選択をしない気づきの瞑想

http://anzenmon.jp/page/10243165 【その11 選択をしない気づきの瞑想】より

 今という瞬間を生きることを学ぶと、とても重要で深遠な事実が見えてきます。それは、あなたとあなたの思考や感情、感覚は別のものであるということです。思考や感情、感覚は、どんなに強烈で不快であっても、またどんなに快いものであっても、マインドフルネスという鏡に映し出して観察することができ、刻々と変化していずれは消えていくものなのです。恐怖やパニック、不安などの心のかせから自分を解き放つためには、この事実を肝に銘じることがとても大切です。

欲求や嫌悪感に支配された心

 恐怖反応や、その極端な形であるパニック発作の症状はきわめて不快です。自分の中のありとあらゆる部分がその状態から逃げ出したいと悲鳴をあげ、あなたは無力で無防備そのものという心をかき乱されるような強い思いにとらわれます。そして、心身のすべての部分に、「闘争・逃走反応」が現れます。けれども戦う相手が、不安やパニックと同様、その不快な感情自体であるときはどうすればよいのでしょうか。不快感が自分の体の中にある場合は、どこに救いの道を求めればよいのでしょう。また、その不快な感情があまり

にも激しく、あなたのあらゆる努力を、呼吸や体の感覚に集中しようという試みさえ無にしてしまうときは、いったいどうしたらよいのでしょう。

 私たち人間は、瞬間瞬間のできごとに対して、長い間にしみついた習慣的な方法で反応しています。こうした反応は、その瞬間の体験に伴って生じた、快、不快、そのどちらでもないという感情に直結して引き起こされるもので、心と体の両方に現れます。反応の方向性はいたって単純です。快いと感じるものはとらえて離さず、不快なものは拒絶・排除し、特に強い感覚を感じない(快適でも不快でもない)ものには「無関心」になったり意識をそらしたりするのです。

 これらの反応は多くの場合、無意識のうちに反射的に起こります。快い感覚に執着したり、不快な感覚を避けようとすることに、自分がどれほどのエネルギーを注いでいるかをあなたは普段認識していません。あなたのエネルギーは快いものへの欲求や、不快なものへの嫌悪感に吸い取られてしまっています。おそらく自覚しているのは、欲求不満、葛藤、恐怖、不安などの思いだけでしょう。そしてその思いがまた、拒絶したり排除したりしたくなるような新たな不快感を呼ぶのです。

 自分が体験していることに執着したり、背を向けようとする心の動きには重要な教訓が含まれています。たとえば、恐怖や不安、パニックが今という瞬間に非常に不快な状態をもたらしているとき、あなたはたぶん、その不快感をただちに取り除こうとする、習慣化した思考や感情、行動のパターンに陥っているはずです。これは今という瞬間にここに存在するものに対する拒否感や嫌悪感が引き起こす反応であり、問題点を「修正」しなければ、すぐに「何か手を打」たなければ、という切羽詰った思いをかりたてます。こうした

習慣的な反応は、続いて認知的、感情的、身体的側面にも現れます。そして反応そのものへの不快感が、現状から逃げ出したいという気持ちに拍車をかけるのです。

 

アレンの場合

 アレンは五年前、四七歳のときに軽い心臓発作を起こしました。幸い無事に回復したものの、彼は今度発作に襲われたら死んでしまうのではないかという強い恐れを抱き、やがてはパニック発作を起こすようになりました。

 それからというもの、アレンは片っ端から医者やセラピストの診察を受けて回り、瞑想療法を始め、バイオフィードバック療法や視覚イメージ法といったさまざまな心理療法を学びました。カウンセリングを受けたり、支援グループに参加したりもしました。けれども、そのいずれについてもある程度の効果は得られたものの、いまだにパニックに襲われ、教えられた治療法ではどうにも対処できないことがあります。

