いのちはつながりの中で輝きます

https://www.tekuteku.net/blog2/4502/ 【絶望こそが希望である「ジョアンナ・メーシー」】から

今年も3月11日がやって来ました。

私たちの意識は確実に3.11以前と3.11以降では変化がありました。

だけど、日々の暮らしに追われているうちに、その思いは潜在意識に沈み込み少しずつ薄れてきたような気がします。「絆」という言葉に乗せた願いや、生者死者への祈り。

ボランティアやカンパ、救援物資などを通して何か助けになりたいと願ったあの日。

今こそ、あのころ思ったことを思い出してみませんか。温ちゃんは、福島原発事故のあと、どうしようもないほどの絶望を感じました。

おそらく、この絶望はあなたの中にも存在しているんじゃないでしょうか。

それは個人の死とかとはまた別次元の感覚。人類が地球が終わるんじゃないかという言い知れぬ恐れです。

いつか同じような大きな地震が来て、もっと深刻な原発事故が起こるんじゃないか。

某国が核ミサイルを飛ばして、国内に放射能の雨が降るんじゃないか。

放射能のみならずダイオキシンやオゾン層破壊、排気ガスや砂漠化など・・

環境汚染が取り返しができないところまで進み、人類は緩慢な死を迎えるのではないか。

環境汚染、原発のことを、放射能のことを知れば知るほど絶望は深まっていきました。

私たちは、この絶望を決して口に出さないようにしてきました。

それはあたかも絶望を口に出したとたんに、物事は後戻りできなくなるかのように。

現実に目を背け、世界の現実に目をつぶっても、私たちの心の安寧は得られません。

それは温ちゃんの大好きな、宮沢賢治のこの言葉にも表れています。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」私たちは、今の時代の絶望とどう向き合っていけばいいのでしょうか。

