わが師 黒田杏子

https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12651345535.html 【「わが師を語る 黒田杏子」(高田正子)。】より

◎1/18、「NHK俳句テキスト」2月号が届きました。

私は全没😅。本来ならば先ず知り合いの方々の入選句を抄出して載せるところですが、今日も、黒田杏子さんの俳句を取り上げたいと思います。

と言いますのも、この「NHK俳句テキスト」2月号にも、「シリーズ わが師を語る」のページに、高田正子さんが黒田杏子さんを取り上げておられたからです。

◎「わが師を語る 黒田杏子」(高田正子)。「NHK俳句テキスト」2月号、42p〜44p。

○高田正子さんは、昭和34年生まれ、大学卒業の頃、黒田杏子さんに出会い、「木の椅子会」「東京あんず句会(於法真寺)」「あんず句会(於寂庵、常寂光寺)」に参加、黒田さんとはもう40年のご縁だそうです。

○黒田杏子さんはご存知、おかっぱ頭ともんぺ姿がトレードマーク。高田さんによれば《藍木綿は大塚末子デザインのもんぺスーツ、ボブの黒髪は銀座・名和美容室でカット》だそうです。

高田さんは、黒田さんの俳句20句を選びそれぞれ簡明な解説を書かれており、最後に、以下のように締めくくっておられました。

《昨年、師の「俳壇の枠にとらわれない幅広い活躍」に対し、現代俳句大賞が授与された。俳人協会に所属する俳人に現代俳句協会からの贈賞は例がないだろう。句集他書籍の刊行も、選者としての業績も、蛇笏賞等の受賞歴もむろん華々しい。だが、思いつきを企画に変え、着々と実行してゆくエネルギーに何より私は惚れた。一世代上の遥かなる背を見つめ、私も歩き続ける。》

○以下に、黒田さんの句と高田さんの解説を載せました。

▪️かよひ路のわが橋いくつ都鳥(「木の椅子」 昭和56年刊)

JR市川駅(千葉県)から御茶ノ水駅まで総武線で一本の通動ルート。川を越えるたび冬の車窓に都鳥の白い点々が散る。

▪️白葱のひかりの棒をいま刻む(「木の格子」昭和56年刊)

「研ぎ上げた刃がその光体を輪切に崩してゆくときのまな板のよろこぶ音」と師は記す。視覚聴覚嗅覚の躍動。

▪️暗室の男のために秋刀魚焼く(「木の椅子」昭和56年刊)

共働きの忙しさの中に、秋刀魚を焼き酢橘を滴らす時間も。夫・勝雄氏は令和2年、写真集「最後の湯田マタギ」を刊行。

▪️磨崖佛おほむらさきを放ちけり(「木の椅子」昭和56年刊)

佐渡・宿根木(しゅくねぎ)の磨崖仏(可碑あり)。「おほむらさき」は紫の翅に白い紋のある大型の蝶。このおおいなる解放感。

▪️縄とびの子が戸隠山(とがくし)へひるがへる(「水の扉」昭和58年刊)

東大ホトトギス会(山口青邨指導)の特選句。子の白い息の躍動感と冠雪の戸隠山の雄大さが拮抗している。

▪️能面のくだけて月の港かな(「一木一草」平成7年刊)

師は机上のみの作句はしない。実際に目にした能面と眼前の空の月と水の月の三つの像が重なり合い、くだける。

▪️まつくらな那須野ヶ原の鉦叩(「一木一草」平成7年刊)

平成元年故郷の父逝去。通夜の庭で聴きとめたのは「土中深くから湧き上がるように」響いてきた鉦叩の音色。

▪️稲光一遍上人徒跣(かちはだし)(「一木一草」平成7年刊)

松山・宝厳寺の一遍上人木像と向き合った瞬間の感動。木像はのちに焼失〈灰燼に帰したる安堵一遍忌〉(平成25年作)

▪️ガンジスに身を沈めたる初日かな(「一木一草」平成7年刊)

インド・ベナレスにて。初日を待って河に身を投じ、沐浴をする人々の立てる波が、師一行の舟に押し寄せる。

▪️狐火をみて命日を遊びけり(「一木一草」平成7年刊)

藤田湘子らと切磋琢磨した「月曜会」(於・銀座「卯波」)。「命」の題を得て即吟。師の「狐火」は父の象徴である。

▪️寂庵に雛の間あり泊りけり(「一木一草」平成7年刊)

嵯峨野僧伽寂庵にて瀬戸内寂聴命名の「あんず句会」が始まったのは昭和60年。以降28年続く間にはこんな夜も。

▪️花に問へ奥千本の花に問へ(「一木一草」平成7年刊)

「 花に問へ」は一遍上人の語。「花のことは花に尋ねよ」と。寂聴師の小説 (谷崎潤一郎賞受賞)のタイトルでもある。

▪️漕ぎいづる螢散華のただ中に(「花下草上」平成17年刊)

蛍見の舟を仕立てて四万十川を下ったときの句。灯を消した舟が、蛍の乱舞を分けながらしずしずと進む。

▪️涅槃図をあふるる月のひかりかな(「花下草上」平成17年刊)

入滅の釈迦を囲んで哭く人物、 動物。それら一切を包むのが豊かな月の光だ。高野山・無量光院に句碑がある。

▪️一介の老女一塊の山櫻(「花下草上」平成17年刊)

