『チベットの死者の書』(バルド・トドル)

https://ameblo.jp/inochi-28/entry-12342819162.html   【「存在の本性を経験している」~『チベットの死者の書』(バルド・トドル)~】 より

NHKスペシャル チベット死者の書 [DVD]

内容紹介

人はどこから来て、どこへ行くのか…。

ここに描かれる生命は、川の流れのように途絶えることがない。

ジブリ学術ライブラリー

『NHKスペシャル チベット死者の書』

“ジブリ学術ライブラリー”とはスタジオジブリが手掛けた記録映画や、高畑勲、宮崎駿両監督が共感し、深く感銘を受けたドキュメンタリー作品など、教養と新鮮な感動が得られる良質の映像作品を集めたブランドです。

高畑勲、宮崎駿両監督が大変な興味を持って視聴し、深く感銘を受けたというNHKのドキュメンタリー番組「人間は何を食べてきたか」、高畑監督による新文化映画「柳川堀割物語」、宮崎監督が敬愛し続ける作家・堀田善衞が時代と人間の関わりを語る「堀田善衞 時代と人間」、日本を代表する知識人・加藤周一が世界的な視点から日本文化を俯瞰した「日本 その心とかたち」などに続く本作「チベット死者の書」は、「もののけ姫」(1997年公開)を制作中だった宮崎駿監督が、くりかえし見て、影響を受けたと語る作品です。

特典ディスクには映像特典としてダライ・ラマ法王14世の貴重な単独インタビューの映像を収録。「チベット死者の書」を体現する存在として、この経典が現代社会で注目される意義を語ります。

<収録内容>

『第1回 ドキュメンタリー 仏典に秘めた輪廻転生(りんねてんしょう)』(74分)1993年9月23日放送 NHKスペシャル

ヒマラヤ山中の村ラダックでは、死にゆく人々の枕元で「チベット死者の書(バルド・トドゥル)」が読み聞かせられる。彼の地では、物質主義の現代社会が失った、生と死の本来の意味がいまだ息づいていた。経典の教えと共に暮らす人々の素朴で力強い生活と、その教えを現代社会の死の現場で生かそうとする取り組みを追った貴重なドキュメンタリー。

『第2回 ドキュメンタリードラマ 死と再生の49日』(59分)1993年9月24日放送 NHKスペシャル

チベット仏教ニンマ派の伝統に属し、生と死に関する深遠な考えが込められた経典「バルド・トドゥル」。死に臨む人の枕元で49日間に亘って読み聞かされる内容を老僧と少年僧との対話やCGを用いて解説するドキュメンタリードラマ。

●ダライ・ラマ 単独インタビュー(1993年2月ダラムサラにて)

「チベット仏教の叡智を語る。―瞑想・死・輪廻転生・日本人へのメッセージ―」

約60分/音声:英語/字幕:日本語/片面1層

<特典リーフレット>

●中沢新一/「チベット死者の書」との出会い

●河邑厚徳プロデューサーが語る「チベット死者の書」

発行/NHKエンタープライズ DVD企画制作/スタジオジブリ

内容(「キネマ旬報社」データベースより)

93年9月にNHKで放映されたチベット仏教に関するドキュメンタリーをDVD化。死後の旅を導くガイドブックとして用いられる経典「チベット死者の書」と人々の関わりを捉えた「~仏教に秘めた輪廻転生」ほか、全2編と特典映像を収録した2枚組。

内容(「Oricon」データベースより)

経典の教えと共に暮らす人々の素朴で力強い生活と、その教えを現代社会の死の現場で生かそうとする取り組みを追ったドキュメンタリー「仏典に秘めた輪廻転生(りんねてんしょう)」と、死に臨む人の枕元で49日間に亘って読み聞かされる内容を老僧と少年僧との対話やCGを用いて解説するドキュメンタリー「ドキュメンタリードラマ 死と再生の49日」を収録。特典ディスク付き2枚組。


チベットの死者の書 (日本語) 単行本 – 2004/3/1

おおえ まさのり (翻訳)

死ぬことを学べ。そして汝は生きることを学ぶであろう。

死後49日間の死者の体験に学ぶ生命の秘密。さまよう魂を導く、大乗仏教の智慧の精髄!