 アレンは、パニック発作は敵であり、ほとんど自分の手には負えないものと考えるようになりました。自分対パニックという図式を思い描けば描くほど、ますます気がふさぎ、救いがたい絶望感を覚えます。そして、パニックに襲われたときは、たいがい、そのことについて強い恐怖を感じます。アレンは、パニックそのものだけでなく、パニックに関する恐れや心配の思いにとりつかれてしまっているのです。

 またアレンは、パニック発作の不快な症状が現れると強い嫌悪感を覚えるようになりました。そんな自分の状態がいやでたまらないのですが、そうした嫌悪感は、さらなる不快な感覚や思考を呼び起こしていきます。アレンは、どん底のときの様子を次のように語っています。

 私は夜中に突然目を覚ましました。体は震え、汗がびっしょりで、わけもなく恐怖を感きて、憂鬱になり絶望感に襲われました。ベッドから出た私は座り心地のよいいすに腰を下ろすと、視覚イメージ法を行い、リラックス体操を始めました。でも、いくらもたたないうちにひどいパニック発作に襲われ、集中できなくなりました。また体操を始めてみましたが、やはり集中力を持続できません。私はすっかり動揺して、いらだちさえ覚えました。ヒーリング効果のある音楽を聴いてみましたが、なおも発作はおさまらず、気はめい

る一方です。やがて自分自身に腹が立ってきて、私はぶつぶつと悪態をつき始めました。こんなときはいつもいたたまれない気持ちになり、無力な自分がつくづくいやになります。何もかもが悪いほうへと向かっているように思えます。発汗。動悸。心には死という恐ろしい言葉がうずまき、実際自殺を考えます。いっそのこと、その思いを実行に移してしまえばよいのかもしれません。自殺の具体的な計画をたて始めることもあります。でも、私はそこで我に返り、妻子の顔を思いだして踏みとどまります。私は、ほんとうは死にた

くなどないのです。けれども、そのような苦しみの中で、自分が何もできないように感じるのがたまらず、自暴自棄になってしまうのです。

不快な体験とともに今に身をおく

 あなたはアレンのような苦しみと向き合うことができるでしょうか? 日常のさまざまな体験を不快だからといって敵とみなしてしまうと、苦しみや無力感からはまず逃れられません。

 心をかき乱すつらい体験は、なかなか消え去ってくれないように思えるものです。では、こうしたくり返し襲ってくる不快なできごとにはどのように対処すればよいのでしょうか。

 恐怖、不安、パニック、体の痛み、病気、喪失感。何であれ、不快な体験というものは、完全に取り除いたり、避けたりすることができません。ここでマインドフルネスが威力を発揮します。

 マインドフルネスは、不快感に対して戦ったり逃げたりするのではなく、向き合うことを教えてくれます。心身を穏やかに保ちリラックスさせて今に集中することで、あなたは不快な体験を詳細に観察し、それと結びつくことができます。不快な感覚の苦しみから解放されるためには、心と体を鎮め、リラックスさせて今に身をおき、その不快感そのものに意識を向ける力を養わなければなりません。それには、心にゆとりをもち、体験をあるがままに受け入れることが必要です。

 呼吸に注意を集中すると安らぎが得られます。たった一度でも、意識して呼吸をすれば、今という瞬間に体験するさまざまなできごととあなたとの関係が変わってくるはずです。呼吸によってあなたは、自分に本来備わっているゆとりを生み出す力に気づくことができるのです。現在に身をおき、ものごとを明確に見定めることは、今ここにあるものとの接し方が変わることによる直接的な恩恵をもたらすだけでなく、状況を改善するための対応法を見つける絶好のチャンスともなります。

 本書ではこれまで、呼吸の感覚や身体的な体験に集中するという方法によるマインドフルネスの実践法を紹介してきました。気づきの呼吸やボディースキャンなどでは、注意を特定の部分に集中させ、その部分と自分がマインドフルネスによって結びつく感覚を知ることに重点が置かれていました。

