所にもの申させて戴いたが御寛恕願いたい。益々のご加餐を祈る。合掌。

句集より

木いちごを摘む無住寺のたそがれに       その日までふたり暮しの月祀る

ごきぶりの平らな屍十二月           ふくしまの余花を廻りて日の暮れて

月山の寒満月に手を合はす           をみならに出離のこころ花の雲

山姥の日向ぼこりを許されよ          みちのくや月のかをりの寒牡丹

初雪やどこにも行かぬ日のあした        三井寺をあふれんばかり花の闇

灰燼に帰したる安堵一遍忌


https://ht-kuri.at.webry.info/201401/article_3.html 【黒田杏子句集『銀河山河』共鳴句抽出  黒田杏子 藍生 銀河山河】より

 黒田杏子「藍生」主宰が第六句集『銀河山河』を上梓された(角川学芸出版、平成25年12月)。

 櫻行脚で知られている黒田さんだけに、櫻の句が多い。櫻には「櫻」の旧字体をあてて思いを表出している。著名人からごく普通の市井人まで、常に心を込めてお付合いする氏だから、人を詠んだ句も多出しているし、弔句も多い。読者が知っている人の名が出てくると、思いも一入である。取材や句会で旅に出ることが多い。俳句は本来、連歌や連句がそうであったように、人とのダイアローグでできあがるものであるのだが、それにしても氏の作品には人との縁が多く詠われる。

 また、地方の句会や吟行なども多いので、黒田さんは言ってみれば野外派である。もともと俳句=風景論があるくらいだから頷けるが、丁度、画家たちが室内から外へ出て、バルビゾンへ出かけ、フォンテーヌブローの日の光に心をうたれたように………。バルビゾンには画家だけでなく色んな文化人が集まっていた。黒田さんが俳人だけでなく、幅広い人脈を異文化領域まで拡げておられた成果も見えるのである。

 早速、共鳴句を掲げよう。30句に絞ってみた。

013 梅雨明けにけり顔の皺首の皺      016 あさがほの縹一輪ふたり棲む

019 稻光子のなき最期おもふとき      026 ひとつづつ捨てて最期の露の玉

054 新茶汲むうれしきあしたきたりけり   054 お櫃にはそら豆ごはん雨の音

073 こほろぎやみんなゆつくり年とつて   078 白鳥のこゑの真下とおもひけり

093 花巡るわれをかなしむわれであり    097 雪熄みし月の高野の初櫻

113 雪の香の鰰ずしに酒すこし       115 雪の日は北越雪譜音読と

120 みちのくの花待つ銀河山河かな   129 ふるさとの川ふるさとの山さくら

130 さんさんと木五倍子秩父嶺日のひかり  134 蕗あをく煮て金環の日と月と

137 炎天や伽藍をめぐる蝶の数       157 月凍る高野の真夜を下駄の音

167 大姫に弟ふたり後の月       168 初雪やどこにも行かぬ日のあした

180 餅花のしだるる國に年重ね     181 地吹雪の熄みたる銀河山河かな

191 ふくらんでくる夜の森の櫻の芽   197 一の瀧二の瀧三の花の瀧

200 満開の月の淡墨櫻かな       202 喜寿の花傘寿の花をねがはくは

206 摘みこぼすみどりまみどり花山椒 214 みなづきのあをきまつしま生きて逢ふ

217 山蟻の列なす秩父音頭かな   222 松原のかき消えたればひぐらしも

この句集の表題は、120、181の句にある「銀河山河」から来ているのであろう。津々浦々を歩いた黒田さんだから、句の材料はひろく全国に跨っている。そのなかで、読者が共時性を感じる句は、納得感をもって読者の胸に残る。これは共通の知人を詠んだ句についても言えることである。

097 雪熄みし月の高野の初櫻

115 雪の日は北越雪譜音読と

130 さんさんと木五倍子秩父嶺日のひかり

高野山、塩沢、秩父を訪れたことのある読者なら、黒田さんが詠まれたと同じ場に巡り合わせた気持が昂じて、思いも膨らむのである。

191 ふくらんでくる夜の森の櫻の芽

214 みなづきのあをきまつしま生きて逢ふ

222 松原のかき消えたればひぐらしも

この3句は震災の後の句である。私の解釈では、「夜の森」は福島原発を支えた小さな町「夜ノ森」のことであろう。駅に続く道の櫻がとても綺麗なところだったと記憶している。

 人の名に読者が特別に思い当たることがあれば、それは黒田さんの句であるとともに、思いを分ち持つことの出来る句として、読者にも響いてきて、長く記憶されよう。筆者にとっては、次の3句がその部類である。

015 振つてください夏帽子もう一度(岩井久美恵への弔句)

024 時雨聴くやうにまなぶた閉ぢられしか(古舘曹人への弔句)

069 白露の天へ白足袋はきしめて(辺見じゅんへの弔句)

特に岩井久美恵さんとは、ある超結社句会でご一緒していたのだが、黒田さんと実懇であったとは知らなかったので、驚くとともに、世間は狭いと思った。国際線の草分けのスチュアーデスだった方で、帽子がよく似合う人だった。大学では山口青邨を師として、芭蕉を卒論に選んだそうだ。

俳句は一度発表されたら、もう読者のものだ。

167 大姫に弟ふたり後の月

は、おそらく源頼朝と政子の長女「大姫」のことであろう。とすれば、私には、頼家、実朝のことが思い出され、悲しい彼らの運命に思いが至るのである。木曽義仲の息義高に恋した大姫も不幸だった。入間川辺で義高は頼朝の命により斬られてしまう。「大姫」には単なる「長女」という意味もあるので、私の誤読であるかも知れない。その場合はお許し下さい。

 中には、もちろん、黒田さんご自身を詠まれた句もある。お歳を召されての感慨句が多い。私は、案外その様な句を多く選んだかも知れない。

054 新茶汲むうれしきあしたきたりけり

093 花巡るわれをかなしむわれであり

129 ふるさとの川ふるさとの山さくら

168 初雪やどこにも行かぬ日のあした

 129の句は、「一月の川一月の谷の中」のように、贅肉を削ぎとった極限に近い心情の吐露のようである。

花行脚も観音巡りも結願され、これからは遠出を控えられるようだが、どうぞお元気にご健吟をつづけられますよう。202の句をパロデイ風にしてみました。

 卒寿の花白寿の花を愛でたまへ

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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