ジョアンナ・メイシーは、まず私たちは絶望の存在を認めることが必要だと言っています。

政治信条やライフスタイルに関係なく、この世界と未来への絶望はみんなの心の底に潜んでいます。

絶望を認め、それを共有することではじめてその絶望より深く大きなものをみつけることができます。

なぜなら地球と生命に対する絶望は、自我を超えた愛だから。

絶望を認め仲間と共有することで、私たちは一体性をとり戻し、生まれ変わります。

再生は一体感という新しい次元の意識の喜びの中にみつけることができます。

結果地球がどうなるかにかかわらず愛ともよべる一体感の中で、私たちははじめて地球を癒す生き方を歩み始めます。

てことをジョアンナ・メイシーは「絶望こそが希望である」という本の中で言っています。

それはひとつのイニシエーション。

絶望を認めることが再生へのスタート地点です。

私たちが生きていく中で一番つらいのは孤独感または誰ともつながっていないという恐れ。

福島を沖縄をシリアを忘れた時に、はじめて私たちは断絶します。

私たちにできることは限られていますが、せめて忘れていないよつながってるよとメッセージを発信することは何より大切なことではないでしょうか。

最後に一つ。

地球上には悪い人より善人のほうが圧倒的に多いから、今がどうであれ100年200年後にはきっと世の中は良くなっているそうです。

ちょっと安心しますね。


https://www.tekuteku.net/blog2/start/society/ 【第八章 社会と心の問題】より

心の冷えとり

心の冷えは4000倍

不安、恐怖、怒り、悲しみ、ねたみ、嫉妬、絶望感、疎外感…緊張したり、不安が増したりすると交感神経が活発になり、心拍が上がり血圧も上がり、頭に血が昇っていきます。

心の冷えが強いほど、上半身はのぼせて下半身は冷えていき、極端な場合にはどんなに冷えとりを強化しても少しもあたたまらないことだってあります。

生きていれば、避けられないストレスや、なかなか受け入れられないような状況もあるでしょう。

「心の冷えって、やっぱ体の冷えの五千倍くらい強力だなあ」ってこんなときは、マジ実感しますが、そうはいってもなんとかならないものでしょうか。

そんなときのキーワードは「淡々」と。

冷えとりを単なる健康法ととらえず、衣食住すべてにわたって生きることと冷えをとることを同義に捉え、結果を求めず、ただ淡々と生きること冷えとることを続けていくこと。

それは今日の不安や怖れには対応できなくても、長く続けていけば少しずつ少しずつ心の冷えもほぐれていきます。

「ただ淡々と続けなさい」ベテラン冷えとりさんが口をそろえて言う言葉です。

血がめぐれば気がめぐり、気がめぐれば血がめぐります。

逆に気が乱れてしまえば血も滞り、いくら外から温めてもうまくいきません。

「気」の流れが体や心を動かし、毒を運び、私たちを生かしています。

そして血液と違って「気」は皮膚という限界を超え体の外にまで流れます。

冷えとりさんが愛05をはじめとした気功やホ・オポノポノを求めるのは、それは「心の冷え」という難問が自分一人で解決するのが難しいと気がついているからなのではないでしょうか。

「気」が乱れ、体も心も冷え、どうしようもないときは一人で解決しようとしないで、まわりに助けを求めてくださいね。

あなたが周囲に頼ることで、周囲もあなたに頼ることができます。

星に願いを

流れ星にお願い

流れ星は突然あらわれて、あっという間に消え去ります。

流れ星が願いを叶えてくれるのは、いつもいつも心に温めている願いがあるからです。

そう、願いは「温め」ないと叶いません。

流星群の夜をめがけて、何お願いしようかななんて考えたって駄目ですよ。

温まった願いは叶います。

それは本来実現するのが望ましい姿だからです。

昔の楽しかった思い出、聞こえてくる声、食べ物のおいしかったことなどイメージすると脳の回路も楽しかったころの状態にもどり、その脳の状態で「これからこうなりたい」という思いが湧き出てきます。

そのことで、私たちの潜在意識は心と体を総動員して願望を達成しようとします。

でも、「巨万の富がほしい」など、その願望自体が無謀なものであったり潜在意識から外れたものの場合は、逆に心身の調子を乱してしまいます。

いっぽう傍から見ると無謀に見えても自分の心の中では実現をリアルにイメージできる願いであれば達成できる可能性は大いにあります。

だからといって、あまりに願望のハードルを下げてしまうと、こんどは心の内部でのモチベーションがあがらず、かえって実現しないことがあります。

なぜならその願望を達成するためのエネルギーが必要とされないからです。

その願望が無謀なものかどうかは、みぞおちを触ってみるとわかります。

その願いがかなった状態をイメージして、みぞおちが硬くならなければ実現可能な願望です。

反対にみぞおちが硬くなるのは、無謀な願望に対して体が正直に反応しているので少なくとも今の時点では実現の可能性が少ない願望です。

人間、ちょっと背伸びして少しだけ無理な願望を思い描いたときに一番エネルギーが湧き出るそうです。

それは、その願望にふさわしい体と心に変化するってことだとか。

そのためには五感をフル活用して、その願望を細部まで思い描けるようにすることです。

そこまでくれば流れ星が流れた瞬間につぶやけるはずです。

もう実現したつもりになっちゃうくらいに願望を「温め」ましょう。

スケジュール帳に描いちゃうくらいがいいですね。そうすれば間違いなく実現します。

その強い思いを信念と呼びます。

信念の強さは希望や願望のレベルを超え、思ったことがかなわないはずがないという確信に至ることで威力を発揮します。

「~したい」「~になりたい」ではなく、すでに「~できた」と口でも心の中でも断言する、そうなった状態を情景としてありありと描けるまでに確信を高めましょうということなんですね。