 気持ちがそれたときにはまた静かに呼吸や体の感覚に注意を戻し、気が散るときや、もっと集中したいときには、強い雑念や体の特定の部分に意識を向けて呼吸するということを行ってきました。それにより、息の出入りする直接的な感覚を利用して、注意を集中している部分や今という瞬間とのつながりを保っていたわけです。この方法は、恐怖や不安、パニックなどの御しがたい精神状態との結びつきを保ち、それに対処するのにも役立ちます。

 さて、ここからはもっと広い見地でマインドフルネスを実践してみましょう。意識の中にある最も支配的で強烈なものを、それが何であれ注意を集中する対象とするのです。どんなものに対しても分け隔てなく、思いやりの気持ちと受け入れる心をもって注意を向けます。この方法では、「雑念」は存在しません。意識の中に生じたものは、何であろうと注意を集中する対象になるのです。注意と意識の力で、それぞれの体験や「雑念」と親しくなることができます。

 こうして視野を広げると、人生の一瞬一瞬がより深みを増し、豊かなものとなります。感性を研ぎ澄ませることで、意識の中に現れるすべてのものと文字通り結びつくことができるのです。

 気づきによって心が開かれた状態になると、嫌悪感や欲求にしばられるという習慣をより深く認識し理解できます。そして理解が深まるにつれ、自分をしっかりとみつめ、体験に固執したり背を向けたりという従来の習慣や、それに伴う苦しみにとらわれずにいられるようになります。

 

到達目標に執着しない

 「とてつもなく強烈な恐怖や心配やパニックを感じているときに、今に集中することなんてできるのだろうか」―こんな疑問を感じている人もいるかもしれません。また、気づきの呼吸やボディースキャンで心身がとてもリラックスして穏やかになったという人もいれば、「不快な」感覚からなんとかして逃れたいと思っているのに、それに意識を向けるなんて気が進まないという人もいるでしょう。あるいは気づきの呼吸やボディースキャンを、不安やパニックを「排除する」ために利用している人、時にはそうできたと思ってい

る人もいるかもしれません。

 これらのうち一つでも自分にあてはまることがあれば、あなたはまだ「自分対自分の問題」という考え方から抜けきれていない可能性があります。けれどもそれはあなたに限ったことではありません。これはだれにでもある話なので、自分が間違っているとか、失敗をしたなどとは思わないことです。しかし、こうした考え方からは早く抜け出さなければなりません。

 今まで「不安を排除する」ために「瞑想を利用」してきた人は、そのことをまず認識しましょう。それは、体験に固執したり、背を向けたりする習慣の影響力の強さを示しています。

 これまで体験してきたできごとを、より詳細に観察してみましょう。何かを修正しようとか変化させようとする気持ちが現れたときに、それに気づくことが何より大切です。その気持ちにも他のものと同様に、注意を向けなければなりません。今はそれをする絶好のチャンスです。現状を変えたい、何かを修正したいという欲求に意識を向け、それに注意を集中してあるがままの状態にしておくことができるでしょうか?

 瞑想の効果があったと感じられたとすれば、それは、努力しない、判断しない、受け入れる、その他のマインドフルネスの基本姿勢を守っていたためと考えられます。また、欲求不満を覚えたり、「効き目がない」と思うのは、たいがい、目標や望ましい結果を胸に思い描き、それが実現されなかったと感じるときです。

 あなたは心の平安やリラックス感、さまざまな考えや心配の思いからの解放を躍起になって求め、その過程で、自分自身や瞑想に、そしておそらくは、本書に書かれていることに判断を下していたのでしょう。

すべての体験を受け止める

 マインドフルネスを養うとは、生活のあらゆる場面でより注意を集中し、目覚めた状態でいられるようになることです。これには、内的体験のすべてを認識し、自分を信じる心を忘れずに、それらの体験と結びつき、丸ごと受け入れることが必要です。そうすることで、内的世界との慈しみに満ちた絆が生まれ、そこに生じるできごとひとつひとつを心から歓迎して受け止められるようになります。

