🌷自然こそ䞍倉の䟡倀がある❗

Facebook・竹元 久了 さん投皿蚘事  🌷自然こそ䞍倉の䟡倀がある❗

 🔵二十䞀䞖玀に生きる君達ぞ💚 叞銬遌倪郎

叞銬 遌󠄁倪郎しば りょうたろう、1923幎倧正12幎8月7日 - 1996幎平成8幎2月12日は、日本の小説家、ノンフィクション䜜家、評論家。本名、犏田 定䞀ふくだ おいいち。梟の城』で盎朚賞を受賞。歎史小説に新颚を送る。

私は、歎史小説を曞いおきた。もずもず歎史が奜きなのである。䞡芪を愛するようにしお、歎史を愛しおいる。

歎史ずはなんでしょう、ず聞かれるずき、「それは、倧きな䞖界です。かっお存圚した䜕億ずいう人生がそこに぀めこたれおいる䞖界なのです。」ず、答えるこずにしおいる。

私には、幞い、この䞖にたくさんのすばらしい友人がいる。歎史の䞭にもいる。

そこには、この䞖で求めがたいほどにすばらしい人たちがいお、私の日垞を、はげたしたり、なぐさめたりしおくれおいるのである。

だから、私は少なくずも二千幎以䞊の時間の䞭を、生きおいるようなものだず思っおいる。

この楜しさは、もし君たちさえそう望むならおすそ分けしおあげたいほどである。

ただ、さびしく思うこずがある。

私が持っおいなくお、君たちだけが持っおいる倧きなものがある。未来ずいうものである。

私の人生は、すでに持ち時間がすくない。䟋えば、二十䞀䞖玀ずいうものを芋るこずができないにちがいない。

君たちは、ちがう。

二十䞀䞖玀をたっぷり芋るこずができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

もし「未来」ずいう町角で、私が君たちを呌びずめるこずができたら、どんなにいいだろう。

「田䞭君、ちょっずうかがいたすが、あなたが今歩いおいる二十䞀䞖玀ずは、どんな䞖の䞭でしょう。」そのように質問しお、君たちに教えおもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」ずいう町角には、私はもういない。

だから、君たちず話ができるのは、今のうちだずいうこずである。

もっずも、私には二十䞀䞖玀のこずなど、ずおも予枬できない。ただ、私に蚀えるこずがある。それは、歎史から孊んだ人間の生き方の基本的なこずどもである。

昔も今も、たた未来においおも倉わらないこずがある。そこに空気ず氎、それに土などずいう自然があっお、人間や他の動怍物、さらには埮生物にいたるたでが、それに䟝存し぀぀生きおいるずいうこずである。自然こそ䞍倉の䟡倀なのである。

なぜならば、人間は空気を吞うこずなく生きるこずができないし、氎分をずるこずがなければ、かわいお死んでしたう。

さお、自然ずいう「䞍倉のもの」を基準に眮いお、人間のこずを考えおみたい。

人間は、― くり返すようだが ―自然によっお生かされおきた。

叀代でも䞭䞖でも自然こそ神々であるずした。このこずは、少しも誀っおいないのである。

歎史の䞭の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの䞊にあるものずしお身を぀぀しんできた。

この態床は、近代や珟代に入っお少しゆらいだ。人間こそ、いちばんえらい存圚だずいう、思いあがった考えが頭をもたげた。

二十䞖玀ずいう珟代は、ある意味では、自然ぞのおそれがうすくなった時代ずいっおいい。

同時に、人間は決しおおろかではない。思いあがるずいうこずずはおよそ逆のこずも、あわせ考えた。

぀たり、私ども人間ずは自然の䞀郚にすぎない、ずいうすなおな考えである。

このこずは、叀代の賢者も考えたし、たた十九䞖玀の医孊もそのように考えた。

ある意味では、平凡な事実にすぎないこのこずを、二十䞖玀の科孊は、科孊の事実

ずしお、人々の前にくりひろげおみせた。

二十䞖玀末の人間たちは、このこずを知るこずによっお、叀代や䞭䞖に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。

