https://www.hyogo-c.ed.jp/~inochi/1/1_1.html 【「命の大切さ」を実感させる教育への提言】より
1 なぜ今「命の大切さ」なのか
(1)命をめぐる危機的状況
近年、子どもの命に関わる重大な事件が多発している。その中に見られる突発的な攻撃性、反社会的行動等は心の問題ということができるが、とりわけ、事件を起こした大人や子どもたちが命をどのように認識していたかが問い直されている。
少子化、都市化、情報化等の社会の急激な変化は、子どもたちに様々な影響を与えている。かつては日常生活の中で、家での出産や親族の死等命にふれる機会が多かったが、核家族化の進行によって、そうした命に関わる大事な場面にふれる機会が少なくなっている。多くの子どもたちにとっても、生や死のもつ意味について考える機会や、人の命の有限さやかけがえのなさを理解する機会が失われ、命を実感としてとらえる場が失われてきているのである。
また、都市化に伴う連帯感の希薄化や地域の教育力の低下、子どもたちの遊びの形態の変化等を背景に、子どもたちの倫理観や社会性が不足していることが指摘されるようになった。人とのふれあいは安心感ややすらぎを生む一方で、摩擦やわずらわしさの原因にもなるが、そうした人間関係を忌避し、人とうまく関わることができない子どもたちが増えてきている。
さらに、情報化の進展は、創造的な活動の展開を容易にした一方で、人間関係の希薄化や直接体験の不足等深刻な問題も生み出している。特に、ゲーム機を中心とした遊びが増え、仮想現実の世界に容易に入り込むことができるようになり、虚構の世界の中で作り上げられた死に頻繁に接する中で、子どもたちの現実感覚が麻痺している側面がある。この実感を伴わない死の感覚が命の軽視につながっているのではないかと言われている。また、人間は死んでも生き返ると思っている子どもやリセットすれば簡単にやり直しがきくと考えている子どもの存在等、子どもたちの命の重みに対する感受性が弱まっていることも指摘されている。
(2)本県における取組
本県では、阪神・淡路大震災や神戸市須磨区の児童殺傷事件から、心の教育に関わる多大な教訓を得た。その教訓から、生と死を考え生命の大切さを考える教育の充実、家庭における基本的な生活習慣や倫理観等の育成、情報社会の光と影に対応した教育の充実等を推進してきた。そして、心の教育総合センターを設置し、心の教育に関する実践研究を進めるとともに、子どもたちの内面に自己肯定感や成就感、規範意識等を育むことをねらいとした「自然学校」、「トライやる・ウィーク」、「高校生地域貢献事業」、「高校生就業体験事業」等の体験的な学習を推進してきた。また、家庭教育の充実や地域全体で子どもを育てるという機運を高めるための取組や、子どもたちの情報リテラシーの育成と情報社会の影の部分についての指導の充実を図るための実践的研究を推進してきた。さらに、人間の誕生の喜びや死の重さ、生きることの尊さを知り、自他の生命を尊重して生き抜こうとする心を育てることを目指した「生き方を学ぶ性教育」指導資料の作成、「生と死を考える」教職員研修等に取り組んできた。
このような取組の上に、子どもたちに自他の命を大切にすることは時代を超えても変わらないものであることをより深く理解させるとともに、命を尊ぶことのできる豊かな人間性を育むために、今、改めて求められているのは子どもたちが「命の大切さ」を心から実感することなのである。そして、その実感を現実の行動に反映することができ、子どもたちに行動規範として身につけさせることが必要なのである。
2 「命の大切さ」を実感させる教育の推進にむけて
日ごろの行動に反映され、子どもたちの生き方に影響を与える心の奥底の実感的基盤は、感動をはじめとした様々な体験から得られるものである。その感動は、豊かな感性と深い想像力によりもたらされ、生活の中で生きる喜びを味わうことがきっかけとなって湧き上がるものである。子どもたちは他者との関わりの中で豊かな感情を身につけ、生きる意味を見いだすのである。つまり、子どもたちが生きる喜びを味わうのはすべからく他者との関わり合いにおいてであり、そのためにも相互に理解し支え合う気持ちやその思いを伝え合う力を養っていかなければならない。
(1)実感するということ