『チベットの死者の書』は、わたしたちに対して、生と死についての、物と神についての、わたしたちの世界観そのものの根本的な変容を激しく迫ってくる。かくしてそれは、死におもむく者への導きの書であることを超えて、人類の未来に差し出された書物となっている。……本書には人間存在を解き開く、最も大きな鍵の1つがあるということができる。

自分が読んだのはコレ 

結局なんなんだろう?と思いはするけれどなぜか「あぁ、あのことをいっているのか」と腑に落ちまくるところもあり。

チベット仏教は勉強してないからわかりようがないけれどどうやら仏教系らしいということはわかった。全くわからない、ということはない。

死にゆく人や死者に向かって聴かせると落ち着いて死んで行ける類のものらしい。

成仏、というか輪廻から解放される、感じ?(テキトー!ヽ(`Д´)ノ)

もしくは生きている間に読むだけでも死後の働きが理解できて安心して死んでゆけるものというか。(死の恐怖にとらわれずに済む)『法華経』のようでもある。(いや、知らんけど)

自分のような宗教に疎いいい加減な人間だけではなく誠実な人ほど読むといいしチベット仏教では自然な流れなんだろうなと思わせてくれる書だった。

以下感想を何らかの文にできそうにないから気になった語句や文をメモ代わりに抜粋して置いとく。

★存在の本性への導き (おおいなるものの遊びのこと?) ★瞑想による意識解放

★不可思議な無限の光(アミターバ:阿弥陀如来) ★聴くことによる解放の無上の教理

★原初のクリヤー・ライト(光明) ★本性が空、生来空である

★全善なるブッダ(普賢菩薩) ★汝自身の意識は誕生も死もない不変の光

★業(カルマ)とは行為の集積(何も誰も悪くない。悪も罰もない。 ビッグバン以降の単なる連続性のこと?) ★存在の本性を経験しているバルド(中間状態) ★死はすべてのものにやってくる ★この世の人生を溺愛することに執着するでない ★どのような幻影が現れてこようともそれらを私自身の意識の表れ(影)として認識しますように ★私自身の思考形態の表れ ★汝自身以外のどこか外からやって来るのではない ★それらはその中から発光して汝を照らす★今の汝の体はカルマ(行為の集積)の性癖の 心霊だけでつくられた体である (意識やスピリットのこと?) ★汝は切り殺され滅多切りされようとも 死ぬことはない

★なぜなら汝の体は本当に空のものである ★汝は恐れる必要はない

★汝自身の知性の構造の放射物である以上には存在しない ★これを認識すれすべての怯えや恐怖は自ずから消滅させられる ★合一の状態に溶け込んでブッダたる悟りが得られる

★汝は本当に奇跡的な行為の力を授けられている ★しかしそれらは、いかなるサマーディ(三昧) (あるいは深い瞑想)の所産でもなくその力は自然に汝にやって来る

★それはカルマ(業=行為の集積)の力の 性質である ★汝は欲するところに一瞬の内に到着することができる ★わずかな時間の間に思うところに 到着する力を持っている

★これらの幻影や変容の力を願うなかれ(すでに叶っているものだから?)

