ウメの花の咲くころに吹く風とは?

https://plus.chunichi.co.jp/blog/shirota/article/187/1852/ 【ウメの花の咲くころに吹く風とは?】より

あちらこちらでウメの花便りが聞かれる季節になりました。ちなみに、名古屋のウメの開花日は平年ですと今日(2月2日)です。また、暦の上の春の始まりは立春(今年は2月4日)ですから、まさにウメの開花は春の訪れを知らせるサインといえます。

さて、梅の花を詠った和歌で有名なものはというと、こちらではないでしょうか。

学問の神様としても知られる道真公が、大宰府に左遷されることになり、京都を離れる時、紅梅殿の梅に「東風が吹いた時は、その香りを京都から大宰府まで届けておくれ」と名残を惜しんで読んだ歌です。

冷たい北風や西風が吹いていた冬から、季節が春に進むと暖かい南風や東風が吹くようになるため、歌の中に『東風』を詠んだのかなと思いがちですが、どうやらそうではないようです。

中国の古い本に、『帝王は、立春には青い服を着て、青い服を着た家来たちを従え、青い旗を掲げて東の野に出向いて春を迎え、立夏は赤で南の野に夏を出迎え、立秋は白で西の野に秋を出迎え、立冬には黒ずくめで北の野に冬を迎えに行った』とあります。

中国では、季節に「春→青・東」「夏→赤・南」「秋→白・西」「冬→黒・北」と、色と方向をつけていて(陰陽五行説)、これが日本に伝わり、道真公が「春→東風」と歌の中に使ったようです。

偶然の一致ですが、東風は気象学的に言っても「春風」。2月は、これまでの北風から、だんだん暖かな東風が吹くような日が少しずつ増えてくる季節です。

日足もだんだんのびてきていますし、太陽の光にも春の訪れを感じられるようになります。

これまで、寒さで外に出るのをためらっていた方も、天気のいい日は梅の花を探しに出てみては?

花と太陽から元気をもらっちゃいましょう!


https://jodo.or.jp/issho/essay/34.html 【雪の色を奪いて咲ける 梅の花 今盛りなり 見む人もがも】より

(雪の白さを奪って咲いている梅の花は今が盛りだ。見てくれる人がいるといいな。)

雪が降り積もるなか、白い梅の花が、雪のすべての色を「奪い取って咲いている」という表現には、いのちが爆(は)ぜるような力強さを感じます。

この歌は大伴旅人という奈良時代の歌人が詠んだもので、7世紀から8世紀にかけて編纂された日本最古の歌集である『万葉集』に収められています。『万葉集』には約4,500首の歌が収められていますが、そのうち119首が梅に関する歌だそうで、平安時代中期に桜が人気となる以前は、最も愛されていた花でした。そして、私が最も好きな花でもあります。

自坊の玄関脇には、白い花を咲かせる一本の枝垂れ梅があります。樹齢は50年くらいでしょうか、毎年2月中旬には蕾(つぼみ)を膨らませ、彼岸の入りの頃まで目を楽しませてくれます。私の住む埼玉県中部では年に2,3回雪が降る程度なのですが、ちょうど梅の花が咲き始める頃に降るのが恒例です。雪が降った次の朝、うっすらと化粧をした真っ白い梅の花が咲いているのを見つけると、例年のことではありますが、私は得も云えぬ感動を覚えます。凍てつくような雪に覆われ押しつぶされそうになりながらも、寒さに抗(あらが)うように花びらを膨らませようとするその逞(たくま)しさ、いのちの強さに心打たれるのだと思います。

この梅の花の力強さは、私に大切なことを気付かせてくれます。梅の花が咲くことができるのは、木全体のいのちが集約しているから。そして木自体が生きることができるのは、木を育む土壌、土壌を作るバクテリア、気温、風など、木を生かす無数の存在(条件、要素)があるから。つまり、目の前にある梅の花は、無数の存在のいのちに支えられ生かされているからこそ、雪の寒さに抗って私たちの眼前に現れるのです。

これは、まさに私たち一人ひとりの存在を表しているように思います。私たちは、一人ひとりが「いのちの花」を咲かせています。日々のなかで楽しいこともあれば、時には耐え難いようなつらい時もあります。しかし、私たちのいのちの花は、梅の花と同じように、周りの様々な有縁・無縁の存在に生かされて咲いている、だからこそ咲き輝くのです。

このことを毎年、梅の花が教えてくれる気がするのです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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