https://ivory.ap.teacup.com/tuneaki/331.html 【「癒しの心で俳句する」】より
俳 句 の こ れ か ら…
児 島 庸 晃
毎日の生活のなかで他人の言葉に傷つき、社会から疎外された時、私たちはどうして自分自身を復旧回復させているのだろうか。ときどき思うことがある。私たちの青春はフォークソングに身を投じ音楽喫茶に群がっていた。いまでは喜多郎のシルクロードのテーマ―音楽に惹かれ、姫神や富田勲の演奏に我を忘れて浸る。ここには安らぎと癒しの心が強くあり、…そうして自分自身を慰めているのであろうか。このようなとき、俳句することの意義や意味はいったいなになんだろうと思う。もっと素晴らしい社会参加があるのではないかとも。もっと良い生き方があるのではないかとも。
でも、私たちは俳句を書いてゆくことの持続性を思い、日々努力している。その魅力とはいったい何なんだろうと思う。そして、どうして短詩形に魅了されているのだろうかとも思う。
その短詩形とは…短歌・俳句・川柳のことである。これらの発祥は、いずれも和歌といわれるものであった。もっと昔へ遡れば連歌である。
ここで、随分以前のことになるが、神戸新聞2006年7月29日朝刊掲載の記事を思い出す。「俳句はいま」と題する小川軽舟さんの記事である。6月18日仙台文学館で開かれた「第9回ことばの祭典」のこと。一般市民参加による短歌、俳句、川柳の合同吟行会と言う短詩形の交流に関するものであった。
受賞作は…。
(俳句)欅とは偉大なる他者新樹光 佐藤成之
(川柳)雫にも似たるか老母のリズム感
横関智恵子
この二つの作品においての俳句、川柳、の区別を何処で見極めるのか。私には全く判断がつかないのだ。強いて言えば季語があるかないかの常識程度で殊更強調すべきものはない。生活実感からすれば川柳の方がわかりやすいし感動や共鳴も優れているようにも、私としては思える。俳句本来の持つ良さとはいったい何なのだろうと思う。季語に頼り過ぎ、季語の持つ特質にポイントを求めると、その季語に全てが押しつぶされてしまう。そんなふうにも思えるのは俳句の弱点でもあるのではないか。本来俳句も川柳も連歌から独立したものである。連歌の発句(五・七・五)が俳句になり、付句(七・七)の部分が、五・七・五の形に変化、川柳になったものではないか、という説がある。
小川軽舟さんは言う。以下原文のまま…。
「俳句に季語や切字があるのは、それが発句の約束事だったからである。発句は一句で完結することが求められ、以下の付句では人間生活の諸相が目まぐるしく繰り広げられた。俳句も川柳ももともと滑稽を旨とするものなのに、俳句は完結しようとして気負い、川柳は世相の移り変わりとともに駆け抜けた。前者の気負いを文学性だと思うのは、俳人のうぬぼれにすぎないのではないか。祭典の後、そんなことがしきりに思われた」
そして軽舟さんは私自身の反省も込めてと言う。
「俳人は現代詩や短歌とは肩を並べたがるのに、川柳のことは同じ文学の仲間だと思っていない感がある」
いま俳句は生活の或いは日常の、そして私達の身近な部分からだんだんと遠くへ離れてゆこうとしている。かって私は師である伊丹三樹彦から人間の心を学び、その姿を詩心とすることを教わった。その心は川柳作家の方にこそあるようにも思える。
次の句を見て頂きたい。
あかつきの梟よりも深く泣く 時実新子
この句は川柳である。この句についての評を赤尾兜子は川柳としては見ていなかったのだ。赤尾兜子は「川柳ジャーナル」117号(1973年)で「新子近見」と題して書いている。
https://so-shiedon.blog.ss-blog.jp/2014-03-31 【『元気が出る俳句』より [シードン/文学論]】より
《リード》
『元気が出る俳句』(倉阪鬼一郎 幻冬舎新書 2014)を本屋で見つけて買って来た。新本を買ったのは久しぶりである。
《本文》
母をメンタル・クリニックに連れて行って待っているとき、待合室にあった「うつ病」についてのパンフレットをパラパラめくってみて、気づいた。私はうつ病とはかなり距離があるようだ。チェック項目の該当がほとんどなかった。こんなにショボクレていても、病気ではないのだ、多分。ちょっと元気が出た。(笑)
でも「元気が出る」という文句には惹かれた。やはり元気が出ないことを気にしているからだろう。 家に帰ってすぐに読み通した。そして、私の好きな句。
裸子の尻の青あざまてまてまて(小島健)