「命は大切であるか?」と尋ねられれば、「大切である」と子どもたちは答えるだろう。しかし大事なのは「命は大切である」と言葉の上で理解することではなく、一人ひとりが心から実感することである。実感は体験する中で得られるものであるが、ただ体験さえすれば実感できるものではない。子どもたちの生育過程をとおして形成される心の奥底の実感的基盤があってこそ得られるものなのである。そのためには、見る、聞く、触れる、嗅ぐ、味わうといった経験そのままの感覚、つまり自分の身体をとおして感じるものを出発点としなければならない。そして、経験そのままの状態、いわば言葉になる以前の感覚を大切にする必要がある。なぜならこの言葉以前の感覚が価値あるものに「ハッ!」と気づくきっかけになり、気づくことが全身の共感を呼び起こし、それが実感へとつながるからである。
そして、実感がそれだけで終わるのではなく、その実感が具体的な行動となって現れることが大切なのである。体験の中でどのような気づきが得られたか、どのような感じ方をしたのか、どのようなものの見方、考え方を身につけたのか、そしてそれらをもとにどのような行動をとれるかが重要なのである。
(2)大人たちに求められること
様々な環境から子どもは学んでいくものであるが、とりわけ周囲の大人の存在はその中でも重要な学習環境である。したがって、大人が豊かでしなやかな感性を持ち、実生活において他者との関わりを深め、その中で喜びや悲しみ、楽しみや苦しみ等の豊かな体験をし、命と向きあうことが大切である。大人たちの生や死に対する真摯なまなざしが、子どもたちに命の大切さと向き合う力を与えるのである。
特に、直接子どもたちと接する親や教員にとっては、与えられた命を生きていることを自覚し、子どもたちと一緒になって命の大切さを考えようとすることが大切なのである。
(3)「命の大切さ」を実感させること
子どもたちは、自分自身を肯定し、自分自身をかけがえのないものとしてとらえることで、今生きているその喜びを感じることができるようになる。また、命には限りがあるが、祖先から子孫へと伝えられることや、他の生き物を食物としていただいて自らが生きていること等から、命はつながりそして互いに支え合っていると感じることができ、生きているということに感謝の気持ちを持つことができるのである。そして、それらの喜びや感謝の気持ちが自分の命をはじめ、すべての命を大切にする心につながるのである。
ア 生きる喜び
「生きていてよかった!」「生きるって素晴らしい!」と子どもたちが感じるのは、様々な活動の中でほめられたり認められたりする体験、自分のよさを見つけたり自分の存在を認めなおす体験等をとおして「自分もいいところがあるんだ」「今のままの自分でいいんだ」と感じる時である。また、学校行事等でクラスの仲間や友だちと心が一つになるような連帯感が味わえる体験、何かの課題に一生懸命に取り組んで「できた!」という声を思わずあげてしまうような感激の体験、人の役に立てたという満足感を味わえる体験、読書や音楽等への没頭体験等も喜びの体験となる。
そして、唯一無二の存在である自分自身が限りある命を生きていることで、様々な喜びの体験や他者と共に支え合って生きていることへの感謝の気持ち等が、生きることの喜びをより深めるのである。
イ かけがえのない命
あらゆる命には限りがあり、生あるものは必ず死を迎える。そして命は一度失うと取り返すことができない。だからこそ命はかけがえのないものなのである。祖父母や家族等の身近な人の死を経験した子どもたちや、学校や家庭で飼っていた動物の死を経験した子どもたちは、こうした命の有限性や死の不可逆性に向き合わざるを得なくなる。大切な人やものを失うことによって、その存在やかけがえのなさを実感するのである。
今生きている自分は、世界中にたった一人しかいない唯一無二の存在である。その自分を見つめることは、自分をよく知り、自分のよさを認めることから始まる。今生きている自分の存在を認め、今生きている自分のかけがえのなさを理解することにより、他の命、他者の存在を尊重するようになるのである。
ウ 命のつながり
