https://note.kohkoku.jp/n/n822959def812 【53 文化的遺伝子は自由に繁殖したがる】より
ミームという言葉がある。これは、自分の脳内から他人の脳内へと伝達可能なひとまとまりの情報を指す。習慣や技能、物語といった文化的な情報が、ある項目として人の脳に保存されるときの一単位、それがミームだ。これは、1976年に発表されたリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)のなかで、初めて「文化的遺伝子(ミーム)」という概念として提示された。
ミームがヒトの脳から別のヒトの脳へ伝達されていく、そのプロセスを進化のアルゴリズムという観点で分析するためにこの概念は考案された。基本的に保守的でありながら、増殖の過程である種の進化を生じるという点で、文化的伝達は遺伝的伝達と類似している。そもそも、遺伝子の特性は何かとひと言で述べるのであれば、それは「自己複製子」だということになるが、この世界に存在する「自己複製子」のメンバーが必ずしも遺伝子のみであるとは限らない。新たに地球上に発生した新種の自己複製子、人間の文化というスープのなかで進化を続けるそれを、ドーキンスは「模倣」に相当するギリシャ語の語源mimemeから、「meme(ミーム)」と名づけた。ミームは、模倣と呼ばれる過程を媒介として、脳から脳へと自己を複製して渡り歩く新たな自己複製子というわけである。この概念は爆発的に、それこそミームとして拡散、浸透し、様々な論考を生み出すこととなった。
ミームはたとえばどんなものを指すのか。『利己的な遺伝子』には、「旋律や観念、キャッチフレーズ、衣服のファッション、壺のつくり方、あるいはアーチの建造法などはいずれもミームの例である」とある。壺のつくり方やアーチの建造法と聞くと疑問を感じるかもしれないが、Twitterで流行っている「簡単レンジ調理パスタのレシピ」や、Instagramでシェアされる「日用品をインスタ映えさせるちょっとしたアレンジのコツ」のようなものに置き換えてみるとわかりやすい。
また、ミームにはもうひとつ大きな特徴がある。それは都市伝説のようにその概略だけが人々の話のなかで複製され続けていくうちに、同じミームであってもディテールが変化していくという点だ。たとえば有名なミームで、「プードルを電子レンジで乾かそうとして悲惨な結末に至ったアメリカ人女性が、プードルを電子レンジで乾かしてはいけないという警告をしていなかったことに対してメーカーを訴え、勝訴した」という逸話があるが、この話の「プードル」は話者によって、「チワワ」であったり「猫」であったりと様々な変化が見られるという。ここには、その動物が何であるかはそのミームにとっては重要な点ではなく、そのミームがより人に伝播しやすい、影響を与えやすい形となるよう、細部が勝手に変化していく、という、複製と伝播の過程のなかで変質・進化する性質が見られる。
さて、ここであらためてこの「ミーム」の概念から考えてみたいのは、文化というものは、そもそも「模倣」を前提としていたのではないかという視点だ。もし、文化に、そのありのままの挙動として「模倣されながら伝播する性質」が根源的に組み込まれているのだとしたら。遺伝子に類似した自己複製子であるミームの振る舞い、それが仮に「自己複製子」として「大きな意味」で意思のようなものを持っていたのであれば、それは原初から持ち得た欲望として、「模倣されたがる」……どころか、むしろその性質を種の存続のための前提としていたのではないだろうか。
「複製」や「模倣」を制限し、「模倣=悪」であるとするような現代の著作権的な思想と価値観とは真逆の振る舞いが、そもそも「文化」というもの自体の根本的な前提条件となっているのだとしたら?
