https://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq0000000ln5.html 【「ものごとは心でしか見ることができない。大切なことは目には見えない。」】より
サン=テグジュペリ(『プチ・プランス』グラフ社 p.100)
サン= テグジュペリ(1900~1944)の『Le Petit Prince(プチ・プランス=小さな王子)』は、内藤 濯(あろう)の名訳『星の王子さま』を通して日本でも広く読まれてきました。近年、新たな翻訳がいくつも書店に並ぶようになり、それを機会に改めて手にとった人も多いのではないでしょうか。このお話には、読み手にその意味を深く考えさせるような心に残ることばがたくさん出てきます。中でも冒頭に掲げたことばは、友だちになった狐(きつね)がプチ・プランスとの別れにあたって「秘密の贈り物」として語ったもので、物語の中で最も重要な意味をもっています。
一軒の家ほどの大きさの「小惑星 B612」に生まれたプチ・プランスは、そこに咲いた1本の美しいバラとことばを交わし親しくなります。しかし、未熟さゆえに、見栄っ張りでデリケートなバラと行き違いを生じ、ひとりぼっちで星々を巡る旅に出ることになります。やがて地球に降り立ったプチ・プランスは、1年の間に蛇や5000本のバラと「こんにちは」「さようなら」を繰り返し、1匹の狐と友だちになってようやく「大切なこと」に気づかされるのです。
狐は、「目に見えない大切なこと」が何であるのかをプチ・プランスに教えるために、彼が小さな星に置き去りにしてきたバラとの「つながり」を思い出させます。そのバラがプチ・プランスにとってかけがえのない存在であるのは、外面的な美しさのためではありません。面倒な要求に振り回されながら世話をすることを通じて「なじみ」になり、そこに「絆(きずな)」が結ばれたからなのです。そのような関係は目には見えません。心でしか見ることができないのです。そのつながりを思い出そう。それに対していつまでも「責任」を持とう。この二つの勧めが、狐からプチ・プランスへの「秘密の贈り物」なのです。
この「秘密の贈り物」を鍵とするなら、『プチ・プランス』は、孤独な〈いのち〉が様々な出会いを通じて、失われていた「つながり」を見出す旅の物語として読むことができます。狐が教えた「心でしか見ることのできない大切なこと」とは、「いのちのつながり」にほかなりません。目には見えない「いのちのつながり」に心を配り、そのつながりに対して責任をもって生きていこうと狐は教えたのです。自らの星に帰ったプチ・プランスは、きっと地球でなじみになった狐やパイロットだけでなく、旅の途中で出会った孤独な大人たち、言葉を交わした蛇や5000本のバラとのつながりをも思いながら日没を眺め、なじみのバラと羊の世話をやいているのではないでしょうか。
https://www.yamanashi-eiwa.ac.jp/kodomoen/7828/ 【わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。 コリントの信徒への手紙二4章18節(2017年2月の保育聖句)】
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。」
コリントの信徒への手紙二4章18節
今月の保育主題である標題の聖句を読んで、『星の王子さま』(サン=テグジュペリ作)にある「心で見なくちゃものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目に見えないんだよ」というセリフを思い出しました。このセリフは主人公の王子との別れにあたって狐が贈った言葉で、物語の中で最も重要な意味をもっているといわれます。
『星の王子さま』はこんな話です。一軒の家ほどの大きさの小惑星B612に生まれた王子は、そこに咲いた1本の美しいバラとことばを交わし親しくなりますが、未熟さゆえに、見栄っ張りでデリケートなバラと行き違いを生じ、ひとりで星々を巡る旅に出ます。やがて地球に降り立った王子は、1年の間に蛇や5000本のバラと「こんにちは」「さようなら」を繰り返し、1匹の狐と友だちになります。狐は「目に見えない大切なこと」を教えるために、王子が小さな星に置き去りにしてきたバラとの「つながり」を思い出させます。そのバラが王子にとってかけがえのない存在であるのは、外面的な美しさのためではなく、面倒な要求に振り回されながら世話をすることを通じて「なじみ」になり、そこに「きずな」が結ばれたからなのだが、そのような関係は目には見えない。心でしか見ることができない。そのつながりを思い出し、いつまでも「責任」を持つこと。これが友人として狐から王子への別れにあたって贈られた大切な「秘密」です。「『星の王子さま』は、孤独な〈いのち〉が様々な出会いを通じて、失われていた「つながり」を見出す旅の物語として読むことができる」とある人は言っています(大谷大学HPより)。目には見えない「いのちのつながり」に心を配り、そのつながりに対して責任をもって生きていこうと狐は教えたからです。自分の星に帰った王子は、地球でなじみになった狐やパイロットだけでなく、旅の途中で出会った孤独な大人たち、言葉を交わした蛇や5000本のバラとのつながりをも思いながら日没を眺め、バラと羊の世話をしているのではないか、そんなことを感じさせながら物語は終わります。
聖書が語る「見えないもの」は、『星の王子さま』に暗示される「いのちのつながり」にとどまらず、さらに多くの事柄を含んでいます。例えば、具体的な数値や成果や実績は目に「見えるもの」ですが、優しさや他者を思い描ける想像力は目には「見えないもの」です。豊かな感性や感受性、待ち望む力や悲しむ力、集中する力、自分を表せる力、忍耐する力、何より自他を大切にする心、生きる力は目には見えません。そしてそれを可能とする神様の恵みも見えません。しかし私達はそうしたことを心に留めて、「見えないものに目を注ぎます」。この言葉は私達一人一人が、子どもとして、大人として、親として、教師として考えなければならない実に多くの「大切なこと」を私達に気付かせてくれます。ともすれば今、あまりにも「目に見えるもの」にばかり縛られてしまう私達に必要なのは、そうした日々の中にあってしばし立ち止まり、ものごとの本当の姿をはっきりと見抜いて大切にする心を育み養うことでありましょう。「知る力と見抜く力を身に着けてあなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」という祈りの言葉が新約聖書(フィリピ1:9−10)には記されています。
園長 大木正人
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