イワクラと巨石文明

Facebook清水正博さん投稿記事

小笠原さんは精神世界の先人や達人の知られてないことに詳しくてお話しが面白い。猿田彦さんがどれだけ引き出してくれるか楽しみです。

Facebook横山 航宜さん投稿記事

想像を絶するイワクラと巨石文明

スピリチュアル世界を知り尽くした伝説のライター小笠原 英晃と九州各地の磐座を探究している猿田彦が常識を打ち破った驚愕の世界観を語り尽くす!!

未来を目指して

イワクラと一体になることで、アカシックレコードにアクセスできる。

その力を使っていたのがカタカムナ人なのではないか?!

『イワクラ』というキーワードから忘却してしまった世界を呼び起こす奇跡のトークショー

小笠原 英晃(ひであき)

精神世界伝説のライター

1960年生まれ。複数の出版社で精神世界系の書籍や雑誌の編集に携わり、96年以降はフリーで活動を続ける。これまでに取材した国内外の著名人や研究者は500名以上、100冊以上の書籍の企画・編集に携わる。著書『やさしくわかるアセンションナビブック』(分筆/マイコミ)、『天才五井野正博士だけが知っているこの世の重大な真実』(ヒカルランド)、『精神世界の歩き方』(BABジャパン)他。

WEB ZOOM & 健康道場サラ・シャンティ

名 称

縄文イワクラ・ミステリー

日 時 2021年12月11日

場 所 ZOOM &サラ・シャンティ

主 催 猿田彦TV

https://sarutahikotv.hp.peraichi.com/111

Facebook横山 航宜さん投稿記事

城の石垣は、穴太衆(あのうしゅう)によって組まれている。日本の近世初期にあたる織豊時代(安土桃山時代)に活躍した、石工の集団。主に寺院や城郭などの石垣施工を行った技術者集団である。石工衆(いしくしゅう)、石垣職人(いしがきしょくにん)とも称す。「穴太」の歴史的仮名遣での読み仮名は「あなふ」である。

この穴太衆は、元来山に住んでいた山窩(サンカ)から由来してきている。

山の民は、山を治水工事し、整地し、そのすべてを石を使ってインフラを整えていた。

山城も山の民の居城を難攻不落の城に活用して造られていた。

その技術ははるか古代の日本の山の文化から受け継がれていた。

石垣の石をよく観察すると、近代に近いほど直線的なラインで造っており、時代を遡るほどに流動的な石の形とラインになっている。

この山窩(サンカ)の一族は、穴太衆や忍者や穢多や製薬など特殊な仕事をしていたという。

また、高度な製鉄技術を持っていた部族もあり、その異様ないでたちから鬼とも呼ばれていたと考えられる。

世界の石組の技術の源は磐座や日本ピラミッドからも日本なのかもしれない。

石工職人(フリーメイソン)よりもはるか古代の石の文明の末裔は、文字を持たずにコトツという口伝でその叡智を悟りを開いた者(アーリア)から受け継いでいた。

https://www.youtube.com/watch?v=eYnfNSHZqSM

古代の巨石文明の痕跡に弘法大師 空海も来ていた!! 島に眠る巨石の謎 忘却の御神体高坏(たかつき)大分県津久見市保戸島 #磐座 #巨石文明 #空海

猿田彦TV

大分県の四浦半島沖の豊後水道に浮かぶ島。津久見市に属する。保戸島(ほとじま)

津久見港から北東約14kmに位置し、周囲約4km、面積0.86km2、最高地点は標高179mの遠見山である。人口は978人(2010年国勢調査)で、マグロの遠洋漁業の基地として知られている。また、島の一部は日豊海岸国定公園に指定されている。明治25年(1892年)から昭和26年(1951年)までは、保戸島村として独立した一自治体であった。

平地がほとんどないため、海岸に迫る急な斜面に3階建てのコンクリート造の建物がひしめくように建ち並んでおり、その風景は地中海の漁港を連想させる。保戸島集落は「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」に選定されている。

第十二代天皇の景行天皇(1世紀末から2世紀前半にかけて60年程在位されたそうで、日本武尊ヤマトタケノミコトのお父様)が東征の折に豊後国(大分県)を廻られた際、保戸島にも来られました。その時に腰かけたと言われる岩で、【景行天皇の腰かけ岩】と呼ばれている。

景行天皇が保戸島の海藻を見られた際、「なんと美しい海藻なんだ!」とびっくりされて、

≪最勝藻の門 ほつめのと≫という名前を島につけられたのが「ほとじま」の始まりです。

ほつめのと……ほつめのと……ほと   ほとじまになった。

保戸島空襲(ほとじまくうしゅう)は、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)7月25日午前10時頃、大分県北海部郡保戸島村(現・津久見市保戸島)に対して行われたアメリカ軍による空襲。

ほとは古い日本語で女性器の外陰部を意味する単語。御陰、陰所、女陰の字を宛てることが多い。

現在ではほぼ死語になっているが、転じて女性器の外陰部のような形状、形質(湿地帯など)、陰になる場所の地形をさすための地名として残っている。

古典として最初にホトが登場する文献としては、古事記上巻の一節に、イザナミ(伊耶那美)が神々を創生する文脈で以下の記述が見られる。

次生火之夜藝速男神

(イザナミは)次に ヒノヤギハヤヲノカミ を生みました。

亦名謂火之炫毘古神またの名を ヒノカガビキコノカミ と謂う。

亦名謂火之迦具土神因生此子またの名を カグツチノカミ と謂う子でしたが、この(火の神の)子を生んだことによって、

(イザナミの)ミホト(=美しい女性器)は火傷してしまい、病気になって伏せてしまいました。

ここでのホトの表記は蕃登となっているが、その後の文献では前述の女性器が焼かれる展開から火門と書いたり、その他、含処、陰、火陰、火戸など様々な表記が見られる。またホトには敵対する勢力(客人神など)を弱める力があるとも考えられていた。

高坏(たかつき)と呼ばれている磐座この巨大な鏡石は、北東を向いていた。

高坏たかつき

飲食物を盛る、ふっくり丸みのある容器であるつき(坏)に高い脚をつけた1人用の食膳(しょくぜん)。高杯とも書く。

保戸島 イ+ロ+木  戸・・・扉

北東の陽の日のエネルギーの受け皿 そしてこの磐座はエネルギーのゲートになっている。

弘法大師もこの保戸島に訪れていて、景行天皇も熊襲征伐の際に立ち寄ったという。

この島には巨石文明があって、熊襲と呼ばれた石の文明の民がいたのだろうと思われる。

高坏という磐座の名前も弘法大師がつけたのかもしれない。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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