尾身茂氏

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/omi_osirase.html 【~尾身茂先生が、国連の国際健康危機タスクフォースのメンバーに選出されました~】より

 新型インフルエンザ等対策有識者会議会長である尾身茂先生(独立行政法人地域医療機能推進機構[JCHO]理事長)が、国際連合の潘基文(バン・ギムン)事務総長が設置した国際健康危機タスクフォース(the Global Health Crises Task Force)のメンバーに選出されたことが、平成28年6月29日、発表されましたので、お知らせいたします。

 このタスクフォースは、ヤン・エリアソン国連副事務総長、ヘレン・クラーク国連開発計画(UNDP)総裁、尾身先生ら、感染症・コミュニティヘルスケア・開発などの分野の世界の有力者15名のメンバーで構成され、「健康危機への国際的な対応に関するハイレベルパネル」より提出された勧告の実施を支援し、また監視していくこととなります。

 尾身先生の本タスクフォースのメンバー選出により、アフリカでのエボラ出血熱のアウトブレイクのような公衆衛生上の緊急事態への対応強化に資するとともに、日本のプレゼンス・貢献が更に向上することとなります。

平成28年7月

内閣官房 新型インフルエンザ等対策室

国際感染症対策調整室

室長 山田 安秀

https://www.swissinfo.ch/jpn/%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%99%E3%81%8E%E3%82%8B-%E3%83%93%E3%83%AB-%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AEwho%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%BD%B1%E9%9F%BF%E5%8A%9B/46621282   【大きすぎる?ビル・ゲイツのWHOへの影響力】

https://www.jcho.go.jp/%E7%90%86%E4%BA%8B%E9%95%B7%E6%8C%A8%E6%8B%B6-02/  【理事長挨拶】より

独立行政法人地域医療機能推進機構 理事長 尾身茂独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO:ジェイコー )は平成26年4月1日に設立されました。社会保険病院、厚生年金病院、船員保険病院という3つの病院グループを統合し設立された法人です。組織の文化や歴史の違いもある中、道のりは決して平坦なものではありませんでしたが、関係者の皆様のご協力によりここまで歩みを進めてまいりました。この場をお借りして御礼を申し上げます。

≪我ら全国ネットのJCHOは 地域の住民、行政、医療機関と連携し 地域医療の改革を進め 安心して暮らせる地域づくりに貢献します≫

上に掲げましたのは、JCHO役職員が一丸となり取り組みを進めるための「理念」です。「全国ネット」には、JCHOが全国57の病院グループであるメリットを生かした運営をしていく思いを、「連携」には、地域の住民、都道府県・市区町村等の行政、地域の医師会、医療機関、介護施設・事業所、大学等の関係機関との顔の見える関係を更に強化し、施設完結型ではなく地域完結型のシステムを構築していく姿勢を、「地域医療」には狭い意味での医療に限らず、予防からリハビリ、介護を含む切れ目のないケアという意味をそれぞれの言葉に込めています。

この理念のもと、関係各位のご協力を得て、特に下記の3点について、国より評価されています。

▽急性期医療はもとより地域包括ケアの推進

▽全国ネットを活かしたへき地等への医師派遣や災害医療の支援

▽国からの運営費交付金が交付されないにも拘らず、JCHO発足以来の黒字経営

日本は世界に類を見ないスピードで高齢化が進み、少子高齢社会を迎えます。医療は「病気を治す医療」から「暮らしを支える医療」に大きくシフトしようとしており、これに伴い、地域医療の抱えている課題や地域のニーズも変化していきます。変化に対応するには、自らを日々新たにして「改革」の意識と行動が不可欠です。JCHOはこうした社会に期待される「改革」の意識を持ち自ら行動に移すことで、地域医療の抱えている課題や地域のニーズをしっかりと受け止め、安心して暮らせる地域づくりに貢献することを目指します。

時代の要請でもある地域医療機能の推進という使命に応えるため、独立行政法人としてふさわしい強いガバナンス、透明性を確保し、社会的な説明責任を果たしつつ、自立的、効率的な経営に努めてまいりますので、今後ともご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

                                 平成30年10月

独立行政法人地域医療機能推進機構

理事長 尾身 茂


https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/18/rls_0605a.html  【尾身茂(おみ・しげる)世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局長の次期WHO事務局長選挙への擁立について】 より

平成18年6月5日

日本政府は、5月22日(月曜日)に急逝されたリー・ジョンウォックWHO事務局長の後任を選出する選挙が11月に行われることとなったことに伴い、尾身WHO西太平洋地域事務局長を候補者として推薦することを決定した。

新型インフルエンザなどの感染症への国際的な対応の強化が求められているこの重要な時期、次期WHO事務局長には、適切にWHOの舵取りをしていくことができる、実力のある人が選任されることが期待されている。

