六歌仙 遍照

https://ameblo.jp/0358rainbow/entry-12291074216.html 【六歌仙 遍照】 より

遍昭 へんじょう 弘仁七~寛平二(816-890) 俗名:良岑宗貞 号:花山僧正

桓武天皇の孫。大納言良岑朝臣安世の八男。素性法師は在俗時にもうけた息子。名は遍照とも書かれる。

承和十二年(845)、従五位下に叙せられ、左兵衛佐となる。蔵人・左近少将等を経て、嘉祥二年(849)、蔵人頭の要職に就く。翌三年正月、従五位上に叙されたが、同年三月二十一日、寵遇を受けた仁明天皇が崩御すると、装束司の任を果たさず出家した。この時三十五歳。比叡山に入り、慈覚大師円仁より菩薩戒を受け、台密の修行に励む。貞観十年(868)に創建された花山寺(元慶寺)の座主となる。また、貞観十一年(869)に仁明天皇の皇子常康親王より譲り受けた雲林院をその別院とした。元慶三年(879)、権僧正。仁和元年(885)十月、僧正。同年十二月、七十の賀を光孝天皇より受ける。寛平二年正月十九日、七十五歳で死去。花山かざん僧正の称がある。

六歌仙・三十六歌仙。後世の他撰家集『遍昭集』がある。惟喬親王や小野小町と歌を贈答している。古今集に十七首、勅撰集入集歌は計三十六首(連歌一首含む)。

付録:西本願寺本『遍昭集』全首

 春 5首 夏 1首 秋 4首 冬 1首 恋 2首 雑 13首 計26首

西大寺のほとりの柳をよめる

浅みどり糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か(古今27)

【通釈】浅緑の糸を縒り合わせて、白露を数珠として貫いた春の柳であるなあ。

【語釈】◇糸よりかけて 糸を縒り合わせて。春風に揺れる枝が絡まりあった様。

【補記】詞書の「西大寺」は奈良のでなく、平安京羅城門の西にあった寺。朱雀大路を挟んで東寺に相対していた。その寺のほとりの柳を詠んだという歌である。春雨がやんだあとの景だろうか、枝垂れ柳の若枝にいくつも付いた露を、緒で貫いた宝珠に喩えている。詞書から、歌に釈教的な寓意を探る解釈もあるが、穿ち過ぎだろう。はなやかな都を背景とした属目の詠であること、また数珠と寺という取り合せの面白さを考慮に入れる程度でよいと思われる。

【他出】遍昭集、新撰和歌、和歌一字抄、秀歌大躰、桐火桶、歌林良材

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十

浅緑染めかけたりと見るまでに春の柳は萌えにけるかも

  伝大伴家持「家持集」

青柳の糸よりかけて春風のみだれぬさきに見む人もがな

【主な派生歌】

あさみどり露の玉のをぬきもあへず柳のいとに春雨ぞふる(藤原定家)

あさみどり玉ぬきみだる青柳の枝もとををに春雨ぞふる(〃[続千載])

浅みどり柳の枝のかたいともてぬきたる玉の春のあさ露(藤原為家[玉葉])

今よりはみどり色そふ青柳の糸よりかけて春雨ぞふる(正徹)

露の色を玉にもぬける青柳の枝をもうつす花の匂に(後柏原天皇)

こぼさじと月かげながら白露を玉にもぬけるいとすすきかな(木下長嘯子)

春の歌とてよめる

花の色は霞にこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山風(古今91)

【通釈】花の色は霞にこめて見せなくとも、せめて香だけは盗んで運んでくれ、春の山風よ。

【補記】古今集の作者名は「よしみねのむねさだ」と在俗時の名を記しているので、若年期の作であろう。詞書からすると題詠らしい。「花」は古今集の排列では桜となるが、『遍昭集』では春の頭に置かれ、そもそもは梅を詠んだ歌だったかもしれない。色と香の対比という主知的な趣向、自然物の擬人化など、古今歌風の先駆的作品。下記参考歌の篁作とよく似ているが、「かすみにこめて」と言い「香をだにぬすめ」と言い、艶な風情では遍昭の作がまさっている。

