https://www.tokaigakuen-u.ac.jp/academics/news/detail.html?id=286 【汎神論とエコロジー】より
キリスト教やイスラム教のように神様はひとりとする教義を一神教(論)、古代ギリシャ・ローマ、日本のように神様が複数いらっしゃるとする教義を多神教(論)という。ところで同じ一神論でも汎神論と呼ばれるものは少々変わっている。まずこの立場では、世界すべて、すべての事物がそのまま「神」だとされる。したがって、たとえばキリスト教のように、創造主である神と、神によって創造された被創造物である人間などすべてのものとの間には無限の隔たりがあるとする立場からすると、汎神論は「異端」ということになる。
また未開社会の人々の間でよくみられる「宗教」としてアニミズムというものがあり、人間や生物のみならず木や岩、川、山、星などありとあらゆるものに「アニマ」(いのち、生命)を認めてしまう。これはしかし、汎神論ではない。なぜかというと、アニミズムでは個々の事物それぞれに「アニマ」を認めているので、つまり「アニマ」は複数なので、これはむしろ多神教に近い。
ところで汎神論に話をもどすと、いくら世界は唯一の神だと言われても、われわれが見聞きする世界の在り様は、多種多様な事物とこれまた多種多様な生成変化に満ちている。このギャップを埋めることが汎神論の理論的課題になるが、多くの場合、われわれの知覚は錯覚である、あるいはせいぜいレベルの低い認識であって真実からほど遠い、という結論が導き出される。しかしそれでも話はすまなくて、どうして「錯覚」や「低次の認識」が存在するのか、という問いが当然生じうる。
他方、環境保護を主張するエコロジーの考え方に「ディープエコロジー」と称するものがある。学者や活動家によってさまざまな違いはあるが、「人類のための自然保護」ではなく「自然のための自然保護」を優先させるという共通点を有しており、最も過激な主張としては、自然、環境にはそれ自体として意思があり、人間はそれを尊重せねばならない、場合によっては「人類」は「自然」のために滅亡せねばならない、というのがある。既にお気づきだろうが、いかにも新しい意匠をまとったかのようなこの「ディープエコロジー」、実は一種の汎神論である。したがってこの「汎神論」もまた上で述べたのと同様な理論的な課題、ギャップに直面する。すなわち「人類」もまた「自然」の一部であるのに、なぜ「自然」の犠牲になる必要があるのか。
実は、そもそも「自然それ自体」というものを想定することに問題が潜んでいるのだが、それについては機会を改めて考えてみることにしたい。
片桐茂博(哲学)
https://www.christiantoday.co.jp/articles/16846/20150820/onko-chishin-27.htm 【温故知神—福音は東方世界へ(27)景教と空海③ 川口一彦】より
温故知神—福音は東方世界へ(27)景教と空海③ 川口一彦+
僧侶を目指して大学で仏教学を専攻していたとき、日本密教学会が高野山大学であり、出席しました。初めて見た奥の院の多くの五輪塔はじめ墓石群には、大変な異様さを感じました。その後キリスト者・牧師になり、2013年には高野山の宿坊において講演依頼を受け、「空海と景教」との題で話す機会があり、宿坊の方から空海はキリスト教・景教の影響があると聞いて驚きました。またその秋に香川県善通寺市の四国学院大学を会場に「空海と聖書」の題で善通寺の住職らとシンポジウムや講演会をした際、空海は中国に行き様々な教えを取り入れ、景教もその一つであると聞いて納得しました。
真言密教の教主・大日如来と聖書の創造主
空海は別名、弘法大師と呼ばれていますが、この名称はこの世を去って後、時の天皇から受けたもので、本人の知らないことです。自身は、灌頂(かんじょう)の際に花を投げて二度とも大日如来図の上に落ち、縁を結んだことから、「遍照金剛(へんじょうこんごう)」と号しました。意味は、闇を除き遍(あまね)く照らす光、命を育て永遠に堅固であるとのことです。
この大日如来について、大日経(だいにちきょう)では次のように述べています。
「私(大日如来)は全て存在しているものの根源的最初であり、世の人々のよりどころである。悟りの教えを説けば、比べるものなく優れ、私より上のものはいない」とあり、旧約聖書イザヤ書44章6、7節の「イスラエルの王である主、これを贖(あがな)う方、万軍の主はこう仰せられる。『わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べたててみよ。彼らに未来の事、来たるべき事を告げさせてみよ』」、同45章5節の「わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる」に内容は似ているかのようです。しかし、聖書の神は、時代を超えて啓示と救いと歴史を支配される神で、人類の歴史に現れて現在と未来を伝え、民族や信仰者に啓明(けいめい)している点で大きく違います。大日経は歴史性が少なく、そのような句も多くはありません。