尾身氏は、現在、アジア地域における感染症対策等の陣頭指揮を執る立場にある。また、東アジアを含む西太平洋地域からポリオを撲滅する上で発揮した指導力や、2003年のSARS勃発の際の迅速・機敏な対応により、西太平洋地域を超えて、国際保健分野の第一人者として極めて高い評価を得ている。尾身氏は人格円満であり、マネージメント能力にも長け、次期WHO事務局長として相応しい。


https://news.yahoo.co.jp/articles/b7d53a203635ef158d9d8c027941d174efa28d19 【【独自】コロナ病床30~50%に空き、尾身茂氏が理事長の公的病院 132億円の補助金「ぼったくり」〈dot.〉】より

9/1(水) 10:00配信

8月25日、政府の新型コロナウイルス感染症に関する「基本的対処方針分科会」に臨む尾身茂会長(中央)(c)朝日新聞社

 政府分科会の尾身茂会長が理事長を務める地域医療機能推進機構(JCHO)傘下の東京都内の5つの公的病院で、183床ある新型コロナウイルス患者用の病床が30~50%も使われていないことが、AERAdot.編集部の調査でわかった。全国で自宅療養者が11万人以上とあふれ、医療がひっ迫する中で、コロナ患者の受け入れに消極的なJCHOの姿勢に対し、医師などからは批判の声があがっている。

 編集部が厚労省関係者から入手した情報によると、JCHO傘下にある都内5病院のコロナ専用病床183床のうち、30%(8月29日現在)が空床であることがわかった。

 5病院のうち最もコロナ患者の受け入れに消極的だったのは、東京蒲田医療センターだ。コロナ専用病床78床のうち42床が空床で、半数以上を占めた。その他には、東京山手メディカルセンターは37床のうち35%(13床)が空床となっている。東京高輪病院は18床のうち10%強(2床)が空床だった。東京新宿メディカルセンターはコロナ専用病床50床が満床だった。東京城東病院はこれまでコロナ専用の病床はゼロだ。

 都の集計によると現在、自宅療養者は2万人以上、入院治療調整中の患者は約6800人に上る。厚労省関係者はこう批判する。

「尾身氏は国会やメディアで『もう少し強い対策を打たないと、病床のひっ迫が大変なことになる』などと声高に主張していますが、自分のJCHO傘下の病院でコロナ専用ベッドを用意しておきながら、実は患者をあまり受け入れていない。こんなに重症患者、自宅療養者があふれているのに尾身氏の言動不一致が理解ができません。JCHOの姿勢が最近になって問題化し、城東病院を9月末には専門病院にすると重い腰を上げましたが、対応は遅すぎます。そもそもコロナ病床の確保で多額の補助金をもらっていながら、受け入れに消極的な姿勢は批判されてもしかるべきではないか」

 厚労省はコロナの患者の受け入れ体制を整えるため、コロナ専用の病床を確保した病院に対して、多額の補助金を出している。

 例えば、「病床確保支援事業」では新型コロナ専用のベッド1床につき1日7万1千円の補助金が出る。ベッドは使われなくても補助金が出るため、東京蒲田医療センターでは使われていない約40床に対して、単純計算で、1日284万円、1か月で約8500万円が支払われることになる。

その上、新たに重症患者向けの病床を確保した病院に1床あたり1950万円、中等症以下の病床には900万円を補助するなどの制度もある。JCHOが公表したデータによると、全国に57病院あり、稼働病床は約1万4千床。そのうち、6・1%にあたる870床をコロナ専用の病床にしたという。これまでいくらの補助金をもらってきたのかJCHOに尋ねると「すぐには回答ができない」(担当者)という。

 しかし、厚労省関係者から入手した情報によると、2020年12月から3月だけでもJCHO全57病院で132億円の新型コロナ関連の補助金が支払われたという。

「コロナ病床を空けたままでも補助金だけ連日、チャリチャリと入ってくることになる。まさに濡れ手で粟で、コロナ予算を食い物にしている。受け入れが難しいのであれば、補助金を返還すべきです」(厚労省関係者)

 JCHOは厚生労働省が所管する独立行政法人で、民間の病院とは異なり、公的な医療機関という位置づけだ。JCHO傘下の病院はもともと社会保険庁の病院だったが、公衆衛生の危機に対応するため、民営化はせずに独法として残った経緯がある。尾身氏は厚労省OBでJCHO理事長に14年より就任している。

 医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は「JCHOの存在意義が問われる」と指摘する。

「世界では国公立などの病院が先ずは積極的にコロナ患者を受け入れている。日本でも当然、国公立やJCHOなどの公的医療機関が受け入れるべきでしょう。そもそもコロナ患者を受け入れる病床数も少ないですし、このような危機的な状況で患者受け入れに消極的というのであれば、補助金を受け取る資格はないし、民営化したほうがいいのではないでしょうか」(上氏)