私たちは様々な人々、あるいは自然や動物等との関わりの中で生活している。今自分自身が生きているのは、直接あるいは間接を問わず、様々な人々や自然の営みのおかげである。私たちが日々食べているものはすべて命あるものであり、その命によって生かされているということ、それをいただいて生きているということをしっかりと受けとめる必要がある。また、今の自分の命は、遠い祖先から祖父母、父母、自分へと脈々と受け継がれてきたものであり、そうして受け継いだ命は未来に向かってもつながっていくものであること等、命というものが決して自分だけのものではなく、つながっているものであるということを感じとる必要がある。自分はたった一人で生きているのではなく、他者と共に生きている存在であるという思いを持てることが大切なのである。
3 「命の大切さ」を実感させる教育プログラムへの視点
「命の大切さ」を実感させるための教育プログラムにおいては、自然や社会や人と豊かに関わる体験活動をとおして、まず子どもたちが自分自身を価値ある存在と認め、自分を大切に思う自尊感情を持てるようにしなければならない。自尊感情を高めることによって感性が活性化し、いきいきとした感動が生み出されるのである。そして心の中に生まれた感動や思いを、周りの人と分かち合い共有することで、実感が一層深まる。また、他者の存在に思いをはせたり共感したりする体験をとおして想像力が養なわれ、限りある命を生きていることの素晴らしさを感じることができるようになる。
また、教育プログラムの実施に当たっては、教員自身が自分の生と向き合い、自分の生き方を自分自身に問いかけることとともに、学校と家庭、学校と地域が確かな信頼関係を築き、連携して取り組むことが不可欠である。
さらに、命をおびやかす行為に対しては未然に防ぐ対策を、また自然災害に対してはその被害を最小限にくいとめる知恵を学ばせるとともに、情報社会の影への対応として、仮想現実と現実との違いを十分に認識できる能力を身につけさせる必要もある。
(1)自尊感情を育む
自分の存在そのものを価値あるものとして自分自身が認めることができなければ、生きていることの素晴らしさを感じることはできない。つまり、教育プログラムを実践するに当たっては、前もって子どもたちの自尊感情を高めておかなければならないのである。
兵庫県教育委員会が実施した「児童生徒の理解に基づく指導の推進に関するアンケート調査」で、自分や他者のよさを認めることができる子どもほど、他者から認められる体験をしているという結果が得られている。自分の存在を認めてくれる他者が身近にいる子どもは、自分が大切にされているという実感を持つことができ、自分の存在が価値のあるものだという自信を持つことができるのである。
また、他者から認められないときでも、自分自身を肯定し、自分の短所や弱さも含めてあるがままの自己を受容できる強さを培う側面も必要である。そのためにも、日常の様々な活動をとおして、自分の存在が価値のあるものだと認識し、自尊感情の高まりを体験しておくことが必要である。
さらに、自己を尊重するとともに他者を尊重することも大切であり、自己を肯定するだけの独りよがりにならないように自省自戒の習慣を身につけることにも留意する必要がある。
(2)体験活動を充実させる
ア 自然・社会・人との豊かな関わり
子どもたちに言葉だけで「命は大切である」といくら説明しても実感は伴わない。命が大切であるという思いは、体験をとおして心に刻まれる。感性に働きかける体験、感動の体験、想像力を刺激される体験をとおして、子どもたちは生きている喜びを感じるのである。そこで、動植物の飼育栽培活動に心を込めて取り組む中で命が生まれる喜びや死の悲しみを味わったり、精一杯生きようとする人々とのふれあいをとおして生きることについて深く考えたりする等、命と直接関わり合う場を設定することが必要となる。
また、「トライやる・ウィーク」で中学生たちが地域の人々とふれあう中で自己理解を深めたり、認められることにより自己肯定感を高める体験をしているように、様々な体験の中で人と人とがつながるということを実感することも大切である。
イ 心が動く感動との出会い
感動が入り口となり、心をいきいきと動かす体験によって実感が生まれる。自然の雄大さや美しさ等にふれることで「自然ってすごいな!」と心が動く。また、動植物の誕生や死の体験、弟や妹の誕生の体験等から、「不思議だな!」「素晴らしい!」と自然や生命への畏敬の念が培われるのである。