空海の大日如来との一体とキリスト者の神との交わり
空海は奈良仏教で学び、何とか救われたいと願って修行していました。大日経は、奈良時代の737年に日本に伝来し、空海は唐に行く前の22歳の頃、これらを読んで密教に目が開かれました。そのために入唐し、青竜寺の恵果から灌頂の儀式を授かり、教主・大日如来と結縁、即身成仏して一体となり、彼はこの上もない歓喜を受けました。この一体の意味とは、どのようなものなのでしょうか。
新約聖書のガラテヤ書2章20節「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」のキリストとの一体感や、イエスが父に祈られた弟子たちとの一体、弟子たち同士がキリストの体と聖霊において一つであること(ヨハネ17:21~23)の意味合いとは違います。聖書の一体感とは、溶け合うのではなく、神と人とが人格的に区別されつつも、互いのうちに命や愛や救いを共有していることを意味しています。それは神が三位一体だからで、信仰者は聖霊の働きと御言葉により、神を父と呼び、親しく交わり、あるいは十字架上での贖罪愛や復活によって示された永遠の命をも共有することができるゆえに、このように告白します(エペソ2:14~18)。ヨハネは手紙で、「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです」(Ⅰヨハネ1:3)と歓喜の心で記しました。
しかし密教には三位一体がなく、三身一体で大日如来を法身仏と呼び、歴史に現れない仏で、人が三密行の自己修行により即身成仏になると言われます。汎神論的宗教の究極目的は、神との合一で、人が神になることです(本当は、人は被造物であり、罪人ですから神にはなれません)。
温故知神—福音は東方世界へ(27)景教と空海③ 川口一彦
高野山入り口に建つ大門、上に「高野山」と書かれ、下の2本の柱に同行2人のいわれの漢文が書かれてあります。後の回で解説します。
一般的に仏教では、人が仏にならなければ死後、恐ろしい地獄や餓鬼などの六道輪廻の世界をさまよわなければなりません。修行者・空海にとって、奈良仏教では得られなかった「大日経・金剛頂経」の即身成仏の教えは、福音ではなかったかと思います。だから唐に渡り、この教えを求めました。
その後、空海は多くの伝説を残しました。高貴な方の前で即身成仏の証拠を見せよと問い掛けられ、金色に輝いたとあり、高野山金剛峯寺本堂の柱などが金色であるのもそれによります。真言密教は、空海を生き仏として拝んでいますが、彼に続いて仏となった人物が多く出現していないのは、なぜなのでしょうか。
最後に、16世紀のイエズス会日本年報の一部を紹介します(拙著『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』より)。
「16世紀のイエズス会宣教師たちは、高野山と空海について次のように書いている。『共和国の一つは高野と称し、坊主4500人が同所に居住し、同所には女子も家畜も一切入れず、諸宗派中最も嫌悪すべきものである。約700年前、悪魔の子にして、シナより初めてこの醜悪なる教えを将来せし人を、生きながら同所に埋葬した。生きながら埋めた時、彼は眠りに就き、その後数千年を経て弥勒菩薩と称する他の仏と共に再び来って、世界を再建するであろうと言った。この人は弘法大師と称す』(イエズス会日本年報下、114頁)と」
※ 参考文献
1. 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年、イーグレープ)
2. 『高野山真言宗檀信徒必携』(1988年、高野山真言宗教学部)
3. 『新国訳大蔵経「大日経」』(1998年、大蔵出版)、『新国訳大蔵経「金剛頂経・理趣経他」』(2004年、大蔵出版)
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川口一彦
川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に「景教-東回りの古代キリスト教・景教とその波及-」改訂新装版(2014年)、「仏教からクリスチャンへ」「一から始める筆ペン練習帳」(共にイーグレープ発行)、「漢字と聖書と福音」「景教のたどった道」(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
http://www.shinto.org/wordjp/?page_id=2 【日本文化における神道の役割(過去・現在・未来)】より
※この文章は2009年10月22日~25日に大韓民国・高麗大学校にて行なわれた第一次仙&道国際学術大会での梅田善美前理事長の基調講話によるものです。
神道とは何か?
