Facebook竹元 久了さん投稿記事 🔵日本語で育てられると「自然の声」を聞くことができる!
日々私たちが使っている日本語には他の言語にはない不思議な点が多々ある。その中でも一音で複数の意味を持つ「一音多義語」であるという点
例えば「ま」でも「真・間・魔・馬…」と多くの意味を持つ。
何故日本語がこんなにも複雑な意味を持つようになったのか、そしてそれによって得られたものとは何だったのか。
● 第一章 言霊に秘められし霊性を呼び覚ます
日本語が形成する日本人特有の感性
日本語は言語の形態論上の分類において「膠着(こうちゃく)語」のカテゴリーに入る。これは、単語に接頭辞や接尾辞などを膠着(にかわではりつけたように)させて意味を生み出す形態の言語であり、その構造は日本語の成立過程に深くかかわっている。
上代語における最短の単語は一音であり、その一音一音の組み合わせから日本語は生まれてきた。
「そのように一音で意味を成す言葉を『一音語』、その意味を『一音義』といいます。一音語の代表は体の各部を表す単語であり、マ(目)、タ(手)、ハ(歯)などがあります。これが二音になると、ミミ(耳)、イキ(息)、アク(足)などとなります。つまり、日本語では一音にも意味があり、それが二音、三音となり、組み合わされて、次第に言葉が形成されていったのです」
七沢氏によると、上代語は一音語に始まり、二音、三音となり、その三音の組み合わせだけで2500以上の単語が形成されていたという。2500語といえば、人と人との意思疎通において必要十分な単語数であり、複雑な心情を表すこともできたはずだ。
一例として「憧(あこが)れる」という言葉を考えてみよう。
これは古代においては「アクガル」であり、身体語である「アク(足)」と動作語の「カル(駈る)」を膠着させて生まれた単語であった。つまり、足が地から離れて中空を漂っているような精神状態のことを古代の人々は「アクガル」と呼んだのだ。そのように、一音語、あるいは二音語、三音語が結びついていき、数多くの語彙(ごい)が生み出された。
「一音語にも多義があり、一音多義と呼ばれます。そして、その一音語が組み合わさってさまざまな言葉になっているのが、あらゆる現象を語彙にした日本語の特長です」
そのように森羅万象(しんらばんしょう)を語彙にするプロセスにおいて、日本語には擬音語(ぎおんご)や擬態語(ぎたいご)が他の言語と比べて数多く含まれることになった。いわゆる言語学の世界では、そのような擬音語・擬態語は幼稚なものとされるようだが、見方を変えれば、これは天地自然に感応(かんのう)しやすい日本人特有の感性を示すものといえよう。
このことは、元・東京医科歯科大学教授の角田(つのだ)忠信氏による、日本人の脳についての研究にも述べられている。
人が話すときには言語脳とされる左脳でその音を聞き、楽器の音などは音楽脳と呼ばれる右脳で聞いている―と一般にはいわれているが、角田氏によると、虫の声のような自然界の音の場合では、西洋人などが右脳においてノイズ的な「音」として聞く一方で、日本人は左脳で会話のような「声」として聞いているという。
そういわれると心当たりのある人もいるだろう。
鳥のさえずりや動物の鳴き声、風が木の枝を揺らす音や雨音など日常に溢れる自然音をわれわれはある種の「声」として捉え、その自然界からの語りかけに趣きを感じてきた。
ここここと雌鳥(めんどり)呼ぶや下すずみ
鶏(にわとり)の鳴き声をそのまま「ここだここだ」と呼びかける声とみなした、この小林一茶(いっさ)の句は、まさにそのような日本人の天地自然への感応性が最大限に生きたものとなっている。
角田氏によると、自然音を左脳で「声」として聞く日本人の特性は人種的なものではなく、あくまで日本語に由来するという。つまり、外国人であったとしても、日本語で育てられると「自然の声」を聞くことができるのだ。
https://ameblo.jp/sumumu/entry-12440392539.html 【~日本語の不思議~世界でも珍しい「一音」で意味が分かる言語】より
◆一音語と一音多義
ことだま50音表
日本語には、世界的にもめずらしい、一音で意味の通じる言葉がたくさんあります。
手(て)、目(め)、胃(い)、木(き)、素(す)、瀬(せ)、地(ち)、湯(ゆ)・・・。
このように、一音で意味がわかる言葉を「一音語」といいます。
そして、ひとつの音に複数の意味がある場合を、「一音多義」といいます。
・つ(津、都)人や物が集まるところ
・す(主、素)中心、もとの状態
・な(七、成)なな、成す
などです。
古代の日本には、中国から漢字が入ってくるまで、文字を書きのこす文化がありませんでした。
古代の日本人たちには、「ひ」=お日さま、燃える火、数の1としての役割、などの認識はあり
話し言葉もありましたが、文字として記録するための手段はなかったのです。
こんな状況のなか、今から約2000年前、日本人は、中国から伝来した漢字を、自分たちの言語を書きあらわす文字として採用しました。
古代の日本語(話し言葉としての大和言葉)がもともと持っていた意味に、書き言葉としての漢字の持つ意味を組み合わせてできたのが、わたしたちが現在使っている日本語です。
もともと使っていた話し言葉に、漢字を組み合わせたため、同じ音にいろいろな漢字が当てはめられています。
『古事記』や『日本書紀』のなかでも
「ヒコ」(日子・彦・比古・毘古)は男神につける音
「ヒメ」(媛・姫・比売・毘売)は女神につける音
など、役割によって漢字を使い分けています。
話し言葉に漢字をあてはめたため、「ことだま」では、同じ音は似たような意味を持つと考えています。
古代から続く、音への認識と、現代人の感覚をあわせて、名前で分析したのが「ことだま鑑定」です。
あなたの名前の意味を、ことだま1音・1音から知ることができます
名前に秘められた役割を知ることで、自分の使命に気づき、受け入れ、能力をさらに発揮できるようになるのです。
https://www.muji.net/lab/living/150909.html 【右脳と左脳と虫の声】より
灼熱の太陽が照り付けた夏も終わり、澄んだ空気が心地よい季節を運んできました。スポーツ、芸術、味覚と、秋の楽しみはいろいろありますが、夜長の楽しみのひとつは虫の声。ところで、この虫の声を心地よいと感じる私たち日本人は、世界のなかでは特異な存在だということをご存じでしたか?