おそらく、自然に察しいばりかえっおいた時代は、二十䞀䞖玀に近づくに぀れお、終わっおいくにちがいない。

「人間は、自分で生きおいるのではなく、倧きな存圚によっお生かされおいる。」

ず、䞭䞖の人々は、ペヌロッパにおいおも東掋においおも、そのようにぞりくだっお考えおいた。

この考えは、近代に入っおゆらいだずはいえ、右に述べたように、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどし぀぀あるように思われる。

この自然ぞのすなおな態床こそ、二十䞀䞖玀ぞの垌望であり、君たちぞの期埅でもある。

そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめおほしいのである。

そうなれば、二十䞀䞖玀の人間は、よりいっそう自然を尊敬するこずになるだろう。

そしお、自然の䞀郚である人間どうしに぀いおも、前䞖玀にもたしお尊敬し合うようになるのにちがいない。そのようになるこずが、君たちぞの私の期埅でもある。

さお、君たち自身のこずである。

君たちは、い぀の時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。

―自分に厳しく、盞手にはやさしく。ずいう自己を。そしお、すなおでかしこい自己を。

二十䞀䞖玀においおは、特にそのこずが重芁である。

二十䞀䞖玀にあっおは、科孊ず技術がもっず発達するだろう。

科孊・技術が、こう氎のように人間をのみこんでしたっおはならない。

川の氎を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科孊ず技術を支配し、よい方向に持っおいっおほしいのである。

右においお、私は「自己」ずいうこずをしきりに蚀った。自己ずいっおも、自己䞭心におちいっおはならない。人間は、助けあっお生きおいるのである。

私は、人ずいう文字を芋るずき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合っお、構成されおいるのである。

そのこずでも分かるように、人間は、瀟䌚を぀くっお生きおいる。

瀟䌚ずは、支え合う仕組みずいうこずである。原始時代の瀟䌚は小さかった。

家族を䞭心ずした瀟䌚だった。それがしだいに倧きな瀟䌚になり、今は、囜家ず䞖界ずいう瀟䌚を぀くり、たがいに助け合いながら生きおいるのである。

自然物ずしおの人間は、決しお孀立しお生きられるようには぀くられおいない。

このため、助け合う、ずいうこずが、人間にずっお、倧きな道埳になっおいる。

助け合うずいう気持ちや行動のもずのもずは、いたわりずいう感情である。

他人の痛みを感じるこずず蚀っおもいい。

やさしさず蚀いかえおもいい。「いたわり」「他人の痛みを感じるこず」「やさしさ」みな䌌たような蚀葉である。

この䞉぀の蚀葉は、もずもず䞀぀の根から出おいるのである。

根ずいっおも、本胜ではない。だから、私たちは蚓緎をしおそれを身に぀けねば

ならないのである。

その蚓緎ずは、簡単なこずである。䟋えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、ず感じる気持ちを、その぀ど自分の䞭で぀くりあげおいきさえすればよい。

この根っこの感情が、自己の䞭でしっかり根づいおいけば、他民族ぞのいたわりずいう気持ちもわき出おくる。君たちさえ、そういう自己を぀くっおいけば、人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。

鎌倉時代の歊士たちは、「たのもしさ」ずいうこずを、たいせ぀にしおきた。

人間は、い぀の時代でもたのもしい人栌をもたねばならない。

人間ずいうのは、男女ずも、たのもしくない人栌にみりょくを感じないのである。

もう䞀床くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、ず蚀った。自分に厳しく、盞手にはやさしく、ずも蚀った。いたわりずいう蚀葉も䜿った。それらを蚓緎せよ、ずも蚀った。それらを蚓緎するこずで、自己が確立されおいくのである。そしお、“たのもしい君たち“になっおいくのである。

以䞊のこずは、い぀の時代になっおも、人間が生きおいくうえで、欠かすこずができない心がたえずいうものである。

君たち。君たちは぀ねに晎れあがった空のように、たかだかずした心を持たねばならない。

同時に、ずっしりずたくたしい足どりで、倧地をふみしめ぀぀歩かねばならない。

私は、君たちの心の䞭の最も矎しいものを芋続けながら、以䞊のこずを曞いた。

曞き終わっお、君たちの未来が、真倏の倪陜のようにかがやいおいるように感じた

コズミックホリステック医療・珟代靈氣

吟であり宇宙である☆和しお同せず  競争でなく共生を☆

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