最初に神道を簡単に紹介します。神道とは日本の土着の宗教です。日本の古代から現代に続く民族宗教であり、日本人の生活文化の全般に浸透し、しかも外来文化を受け入れて、日本的に変容させるというエネルギーをもっています。その原点は古来の民間信仰と儀礼の複合体で、動物や植物その他生命のないもの、例えば岩や滝にまでも神や神聖なものの存在を認めるいわゆるアニミズム(精霊信仰)的な宗教です。その起源は遠い昔に遡ります。西暦紀元前200年頃までといわれる縄文時代の遺跡から発見された遺物の多くには何らかの呪術的な意味を持っていたとおもわれるものがあります。
古代の日本では、各地方で様々な慣習が行われていましたが、それらが一つの宗教的体系をなしていたとは言えません。各地に儀式や禁忌、タブーをつかさどる専門家や占い師や語り部の集団がありましたが、それらは、繁殖を促す儀礼と祓い清める儀礼が中心でありました。地方ごとにおこなわれた季節の祭りや先祖崇拝、超自然的な力への畏敬、それらが日本の島々の創造とそこに住む神々の降臨の伝説がつながっていました。
神道はこのように、人々の日常生活と密接な関係を持つ日本の信仰形態で、過去においてもそうであり、現代にもそれが続いています。神道は、それを作り出した教祖もなく、キリスト教における聖書やイスラム教のコーランにあたる教典もなく、組織化あるいは体系化された教団もありません。そのため、神道は宗教ではないとさえ言われています。神社には氏子とよばれる崇敬者たちがいますが、これは、いわゆる「信者」あるいは「教会員」とは異なっています。神道には神学や会衆による礼拝はあまりありません。崇拝される対象となる統一的概念は「カミ」もしくは「カミガミ」と言う言葉で言い表されていますが、近代になって、それが英語で「Godゴッド」と訳されたものですから、今もしばしば、いわゆる一神教の神と混同され、誤解を生じています。
古代からの信仰は、西暦538年に日本に伝来した仏教という新しく輸入された宗教との競争に直面して、はじめて神道と名づけられました。すなわち「神道」という言葉は、日本の伝統的な信仰形態を仏教と区別するために、中国の道教につながる言葉をもちいたのであり、「神(かみ)の道」という意味を表わします。
この「神道」という用語が最初に文献に出て来るのは、西暦720年に編纂された『日本書紀』という歴史書ですが、そこでは宗教的儀式や神々または社(やしろ)を指したもので、現在使われているような宗教の教義のまとまった体系の意味で使われるようになったのは12世紀からです。
古代の日本には、ほとんどが韓半島を経由して、中国からの膨大な文物が流入しています。その中に道教にかんするものが含まれていたとしてもなんら不思議ではありません。
日本の神社仏閣にはいろいろな道教的要素が見られますが、中国に見られる道観という形式の組織は形成されませんでした。ここで、日本では道教がどのように位置づけられているかについて、日本における道教研究の第一人者として知られている窪徳忠(くぼのりただ)先生の定義をご紹介いたします。すなわち道教とは、「古代の神仙説および古代の民間の雑多な信仰を中心とし、それに道家の哲理、易、陰陽、五行、および讖緯(しんい=未来の予言)や医学、占星などの説や、巫祝(ふしゅく=巫女・シャーマン)の信仰などを加え、仏教の体裁や組織にならって、宗教的な形にまとめられたもので、不老長生を主な目的とする、現世利益的な宗教」という長いものです。
こうした道教的要素が中世の神道や仏教と交わって、修験道や風水占い、あるいは陰陽道などという日本で独特の信仰体系を成立させていきました。
数世紀にわたって神道と他の信仰形態は様々に展開しました。とくに仏教との関係はある時は「両部神道」として、神仏が合体して信仰の対象となり、日本全国に神社と寺院が共存していたわけです。近世になると『古事記』や『日本書紀』に記載されている神話が、歴史につながっているものだという「復古神道」がとなえられ、そこから天皇を天照大神の子孫として崇める人々がでてきました。
国家神道の発生と海外神社の設立
19世紀になると、神道の歴史に大きな転換期が訪れました。それは、200年以上にわたる鎖国による封建主義が終わりをむかえようとした1860年代から、日本が新しい国づくりを目指す文明開化という時代に入ったからです。ヨーロッパやアメリカで、自分たちとは違う文明や価値観を見聞した日本の為政者たちは、日本にも精神的な規範が必要だと考え、神道が日本の伝統的な信仰であり、日本人の日常生活に深く浸透しているものであることに着目しました。そこでまず神社と寺院とを分離し、さらに神社を整理統合し、国家の支配下に置くことにしました。いわゆる「国家神道」の発生です。