 この意味で、マインドフルネスを実践することは、自分の痛みや苦痛を思いやりと慈しみの心で受け止めることによって成長と自己発見を促すプロセスであるといえます。マインドフルネスはだれかに教えられるのではなく自分の力で培っていくものです。自分にあったペースで、学んでいきましょう。

 マインドフルネスを実践すれば、さまざまなものごとを受け止められる、自分の内なる広がりを見いだせます。そして、日々の生活の中で今という瞬間に生じるできごとのひとつひとつに感性を研ぎ澄ませ、干渉を加えることなく注意を集中できるようになります。自分の中にある広がりと落ち着きを見いだすことによって、それぞれの体験が奏でる歌に耳を傾け、その教えに気づけるようになるのです。

 

瞑想トレーニング

<選択をしない気づきの瞑想>

 これは、今この瞬間に意識の領域にあるものなら何であれ、静かに注意を向け、思いやりの心で受け止める瞑想です。「選択をしない気づき」は「ありのままの注意」とか「意識の領域に存在するすべてのものに注意を集中すること」などとも呼ばれています。この瞑想で中心となるのは、今という瞬間に意識の中にある最も際立ったものを認識し、それに注意を向けることです。

 際立っているものはその時々で違い、次々と入れ替わります。あなたは心を落ち着け、現在にしっかりととどまり、今ここにあるものに気づいてそれに注意を集中します。移り変わりに伴うさまざまなできごとも、認識して受け入れます。

 選択をしない気づきを実践するとは、日々のいろいろな体験に対して、普段とは違った形で接することです。

 闘う、逃げる、同一視するという常日頃習慣となったやり方で対応するのではなく、今ここに生じるあらゆるものに等しく注意を払うのです。そしてそれらすべてに、思いやりの心と意識を向けます。これはマインドフルになることで、内的世界の広がりと安定を見いだすための方法です。

 この瞑想でいう、「ありのままの」とは、判断も干渉もせずにただ受け入れることであり、また「注意」という言葉は、マインドフルネス、つまりは今ここにあるものに目覚めること、気づきを得ることを意味します。そして、「選択をしない」とは、文字通り、選択をしないことにほかならず、意識の中に現れた最も顕著なものに、えり好みすることなく注意を向けることです。

 言い換えれば意識をそらさずに、今ここにあるものをより深く、徹底的に観察し、聞き、感じ取り、それらのものとともに現在という瞬間に身をおくのです。

 瞑想のやり方は単純です。まず注意を集中し、今ここにあるものに意識を向けます。そして、今に注意を集中したまま、入れ替わり立ち替わり心に現れるさまざまなものをあるがままに受け止め、自然に放します。

 この瞑想には、強い恐怖やパニック、不安への対応力を高める効果があります。注意を集中することによって見いだされる心のゆとりでそうした感情を受け止められるようになるのです。恐怖や不安、パニックにとらわれたり、やみくもに反応することもなくなり、あなたは人生を自分の力でコントロールできるようになるはずです。

 ここで紹介する瞑想の手引きは四つのパートに分かれています。最初のパートは、事前準備に関する話で、正式なトレーニングを行う際に必要な環境作りについてのおさらいです。二つ目のパートは、すでに学んだ気づきの呼吸の復習、三つ目は、五感を通して感じられるいろいろな感覚や体験に意識を向けていく方法の詳細な説明、そして最後が「選択をしない気づき」の瞑想法の詳しい手引きとなっています。

 はじめの三つのパートは、この瞑想のいわゆる基礎部分です。パート2とパート3はそれぞれ独立した瞑想として行うこともできます。選択をしない気づきの瞑想とは一言で言えば、何事にもとらわれず、成果を得ようとせず、注意を集中し今の瞬間に去来するすべてのものにただ意識を向けることです。

 瞬間ごとに五感を通じて感じられる体験の流れにさらわれたり、のまれたりすることなく、集中力と注意力を保ち続けられるようになるには、時間をかけて訓練することが必要です。

