Facebook兼井 浩さん投稿記事
■「真っ赤なお鼻のルドルフ」のお話はこうして生まれました。
クリスマスの定番曲『赤鼻のトナカイ』。この話の作者は、アメリカの男性でした。病気の妻を支えながら懸命に働く彼に、4歳の娘は言いました。「どうして私はみんなと違うの?」この言葉に彼は、ある気づきを込めた物語を作ります。
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ロバートは、妻エヴリンと娘のバーバラの3人家族。その娘が2歳になったころ、最愛の妻が病に倒れてしまいます。コピーライターとして働くロバートの収入は治療費と薬代に消え、生活は苦しくなるばかり……。やがて、4歳になった娘がロバートに尋ねます。
「どうして私のママは、みんなと違うの?」
“みんなと違う”ということ――それは、ロバート本人が身にしみて感じていること。自分自身、小さい頃から体が小さくていじめられ、貧しくて進学することもでず、良い仕事にもつけなかった。おまけに安月給で、治療費のために借金だらけ……そんなロバートは、娘の質問にどう答えたらいいのかわかりませんでした。
そこで、娘を喜ばせたいという一心で、「真っ赤なお鼻のルドルフ」の話を即興で語り始めたのです。自分自身のコンプレックスを赤鼻のルドルフに託し、神様に創られた生き物はいつかきっと幸せになることを、幼い娘、病と闘う妻、そして自分自身に言い聞かせたかったからだといいます。
■そのお話が世界に広がったいきさつ
その後、娘にせがまれて毎晩この話をするようになったロバートは、クリスマスプレゼントとしてお手製の本にまとめ始めます。プレゼントを買う余裕のないロバートにとって、それは娘や妻への心のこもった贈り物でしたが、完成を目前にして妻がこの世を去ってしまいます。打ちのめされたロバート。しかし、娘のために本を完成させ、愛する娘を喜ばせました。
数日後、会社のパーティーでロバートが「真っ赤なお鼻のルドルフ」を朗読すると、会場から割れんばかりの拍手が起こりました。そうして1939年、彼の会社(大手デパート)から240万冊もの本が(宣伝用として)無料で配られ、この物語が世界中に広がっていったのです。やがて、1949年にロバートの義兄弟によってお馴染みの歌が作られ、クリスマスの定番として愛され続けているのです。
作者の家族への思いが生んだ「真っ赤なお鼻のルドルフ」。勇気を与えてくれる素敵なお話です。
「君はみんなとは違う。でも、だからすごいんだ。君のピカピカの赤鼻はみんなとは違うけれど、暗い夜道を照らすことができる。だから役に立つんだよ!」
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人とは違う幸せがある!
皆と違っても、嬉しいこと、楽しいことは、必ずやってくる!
http://www.worldfolksong.com/christmas/topic/reindeer-rudolph.html 【ルドルフ 赤鼻のトナカイ誕生秘話(実話)】より
クリスマスソング誕生エピソード/1938年アメリカ・シカゴ
「まっかなお鼻のトナカイさんは♪」と歌われるトナカイ「ルドルフ Rudolph」は、1938年のアメリカ・シカゴで誕生したクリスマスのキャラクター。
作者は、当時シカゴに住んでいた男性会社員のロバート・メイ(Robert L. May/1905-1976)。妻エヴリン(Evelyn)と4歳のバーバラ(Barbara)の3人家族だった。
この頃のアメリカは、1929年10月の株価大暴落(ブラック・マンデー)による金融恐慌から始まった不景気にいまだ苦しんでいた。
通信販売を手掛けるモンゴメリー・ウォード (Montgomery Ward) 社で広告宣伝・コピーライターとして働いていたロバート・メイだったが、妻がガンに倒れ、ただでさえ少ない給料は妻の治療代・薬代に消えていった。
生活は苦しく、一向に景気も回復しない毎日。最愛の妻は回復の見込みもなく、4歳になる娘バーバラは元気のない母を見て不安そうにしょんぼりしている。
どうして私のママは、みんなと違うの?
あるとき、娘バーバラは父に尋ねた。「どうして私のママは、みんなと違うの?」
これまで母親に十分に甘えさせてやることもできず、貧しい生活の中でたくさんガマンをさせてしまったであろう娘バーバラの突然の心からの一言に、父ロバートは愕然とした。
「ああ、私はこんな幼い子になんてつらい思いをさせてしまっていたんだ。ああ、何かこの子を喜ばせてあげられるものはないのか?私は所詮貧しいコピーライター。今の私に出来ることと言ったら…」
娘が言い放った「みんなと違う」の一言は、一方で父ロバートの幼い頃の記憶を呼び起こしていた。ロバートは子供の頃、体が弱く痩せて小柄だったためにいじめられ、貧しくて進学することもできなかったのだ。
幼い頃に「みんなと違う」といじめられた自分、「私のママは、みんなと違う」と悲しむ娘、父ロバートの頭の中を「みんなと違う」というフレーズがぐるぐると巡っていた。
「ちょうど今はクリスマス、子供にも人気のサンタクロースとトナカイのお話に、このフレーズを生かして、何か娘が喜ぶ楽しいお話を作ってやれないだろうか…?」
強いインスピレーションを受けたロバートは、寂しそうに尋ねる娘バーバラを前にして、即興で赤鼻のトナカイ「ルドルフ Rudolph」のお話を始めた。
ルドルフは、その真っ赤な鼻を仲間のトナカイから笑われ、いじめられていた。ルドルフは「みんなと違っていた」のだ。
でもクリスマスの夜、その「みんなと違う」赤い鼻がサンタの役に立って、ルドルフは心から喜んだというハッピーエンディングのストーリーが、ロバートの口から流れるように紡ぎだされていった。
会社のパーティーで大絶賛 会社の宣伝用冊子として大量配布
この赤い鼻のルドルフのお話を娘は大変喜び、ロバートは後日手作りの本にまとめてクリスマスプレゼントとして娘へ贈ったという。亡くなった奥さんも天国で喜んでいたに違いない。
その後、務めていた会社のパーティでルドルフのストーリーを朗読すると、会場から割れんばかりの拍手。大絶賛を受けたこの話は、次のクリスマスに会社の宣伝用冊子として配布されることが決定した。
1939年のクリスマスシーズン、ロバートが務めていたモンゴメリー・ウォード (Montgomery Ward) 社から、「ルドルフ 赤鼻のトナカイ Rudolph the Red-Nosed Reindeer」のタイトルで無料の冊子が配布された。
右挿絵:配布された当時の表紙(1939年)
同書は250万部の発行数を記録し、後の1946年に再リリースされた際はさらに350万部の大ヒット書籍となった。
再リリースから2年後の1948年、ロバートの従兄弟(いとこ)であるジョニーマークス(Johnny Marks)が作詞・作曲し、今日知られるクリスマスソング『赤鼻のトナカイ Rudolph the Red-nosed Reindeer』がリリースされた。
世界的に有名なクリスマスソング『赤鼻のトナカイ』は、こうして誕生したのである。
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