また、「やった、わかった!」という達成感、最後までやり遂げた成就感、「自分もやればできるんだ」といった自己有能感を様々な活動の中で子どもたちが味わえるようにしておくことが大切である。修学旅行や文化祭等で、クラスがまとまり一つのことをやりとげた体験は、仲間とのつながりを深めていく。こうした魂に響くような体験を積み重ねることによって、子どもたちは「命の大切さ」の実感を深めていくのである。
ウ 感性や想像力への働きかけ
体験をとおして生まれてくる実感は、視覚、聴覚、触覚等といった感覚が入り口となる。大切なのは単に感じるだけではなく、より深く感性を働かせ想像をめぐらせることなのである。
豊かな感性や想像力は、自然や社会や人との相互作用の中で発達するものであり、それらを育むためには、まず環境としての自然や社会や人としっかり関わりを持つことが大切である。子どもたちの感性や想像力に働きかける体験活動の場や機会を積極的に提供するとともに、保護者や教員が自らの感性を子どもたちと共に磨き、その素晴らしさや感動を分かち合い認め合うことが重要である。
子どもたちの感性や想像力に働きかける機会は、日々の関わりの中に無数にある。例えば、本物の芸術に直接ふれることが子どもたちの芸術性を育てるように、「命の大切さ」を実感する感性も、「自然なもの」「本物・具体的なもの」等子どもたちの五感を揺さぶるものと直接ふれることによって育まれる。また、学習や体験の中で子どもたちが示す「おやっ!」といった思いを大切にしたり、立場を変えて他者の感情に思いをめぐらさせる等の活動をとおして、子どもたちの感性や想像力に働きかけることが必要なのである。
(3)情報社会の影の部分に対応する
高度情報通信ネットワークの進展や電子メディアの発達により、時間や空間にとらわれないコミュニケーションが可能となり、日常生活がより便利になる一方で、子どもたちが有害情報に容易にふれてしまうことや仮想現実と現実を混同してしまう恐れがあること等が指摘されている。電子メディア等をとおしたコミュニケーションは、様々な立場や考え方を持った人々と交流を可能にし、子どもたちの人間関係の幅を広げそれを豊かなものにできるが、一方で、好悪の感情の過剰な増幅をもたらしやすい。また、何度でもリセット可能なゲームの世界に入り込み過ぎると、実体験が豊富でない子どもたちに過剰な刺激を与えることになり、子どもたちが現実の物事をゲーム感覚でとらえてしまう恐れがあることも指摘されている。
このような情報社会の影の部分への対応として、仮想現実と現実との違いを認識させ、多種多様な情報のあふれるインターネット社会において、子どもたちが惑わされることなく、必要な情報を適切に活用できる力や情報社会での基本的なモラルやマナーを身につけさせることが求められている。自分の考えや気持ちを伝えること、また相手の言葉や態度から気持ちを汲み取ることのできる力を培い、現実世界での人と人とのつながりの大切さを子どもたちに理解させる必要がある。
(4)命を守るための知恵と態度を育成する
命はかけがえのないものであり奪われると決してよみがえることはない。しかし、子どもたちの身近にいじめ・暴力・犯罪・虐待・DV等の命をおびやかす行為が存在する。これらに対して、未然に防ぐ方法を考えたり、対策を講じる必要がある。また、地震や水害等の自然災害に対しても、その被害を最小限にくいとめる知恵を学ばせる必要がある。
命をおびやかす行為に対しては、単にそれを避けるだけではなく、毅然と立ち向かい克服していこうとする態度を養い、そのことをとおして、子どもたちがかけがえのない命を実感し、自他の命を守っていこうとする態度を育てる必要がある。
(5)教員自身が命の意味を問いかける
教員自身が命や死に真摯に向き合う姿勢こそが、子どもたちの命への感性や想像力を育む大切な環境となることを忘れてはならない。
子どもたちの体験活動の中で、子どもたちの豊かな学びを引き出すためには、教員が子どもたちに寄り添い、子どもたちの心がいきいきと動くように働きかけるとともに、子どもたちに理屈で教えるのではなく、子どもたちと共に感じ、考え、学ぶことが大切なのである。