黒板に揃つて出て書く「こいのぼり」(田川飛旅子)
秋晴の運動会をしてゐるよ(富安風生)
夢に現れし 桜の下を いま歩く(伊丹公子)
ねこしろく秋のまんなかからそれる(渡邊白泉)
スエターの胸まだ小さし巨きくなれ(京極杞陽)
蝶々や何を夢見て羽づかひ(千代女)
水鳥やむかふの岸へつういつい(廣瀬惟然)
人間は生きよと銀河流れをり(上野泰)
満開の花のことばは風が言ふ(林翔)
みどりごのお口あーんと初日さす(林翔)
ひよこ売りについてゆきたいあたたかい(こしのゆみこ)
風の家シャツパンツシャツパンツ干す(こしのゆみこ)
「あの高いところまで行きたいな」ビーチサンダルやわらか(小野裕三)
風船を空の深井に探さねば(谷口摩耶)
よし分った君はつくつく法師である(池田澄子)
炎帝に告げよ「あたしは美しい」(竹岡一郎)
ポストまで歩けば二分走れば春(鎌倉佐弓)
柳絮とぶ地球でお逢ひしましたね(恩田侑布子)
国の名は大白鳥と答えけり(対馬康子)
遠景はいつも幼年いわし雲(対馬泰子)
宇宙精神研究所の茶碗蒸し(川名つぎお)
夜明け五時ふと草原のキリンであった(岸本マチ子)
虫の夜の星空に浮く地球かな(大峯あきら)
風が吹いているあきらめることはない(前田一石)
うしろよりゆつくりゆけと秋の風(酒井弘司)
死ぬときは箸置くやうに草の花(小川軽舟)
ただひとりにも波は来る花ゑんど(友岡子郷)
蜩(ひぐらし)や悲しみ過ぎて笑つちやふ(成瀬正俊)
玫瑰(はまなす)や今も沖には未来あり(中村草田男)
えっ、多すぎるって?
この本には見出しだけでも百数十句が取り上げられている。さらに解説中に数百句あるから、これでもかなり絞ったはずだ。
そして、ベスト1は?
柳絮とぶ地球でお逢ひしましたね(恩田侑布子)
不思議な味わいの句だ。宇宙人の話だろうか、それとも人間として生きていたころを回想しているのだろうか。「柳絮とぶ」の「柳絮」が最初読めなかった。意味も不明。だが、北京名物として知られ、俳句の世界では有名な、柳の種子を運ぶ綿毛のことだそうだ。「リュウジョ」と読む。5月、雪のように舞うという。
陽光のもと、柳の緑を背景に無数の綿毛が風に舞う様子には、宇宙の趣が確かにありそうだ。いや「地球的美しさ」というべきか。
「不親切だ」と思ったのは、この「柳絮」の読みについてこの本は教えてくれていなかったことだ。俳句仲間の間では解説不要でも、素人は戸惑う。漢和辞典を持ち出して調べなくてはならなかった。――まあ、おかげで印象は強まった。結果、1位。倉阪氏の作戦だったのかもしれない(笑)。
倉阪氏は紹介していないが、次の恩田の句もいい。
告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む
夏野ゆく死者の一人を杖として
途方もなきものへ手をふる春の暮
道なりに来なさい月の川なりに
こないとこでなにいうてんねん冬の沼
真つすぐに死ぬ時は死ぬ鷹一つ
酢牡蠣吸ふ天の沼矛(ぬぼこ)のひとしずく
少しは元気がついたかも知れない。
※恩田侑布子氏についての稿には他に『余白の祭り』がある。
※「柳絮」については『柳絮のころ』がある。
https://www.mylohas.net/2014/12/042508haiku.html 【たった17文字がもつ癒しの力】より
仕事や人間関係で疲れた時。言葉に励まされたいけれど、おしゃべりするほどの元気も無いし、映画をみる気分にもなれない。
そんな時、短い言葉でゆったりと励ましてくれる俳句はいかがでしょうか。5・7・5のたった17文字のなかに、広く包み込んでくれるような、それでいて次に向かうエネルギーが込められている、そんな力をくれる句をご紹介します。
5・7・5に込められた癒しの力
人の世をやさしと思ふ花菜漬 後藤比奈夫
(『元気が出る俳句』P37より引用)
ささやかな日常の風景のなかに、人の世の心があると気付かせてくれる句です。忙しい日々を送るなかで、落ちつきのなかった自分をふっと我に返らせてくれるようです。
続いては、ちくちくと生活の中で刺さっていた小さなとげたちを消してくれる、魔法の句。
青きプール雪が降りつぎ何か癒ゆ 大井雅人
(『元気が出る俳句』P212より引用)
雪が冬のプールに消えてゆく。張りつめた、厳しいとさえ思える世界にあっても、変化しないものはない。今は痛くて、うっとうしいとげでも、必ず溶けて消えていくよ、と景色に託してささやいてくれます。
ほっこりと励まされる俳句
