https://bimoji.at.webry.info/201211/article_1.html 【「朝は十月十日」と書いて生まれ変わる~『朝にキク言葉』より】より
「朝」という字は十月十日(とつきとうか)と書き、毎朝生まれ変わっていると、著者のひすいこたろうさんはいいます。
十月十日(とつきとうか)というと、赤ちゃんが受胎してから生まれるまでの時間ですよね。だから毎朝新しく生まれ変わるというわけです。
「早起きは三文の徳」といいますが、俳優の哀川翔さんは「三億の徳」といいます。彼は「早寝早起き」にしてから、夜は8時に寝て朝4時に起きるそうです。
森田健作さんが、夜8時に寝るというのは以前に聞いたことがあって、「芸能人なのに、よくそれでやっていけるなあ。」と思ったものですが、他にもいたんですね。
哀川さんは多趣味でも知られていて、A級ライセンスを持っていて、選手権で優勝したこともあるそうで、また釣りや昆虫にも詳しく、本業では映画の出演作が100本を超えているという活躍ぶりです。
「朝の静かな時間はいいひらめきが生まれるし、テンションが上がってやる気が出る」といいます。
経営コンサルタントの大前研一さんによると、「人間が変わる方法は3つしかない。」そうです。
変えるものとして、 (1)時間配分 (2)住む場所 (3)付き合う人 この3つの中ですぐに変えられる物は(1)だけです。よって「朝を生かせばいい」と著者のひすいさんはいいます。
では「朝」にまつわるひすいさんのエピソ-ドを2つご紹介しましょう。
伊勢神宮へ行った時に、朝4時に近くを散歩してみたそうです。あたりはまだ深い闇に包まれていてただならぬ気配がして、正直怖いくらいだったそうで、怖さと敬意が入り交じった「畏怖」という言葉は、こういう感情から生まれたのではないかと思ったそうです。
5時前に開門を待っていると、男性がやってきて話をしたら、6年間毎朝30分かけて散歩に来るそうで、特別な願掛けのために来ているのではなくて、「朝の空気の中を歩くだけで幸せだから。」と言ってたそうです。
朝日が昇り始めると、光と闇が入れ替わって周囲が色づき始め、その美しさに「朝」に惚れてしまったそうです。
「惚れる」ていうのは、人に対して使う言葉だと思っていましたが、心から感動した場合、自然現象に対しても使うんだなあと改めて思いました。
「いつも機嫌よく生きていくコツは、人の助けになるか、誰かの役に立つことだ」これはニ-チェの言葉ですが、次はこの言葉にまつわる著者のエピソ-ドです。
友人の結婚式に出席した時に、フタ付の容器に入ったアイスクリ-ムが配られ、誰かの中に「当たり」が3つ入っているということで、しかも「一生に一度しかないくらいの素晴らしいプレゼントだといわれたそうです。
隣にいつもお世話になっている出版社の人がいたので、彼は当たったらその人にあげようと思いました。
でもひょっとして、「バリ島旅行プレゼント」かも?「それでも本当にあげる?」と自問自答した結果、やはりあげようと思ったそうです。
60名の中で、当たるのはたった3名だけです。「では皆さん、いっせいにフタをあけてください。」 せ-ので開けたら、見事に当たり!ピンクのハ-トマ-クがのっていたそうです。
もし「運の神様」がいたとしたら、きっと神様は自分に運をくれるだろうと思ったそうです。なぜなら他の人にあげるよりも、「人にあげようと思う人にプレゼントしたら、神様は二人分の喜びを与えることになる」からです。
さて、このすてきなプレゼントとは何だったでしょう?それは「新郎新婦にお祝いのスピ-チができる権利」だったそうです。「!?」
この話を彼がブログで公開したら、「この方法を使って景品が当たった」という人がたくさん出て、「喜びの声」が届いたそうです。
実は、私がまだこの本を読む前に、これと同じ経験をしたことがあるのでびっくりしました。
京都新聞でいつもお世話になっている営業所では、毎月「読者サ-ビス」をやっていて、その時は「カレ-&ス-プのレトルトセット」の募集だったので、当たったら娘夫婦にプレゼントしようと思って応募したら、「当たりました」といって持ってきて下さいました。
その時は「ラッキ-!」と思っただけでしたが、この本を読んでからは「誰かを喜ばせようと思ったら、神様が味方してくれる」ということを実体験から学んだように思います。
もうすぐ「年末ジャンボ宝くじ」が売り出されますが、今年は「当たったら~さんにあげよう」と願をかけて、買ってみようかと思いますが、「本音は自分が欲しがってる」ことを神様が見破られたら、「嘘をついた」罰が当たりそうで怖いです。買うなら「当たったらバリ島旅行しよう!」と正直に思いを込めて買った方がよさそうですね。
では「今日の一字」は『朝にキク言葉』の「葉」をもう一度復習してみて下さい。
(貼付がうまくいかないようなので次回にします。)
朝毎に生まれ変わるそれは日々新たに、そして時々刻々新たになり続ける無常な命の姿です。私は誕生日はそんな命の死と再生を記念するではないかと考えています。
私の誕生日は9月16日。竜胆は9月16日の誕生花だそうです。そこで「リンドウ」リンドウの花言葉について調べてみました。そして今年の誕生日に投稿した記事を添付しました。
竜胆は秋の山野草として有名です。そのため野山や草原でよく見られます。
さらに竜胆は薬草としても知られています。
竜胆は日光が当たると花を開き、曇っていたり天気が悪いときには閉じてしまうという特徴があります。
リンドウの花言葉についての解説・説明
悲しんでいるあなたを愛する
この花言葉は悲しみを思わせる青紫色の花と花が群生せず1本ずつ咲く姿からつけられたようです。この姿が悲しそうに見えたのでしょう。
健気に咲いているのが愛おしくなってつけられたのではないでしょうか!