 基礎部分での地固めをしっかり行い、忍耐強さを身につければ、選択をしない気づきの瞑想にも違和感なく取り組めるようになるはずです。

選択をしない気づきの瞑想の手順

パート1……瞑想の下準備をする

 1. いすに楽な姿勢で座ります。トレーニングは最低でも二〇〜三〇分行います。途中で邪魔が入ったり気が散ったりしない時間帯を選びましょう。

 2. まず、マインドフルネスの基本姿勢を復習します。マインドフルネスとは、今という瞬間に起きているできごとを、なんの干渉もせずにありのままに受け入れることです。判断しない、忍耐強い、初心を忘れない、自分を信じる、努力しない、受け入れる、とらわれない、の七つの基本姿勢を思いだしてください。トレーニングを進めるなかで、これらの基本姿勢が必要となってくる場面があるでしょう。瞑想を行っていることに対して何か反応が現れたら、それに特に注意を集中します。そして、その反応にとらわれないよう

にします。何かを変えようとする気持ちが生じたら、それもやりすごしましょう。受け入れるとは、ものごとをあるがままに受け止め、そのままの状態にしておくということです。

パート2……今という瞬間の呼吸を意識する

 3. 「その9」で学んだ要領で気づきの呼吸を行います。呼吸の感覚、体がそこにあるという感じやその重みに意識を向けましょう。腹部の力を抜き、リラックスした状態を保ちます。必要なら、息をするタイミングに合わせ「吸う」「吐く」などと小声でささやいて、呼吸や体に対する注意力を高めていくとよいでしょう。これを心が安定し、今に集中できるまで続けます。初めのうちは、呼吸の感覚、体が存在する感覚など、注意を向ける先を限定します。自分の身に起きているできごとをリラックスして感じ取り、息を取り囲む空間や、呼吸に伴う体の感覚を意識しましょう。

 

パート3……五感で感じ取ったすべての感覚に注意を集中する

 4.呼吸や体と結びつくことで、心身が鎮まり注意が集中できるようになったら、意識を向ける対象を広げ、今の瞬間に聞こえるすべての音を受け入れます。耳に入ってくる音をできるだけ注意深く聞きましょう。音に対して評価を下したり反応したりしたら、そのことを認識し、やりすごします。そして、純粋に音を聞くという行為に戻りましょう。何も評価を加えることなく音に耳をすませます。ただの音として聞くのです。音の高低や遠近、振動の強弱なども感じ取ってみましょう。さらには音と音との間にも耳を傾けます。音の震えに気づいたらそれがどのように変化して消えていくかを聞き取りましょう。注意を集中するために、音が聞こえるたびに「音、音」と小声でささやいてみてもかまいません。音についての思考にとらわれないことです。「車の音がうるさい」とか「また電話が鳴っている」などという思いが浮かんできたら、ただそういう思いがあるということを認識します。それは、音を聞くという直接の体験からあなたの意識を引き離した思考にすぎないのです。たぶんそうした思いはまた生じるでしょう。聞くという行為から意識がそれていたことに気づいても、自分を責めず、再び音に耳をすませます。心の広がりの中に身をおきながら、注意を集中して音を聞きましょう。その広がりの中に静寂も含めた、あらゆる音を受け入れるのです。

 5.注意がそれる、気が散る、混乱、動揺する、などの状態に陥ったときは、まず体の力を抜きましょう。そして静かに息に意識を戻し、呼吸に集中します。そのまま何度か気づきの呼吸を行いましょう。呼吸に集中することで今に意識をつなぐのです。あなたはいつでも呼吸の感覚に意識を戻すことができます。どうしても注意がそれるときは、無理に集中しようとせず、その状態とともに呼吸をして、雑念が消えるか、息の出入りがはっきりと感じ取れるようになるのを待ちます。腹部に意識を向け、穏やかでリラックスした状態を保ってください。必要に応じて何度でも呼吸や腹部に注意を向け、今という瞬間にしっかりと集中しましょう。