つづいては、今日や明日のことに気持ちが焦っているときに、もっと長い時間を考えてみたら? と、肩を叩いてくれる句。もうちょっとゆったり、広い目をもって生きていいんじゃないの?と。
霜柱この十年になすべきこと 田中裕明
(『元気が出る俳句』P192より引用)
天の川小さくあれど志 矢島渚男
(『元気が出る俳句』P199より引用)
短い言葉のなかに、いつもと違う時間の流れを発見して、じぶんを振りかえる時間がもてる俳句。ちょっと元気がないときに、文字のハーブとして役に立ってくれるのではないでしょうか。
https://asajikan.jp/article/156956 【朝読書に!心がほどける、ふわりと軽くなる一冊『元気が出る俳句』】より
「コンビニのおでんが好きで星きれい」(神野紗希)「地球よし蜜柑のへこみ具合よし」(越智友亮)身近な食べ物を詠んだ句に、なんだかおなかがぽわっと温まる。
「かたはらに絵本買ふ妻春の午後」(加倉井秋を)やさしさに満ちた句に、心が透きとおる、ふわりと軽くなる。
「人間は生きよと銀河流れをり」(上野泰)力強い句を口ずさめば、凛と前を向いていこうと思えてきます。
元気が出る食べ物や飲み物の俳句、心が洗われる風景の俳句、人生を応援し励ましてくれる俳句などのテーマに沿って、若い俳人の俳句から江戸期の俳人の俳句まで、千句を超える作品をセレクトしています。人を見つめるまなざしが温かい解説が印象的です。
私はこの句も好き!「風の家シャツパンツシャツパンツ干す」(こしのゆみこ)心と体に爽やかな風が吹き抜けていくようです。
少ない字数の短い言葉には大きなパワーが秘められている。読むたびに幸福感に包まれる一冊です。
https://www.abn-tv.co.jp/naisyo/column/%E5%85%83%E6%B0%97%E3%81%AE%E5%87%BA%E3%82%8B%E3%80%8C%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E3%80%8D/ 【元気の出る「俳句」】より
昨年11月から俳句を始めた。定年後の暇つぶし、と言うわけ。インターネット句会で、登録さえすれば誰でも参加できる(多少、経費はかかるのだが)。登録者は約100人、常連は15人ほどであろうか。
で、投句したらいきなり「特選」に選ばれた。
「達郎を聴いているイブ独り酒」。
これが昨年12月の、特選句となった。クリスマスイブといえばおなじみ山下達郎のこの一曲。若い頃なら楽しみであった季節も老いては独り、酒をふくんで回想にふける。そんな意味を込めた。
望外の光栄に思わず「ビギナーズラック」と謙遜してはみせたが、心の中では「ヒヒヒ」とほくそ笑んでいる。相変わらずの、いやな性格である。
以来、毎月投稿している。成績はまずまずで、俳句仲間からは「久々の、期待の星」とおだてられた。
それはともかく、投稿の多くに老後の悲哀を詠う句が混じるのは、参加者が高齢ということに関連するのであろう。一人の部屋で、コンビニで買ってきたレトルト食品を温める、といった風景。「独り言」「我が行く末」「忘れられ」「老いの春」「独り居」などのフレーズが毎回、登場する。いまさら嘆いてどうする、現実を直視せよと鼓舞してみるが、どうもこの自虐傾向?は自分にも及んでいる。
「家を出で行くあてもなし日向ぼこ」、「おぼつかぬ足に合わせる冬の犬」などは2月の拙句。
もっとも、句とは裏腹に私の日常は、従前からの仕事である独身寮管理人、ボランティア、行政からのアルバイト、加えて今回の句会参加とそれなりに忙しい。老いをネタに、大向こう受けを狙っているわけではないが、それでもサラリーマン時代にあった、あの追い立てられるような日々からはほど遠い。むりやり予定を組み込んで、余計な思いにとらわれないようにする。それが定年後の処世であろうか。
これからはもっと明るい句を作ろう。ながき世を持てあましても何も出てはこない。
「明日葉にしぶとく生きよの教えあり」
「南南西あしたの予報は雨のち春」
「春うらら日差しを遮るものはなし」
こんな句を「春」3月以降、投稿している。気分だけは、明るくしたいのである
というわけで拙句ばかりを書き連ねた。とんだお目汚しでした。最期は元気の出る秀句を披露しておきたい。昨年もこのコラムで紹介した。
「春風や闘志いだきて丘に立つ」(高浜虚子)。
(日刊スポーツ I / 2021年4月)
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