 JCHOの見解はどうか。AERAdot.編集部が、JCHOにコロナ患者の受け入れの実態を質すと、8月27日現在の数字として、5病院全体では確保病床の30%が空床であり、東京蒲田医療センターでは約50%が空床であることを認めた。

尾身氏のコメント全文は後述するが、コロナ患者の受け入れに消極的なことについて、東京蒲田医療センターの石井耕司院長は書面で以下のように回答した。

「JCHOは、国からの要請に基づきJCHO以外の医療逼迫地域(北海道・沖縄等)の病院へ、全国のJCHO病院から看護師の派遣を行ってきました。しかし、全国的な感染拡大に伴い、各地域においても看護師のニーズが高まってきた結果、全国のJCHO病院から当院への派遣が困難となってきました。(中略)今回、国や都からの受け入れ増加の要請に応えるため、8月16日から看護師を追加で確保し、受け入れ増加に向けて取り組んでいます」

 補助金を返還するつもりはあるのか。尾身氏、東京蒲田医療センターの石井院長ともに「JCHO全体の取り組みについて、国や自治体からの要請に応じてきたものであり、東京都の令和3年度新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業(医療分)実施要綱に基づき申請を行ったものであります」と回答するにとどめた。返還するつもりはなさそうだ。

「蒲田医療センターに関しては、8月初旬ではコロナ患者の受入は20数人で搬送要請を一貫して避け続けていた。恒常的に人手が足りずに対応できないのなら、補助金だけ受け入れ続けるのは、あきらかなぼったくりだと思います」(前出の厚労省関係者)

 人手不足については、「非常勤の医師や看護師を本気で集めれば、対応できる」(上氏)などと疑問の声があがる。

 この危機的状況においてどこまで本気で取り組むか。理事長たる尾身氏の手腕が問われている。

(AERA dot.編集部・吉崎洋夫)

*  *  *

尾身茂氏からの回答全文は以下の通り

 私共、JCHOは、これまでに国からの増床の要請について、全国のJCHO病院、特にJCHO都内5病院と連携・役割分担しながら対応してきました。この結果、都内JCHOの5病院では全病床の13%程度にあたる189床のコロナ病床を確保しました。

 昨日、東京蒲田医療センターの石井院長が回答したとおり、東京蒲田医療センターにおいては、新型コロナウイルスの発生初期より、国からの要請に積極的に応えてきました。例えば、クルーズ船患者の受け入れの際に1病棟(29床)を確保、さらに、令和3年2月には、もう1病棟(49床)の患者さんの転院等を行い、コロナ専用病棟に転換しました。その際、新たに生じる看護師不足については、全国のJCHO病院からの派遣によって確保してきました。

 また、JCHOは、国からの要請に基づきJCHO以外の医療逼迫地域(北海道・沖縄等)の病院へ、全国のJCHO病院から看護師の派遣を行ってきました。しかし、全国的な感染拡大に伴い、各地域においても看護師のニーズが高まってきた結果、全国のJCHO病院から東京蒲田医療センターへの派遣が困難となってきました。

 このため8月27日(金)時点では、東京蒲田医療センターでは5割程度の受入れとなっておりますが、JCHOの都内のその他の病院では確保病床の9割程度を受け入れており、全体では確保病床の7割程度の受け入れとなっております。

 東京蒲田医療センターでは、国や都からの受け入れ増加の要請に応えるため、8月16日から看護師を追加で確保し、受け入れ増加に向けて取り組んでいます。

 なお、JCHO全体の取り組みについて、国や自治体からの要請に応じてきたものであり、東京都の令和3年度新型コロナウイルス感染症緊急包括支援事業(医療分)実施要綱に基づき申請を行ったものであります。


https://news.yahoo.co.jp/articles/42a348a9a5fb031bfe2fe267b62e24dd0cdb474e  【国立病院機構と尾身茂氏が理事長のJCHOはもっとコロナ患者を受け入れるべきだ(上昌広)】

https://www.osaka.med.or.jp/doctor/doctor-news-detail?no=20150624-2752-6&dir=2015  【JCHOとは】


https://www.jichi.ac.jp/medicine/graduate_voice/article/omi/  【「自治医大 青春白書」 ~不思議なめぐり合い~】 より

尾身茂

独立行政法人 地域医療機能推進機構(JCHO)(東京1期)