ミームは本来的には文化のスープのなかで自在に泳ぎ回り、模倣をとおして複製され、繁殖し、進化したいという強い欲望を持っている。ミームの立場から著作権を見てみると、それはある種の繁殖抑制、「コンドーム」のような役割として機能している、つまり「本来文化が持っているはずの、ありのままの自然な振る舞いを恣意的に制約している存在」と考えることはできないだろうか。
目次
著作権法「以前」の時代
著作権的価値観の発生
インターネット時代におけるミーム
ミームの未来
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著作権法「以前」の時代
ミームが自在に振る舞っていた時代、つまり著作権法「以前」のことについて考えてみたい。いまよりも1,000年以上前、この時期は、全世界的に文化と宗教の拡散が加速した時代だった。
たとえば中国文化と日本文化の関係を見てみると、中国は遣隋使や遣唐使などを通じて、現代の価値観から見るとかなり鷹揚に(あるいは他国へ優位的立場をとるための権力を示すツールとして非常に積極的に)宝物類を含む自国の文化資産を近隣諸国へ下賜するという戦略を取っていた。この価値観は、対日本に限らず、朝鮮半島やシルクロードなど、周辺のアジア各地にも色濃い影響を未だに残している。
仏教をはじめ、干支や方角、そして立春や春分などの年中行事。養蚕も含めた織物技術、箸や茶などの食生活。神社仏閣を中心とした建築様式、漢字をはじめとする文字、音楽、絵画……、挙げていけばきりがないほどあらゆる種目で、中国から伝来されたことにより日本に根づいた文化は多岐にわたる。これらは現代に至ってもなおわれらの無意識にまですりこまれ、結果的に、いわば中国に文化的侵略をされた状態と言えるほどにまで深く定着を果たしている。そして、中国文化は日本に浸透したあともまた、この国のなかで独自の進化を遂げ、発展を続けることとなった。
https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/090901meme.html 【ミーム meme】より
解説:池田光穂
文化を伝達する単位。人の心から心へと伝達や複製される自己複製子(replicator)のこと(つまり脳内の情報の単位)。遺伝子と同様、 ミームは「進化する」と主張されている。
動物行動学者のリチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins, 1941- )が1976年に『利己的な遺伝子』のなかでこのような概念を提唱し、彼は、それを歌詞やメロディ、さまざ まな衣服の流行、理論や、工芸品や建築物などの例をあげている。ミームを提唱したドーキンスは「ミームの生息するコンピュータが人間の脳」だと主張している。
動物の本能行動の比較研究(エソロジー)、蟻や蜂などの群れをつくる社会性昆虫の研究、高等哺乳動物の社会構造の解明などによって、 それらを総括的に論じる機運が高まった。そのなかで、利他的行動についての説明はひとつの難問であった。利他的行動とは、ちょうど「働き蜂」が自らは子を 作らず自分の親や兄弟などの子育てを行なうような、<自己の個体の遺伝子の保持することを犠牲にして他者に利するような行為>をいう。現代進化論では、行 動は遺伝子に支配されると考えるが、この場合、利他個体は子孫を作らないので、その行動を発現させる遺伝子は子孫に伝わらず、利他行動の進化は不可能とな る。この問題は1964年にW・ハミルトンが、自分の遺伝子を直接子孫に残さなくても、その血縁者を助け血縁者が多数の子を作るならば、利他行動は進化す る、という数学的理論(包括適応度)を提示して「解決」をみた。これ が刺激となって、社会生物学における理論的研究が飛躍的に発展した(→「社会生物学」)。
ドーキンスは、ハミルトンを援用しながら、人間の利他行動を一般の人に もわかりやすく説明し、〈文化〉という名の自己複製子であるミームの産物こそが人間であるというビジョンを提示した。
ミーム概念は、その後、計算機学者のホフスタッターや哲学者・認知科学者のデネットなどによって、より拡張されて、人々のあいだに膾炙してい る。
リチャード・ブロディや、スーザン・ブラックモアのように、ミーム学(memetics)を提唱する人すらいる。
ミーム学は、計算機科学、文明論、バイオインフォマティクス、進化生物学などの幅広い領域で受容されたが、文化を扱う本流である文化人類学で は、それを扱う、まともに取りあって——これはまともに議論する態度とは無関係で独立した態度——議論する人は少ない。
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