レッテルを貼るということ

もうずいぶん前のことですが、香港から南インドまで陸路を旅したことがあります。

そこで気がついたのは、香港人と南インド人は同じ「いのち」だってことでした。

何を当たり前のことをと言われそうですが、虹が七色ではなく無数の色のグラデーションであるように、日本人とアラブ人はひとつながりのいのちです。

どこで何をしているか何者であるかの前に、私たちはまずひとつの「いのち」として生きています。

戦争にしても差別にしても環境破壊も、この「いのち」が見えなくなってしまっているのが一番の原因ではないでしょうか。

いのちはつながりの中で輝きます。

つながりが失われるとき、いのちは生命力を失い、「わくわく」しなくなり、他者への思いやりや関心も失っていきます。

いのちのつながりを見えなくしている一番の原因のひとつは「レッテル」です。

職場や地域、サークル活動から宗教・国家・民族に至るまで、私たちは他者にレッテルを貼ることで、つながりを分断し、相手を敵とみなすことができるようになります。

アカ・外国人・異教徒・ホモ・障害者・オタク・靴下をいっぱい履いている変な人…同じ価値観、同じ嗜好を持った集団にいると私たちは安心できます。

その集団の安心感の中で個性的でいるためには、いったい私たちはどうしたらいいのでしょうか?比較しないこと。

自分の中で他者との比較をやめたとき、はじめて人は個性的な存在になれます。

でも、いうのは簡単だけど実際はなかなか。

日々私たちは他者との比較の中で生きているし、比較は向上へのエネルギーでもあるしね。

言葉だけ、口から出てくる会話やつぶやきだけでも「らしい」「~より」といった言葉をできるだけ使わないようにすること、そして「昔の人は頭が固い」とか「今の子達は物事の道理をなんにも分かっていない」とか、レッテル張りをして相手を評価することを減らして、かわりに自分自身が感じていることをストレートに表現していければ、ずいぶんと世の中も生きやすくなると思うんですけどね。

昔から冷えとりしている人も、今日始めた人も、人の価値にかわりはありません。

冷えとりしている人もしていない人も当然違いはありません。

あたりまえのことですが、同質の集団にいるとつい忘れがちになるって自戒をこめて書きました。

買い物の話

取り込むのを少なくして、巡らせて、しっかり出せばすっきりしてきます。

何の話かって?「買う」ことを見直しましょうって話です。

仕事の帰りについコンビニに寄って要らないものまで買ってしまう。

バーゲンと聞けば買わないともったいないとばかりつい新しい服を買ってしまう。

百円ショップに入れば便利グッズや癒しグッズがいつの間にかカゴ盛りいっぱい。

家の中を見回して使わないものがあふれていたり、冷蔵庫で食べ物を腐らすことは、すなわち家の中に毒をためているってこと。

まずはあなたにとっていらないものを捨てたりリサイクルに出しましょう。

あとは、「買い物七分で不自由知らず」今の買い物を3割減らせば、買い物の質が上がり、自然と家の中も頭の中もすっきりして、お金もたまります。

「消費者」と呼ばれるように、私たちの暮らしはあまりにも「買う」という行為に依存しています。

働いて得た賃金をものを買うために使い、ますます長時間働かなくてはならなくなってしまいます。

幸福を追求して働いているつもりが、いつの間にかお金のために働いている自分に気がつきます。

お金は血と一緒です。

巡らなければ病気になってしまいますが血液を体中に巡らせることが人生の目的ではないように、お金を稼ぎ使うことが生きる目的ではないはずです。

お金を払って何かを買うという行為は、本来自分ですることを他人に任せるということです。

そして「生きる技術」「生活を向上させる智恵」「自ら工夫することの楽しみ」も放棄してしまいます。

もったいない。

買うという行為を制限すると、作ったり借りたりシェアしたりもらったりが多くなります。

そこには必ず周囲とのコミュニケーションが生まれます。

まわりとのコミュニケーションはあなたに幸せと他者への思いやりを思い出させてくれるでしょう。

そして、お金を極力使わない暮らしをしていると、あら不思議ほんとうに必要なものはキチンと手に入り暮らしにいらないものが家から去っていき、お金も溜まり、その上で時間に追われることもなくなっていきます。