★汝が欲望し汝が現すことのできない力はない ★心霊体である汝の体は首を切られ分割されようとも死ぬことはない ★本当に汝の体は空の性質のものである ★汝は恐れる必要はない ★「死の神々」は汝自身の幻影である ★空は空を傷つけることはできない

★「死の神」や「仏」、「悪魔」や「雄牛頭の死霊」のような現象は本当は汝自身の外側には存在しない(すべて人の観念がつくりだしたもの)

★『一瞬に著しい差異がつくり出される 一瞬に完全な啓発が得られる』

★すべてを決定する思考の力 ★汝が欲するものは何でも生じるであろう(聖書を思わせるセリフ) ★あらゆる現象は本質において幻影である (すべては思い込みの産物)

★あらゆる実体は真実ではなく 偽りである ★かれらは夢のようなものであり幽霊のようなものである ★かれらは無常である かれらは定まらない

★あらゆる実体は私自身の心である ★この心は空虚であり不生であり不滅である(般若心経的?) ★バルド(中間状態)の中の意識は限られた種類の知覚の非凡な力を持ちその人に語られるものはすべて理解される ★識る心の向きを変えることは くつわをした馬の向きを変えるのと同じように易しい

★子宮が善く見えても魅惑されるなそれが悪く見えても反発を抱くな ★完全に中庸な状態にあることが 技法のうちで最も深遠なものである (ジャッジせずにニュートラルでいる)

★私が永遠に存在することなく 幻影的存在であるこの体を認識しますように

★あらゆる現象の畏怖や恐れや恐怖のすべてを捨て 何が現れようとも私自身の思考の形態(かたち)として認識しますように

なぜか腑に落ちるところだけ抜き出してみた。チベット、好き。詳しくないけど。

ポタラ宮、好き。あの白いお宮をボーっと眺めるの最高。行ったことないけど( ̄▽ ̄)

ダライ・ラマ14世、好き。おもしろそうな人。横尾忠則さん装幀の『チベットの死者の書』

宗教心がなくても聴かせてもらってるうちになぜか理解できそうな思想。

知ると知らないとでは雲泥の差がありそうな書。

読もうとした本の近くで見つけて読んだ本なり。(こういうの助かる♪)←?

おそらく黙読ではなく読経のように声に出して読むこと前提の文章みたいだから

音声で聴かせてもらうとよさそう(チベット語?で)。


http://www2.ktarn.or.jp/~yonoda/tubuyaki/tubu_23.htm 【「チベット死者の書」】より  

 河邑厚徳、林由香里著  NHK出版

福岡市博物館で開催された「チベット展」の会場で求めた本書は、日本の仏教のルーツを伺い知る事ができた様で更に、「死」にたいしての考え方に大いなる感銘をうけましたので紹介します。

この本は1960年代アメリカの若者の間で広くよまれ、現代のホスピス病棟で「死を待つ人々」の心のささえとなっているというのもうなずけます。人間が生まれて3万年の間で変わらない真実は「人は必ず死ぬ」という事実であり、いかなる民族にも「死」に対する思想と方法はあったのでしょうが、「科学の知」がなまじっか発達するにつれて、科学で証明できないことは迷信として無視してきました。その代償として、「死とは何か」の問いに答える事が出来なくなったのではないでしょうか。

人間の死後の魂がたどる遍歴について詳しく説いてくれる経典がこの書といえます。死は終わりではなく一つのプロセスにすぎず、死後49日間のバルドの期間を経て再生すると説かれています。この49日間毎日、バルド.トドルと呼ばれる「チベット死者の書」を死後の道案内をする為に読み聞かせると言う。日本で花開いた大乗仏教の発生にチベット密教の考え方が流れているとの指摘にも驚かされました。この.バルト.トドルは死者が再び生まれ変わってしまう輪廻への道を避けて、解脱して涅槃の境地に達する道へ向かわせるための経典だというのです。更にチベット仏教では、生命の本質は「心」であり、その本体は「純粋な光」と説いています。浄土真宗でも、死の直後に光をみる事がすなわち阿弥陀如来(無量光仏)を見る事だと聞いた事がありますが、四拾九日法要といい、無量光といい驚くほど似ていると感じるのは私だけではないでしょう。

病院で又往診先で「死」に遭遇する時、心のやすらぎをもたらしてくれる、医師必読の書ではないでしょうか。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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