 6.体や腹部の力を抜き、できるだけリラックスした状態に保ちます。十分気持ちが落ち着いたら、再び意識を向ける対象を広げ、呼吸や周囲の音に加え、さまざまに変化していくありとあらゆる体の感覚を受け入れます。体の中で起きているできごとを感じ取り、体の感覚を意識しましょう。心構えはあくまでシンプルに。何かを得ようとする気持ちは捨てます。呼吸や特定の感覚、音など、わざわざ注意を集中する対象を探し出す必要はありません。意識の領域に入ってくるものをただ単に受け止めればいいのです。

 体をリラックスさせて穏やかに保ちながら、すべてを受け入れる気持ちで意識を向け、震え、圧迫感、収縮感、膨張感、温かさ、冷たさといった、体の感覚を感じ取りましょう。それらはどのように現れ、消えていくでしょうか。ここでも、必要なら体験のひとつひとつに心の中で注釈を加えていくと、意識をつなぎやすくなるでしょう。たとえば、「ひりひりする感じ」「圧迫感」「脈動」「収縮とこわばり」「リラックス感」というぐあいに、感覚の移り変わりに合わせて、胸のうちで言葉を唱えるのです。心身を穏やかに保ち、開かれた意識の広がりの中に、それぞれの感覚をあるがままに受け入れてみましょう。

 7.意識を向ける対象をさらに広げ、今この瞬間に存在するすべてのにおいと味を感じます。無理やり探し出す必要はありません。ただ意識の中に身をおき、今ここにあるものを感じ取るのです。においや味について何か判断を加えたり反応したりしないよう気をつけましょう。感覚そのものをありのままに受け入れます。甘い、すっぱい、塩辛い、濃い、薄い、かび臭い。どんな感じがしますか? その感覚は鼻や口のどこで感じられるでしょう。感覚の移り変わりも感じ取ります。そのにおいや味の強さは変化していますか?

 8.体の力を抜いてリラックスします。無理をしないことです。落ち着いて、心を開き、受け入れる気持ちを持ちましょう。そして、呼吸や体にしっかりと意識を向けながら、その感覚や周囲の音、におい、味をあるがままに感じ取ります。集中力を保つために、体験に注釈を加えたり呼び名をつけたりしてもかまいませんが、あくまで心の中だけで言葉を唱えるようにしましょう。少なくとも九五パーセントの注意を、感覚、音、におい、味を感じ取るという直接的な体験に向けます。何らかの理由で注意がそれる、動揺する、気が散る、などの状態に陥ったときは、意識を呼吸に戻しましょう。呼吸に注意を集中し、リラックスして、そのときに生じているできごととともに息を吸って吐き出します。腹部の力を抜き、すべてを包み込む意識の広がりに心を開きましょう。

 9.意識を開き、あらゆる思考を受け入れます。思考にはさまざまなものがあります。今このときに生じている思いをただ受け止めましょう。それは、評価でしょうか。判断、計画でしょうか? 何かを思いだしたり、語ったりしているのでしょうか? 語られる内容に心をとらわれることと、何かが語られていることをただ認識することの違いは何でしょうか? これらに気づくのが、マインドフルであることです。思考のテーマは何でしょうか。愛のこと? 上司のこと? 不安について? 思考の内容に気づくのも、マインドフルであることです。

 この瞑想では、思考の内容の正しさや重要性は問題にされません。すべての思考は平等に扱われます。それらをあるがままに受け入れましょう。心に浮かんだことについて、さらに何か考えたり、話を展開したり、説明したりしないように。それはただの思考です。呼吸の感覚や音などほかのすべてのものと同様、今ここにあるものの一つにすぎないのです。内なる広がりを見いだし、そこにあらゆる思考を受け入れましょう。何も判断せず、考えず、ただすべてを包み込む開かれた意識の中に身をおくのです。

パート4……選択をしない気づきの瞑想

 