【他出】遍昭集、寛平御時中宮歌合、新撰和歌、古今和歌六帖、和歌体十種(比興体)、新撰朗詠集、奥義抄、和歌童蒙抄、和歌十体(比興体)、隆源口伝、定家八代抄

【参考歌】小野篁「古今集」

花の色は雪にまじりてみえずとも香をだににほへ人の知るべく

【主な派生歌】

山風の花の香かどふ麓には春の霞ぞほだしなりける(藤原興風[後撰])

香をだにと思ひし花の霞より色をもおくる春の山風(慈円)

大和の布留ふるの山をまかるとて

いそのかみ布留の山べの桜花うゑけむ時をしる人ぞなき(後撰49)

【通釈】古い由緒を持つ布留の山の桜花、これらの木々を植えたのはいつのことか、その時代を知る人はいないのだ。

【語釈】◇いそのかみ 奈良県天理市、石上神宮周辺の土地の古称。「ふる」の枕詞でもある。◇布留の山べ 石上神宮が鎮座する山。「山べ」は「山辺」でなく単に「山」と言うのと同じ。

【補記】石上神宮は崇神天皇の創始と伝わるほどに古い由緒を持ち、大神神社とともに日本最古の神社とも言われている。だからこそ「古」との掛詞は言葉の遊戯を超えた重みを持つことになる。因みに布留の近辺には遍昭の母の家があり、また遍昭は石上神宮の神主の家の出である布留今道(ふるのいまみち)と親交があった。布留は作者にとっても古馴染みの土地だったのである。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、和歌一字抄、袋草紙、五代集歌枕、古来風躰抄、俊成三十六人歌合、定家八代抄、秀歌大躰、時代不同歌合、歌枕名寄、釈教三十六人歌合

【主な派生歌】

いそのかみふるの山べの桜花こぞみし花の色やのこれる(藤原季方)

昔誰かかる桜の花をうゑて吉野を春の山となしけむ(*藤原良経[新勅撰])

いそのかみ布留の山べの山おろし幾重の春の花さそひきぬ(後鳥羽院)

昔より植ゑけむ時を人しれず花にふりぬるいそのかみ寺(宮内卿)

やよひばかりの花の盛りに、道まかりけるに

折りつればたぶさにけがる立てながら三世みよの仏に花たてまつる(後撰123)

【通釈】美しい花を仏にお供えしたいが、我が手で折り取ってしまえば花が穢れる。地面に生えて咲いている、そのままの姿で、三世(過去・現在・未来)の諸仏にさしあげます。

【補記】満開の桜のわきを歩いて行く時に詠んだ歌。「たぶさ」は手に同じ。不浄の我が身に対し、あるがままに咲いている花を無垢と見ているのである。

【他出】遍昭集、大和物語、宝物集、古来風躰抄、色葉和難集、六華集、歌林良材

【主な派生歌】

朝夕のなるるたぶさにささげても心のままに花たてまつる(藤原雅経)

このもとの紅葉の錦たてながら道のたよせに幣たてまつる(源家長)

たてながらみよの仏にたてまつる花かもをるな春の山人(後鳥羽院)

この心天つ空にも花そなふ三世の仏に奉らばや(道元)

この寺に三世の仏やすむ月もちらすひかりを花たてまつる(後花園院)

鉢之子に菫たんぽぽこきまぜて三世の仏にたてまつりてむ(*良寛)

志賀よりかへりける女(をうな)どもの、花山にいりて藤の花のもとにたちよりて、帰りけるに、よみておくりける

よそに見てかへらむ人に藤の花はひまつはれよ枝は折るとも(古今119)