また、対面する子どもたちに命についての深い感覚を伝えるには、教員自身も一人の人間として与えられた命を生きているということを自覚し、しなやかな感性や豊かな想像力を身につけておくことが必要なのである。
4 「命の大切さ」を実感させる教育の実践のために
子どもたちに学習や体験をさせる時、教育課程上の位置づけを考え、年間計画を立てる必要がある。その上で、子どもたちや家庭の実態、各学校の実情、地域の状況等を踏まえた十分な準備や子どもたちの発達段階に応じたプログラムが必要である。
教員の十分な準備によって、子どもたちの学習・体験がより豊かになるようにしなければならない。また、用意されたプログラムの中から、子どもたちの発達段階や実態に応じて、どのようなテーマ・内容・学習方法で行うのが効果的であるかを検討し、指導案を作成しなければならない。さらに、事前の準備、学習・体験、事後の振り返りのプロセスから新たな課題を発見し、テーマや内容・教材・学習方法を検討し、指導案を改善していくことも必要である。
また、生き方についての価値観や考え方は多様であり、子どもたち一人ひとりの家庭環境も様々であるので、実践に当たっては個々の状況を十分に考慮した上で、家庭・地域からの理解や協力を得る必要がある。
(1)教育プログラムモデルの準備
ア 子どもたちの発達段階に応じて準備する
子どもたちの命についての認識は個人差が非常に大きい。そのため命の大切さを実感させる教育を行う際は、子どもたち個々の発達段階に配慮して準備し、体験させていくことが大切である。
まず、身近な生活の中から命あるものの存在に気づかせ、自然や人々とふれあうことで、自分が生きている喜びをしっかりと味わわせることが必要である。
次に、身近な生活の中で動植物や自身の成長を、生きている喜びとして実感させるとともに、老いにふれる体験や死の悲しみにふれる体験をとおして、命には限りがあることを感じとり、命あるものすべてを大切にする心を育てる。
成長が進むにつれ、人間の命だけでなく身近な動植物をはじめ生きとし生けるものの生命の尊厳に気づかせ、互いに支え合って生き、生かされていることに感謝の念を持たせる。自我意識の芽生えとともに、自己を深く見つめたり、自己の存在の意味を問い直すことで自己の存在価値を確かめ、与えられた生を精一杯生きることの大切さに気づかせるように配慮する。
そして、すべての生命に対する畏敬の念を培うとともに、社会の中での自己の確かな存在価値を知り、自分が生かされていることへの認識や自分が社会に貢献する喜びや達成感をとおして社会とのつながりを実感させていくことを目指すのである。
イ 喜びと悲しみを組み合わせて準備する
発達段階に応じて多様な側面を組み合わせることが重要である。年少の段階においては、生きていることの喜びを実感させることを中心にプログラムを構成し、老いや病にふれる体験や死をはじめとした悲しみにふれる体験は慎重に扱うよう配慮する。そして次の段階では、生きる喜びを実感させるとともに、老いや病にふれる体験や死の悲しみにふれる体験もプログラムの中に少しずつ組み入れ、命の有限性に気づかせるようにする。成長が進むにつれ命の誕生から死に至るまでの過程を理解できるようになるので、喜びの体験と悲しみにふれる体験をプログラムの中にバランスよく配置する。
特に、死の存在については小さな時から気づかせなくてはならないが、死そのものについてはそれを受けとめられる子どもたち個々の発達段階に応じて向き合わせるようにする等、慎重に行うことが肝要である。
ウ 様々な体験を準備する
「命の大切さ」を実感させるには、生老病死等いくつかの入り口がある。それぞれについて、発達段階に応じたねらいを設定し、効果的な学習方法や体験方法を検討していく必要がある。また、豊かな人間関係を築くためのコミュニケーション能力を育てることやインターネットやメディアの適切な活用法を身につけさせ、仮想現実と現実の違いを理解させることも必要である。
プログラムを準備する場合、ねらいとともに子どもたちの具体的な心の動きを想定することが大切であり、子どもたちに対して事前の準備を注意深く検討するとともに、指導する教員自身も十分な準備をしておく必要がある。また、学習や体験の後は、子どもたち自身が学習や体験を振り返り、その成果を日常生活での実践につなげられるように配慮するとともに、家庭や地域と連携することも必要である。