 10.瞑想中に生じるあらゆるものを受け入れましょう。何であれ、それは今という瞬間の状態の一つにすぎません。怒り、恐怖、退屈、眠気、焦燥感、変化を求める気持ち、いらだち、落ち着き、安らぎ、興奮、喜び、嫉妬、憤怒、思いやり、愛、慈しみといった感情や、精神状態を認識しましょう。自分が体験するすべてのできごとに心を開くのです。それぞれの状態や感情に伴うエネルギーを感じましょう。同一視も、固執も、拒絶もせず、それらの体験のひとつひとつを開かれた意識の広がりの中に包み込みます。

 

 11.今という瞬間に存在するあらゆるものに心を開きましょう。音、感覚、におい、味、思考、感情、すべてを平等に扱います。それらは皆、今の意識の中に現れたものにすぎないのです。その中で最も目立つものを感じ取りましょう。リラックスしてそれを受け入れます。注意を集中し、その対象物とできるだけ深く結びつきましょう。内なる心の広がりを最大限感じ取り、そこに身をおき、意識の最前面に現れ出るものにひとつひとつ注意を向けます。結びつきを保ち、その対象物がそこにある限り、意識し続けます。やがてその対象物は変化し、他のものと入れ替わることでしょう。途中で集中力を保つために、何度か注釈を加えなければならなくなるかもしれません―「音、音」「圧迫感、圧迫感」「仕事についての思い、仕事についての思い」といったぐあいに。けれども、気が散るようならそれはやめて、対象物そのものの感覚に完全に注意を集中します。忍耐強く今に意識をつなぎましょう。

 

 12.以上の要領で瞑想を続けます。これが「選択をしない気づき」の瞑想です。この瞑想では、今に身をおき、注意を集中する力が培われます。腹部の力を抜いてリラックスすることが大切です。さまざまなものが意識の領域に現れるに任せましょう。恐怖や心配、パニックが生じても、ほかのものに対するのと同様の注意を向けて受け止めます。じっくり観察し、感じ取り、注意深く耳を傾けて、それらのものが去来するに任せるのです。結びつきを保つために必要なら、恐怖や不安、パニックの感情とともに意識して呼吸します。それらがすぐに消えない場合は、心と体に生じているできごとに入念に注意を払います。恐怖やパニック、不安の感情の中でも最も目立つ部分をマインドフルネスの光で照らし出しましょう。その部分をマインドフルな意識で受け止めるのです。必要に応じて、呼吸やリラックスさせた腹部に注意を戻してもかまいません。一旦呼吸に集中し、それからまた自分の思考をあるがままに受け入れます。

 その思考の「態度」や「口調」を感じ取り、体の感覚を意識しましょう。できる限り力を抜きリラックスします。忍耐心と自分を信じる気持ちを忘れないことです。自信喪失の思いや無力感や絶望感が生じたら、それを感じ取り、思いやりと慈しみの心を自分に向けましょう。思考は単なる思考にすぎないと考えることです。それらの思いを感じているとき、体にはどんな感覚が生じているでしょうか。その感覚が変化し、やがて消えていく様子にまで注意を払いましょう。幅広い視野を持つこと。去来するすべてをとりこむ開かれ

た意識の広がりの中に身をおきましょう。そこに現れるものと自分を同一視したり、それにのまれたりすることなく、そのひとつひとつを感じ取ります。

 

 13.瞑想を終えたら、目を開け、ゆっくりと手足を動かします。

選択をしない気づきの瞑想―実践のポイント

 選択をしない気づきの瞑想は、正式な形でなくても、普段の生活の中で行うことができます。

 この瞑想を日々の暮らしに取り入れていくことで、あなたは一日を通してより頻繁に、開かれた意識の広がりの中に身をおけるようになります。

正式な瞑想トレーニング

 選択をしない気づきの瞑想を正式な形で行うときは、一回につき、最低二〇分は続けましょう。慣れてくれば、三〇分、四五分、六〇分と徐々に時間を延ばしていけるようになります。体を鍛えるための運動と同様、トレーニングのなかで、「体力」、つまりは瞑想に必要な力を培っていくことができます。ですから、そうした力がつくまで十分に訓練を行うことが肝心です。