ここで注釈を加えますと、国家神道という定義は、もとから存在したものではありません。この言葉は、1945年に日本が第二次世界大戦に敗北して、米国の太平洋陸軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥率いる連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本を支配しはじめたときに、さまざまな占領政策を打ち出し執行した中で、「神道指令」を発して、神社を国家の関与から切り離すことを命じた中で、神道をState Shintoと名づけたものです。もともとは、神道の皇祖崇拝の伝統を基礎にしたものが国の公の祭祀となり、1868年の明治維新と呼ばれる王政復古に対して、神代へ回帰するという表面的なイメージを与えることになりました。こうして神道は、すべての日本国民に対し、宗教としてではなく、愛国的義務的儀礼として定義されることになりました。
いっぽうでは、この時期に、いくつかの民衆宗教運動から派生した天理教、金光教、黒住教などが広く全国的に普及し、布教活動が許されるようになりました。その一つである大本(おおもと)は世直しを訴えて日本ばかりか海外にも知られるようになりましたが、そのユニークな活動は国家に対立するものであり、天皇への反逆的な活動であるとして、当時の日本政府から大弾圧を受けました。
明治時代の日本は「富国強兵」というスローガンのもと、海外進出をはじめました。北米や南米やハワイなどへの移民が始まり、多くの日本人が中国大陸や韓半島や東南アジアの国々に住み始めました。それにともなって、各地に大小さまざまな神社が建設されました。それらは「海外神社」と呼ばれ、約600箇所にも及んでいたと言われています。最盛期は1915年頃から1945年までで、「日本民族のあるところ、必ず神社あり」と表現されたほどでした。多くは移住した日本人たちの心のよりどころとして建設されたのですが、中には日本政府の植民地支配と日本の国家観念を植え付けるための「統治の手段」として特別に作られた神社もありました。「朝鮮神宮」や「扶余神宮」がそれにあたります。
1945年にいたって、第二次世界大戦で日本は敗れ、占領軍の民主化政策により、「国家神道」は解体され、新しい宗教法人法のもと、神道は「神社神道」と「教派神道」に大きく二分されるようになりました。現在、日本全国には約10万の神社があり、そのうちの8万社あまりは「神社本庁」に属しています。また、多くの教派神道組織がその活動を復活し、それ以外にも神道や仏教の基本的な教えや実践に基づいて全国各地で数百の新宗教が現われました。 私は日本人の一人として、国の政策によって作り出された国家神道が、わずか80年足らずの存在だったとはいえ、近隣諸国で神道の名の下に、神道本来には無い活動をしたことを恥ずかしくおもいます。
日本人の日常生活における宗教の役割
ここで、日本人の宗教に対する考え方や接し方をとりあげてみましょう。日本人に「あなたの宗教は何ですか?」と質問してみると、すぐには答えがかえってこないのです。そのために「日本人は無宗教だ」といわれるのですが、それは、日本ではあらゆる宗教が共存しているからなのです。さきほどお話ししたように、神道は古代から現代につづいている日本の民族信仰ですが、その間に、西暦3世紀から4世紀頃には儒教や道教が伝来して日本人の生活になじみはじめました。つづいて6世紀には仏教が伝わって来て、それらと日本固有の伝統信仰と区別するために神道(シントウ)という言葉が生まれました。16世紀にはキリスト教が日本に上陸しました。
キリスト教の宣教師たちは、日本人が神社にもお寺にもおまいりするのを見て、驚きました。ある宣教師は祖国に、次のようなレポートを書き送っています。「日本には宗教が二つある。神道と仏教というもので、長い年月を経て、お互いに影響しあって、日本人の生活に溶け込んでいる。日本人はホトケという偶像を拝み、カミという見えない存在に畏敬の念を抱いている。仏教のお寺にも行き、神道の社にも行くことに何の不思議も感じない。」一神教であるキリスト教徒にすれば、カミもホトケも同一に感じ、礼拝しているのは、理解できないことだったのです。
このような日本独特の宗教共存を可能にしたのは、八百万の神々を崇拝する神道が基盤になったからです。神道には、もともと包容性があり、客人(まれびと)を大切にして、異文化との接触による文化変容を可能にする素地がありました。これを人間の身体にたとえてみると、日本人は自分たちの作った食物のほかに、外国から入ってくる食材をもとにして新しい食物を食べ、それらを消化して、栄養源にしている、と言うことです。