【通釈】申し訳程度に眺めて帰ろうとする人に、藤の花よ、絡みついて引き留めよ、枝は折れようとも。

【補記】近江の志賀寺詣でをして都へ帰る女たち(顔見知りの女官たちであろう)が、遍昭の住持していた花山寺(元慶寺)に寄った。ところが藤の花を見物しただけで匆々に立ち去ってしまったらしい。そこで遍昭が女たちに贈った歌。女たちの無風流な振る舞い方を、ユーモアをこめて責めているのである。「よそに見て」は、枝を手折ったり、歌を詠んだりもせず、疎遠に花を眺めたことを言っているが、窪田空穂『古今和歌集評釈』が指摘するように、寺の仏を拝まなかった不満を言外に匂わせているのかも知れない。とはいえ、決して生真面目に怒った歌ではない。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、歌枕名寄、悦目抄

【主な派生歌】

みる人をなどやかへさぬ藤の花はひまつはれよとかばをしへし(源頼政)

はちすの露をみてよめる

はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく(古今165)

【通釈】蓮は濁った泥水に染まらぬ心で以て、なぜ露を玉と欺いて見せるのか。

蓮の葉の上の露

蓮の葉の上の露

【補記】「はちす」は蓮(はす)の古称。沼や湿田に育つ蓮は、泥水に染まることなく清らかな花を咲かせる。その葉に置いた水滴のきらめきは、玉かと見紛うほど美しい。それにしても、清浄な心を持ちながら、どうして人を欺くようなまねをするのか、と戯れた歌。蓮が仏教と縁の深いことは言うまでもなく、上句は法華経の湧出品を踏まえることが古来指摘されているが、釈教の寓喩をこめているわけではない。日頃見馴れた池の蓮に対する親しみをこめた、仏者らしい風流のまなざしであろう。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、和歌童蒙抄、和歌色葉、定家八代抄、八雲御抄

【参考歌】作者不詳「万葉集」巻十六

ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む

【参考】「法華経・湧出品」

不染世間法、如蓮花在水(世間の法に染まざることは、蓮花の水に在るが如し)

  「白氏文集」巻十五「放言」(→資料編)

荷露雖團豈是珠(荷露かろ團まどかなりと雖も豈に是れ珠ならんや)

【主な派生歌】

心すむ池のみぎはの蓮こそにごりにしまぬ色も見えけれ(慈円)

露の身を玉ともなさむはちす葉のにごりにしまぬわが心より(〃)

夏の池にもとよりたねのあればこそにごりにしまぬ花もさくらめ(〃)

露をさへ玉とあざむくはちす葉のにごりにしまぬ夏の夜の月(飛鳥井雅経)

はちす葉の露のしら玉みがくれてにごりにしまぬ夏の池水(土御門院)

池水のにごりにしまぬ色みえてしげるはちすにみがく白玉(藤原為家)

暮るるまもたのまれぬ身の命にてなにかは露をあだに見るべき(宗尊親王)

みがきなす光もうれしはちす葉のにごりにしまぬ露のしら玉(洞院公賢[風雅])

蓮葉のかげにならびてたつ鷺もにごりにしまぬ雪の毛衣(木下長嘯子)

風こえてちるぞ涼しき蓮葉になにかは露を玉とのみ見む(本居宣長)

題しらず

名にめでて折れるばかりぞ女郎花われおちにきと人にかたるな(古今226)

【通釈】その名に興じて折り取ったばかりだ、おみなえしよ。私が墮落したと人に語るなよ。

【補記】女郎花(をみなへし)は万葉集では「姫押」「美人部師」「佳人部爲」などの字が宛てられているように、容姿の美しい女性に喩えられた花である。その名に愛(め)でて折り取ったばかりだが、僧たる私にはこれも罪であろうか。あいつは堕落したと人に話さないでくれ、と花に語りかける心。花を折ることは女との交情の喩えとされたから、女戒を犯してしまったと戯れたのである。『遍昭集』では花を折ろうとして馬から落ち、「臥しながら」詠んだとある。受けを狙った、後人の脚色であろう。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖

