Facebook・みずき しょうこさん投稿記事·
わたしが子供の頃に聞いた話に「ビワの木を植えるとその家には病人が出る」という云われがあった。
これは、いま、わたしの周辺のほとんどの人はご存知だと思うのだけど、ビワの葉もタネも薬効があって、伝統的な扱い方をすれば薬になりますよね。それが逆説的に伝わってきていた、と思うんです。
「必要な草は庭に生えている」というのは、本当で、植物との共生関係は人との共生関係(笑)と時として、同じだなあと感じます。病気とは何か、それを問うてみた時の答えにも通じる。
全ての命は補完し合うように、寄り添い、自ら生きる場所を選んで生きている。
Chihiro Sato-Schuh【薬草と薬はどこが違うのか?】
ドイツの野草のグループでも、20世紀の初めに製薬会社ができてから、民間の薬草療法がイカサマ扱いされ始めたという話が話題になっていた。よくあることだけれど、そこに反薬草の人が書き込んできて、薬草vs 製薬会社の医薬品の論争が持ち上がったのだ。
「薬草は医薬品と違って副作用がない」とある人が書いたら、「薬効には副作用はつきもの。量の問題に過ぎないわ」と反薬草の人が返信した。野草なんか効かないんだから、だから副作用もないのだ、というよくある議論だ。
野草を食用や薬用にする情報交換をしているグループで、こんな議論が出てくるというのも奇妙なのだけれど、それをきっかけに私は、薬草と製薬会社の医薬品とはどこが違うのかと考え始めた。
4年前に森の家に引っ越してから、庭や森に生える野草をいろいろに使うことにはまっていた。私の関心は主として食べることだったけれど、薬用としてもオトギリソウの虫刺されオイルとか、トウヒの松ヤニの軟膏だとか、カンバタケの薬用茶だとか、いろいろこしらえては試していた。
こうしたものは皆、食用ではないにしても有毒のものではない。だから、使う量も特に気にする必要はない。そんなものが効くのかと思うかもしれないけれど、使ってみると効き目のすばらしさにびっくりする。
オトギリソウのオイルは虫刺されにつけるとスッと落ち着いてしまうし、カンバタケのお茶は、胃が重いときに飲んだら一発で軽くなる。松ヤニの軟膏は、筋肉痛がするところにつけると、たちどころに筋肉が緩んで痛みが消えてしまう。薬局で買う薬も虫刺されの薬だとか胃の薬だとかいろいろあるけれど、こういう効き方をするものは見たことがない。何というか、効き方がさっぱりしていて、後を引かない。
薬効には副作用がつきものだなど、そんな話はこういう薬草にはまったく当てはまらない。製薬会社の薬とは、まったく効果の原理が違うのだ。
製薬会社の薬というのは、基本的に症状を抑えるために使われる。抗生物質は熱を下げたり炎症を鎮めたりするけれど、これはバクテリアを殺す薬だ。だから基本的に毒物なのだ。バクテリアを殺すから炎症はなくなるけれど、だけど他の菌も殺してしまうから、身体の菌バランスが崩れてしまう。菌バランスは免疫システムにとって重要なものなので、抗生物質を使うと他の病気にかかりやすくなる。これが抗生物質の副作用だ。
痛みを止める薬とか下痢や咳を止める薬というのは、要するに神経を麻痺させる薬だ。だからこれも基本的に毒性のもので、副作用がある。
薬効に副作用がつきものだというのは、症状を抑えるための薬だからなのだ。何かの動きを止めるために毒を使うというのが、こうした薬の基本的な考え方だからなのだ。
ところが民間の薬草療法というのは、そういうものとはまったく違う。毒ではなく、何かを殺したり止めたりするものではない。そうではなく、免疫システムを助けるものなのだ。それで免疫システムが強くなるから、スッと落ち着いて後を引かない効き方をするのだと思う。
20世紀の初めに製薬会社ができる前は薬局しかなく、そこに薬草に詳しい人がいて、相談に来る人に薬草を勧めていたのだ。田舎には庭で薬草を育てたり、森や野原で薬草を摘んで薬用茶やチンキや軟膏を作っている人たちがいた。そういう人たちは、どういうときにどういう植物を使えばいいかをよく知っていた。それは化学的な知識などではなく、経験とか直感とかそういったものだったんじゃないかと思う。
こうした薬草療法がまずインチキだと言われて排除されることになったのは、これこそが製薬会社の最大の競争相手だったからだ。そんな簡単なもので治ってしまったら、薬が売れなくなってしまう。だから、あれはインチキであんなものを信じたら大変なことになるとか何とか、あることないことが言われたのだ。
私も森の家で暮らし始める前は、薬草がこんなに簡単に効くものだとは思っていなかった。いろいろ勉強しなければ使えないし、ほとんどは気休め程度にしか効かないんだと思っていた。私はクラシカル・ホメオパシーを本格的に勉強していたことがあったから、薬草も本当に効かせるためにはそういう勉強が必要なのだと思っていた。
だけど、まわりに生えている野草を薬用に使うのは、もっとずっとシンプルなことだった。家のまわりに生えてくる植物は、住んでいる人に必要な植物だという話を聞いたことがあるけれど、どうも実際にそうらしいのだ。薬草茶でも何でも店で売っているけれど、店で買ったものより、庭に生えている植物で作ったものの方がピリッと効いてくれる。何故だかわからないけれど、植物の方で住んでいる人に合わせてくれているのかもしれない。同じ土地、同じ気候に生えているものだから、よく合うのかもしれない。だから簡単に言ってしまうと、細々した勉強などはあまり必要がなく、ただ家のまわりに生えているものを採ってきて使えばいいということになる。
私たちはこれまで、あれやこれやの病気になったら大変だと言われて、健康保険料を払い、医療費を払い、医療機関が機能するようにしなければならないと思い込んでいた。だけどそれは、製薬会社が利益を上げるためにこしらえていた物語にすぎなかったのかもしれない。
まわりに生えている薬草や自然のものだけを使っていたら、だいたい難しい病気などにはあまりかかりはしない。近年、アレルギーとか自己免疫症とか癌とかが増えたのは、製薬会社の薬のせいだという話もある。実際、こうした病気はほんの50年前くらいまではごくまれな病気だったのだから、近年の薬剤の消費量、それもとりわけ免疫システムに介入する薬剤の使用と関係があるというのは、実にありそうな話だ。
そうして私たちは、薬を使うことで免疫システムを弱めてしまい、自分の身体やまわりに生えてくる植物とのつながりも失ってしまった。それで、しょっちゅう病気を心配していなければならないようなことになったのだ。
人間とまわりに生えてくる植物の間には、一種の共生関係のようなものがあったのかもしれない。植物は人間が出す排出物を必要としているし、人間は植物を食用や薬用に必要としている。それで植物はその人の体質に合わせて、その人にいいように生えてきたりするのかもしれない。
それならば、その植物との共生関係を取り戻しさえすれば、私たちは植物に守られて、実にシンプルに健康に生きていけるようになるのかもしれない。それが今の私たちに一番必要なことなのかもしれない。
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