 瞑想は、なかなかスムーズには行かないものです。心は訓練されることが嫌いなのです。瞑想中には、疑念、退屈、いらだち、ほかの事をしたいという欲求、焦燥感、眠気といった種々の抵抗が生じてくるでしょう。それらの抵抗やその他のものに対する自分の反応を感じ取り、それをほかのあらゆるものと同様、注意を集中する対象にします。できる限り今に身をおくよう努めましょう。抵抗に気づき、それらとともに現在にとどまることで真の力が培われ、自分の日々の暮らしを追い立てている無意識的な反応のパターンから逃れられます。

 ある程度経験を積んだら、本、テープ、CDなどの助けを借りずに瞑想を行ってみましょう。自分は呼吸や体に注意を集中し、今ここにあるものに心を開くことができるのだと信じるのです。注意力、集中力、意識の中心を占めるものとの結びつきを保つ力は実践を重ねるにつれ磨かれていきます。決してあせらないように。目標を掲げたり、何か変化を起こそうとしないことです。ただものごとをあるがままの状態にしておき、意識的に注意を集中することによってそれがどういうことかを感じ取りましょう。

普段の生活における実践

 普段から生活のさまざまな場面で、選択をしない気づきの瞑想を行ってみましょう。音を聞く、味わう、においをかぐといったことから生じる感覚を、評価や判断を交えず、ありのままに感じ取ります。何か思いが浮かんだら、その事実を認識し、受け入れます。感じ取ったすべてに常に好意的な気持ちを向け、心を開きましょう。あなたの思考はあなたの敵ではありません。それは一つの心の状態にすぎないのです。役立つものなら利用し、そうでなければ認識するにとどめます。それは単なる思考でしかないのです。

 何かをするのをやめる機会を持ちましょう。今ここにあるものとともにただ存在するようにします。夕日の美しさを、食べ物のおいしさを、愛する人の手のぬくもりを、真の意味で感じてください。今を生きる力を高めて、人生の豊かさにもっと心を開きましょう。

 恐怖や不安、パニックが生じたときは、その不快感に対する自分の反応を認識します。そして自分に慈しみと思いやりの気持ちを向け、今という瞬間に感じている痛みに気づいてやります。心構えはあくまでシンプルに。注意を集中し、何も判断せずに意識を向けて、今このときに起きているできごとをできるかぎり深く、観察して味わうのです。自分の心や体で思考や感情が変化していくパターンを感じ取ることができるでしょうか?

 心身を穏やかに保ち、思いやりの心と意識を向けて、恐怖や不安、パニックを受け入れることができたら、あとは何をなすべきかを自分に問いかけます。とるべき行動や措置があれば、それを実行しましょう。このように、今に存在することによって、おのずとあなたの行動は決まっていきます。「存在すること」が、「行動」の指針となるのです。

まとめ

 あなたの思考や感情、感覚は、あなた自身ではありません。それは今という瞬間に起きているできごとであり、慈しみと思いやりの心を向けながらマインドフルネスという鏡に映し出して、観察できるものです。選択をしない気づきの瞑想を通じてこうしたできごとに注意を集中する能力を培うことで、恐怖や不安、パニックとともに生きるという新しい力を身につけることができます。

 できごとのなかでも、自分の内面で起きていることは特に重要です。そうした内的体験の変化に気づき、観察する力を養っていくことによって、さらには自分の最も奥深い部分に触れ、そこにある安らぎと安定を見いだすことができます。

著者等紹介

ジェフ・ブラントリー

医学博士。デューク大学医学部精神医学科顧問医師。同大学統合医学センターの「マインドフルネスに基づくストレス緩和(MBSR)プログラム」の創始者、ディレクターでもある。ラジオ、テレビ、新聞、雑誌などでMSBRプログラムに関する数々のインタビューに応じている。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000