あれ松虫が…
秋になると、虫かごに入れた鈴虫の鳴き声をBGMとして聞かせる日本料理店もあるように、私たち日本人は遠く万葉の時代から虫の音に耳を傾け、季節を感じてきました。「虫の音(ね)」「虫の声」と表現するように、日本人にとって、それは心地よいサウンド。ネット上に、コオロギや鈴虫などの鳴き声を納めたサイトがたくさんあるのも、虫の音を楽しむ人が多いことのあらわれでしょう。
ところが、西欧の人たちには、この虫の音が「ノイズ」と認識されているとか。同じ虫の音を聞いて、なぜこんな違いが起こるのでしょう? それを解明したのは、東京医科歯科大学名誉教授、角田忠信博士の「日本人の脳の研究」でした。
外国の人には聞こえない?
そもそものきっかけは、角田博士が1987年にキューバのハバナで開かれた国際学会に参加した時のこと。
歓迎会の会場をおおう「蝉しぐれ」のような虫の音に驚いた博士が、周囲の人に何という虫かと尋ねたところ、だれも何も聞こえないと言うのだそうです。パーティが終わった深夜、静かな夜道には、先刻よりもさらに激しく虫の音が聞こえていました。若い二人のキューバ人と帰途についた博士が何度も虫の鳴く草むらを指し示しても、二人には何も聞こえないようで、不思議そうに顔を見合わせるばかり。博士はその後、毎日この二人と行動を共にしましたが、一人は3日目にようやく虫の音に気づいたものの、もう一人は1週間たってもついにわからないままだったといいます。もしかしたら、日本人の耳と外国人の耳には違いがあるのかもしれない…博士の研究は、そんなところから始まりました。
左脳で虫の音を聞く日本人
人間の脳は右脳と左脳とに分かれていて、それぞれに得意分野があります。言葉や計算などの知的作業を分担するのは、言語脳といわれる左脳。これに対して音楽脳といわれる右脳は、非言語音を感覚的にとらえるのにすぐれているといわれます。この脳の働きを日本人と西欧人で比較してみると、西欧人は虫の音を右脳(音楽脳)で処理するのに対し、日本人は左脳(言語脳)で受けとめる、つまり虫の「声」として聞いていることが角田博士の研究で明らかになりました。
一体どうしたら、そんなことがわかるのでしょう? 人間の耳から脳への神経系の構造は、左耳から入った情報は右脳へ、右耳から入った情報は左脳へ行く、という交叉状態になっています。そこで、左右の耳に同時に違った音を流した後でどちらの音を聞きとれたかを調べることで、どちらの脳が認識しているかを判定。いろいろな音でこうした実験を積み重ねていくと、音楽や機械音、雑音は右脳で、言語音は左脳で受け止めていることがわかったのです。
ここまでは、日本人も西洋人も共通なのですが、違いが出るのは虫や動物の鳴き声。こうした音を、西洋人は楽器や雑音と同じように右脳で聞いているのですが、日本人は言語と同じく左脳で聞いていることがわかりました。
日本語の脳
こうしたことの背景には、その言語における「母音」が大きく関わっているといわれます。母音より子音の方が重要な役割をもつことの多い西洋人は、母音を音楽脳で処理するのに対して、母音で言葉を形成する部分が大きい日本語を話す日本人は、母音を言語脳で処理するのだとか。そして、虫や動物の声は母音に非常に似ていることから、日本人はこれらの音を言語脳で聞くと推察されています。それだけでなく、波・風・雨の音・小川のせせらぎといった自然音や邦楽器の音なども、日本人は左脳で聞いているのだそうです。
さらに興味深いのは、日本人でも外国語を母語として育てられると西洋型になり、外国人でも日本語を母語として育つと日本型になってしまうこと。西洋型か日本型かは、人種の違いではなく、幼児期にどんな言語を母語として覚えたかの違いである可能性が高く、「日本人の脳というより"日本語の脳"と言うべきだろう」と角田博士は語っています。博士の今までの調査では、日本語と同じパターンは世界でもポリネシア語でしか見つかっていないということです。
虫の音をはじめ、生きとし生けるものの「声」に耳を傾ける。自然に対する日本人のそんな感受性は、左脳で聞くという日本語の脳とも関係していたのかもしれませんね。その一方で、さまざまな音にあふれる現代の暮らしでは、虫の声に耳を傾ける時間が減ってきているような気もします。せっかく虫の「声」を聞く能力が備わっていても、心のゆとりがなければ、聞こえるものも聞こえてこないでしょう。
夏の暑さで疲れた体と心をリセットするためにも、ちょっと立ち止まって虫の声に耳を傾けてみませんか。そういえば、「虫時雨(むししぐれ)」という美しい季語もあるようです。
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