正義
これは、竜胆の根が漢方薬に使われていたことから病気に打ち勝つということでつけられたようです。なので、敬老の日にリンドウを贈ることが多いのではないでしょうか。
誠実
竜胆は天気が良い時は花が開くのですが、曇りや雨などの天気が悪い時や夜には花が閉じるそうなのです。そのような性質からこの花言葉がつけられたようです。
勝利
勝利は正義と同じように病気に打ち勝つという意味でつけられたようです。
竜胆の根には健胃作用があることからこの花言葉になったようです。
おじいちゃんやおばあちゃんの健康を願ってこの花を送ってみてはいかがでしょうか。
高貴
これは、竜胆の紫が高貴な色だということでつけられたようです。
聖徳太子が定めた冠位十二階では紫色が最高位でした。
この位を与えられた人は、誰からも尊敬され能力がとても高かったようです。
尊敬する人に竜胆をプレゼントするのもいいですね♪
まとめ
竜胆はよく敬老の日におじいちゃんやおばあちゃんに贈られるそうです。
この花言葉があるから竜胆が選ばれていたのではないでしょうか。
いつもの感謝の気持ちを伝えるのにはぴったりの花ですよね。
http://xn--jh1aq6an0j.club/entry14.html 【竜胆(リンドウ)の花言葉】より
皆さまのおかげをもちまして 本日無事75回目の誕生日を迎える事が出来ました。
皆様からたくさんのお祝いメッセージをいただき 本当にありがとうございます。
いつの間にか後期高齢者の仲間に属する年齢となりました。思い返せば様々な出会いと別れ、がありました。中でも特筆したいのはキリスト教との出会いと別れです。キリスト教との別れは「キリスト教教育主事の仕事を終えること」となりました。
その時は子育てに一段落がついたときでもありました。
大きな区切りを迎えた私は 残された時を「これまで生かされてきたことへのお返しをしたい!」と願い、それを「人生の統合にしたい!」という祈りの中から心理健康オフィスを立ち上げることにしました。
この思いのルーツは カウンセリングとの出会いにあります。
私がカウンセリングを学び始めたのは「自分の歪を愛する者たちに手渡したくない」という気持ちと共に「キリスト教教育主事としての専門性を高める」ためでした。
持ちたくもないトラウマ体験を持ち 「人生は、自分で選び取り、切り開くもの」という信じ込みのもとに頑張ってきた私です。
しかし振り返ってみると、限りもな い祝福と、愛のうちに生かされてきたことを感じずにはおれません。
子ども達が社会人になり、母親としての役割も一段落着きました。残された時を「図らずも出会ったカウンセリング、セラピー」を中心に、今まで学んできたものを「私の命を支えていただいた世の中」にすべてお返しすることを最後の仕事にしようと考えました。
援助者として残された時を歩みたいと願うのであれば、自分の浄化は必定のことです。
良い援助者・適切な援助者になるため必死で一人セッションを続けました。
身体に眠る あらゆるスタックポイントを 時間の許す限り外し続けました。
一番大きなトラウマであるデビルチャイルドのスタックポイントを解放したときに 身体が立っておれないほど振え 鮮やかなアメジスト色の光が輝き、次いで白昼光が輝き ました。
その眩いセットの輝きは二回続けて起こりました。次の日もやや鈍いセットの光の繰り返しを見ました。それから霊現象がはじまりました。
私は20年間 霊現象に翻弄されてきました。そしてようやくその闇から新しいミッションを得て、今更ながらの再出発を始めました。
思春期の過去記事がアップされたのでついでに添付します。
プロフィールで思春期の自分のささやかなレジスタンスぶりを紹介しました。
この頃の自分はむしろ偽悪者を目指していたのかもしれません。
虚無に目覚めた中学時代のある日から 毎日やり続けていた気象観測もぴたりと止め、レギオン遍歴をはじめました。
授業は興味が持てないとボイコットに徹するのですが(教科担任に帰れと言われ 帰ると次回からは教室に入れないと宣告されました。クラス担任が平謝りに謝って 事なきを得たこともありました。)
試験をボイコットした時も クラス担任が自宅まで 車で迎えに来てくれました。
教科書持ち込みでいいから 追試を受けるよう言われましたが、授業が進めば そこまでの教科書は破り捨てていましたので 持ち込み用の教科書もありません。
その後はどうなったか記憶にないのですが退学届まで提出し、突き返された高校を 無事卒業してしまいました。
休み時間は職員室に入り浸りの 不思議な少女でした。
教師たちには主に「生きる意味」を尋ね続けるのです。
ある理科の教師が 「命とはリトマス反応のようなものだよ」とそっけなく言い切りました。
今はわかる気がします。
教師たちもニヒリストが多く逆に「死ぬ自由があるものとないものとどちらが幸せだと思うか?」「浦島太郎はなぜ老人になったと思うか?」などチンケナ質問をされてしまいました。
授業中はチョークを投げつける教師が 自宅にまで招待してくれました。
理科室、図書室はフリーパス。図書室は高校生になってからもフリーパスでした。
こんな私は真面目か不真面目か決められますか?意味を問う落とし穴は 無知の底なし沼、レギオンの墓場となりました。
善悪を区別してすっきりしようとする独善からようやく解放され続けています。
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