その結果こころとからだが健康になっていくという、つまり質の高い暮らしが手に入るのです。

これが暮らしの冷えとりです。

それは今までの買い物を3割減らすこと「買い物七分」からはじまります。

セックスと陰陽

セックスと冷えとり

陰陽でいえば男は陽ですが、ペニス(陰茎)は男性の中でも陰にあたります。

同じように女は陰ですが膣や子宮は陽になります。

男性の中の陰と女性の中の陽が接合することでそれぞれ別に廻っていたふたりの気が、ひとつの循環になります(太極)。

二人の間を気が廻れば温かい気持ちが湧き上がります。

長い時間くっついて一緒にいることが健康と幸福の近道です。

ところが、快楽だけを目的としたセックスや、強さを誇示するだけの「男」らしいセックスは、逆に気の循環を阻害してしまいます。

ただ抱き合って、お互いの心音や呼吸のリズムを感じながらゆっくりとパートナーとの時を過ごす、そんなセックスもあっていいんじゃないでしょうか。

たとえばあなたが冷えとりしていてパートナーを温めてあげたいとき、パートナーに靴下を無理やり履かせなくても、抱き合ってふたりで気を循環させることで温めてあげることはできるはず。

男は社会の中でいつも強いことたくましいことを求められています。

それはパートナーとの関係の中でも一緒、征服することや満足させることを最優先にするように意識づけられ、そんなプレッシャーに負けてEDになったり自己嫌悪に陥ったり。

でもほんとうは多くの女たちが求めているのは精力絶倫でもペニスの大きさでもなく、幸せな二人の時間のはず、今のままのあなたでいいんだよって伝えてあげられたらどんなにか素敵でしょう。

あなたとパートナーの間を温かい気が巡っていれば、家族や周囲との関係もきっとうまくいくはず。

それはひいては差別や抑圧のない社会や戦争のない世の中、幸せなエネルギーに満ちた地球へと広がっていくんじゃあないでしょうか、って大風呂敷広げすぎかな。

少なくとも、満足することさせることだけがセックスの目的じゃないと思えば、パートナーとの接し方もお互い違ってくると思いますがいかがでしょうか?

男社会と冷えとり

男女差別とヒエラルキー

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」ボーヴォワール今の社会において、女は男の下に置かれています。

「うちではおかあちゃんのほうが、お父ちゃんより強いよ」

あ~それは温ちゃんのボスの家庭でも一緒です。

昔は男は「主人」で、女は「奥」さんとして家に閉じ込められた存在でしたが、今の家庭や小さなコミュニティで女がハンディを感じることは、ずいぶん少なくなりました。

ところが国家や大企業など大きな組織になればなるほど、女性は男社会の大きな壁に阻まれます。

大きな組織においては、同じ能力なら男性は間違いなく女性より優遇されます。

それは、「組織」というものが男が作り出した仕組みで、男たちはそのルールの上で競い合っているからです。

組織は大きくて速くて強いのがお好きです。

軍備や原発などの巨大産業、国家などは男たちが大好きなおもちゃです。

そして、ひとりひとりの男たちは優しくて民主的な価値観を持っているとしても組織となれば別物、今の女性社員は、はじめから男の土俵の上で競うことを強いられています。

男女機会均等といって、女たちを男たちのルールの中にほうり込むだけで解決するような簡単な問題ではありません。

男は「陽」女は「陰」。

上半身(=男)が陽で下半身(=女)が陰だとしたら、下半身は冷え切って、上半身はのぼせます。

のぼせれば傲慢になり威張りだし、攻撃的になります。

冷えれば陰湿になり不寛容になり、視野がせまくなってしまいます。

そこに循環が無ければ社会という体は病気になってしまいます。

性差社会の冷えを取り除くには、男女社会の循環をよくしてあげればいいわけですが、それがなかなか難しい。

それでも意識して動いている女たちや男たちも少しずつ増えています。

ジェンダーとしての性差の垣根をなくしたいという育メンが増えたり、今まで男の仕事といわれた世界に積極的に飛び込む女性が増えたり、あえて大きな組織から距離を置き、生活に根ざした手仕事(機を織ったり、畑を耕したり)を選択する若い人たちが現れたり…それが意識しているいないに関わらず、少しずつ少しずつ今の世の中の冷えをとって、持続可能で幸福な世の中に近づいていくのでしょう。

そして、女たち!もっともっと温まりましょう。

自分からはじめて世の中の冷えまでとるくらいの気概でね。

幸福とは

幸福って何?