日本では「文化庁」という役所が宗教団体を取り扱っていて、毎年、「宗教年鑑」という日本の宗教に関する統計を発表しています。それによりますと、文化庁に登録されている宗教法人の総数は182,985法人で、内訳は、神道系が84,996法人と全体の46.4%を占めており、仏教系が42.9%、諸教が8.4%、そしてキリスト教系が2.3%となっています。さらに、それらの法人に属している信者・会員の総数は、213,826,700人で、神道系がそのうちの50.3%、仏教系が44.0%、諸教が4.7%、そしてキリスト教系が1.0%となっています。ここで、みなさん、気が付いたことと思いますが、日本の最近の人口は1億2千万人強ですが、文化庁に登録された宗教団体に属する信者総数は2億1千3百万人強となっていることです。つまり宗教人口が実際の日本人口の2倍近くになっているのです。どうしてこんな現象が起きているのでしょうか。そのわけは、一人の日本人が複数の宗教団体に登録されているからなのです。神社の氏子であり、お寺の檀家であり、新宗教の会員でもあるということが何の不思議もなく行われているのです。さすがにキリスト教系の団体では、そんなダブルブッキングは許されていないようですが、神社やお寺は二重、三重に所属していてもとやかく言うことはありません。ですから、最初の「あなたの宗教は何ですか?」という質問にすぐに「私の宗教はこれです」と答えがでないのは、そのような事情があるからなのです。韓国や中国の場合はいかがですか。
いずれにせよ、この宗教年鑑の統計にあらわれているように、神道系の宗教が日本人の宗教生活に最も大きな影響を与えていることがお分かりになるでしょう。
世界の平和文化への神道の貢献
今日のお話しの最後に、神道の現代における存在意義を考え、未来への展望をしてみたいと思います。
神道国際学会がアメリカ合衆国のニューヨークで1997年に開催した「神道と環境」をテーマにしたワークショップに、アメリカの有名な環境問題専門家で『地球の夢』、『宇宙物語』の著者であるトーマス・ベリー博士が次のようなメッセージを寄せられました。
『神道から教えられる普遍的なものは、聖なる世界へ通ずる道は我々が住む世界にこそ見いだされる、という考えだ。神道の一番の特長は、ありのままの姿の自然とその永遠なる価値が直接結びついたシンプルさにある。日本の文化は今、世界中から注目を浴びている。神道の伝統から来るインスピレーションのもとで、この自然の力との交わりを新たにすることによって、 人類が今まさに求めている自然からの活力を受け、導かれ、大いに癒されることができるかもしれない。』
“The universal lesson of Shinto is that the way to the world of sacred is through the place of our dwelling. The primary virtue of Shinto is its utter simplicity, its immediacy with the natural world in its primordial reality and its enduring value. The Japanese heritage now finds a resonance throughout the Earth. Through a renewed communion with these powers under the inspiration of the Shinto tradition the larger human community might attain that increase in the energy, the guidance and the healing that are among its present needs.” (From a special message to ISF’s workshop on “Shinto and the Environment” from Dr. Thomas Berry, eminent environmentalist and author of influential ecological writings such as The Dream of the Earth and The Universe Story.)
