Facebook北條 毅さん投稿記事
運が良いやら、悪いやらという会話を聞いて自分を振り返ってみると そういえば運が良いとか、悪いとか思うことって普段ほとんどないなぁ、と気づく。ㅤ
例えば、この前に書いた15歳の時に自殺しかけたという話。ㅤ
その時は、もちろん死にたくなるぐらい辛いことだったけどあの時のあの経験がいまの僕の人生にとってとっても意味のある経験になってるというのは、間違いのないことで。
いま、普通に生きてるだけで幸せだなぁと思うし一方で、人間誰だって死にたくなるときぐらいあるよねって、時として体験する人生の大変さがあることだってわかる。ㅤ
大事な経験させてもらったなぁと思うんだよね。ㅤ
あの時のあの経験がその後の30年間の僕の人生をとても味わい深いものにしてきてくれた
ということは間違いなく思うことで。ㅤ
それって良いとか、悪いとかㅤそんな単純な価値観を超えたもっと大きな視点での感覚でㅤ
そんな極端な出来事じゃなくても「人生万事、塞翁が馬」って言葉があるようにその出来事が良いのか、悪いのか、なんてその瞬間にはわからないことで
だから、その出来事が起きた瞬間にそれが良いとか、悪いとかそう決めつけて一喜一憂する意味ってないよね、って そう思っていて。
だから僕は自分が運が良いとも、悪いともどちらとも思ってないし普段気にもしていないㅤ
気にしてるのは「流れてるのか」どうか、ということだけ。
悪いように感じる出来事があったとしてもちゃんと流れ、動いているように感じられるのならその悪い出来事は実は必要な、意味のある出来事だったと感じるときが来るのかもしれないし良いように感じる出来事があったとしてもちゃんと流れ、動いているように感じられるのならその良い出来事ばかりに執着してちゃいけないと思う。
いずれその状況も変わっていくからね。ㅤ
運が良いとか、悪いとかどっちでもいい。ㅤ出来事には、良いも悪いもない。
良いとか、悪いとかそう思っている自分がいるだけ。
出来事そのものはニュートラル。出来事も、そして自分もただ、流れ、変化し続けていくだけ。ㅤㅤ
流れの中にあるのならいまがどんな状況であっても必ず進むべき必然の未来へと流れゆくと思うんだ。
いまを感じること。いまを味わい尽くすこと。けれど、いまに執着しないこと。
感じた瞬間に手放し、流れること。大事なのは、そういうことだと思う。
これからも、そうでありたいな。
Facebookごとう 孝二さん投稿記事「あなたが一番苦しんだことがみんなの力になる」
若い頃私は自分の無力感に苦しんだ。 自分は動くことができない。自分にそんな力があるとは思えない・・・だから今、自分の力を信じられない人が自分の内に既にあった力を見出してゆく瞬間を喜んで共にしている。
不思議なことに人は、一番苦しんだことが一番の力の源泉に変わるようだ。
いちばん欲しくて欲しくてだけど得られなかったものがいちばん人にあげたいものに変わるようだ。苦しみ、痛みや、恥でしかなかった過去の中に、自分の本来の力と使命が既に育まれていたことに気づいた時。
自分の存在と人生をまったく新しい眼で受け止めている人になっている。
恥ずべき闇が、誇らしい宝に一瞬で変わる。その原点から、生きる力が蘇ってくる。
苦しんだからこそ、その大切さがわかる。その有り難さがわかる。
それほど苦しんで格闘してきたのだから、もう十分それをやる力はついている。
それは生半可な長所なんかじゃない。
泥をくぐって根っこから生え抜いたオンリーワンの強みだ。
だからこそ、こんどはそれを人にあげていく番だ。それほど大切なものだからこそ、
それを人にあげることに深い喜びを感じるのだ。
やがて同じ苦しみを持つ人があなたに何かを感じ、何かを見出すようになるだろう。
あなたに触れることで再び立ち上がる力を得ていくようになるだろう。
たった一人で苦しんできたそのことがたくさんの人ための力へと変わっていく。
狭い家族の中で必死に培ってきたその力がもっと広い世界のための力へと変わっていく。
人生の不思議と妙味。だから苦しみを見ないでやりすごすことはその宝を埋もれさせて終わることになる。苦しんできた自分に真正面から向き合い飛び込むことの意味はそこにある。
自分にOKを出して前に進むブログより。
赤城神社にて。
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