健康は手段であって目的ではありません。

「元気がなにより」「健康でさえあれば」

そうじゃないでしょ、病弱でも、大きな病いをかかえていても、家族につらいことがあっても、幸福な人はちゃんといます。

ほんとうの幸せは、春のそよ風や、鳥のさえずり、きれいな夕日に感動する心、心温まる言葉やちょっとしたしぐさ、小動物の愛らしさなどに喜びを感じることができること、ほんとささいなことに感動したり感謝したりできる人は、それだけで幸福です。

もっとお金持ちに、もっと健康に、もっと自由に、もっと快適にといった欲はかえって幸福を遠ざけてしまいます。

人は感動すると60兆の細胞が、波動をあげて輝き始めます。

恋をしたり、楽しいことに夢中になったり、友達とおしゃべりしたり、きれいな景色を見に行ったり…ドキドキ・ワクワク・ウキウキをいっぱいしましょう。

それは心の働きを活性化して体内の熱やエネルギーの流れをよくして、免疫力や自然治癒力もアップさせてくれます。

あなた自身が幸せでときめいていれば、それは百の言葉よりあなたの大切な人に伝わります。

人をかえようとは思わないこと。

あなたが楽しい、うれしい、ありがたいと思って生きていれば、それが周りを動かします。

だから、目の前に壁があるときも被害者にならないで、不幸だなんて思わないで。

与えられた環境の中で幸せでいようね、それが今のあなたに温ちゃんがいちばん伝えたいメッセージです。

人間の成長と五行の話

成長のすすめ

新しい価値観、スタイルに出会うと人はまず、悩んだり考え込んだりいたします。

たとえば、冷えとりをはじめて知ったあなた。

本を読んだりブログを見たり、自分で半身浴をしてみたり靴下の枚数を重ねたり。

体験を重ねながら「これはめんげんかな」とか「このやり方でいいのかな」とか、悩んだり納得したり疑ったり…この状態が五行で言えば「木」です。

「木」というのは物事の始まり、そして思い悩むこと。

人で言えば思春期あるいは青春時代。

そして「冷えとり」を通して私たちは仲間に出会います。

友人知人、先輩そして地域での勉強会やマルシェ、またフェイスブックなら「冷えとり茶話会」やら「ストリートスナップ」など。

仲間の「愛」や「慈しみ」を受け、私たちは「木」から「土」に進化します。

「土」は「現実」。

土は命をはぐくみ育てます。

私たちは「仲間」を通して多くのことを学び成長します。

「冷えとり」も多くの仲間といることで、学びや気づきや安心が得られます。

ところが、「土」にはいい面もあれば、悪い面もあります。

集団の中にいることで安心できるってことは、そのままみんなと違うと不安になるってことにつながります。

また、集団の中と外のように対立を自分の中につくり、異質なものを排除したり攻撃したりするのも「土」の特徴です。

「土」にとどまれば安心ですが進歩はありません。

「土」は命をはぐくみもすれば腐らせもするのです。

成長のためには私たちはいずれこの居心地のいい集団からひとり離れ、次のステージをめざさなければいけません。

そして、「土」の次は「水」。

「水」は、ひとりひとりの個性が生きる、みんながそれぞれほんとうに「特別」な世界です。

でも「水」の世界はひとりぼっちと心配しないでね。

ちゃんと「水」界では15年前20年前に冷えとりをはじめた、目立たないけど優しいたくさんの先輩たちが待っています。

そして「、木」から「土」に移行するときに「火=愛」の助けが必要だったように「、土」から「水」への成長には「金=排泄」の助けが必要です。

つまり捨てること。

恐れや抱え込んだ安心感を捨てる勇気が成長には必要なんですね。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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