神道は、「多神教」と定義することができます。先に述べたように、カミを「ゴッド」と訳すのは、一神教における創造神に伴う考え方と混同しやすいため誤解を招きます。私たちは、kamiとそのまま使うことをすすめています。説明的にはdeity(deities)と訳します。
神道は汎神論ではありません。なぜなら、この世のすべてのものが霊性を持っていることは認めますが、すべてが神として崇められるのではないからです。神として崇める対象に選ばれるのは、人間を超えた知恵や力などの霊的特性を示すものに限られます。神道は、絶対的な神あるいは全知全能の神を認めず、それぞれの霊的特性を持つ八百万の神々に対して崇敬を寄せるのです。
「ネイチャー」という言葉は二つの意味を持つと言えます。一つは、「自然界」の自然であり,もう一つは、「あらゆる物の本質」と表現できます。環境問題の文脈で使われる「ネイチャー」が前者、つまり自然という意味で使われるのはいうまでもありません。しかしこの概念は19世紀の半ば頃日本人がはじめて接した西洋の思想から来たもので、日本ではまだ新しい概念であるということを忘れてはなりません。それまでは、後者,つまりものの本質という意味しかなかったのです。日本人が自然界について語るときは「天地」とか「万有」あるいは「山川草木」というような表現を使っていました。
遠い祖先の時代から受け継がれて来た日本の伝統的な信仰である神道が求めるものは、自然とともに生き、祖先の心を己の心とし、人と平和に暮らすことであります。自然と調和して生きることによって安心を見いだし、祖先の時代から受け継がれて来た伝統を尊重することによって精神的な支えを得て、人と人とをつなぐ絆を大切にして、より良い生き方を見いだすことができるのだと、日本人は昔から信じて来ました。
近代における科学の進歩の結果、世界は大きく発展を遂げ、その進展は世界中で止まることなく続いています。しかしこの発展は同時に地球の自然環境の破壊を意味し、その危機はますます深まりつつあるのです。この地球的危機に急いで対処しなければならないのですが、まず自然と人間との関係を見直し、昔から積み上げて来た人類の知恵を活用して破滅への行進をどのようにして止めるかを考えなくてはなりません。
本来、日本人の自然観は、畏敬の念をもって神々の世界としての山や森、 川や海に接することでありました。こうした態度はおそらく日本の土地が青々としていて海に囲まれ、比較的温和な気候とはっきりした四季に恵まれているせいでもあるでしょうが、ともかく日本人は自然を征服すべき敵としてではなく、慎みをもって接すべき神々の恵みあふれる聖なる空間として見たのです。最近,日本の文化を歴史的に考察して、そのさまざまな側面を「森の文化」、「海の文化」、「農耕文化」などと呼ぶ学者が増えましたが、これらはすべて日本人の神への信仰が根本にあることに注目したものです。
環境保護問題への対応は、ときには狭い専門分野の問題として分けられる傾向があります。神道の多神教的な性格は包括的であり、すなわち相対論的価値観を備え、世界の人々の様々な洞察や能力を調和させる可能性を示していると言えるでしょう。私は神道がそのような役割を演じることを期待しています。そして、今こそこのような個々の宗教の狭い利害を超えた共通の目的意識に目覚める時であると考えます。私たちの地球を守り、子供たちによりよい環境を残すためにこのような運動の促進が急務であり、それに力を注ぎたいと思っています。
私たちは世界中に富める者と貧しい者との格差、そして持てる者と持たざる者の格差がますます広がっている現状を深く憂えています。そればかりではなく、さまざまな宗教組織の絶えざる不和が原因となって、宗教の眞の価値が危機にさらされていることにも憂慮しています。国際連合が2009年を「国際和解年=International Year of Reconciliation」と提唱したことにちなみ、私たち神道国際学会は、真の和解を実現するためには、世界中の民草が胸襟を開いて対話しあうことが必要であると考え、その方策をみなさまとともに考えたいとおもいます。
次に、新しい時代に対して東アジアの仙と道の教えにつながるみなさまに提案したいのは、持続可能な地球にするには、私たちの行動原理をShallow Ecology(浅い生態学)からDeep Ecology(深い生態学)に転換することです。Shallow Ecologyとは、人間の利便性に役立つように自然を克服し、自然環境を改変することです。 この概念は自然を一神教の見地からとらえているものです。それに対して、Deep Ecologyは人間を自然の一部として扱い、自然は人間の仲間であり、血肉を分けた兄弟姉妹であると考えます。これは、まさに、東アジアの仙や道につながる思想や哲学にほかなりません。つまり土着の民俗宗教(信仰)の考え方です。
神道は、日本における真正の民族宗教であり、日本人のみに受け入れられるのだと考えられがちですが、一方では世界的レベルにおいて容易に受け入れられる普遍的な要素もじゅうぶんにあります。また世界のどの宗教についてもいえることですが、新しい千年紀に入った今、私たち皆が普遍的な立場に立って、直面する重大な課題にこれまで以上に目をむけるべきでありましょう。今も続く宗教間の紛争または戦争、変動する生態系への危惧、科学技術と人間の関係、政治もしくは共同体の取るべき役割や形態など多くの課題があります。これらの問題を解決していくことこそが今日の宗教思想への大いなるチャレンジではないでしょうか。
昨今、世界の宗教運動を見るとき、はっきり異なる二つの現象を認めることができます。一方には多くの宗教間または宗派間の争いや紛争を見ることができます。しかし他方には、それぞれ異なった宗教によって理解と協力と相互の啓発によって新しい道をまじめに切り開こうとする人々の動きも活発になっています。そしてこれらの人々の数が増えているということは私たちに勇気を与えてくれるものです。神道の内包する「和の精神」が大いに役立つことでしょう。
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