理事長尾身茂 東京都

自治医大の“青春”を思い出すたびに、人生の不思議さを感じる。

そもそも私は中学高校を通して医師になろうと考えたことは皆無だった。高校3年の夏から1年間アメリカに留学(AFS)した経験も手伝って、将来は世界を飛び回る外交官か商社マンになりたいと考えていた。1968年の夏、帰国してみると日本中が学園紛争で騒然としており、受験しようと思っていた東京大学の入学試験が中止となり、慶応大学法学部に入学することになった。ところがその慶応大学でもストライキに入り、反権力、反体制が声高に叫ばれる中、「商社マンや外交官」などと口にすれば「人民の敵」と言われかねない雰囲気であった。青春の彷徨の始まりである。ゲバ棒を持ってデモに参加するという気分にもなれず、さりとて「ノンポリ」に徹して勉学に打ち込むこともできず、徐々に大学に通う回数が減り、通学途中渋谷で下車して、某書店に入り浸り、哲学、宗教、人生論などの本を漁る日々が多くなっていった。そうした中、大学二年目も終わる頃、件の本屋で「わが歩みし精神医学の道」(内村祐之著)という一冊が目にとまった。医学など夢想だにしなかった私だったが、悩む青春の心には“医学”という言葉が人間的な響きを持ち、悩みを一挙に解決してくれる救世主に思えた。医学部受験を密かに決心し、両親に話す。普段おとなしい父親は激怒、何とか母の仲裁で勘当は免れた。医学部受験の勉強を始めて数カ月後の秋、全国紙の一面トップの「自治医科大学、翌春1期性を募集」の記事が目に入った。日本の「地域医療のメッカ」を目指すという。「地域医療」という言葉の響きが魅力的だった。しかも学費は無料だという。両親にこれ以上経済的に迷惑をかけるわけにはいかなかった。第一志望を自治医科と決めた。トイレと睡眠時間以外の猛勉強。運よく合格。

1972年4月。現在の看護大学、体育館、学生寮だけのキャンパスに、全国から、一期生が集合。現役入学の秀才たち、医学部に入ったのに、小説家風のA君、日曜になると教会に行くが普段は大酒飲みのB君、物理の定期試験に先生が試しに東大・物理学の大学院入学の問題を出したが解いてしまったC君、夜になると東北本線の電車の音を掻き消すように吠えるD君、外見に似合わず音楽的楽器をセンス抜群のE君、紅一点で注目を浴びたFさん、紙面がいくらあっても足りないほどの個性の集まりだった。

夏になれば、日光宇都宮マラソン、夜になるとラウンジでの宴会、訪中団を結成し文化大革命進行中の中国訪問、冬の軽井沢山荘での三日三晩の徹夜麻雀。それぞれが青春を謳歌した。

勿論遊んでばかりいた訳ではない。皆やるべき時には勉強にも集中した。試験の前になると、学生寮は不夜城と化す。空腹が募る深夜になると、タイミングよく、本屋の社長さんからお汁粉が届く。1期生だけで学生の数も少なく、教職員の方と学生たちの関係は緊密で、教授の家に夜遅く勝手に押しかけては酒を強要することもしばしば。

そうした傍若無人な若者を大学側が温かく見守ってくれた。素晴らしい先生方、仲間に囲まれて6年間を過ごせたことはまさに僥倖であった。

さて、話が突然変わる。自治医大の敷地が以前、畜産試験場だったとは、学生時代から何度も聞かされていた。「そうか、牛馬がここで生活していたのか。逞しく生きようと思っている我々には、相応しいじゃないか」などと、当時はうそぶいていた。

又、奈良時代、社会の不安に乗じ勝手に僧侶を名乗る者が多く出たために、鑑真和尚が奈良、九州筑紫と並んで、この下野の薬師寺に、正式な僧侶の資格を与えるための戒檀院(今でも大学から歩いて20分ほどにある)を設置した事も、学生時代から聞いていた。

しかし、WHOでの仕事を終え帰国後、歴史の研究者から聞いて初めて知ったが、“自治医大の敷地”のまさにその上を、平城京と蝦夷制圧の拠点であった多賀城(宮城県)を結ぶ官道(国道)が通っていたらしい。

そうであれば、薬師寺の戒檀院で修業をしていた僧侶の卵たちが、修行の合間に、足を延ばして街道を往来しただろうことは、想像に難くない。

当時の僧侶は、医師の役割も果たしていた。1200年以上の昔に僧侶を目指した若者たちが、様々な思い、志を抱きながら、歩いた同じ空間に今、医師を目指す自治医大の学生が学び生活している。

偶然入学した自治医大が、時を超え、人の悩みや不安に寄り添う僧侶養成機関とその精神において繋がっていたことになる。この不思議さを、卒業後38年経って今しみじみと感じている。

自治医大の更なる発展を祈りつつ本稿を終えさせていただく。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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