師は自らを考女と呼んで山桜の古木に配す。すると老女はたちまち山桜の精と化すのだった。能の仕立ての句。

▪️日光月光すずしさの杖いつぽん (「日光月光」平成22年刊)

昼は日の光、夜は月の光の中をひたすら歩く。頼りにするのは遍路杖一本のみ。清しさが涼気となって身を貫く。

▪️一人(いちにん)の死して六月十五日(「日光月光」平成22年刊)

六月十五日は安保闘争で亡くなった樺美智子の忌日。一人の女学生の死は同世代の師に生涯重く響き続ける。

▪️原発忌福島忌この世のちの世(「銀河山河」平成25年刊)

東日本大震災は福島第一原発事故という人災を併発した。悔いも悲しみ苦しみも詠み継ぐという意志と祈りの句。

▪️長命無欲無名往生白銀河(「銀河山河」平成25年刊)

長命であった故郷の父母は、よく働き無欲で無名のまま大往生を遂げたの意。今は二人揃って銀河のたもとに。

▪️みちのくの花待つ銀河山河かな(「銀河山河」平成25年刊)

銀河山河は天上天下、かの世この世でもあろう。みちのくは青邨師の故郷にして震災から立ち上がりつつある地。

高田さんの、句の鑑賞が素晴らしい!さすが黒田さんとの長い交情ありということもあり、よく作句時期や場所なども調べてあり、句の解説も的確かつ簡明。その時の作者・黒田さんの気持ちにより迫ろうとする鑑賞だと思いました。

○掲載されていた黒田さんの略歴

昭和13(1938) 年、東京都生まれ。19年、 栃木県に疎開。東京女子大学に入学と同時に学内の俳句研究会「白塔会」に入会、山口青邨の指導を受ける。青邨主宰の「夏草」に入会。大学卒業後、博報堂に入社。テレビ・ラジオ局のプランナー、「広告」の編集長を務める。この間瀬戸内寂 聴、梅原猛、永六輔などの著名文化人との親交を持つ。一時期作句を中断、二十代の終わりに再び作句開始。57年、第1句集『木の椅子』により現代俳句女流賞、俳人協会新人賞をダブル受賞。平成2(1990) 年、「藍生(あおい)」創刊・主宰。7年、『一木一草』により俳人協会賞受賞。20年、桂信子賞受賞。23年、『日光月光』により 蛇笏賞受賞。令和2 (2020) 年、現代俳句大賞受賞。句集は他に『水の扉』『花下草上』『銀河山河』等。『俳句と出会う』『黒田杏子歳時記』『季語の記憶』など著書多数。日本経済新聞俳壇選者。

左の写真は、「藍生」創刊30周年記念号11月号(命和2年11月)


https://ameblo.jp/ohimikazako/entry-12408499227.html 【特別対談 瀬戸内寂聴氏と黒田杏子先生】より

我が母校、東京女子大学は、今年創立100周年

その記念イベントとして、卒業生であるこのお二人の特別対話講演が行われました。

作家・僧侶の瀬戸内寂聴先生と、わが俳句の師・黒田杏子先生!!

瀬戸内寂聴先生は今年、第一句集「ひとり」を出され、星野立子賞を受賞されています。

黒田杏子先生は、28年もの間、京都の寂庵で句会をし、寂聴先生の御句をずっと見続けてこられました。

そう、これは夢のような対談です。

私は、受付のお手伝い。

今日の対談のテキスト、句集「ひとり」をお一人お一人に販売し、手渡していきました。

女子大の講堂前には早い時間から長い列ができていました。

卒業生、一般の方、在校生・・・みなさんがそれぞれこの句集を手にしながら、秋空のもと、晴れやかで穏やかなお顔で並んでおられたのが印象的でした。

第一部は、お二人による俳句のお話

第二部は、杏子先生がきく寂聴先生の人生観や生き方・ものの考え方のお話

その中では、寂聴先生が女子大に憧れて入った経緯が語られたりして、女子大の四年間を幸福に思う寂聴先生の気持ちが随所にあふれていたように思います。

私は、大学一年生のとき日本文学科の京都研修旅行に参加し、寂庵で寂聴先生の講話を初めて聴いたことをしずかに思い出していました。

そのときからなんと時間のたったことか……あのとき、こんなに人を惹きつける尼さまがいるのかと同級生と驚愕した。その方がいま、私の目の前で、師匠とともに、人生の大切なことを語りかけてくれる。

最後に、私は杏子先生から畏れ多い役目を仰せつかっていました。

寂聴先生の句集「ひとり」から、七句を朗読させていただきました。

紅葉燃ゆ旅立つ朝の空や寂

子を捨てしわれに母の日喪のごとく

むかしむかしみそかごとありさくらもち

鈴虫を梵音と聴く北の寺

法臘は十三にして冬紅葉

たどりきて終の栖や嵯峨の春

御山のひとりに深き花の闇

(↑先輩がせっかくの記念だからと、写真を撮ってくださっていました。ありがとうございます。)

句の作者と、その句を導いてきた先生の話を、その場にいる方々と共有した上での、言挙げ。

一句一句、自然に導かれるように、けれど内包された強い言の葉の力が解き放たれるように、声になっていく。

それを言挙げしているそのときに感じた。

こんな体験は初めてだ。

改めて機会をくださった黒田杏子先生に心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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