Facebook・澤江 昌範さん投稿記事
〜私の私見ではなく、現役の内科医(循環器)産業医の池田 和子先生の見解をシェアさせて頂きました…👍🤗〜
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「食事で治せない病気は医者でも治せない」医聖ヒポクラテスの言葉です。
医学部で医学を学ぶ過程で、この言葉に出会うことはありませんでした。
医師になってからもしばらくは、この言葉の存在を知ることはありませんでした。
「病気は医者が治すもの」を信じ、医学を学び病気に向き合っていました。
今も病気に向き合っています。向き合い方が変わったかもしれません。
向き合い方が変わったから、この言葉と出会えたのかもしれません。
食事・・・。体に入れるものです。何をその体に入れるのかを大切にして大切にし過ぎる
ということはありません。
不自然なものを入れていたら体は不自然になり、入れすぎ(食べ過ぎ)たら体は過重労働となり疲労困憊。
人は自然の一部であり、自然に生かされていると知ったらあまりにも不自然なものを体には入れないほうがいい、
体には入れたくないと考えてしまうのは、ごく自然なことです。
Facebook・山田 正彦さん投稿記事
嬉しいことに、青森市での『食の安全を守る人々』の上映、トークで私より少しお姉さんの素敵な方に会うことができました。
秋田ミチ子さん82歳で、26年前から有機米を86歳になる方と一緒に栽培を続けて若い人達に教えています。
農園に伺いましたが、小さな作業小屋にはツバメの巣が4つもあり、大きなアオダイショウの抜け殻が2つもあります。
ネオニコチノイドの空中散布で田園からツバメの姿が消えてしまいましたが、ここでは秋田さんがツバメ達と仲良く暮らしています。
春になると田圃にはトンボやイナゴなどがいっぱいいるので、作業小屋ではツバメ達が巣を巡ってケンカするので賑やかだそうです。
落ちてくる糞も大変で、巣の下にはそれぞれに傘を逆さにして吊り下げていました。
ある時、孵化したばかりの雛を残したままで母ツバメが鷹にやられたそうですが、直ぐに仲間のツバメが代わって立派に子育てをしたとのこと。
秋田さんが体調を崩すと心配そうにツバメ達が顔を覗かせるそうでとても可愛いそうです。
夏の終わりになるとツバメたちは40羽ほどが集まり、作業部屋の上をくるくる回ってお別れをして飛び去っていくそうです。
また、アジサシ(海鳥)の死体が田圃で見つかったそうです。
原因は廃プラスチックによるものらしかったので、彼女たちは環境問題にも取り組み始めたのです。
夜、古い絹の着物を細長く切って、毛糸を編む要領で洗剤の要らないタワシを編んでは知人にあげているそうです。
私も1つ頂きましたが、勿体なくてまだそのままにしています。
秋田さんは元々看護師、保健師の資格を持っていて青森市の県立東高養護教諭として19年間勤めていたそうですが、その間の話がまた面白いのです。
養護教師になりたての頃は戦後間もなかったので、食事も満足に得られず栄養失調で倒れる子どもがいたので、弁当を渡したりパンを買っては食べてもらっていたそうです。
ところが、1975年頃から今までなかったアトピー症が現れて、アレルギーや自閉症の子どもがみるみる増え始めたそうです。
それまでがらんとしていた25人収容できる保健室は子どもがいっぱいになって入りきれなくなったのです。
異常な事態に秋田さんは子ども達の朝昼晩の食事の内容を調査、生活状況や心理状態なども記録して担任の教諭とも相談したそうです。
尽きるところ、秋田さんは原因は食事の内容にあると考えたのです。
そして一計を案じました。
PTA等のお母さん父兄集まるところで 「子どもの頭の良くなる食事」の講演をするようにしたのです。
これが結構受けて各地を回り、ごぼう人参大根など繊維質のものを多く摂るようにと今でいうところの食育をしていたそうです。
ある時お母さんから「先生の言う通りにしていたら成績が上がりました」と喜ばれたことも。
当時の膨大な資料は残念ながら燃やしてしまったそうですが、当時の 30ページに及ぶレポート (1983年特別寄稿今教育の現場では)を探し出して、私に送っていただきました。
彼女は52歳の時に養護の教諭を辞めて60アールの農地を購入して、それから無農薬無化学肥料の悪戦苦闘の農業を始めたそうです。
秋田さんらしく、生い茂る雑草を逆手にとってそれを1箇所に集め2年から3年かけて植物性の完熟堆肥で有機のお米を栽培しているのです。
私の健康も心配していただいて、有機栽培のお米で作った酵素玄米を
3パックも持って来ていただきました。
大事に食べさせていただきましたが、本当に美味しかったです。
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