学習や体験を計画・準備・実施する際には、感動を味わう場面を設定し、子どもたちの感性や想像力を育む必要がある。感動、感性、想像力は指導の視点として、欠かすことのできないものである。
(2)実践を支える研修
学習や体験をとおして子どもたちの心がいきいきと動き、生きる喜びを深く感じとれるよう導くためには教員の心の準備が欠かせない。教員自身が自分も他者も大切な命を持つ存在であることを実感し、自己の命や生き方を見つめ直すために人生を振り返り、新たな視点から自己をとらえ直す体験をすることが必要である。
死と向き合う人々からの話を聞き、その生き方にふれることにより、命のかけがえのなさを感じ、生きることの意義を考えることができる。また、犯罪被害者・遺族の声を聞くなどして、かけがえのない人を失った悲しみや怒りに教員自身がふれることは、命のかけがえのなさを真摯に受けとめる貴重な体験となる。
他者を思いやることや自他の命を大切にしようという思いは、具体的なコミュニケーションを重ねる中で培われる。自分の考えや気持ちを相手に伝え、相手の気持ちを汲み取ったり思いを重ねるといった伝え合う力を高めることをとおして、教員自身が豊かな人間関係を築く力を身につけることが必要である。
さらに、電子メールやチャット、掲示板等の新しいコミュニケーション手段の問題点を把握するために、教員自身がその仕組みを理解することも大切である。有害情報が子どもたちの行動や考え方、そして時には死生観にまで強い影響を及ぼしていることを考えると、インターネット等の利用に当たっての基本的なルール、モラルやマナーを理解するとともに、指導力の向上を図ることも必要である。
(3)授業実践の在り方
ア 準備から振り返りまで
実践に当たっては、特に、事前の準備と事後の振り返りを充実させることが必要である。事前の準備では、学習や体験の内容について子どもたちに多方面から興味を持たせるとともに、子ども自身が活動にどう関わるかを明確にし、主体的に取り組めるように工夫する必要がある。また、学習や体験の中だけでなく、その後の生活においても「命は大切である」という実感を持ち続け、そうした思いを行動に反映できるようにしなければならない。
また、学習のねらいやテーマに合った学習形態を工夫することが必要であり、例えば自尊感情を高めるためには構成的グループ・エンカウンターの技法を用いたり、死や老いにふれるためには絵本や手記等を用いたりすることが考えられる。グループ学習をとおして、集団で一つの目標に向かって協力する体験も有効である。このような体験をとおして子どもたちは自然や社会、人々との関わり方を学ぶとともに、感動したり、葛藤したり、模索したりするのである。
学習や体験後の子どもたち自身による振り返りは、学びによる変化や成長をとらえる作業となる。振り返ることで、学習や体験による変化や成長が、子どもの中に内面化され、その後の実践・行動へとつながるのである。
イ 家庭・地域との連携
子どもたちの学習や体験をより豊かなものとするためには家庭や地域との連携が不可欠である。そのためには、学校だより等を通じて、家庭・地域に学習や体験の趣旨及び目的、内容等を知らせて理解や協力を得ることが必要である。子どもたちは、家族と共同作業をする中で、家族の思いや家族から見た自分を知り、自己認識を深めることができる。また、地域にはよき生き方のモデルが必ず存在するはずである。そうしたモデルとの出会いは子どもたちの人生を豊かにしてくれるのである。
生や死の現実から子どもを遠ざけ過ぎるのではなく、直接向き合わせることも必要である。身近な人の死という現実をとおして、また、その死を悲しみ故人を懐かしむ大人たちの姿をとおして、子どもは死を理解していくのである。このように日常の生活の中で、大人と子どもが死や命について共に体験し同じ思いを分かち合っていくことが求められるのである。家庭や地域の中で、子どもの発達段階に十分配慮しながら、命の様々な側面、つまり生老病死の現実に、自然なかたちで立ち会わせる体験をさせることも大切である。
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