【主な派生詩歌】

きみをわれ恋ひそめしより名にめでてあふ坂山はゆかぬ日ぞなき(慈円)

名にめでてまよひもぞする女郎花にほふ宿をばよきてゆかなむ(二条為明[風雅])

名にめでて妻や恋ふらむ女郎花おほかる野べのさを鹿の声(藤原雅家[新拾遺])

手折るとも人にかたるな山吹の花にわけくる露はおちにき(正徹)

見るに我(が)も折れるばかりぞ女郎花(芭蕉)

仁和にんなのみかど、親王みこにおはしましける時、布留ふるの滝御覧ぜむとておはしましける道に、遍昭が母の家にやどり給へりける時に、庭を秋の野につくりて、御おほむ物語りのついでに詠みて奉たてまつりける

里は荒れて人はふりにし宿なれや庭もまがきも秋の野らなる(古今248)

【通釈】親王の御宿となります我が家ですが、すっかり荒れてしまって、住む人も年老いてしまった為でございましょうか、庭も垣根も秋の野となっております。

【補記】光孝天皇が即位以前、布留の滝を見物に行く道すがら、遍昭の母の家に立ち寄った。庭には季節の草花が植えられ、秋の野さながらに仕立ててある。遍昭は親王と四方山話に興じたが、その折に詠んで奉った歌。「さと」は土地でなく、私邸を指して言う。実際は手の込んだ庭造りをしたのであろうが、「寂れた家ゆえ手入れが行き届きませんで」と謙遜したのである。遍昭が母に代って挨拶を申し上げた歌と見るのが古来の説である。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、綺語抄、定家八代抄

【主な派生歌】

故郷の主の涙やおきつらむ庭もまがきも秋のしら露(慈円)

をぎのはに庭も籬もうづもれてあはれ荒行く風の音かな(藤原家隆)

ふるさとは庭も籬も苔むして花たちばなの花ぞ散りける(藤原定家)

声ばかり木の葉の雨はふる里の庭もまがきも月のはつ霜(藤原定家)

あだ人の心よりまづあれそめて庭もまがきも野べの秋風(藤原有家)

里はあれて庭も籬も秋の露やどりなれたる月の影かな(藤原俊成女)

心とめしかたみの色もあはれなり人はふりにしやどの紅葉ば(伏見院[風雅])

里は荒れ野となる露の深草や鶉がねやをてらす月影(*太田道灌)

なごりあれや野となりてだに菫咲く庭も籬も春のふるさと(十市遠忠)

きて見ればわが古里は荒れにけり庭もまがきも落葉のみして(*良寛)

雲林院の木の蔭にたたずみてよみける

わび人のわきてたちよる木このもとはたのむかげなくもみぢ散りけり(古今292)

【通釈】侘しく暮らす人がここと決めて立ち寄る木の下は、身を託す蔭もなく紅葉が散り敷いていた。

【補記】「雲林院(うりんゐん)」は京都紫野にあった寺院。もと淳仁天皇の離宮であったが、その後常康親王に与えられ、親王出家後は遍昭に付されて元慶寺の別院とされたものである。平安朝の歌集に「雲林院の桜を見てよめる」などの詞書が散見され、桜林のある広大な庭を有したらしい。そこの「木の蔭にたたず」んで詠んだ歌。遍昭がなぜ自身を「侘び人」と呼んだのか、背景に事情がありそうだが、よく分からない。ともあれ、なにか思い屈することがあって、ここはと思う木の下に立ち寄り、紅葉に心を慰めようとしたのだろう。ところが、雨が降るなり風が吹くなりして、残っていた紅葉もすっかり散ってしまった、という。「わきてたちよる」「たのむかげなく」の句に、人の世にかかわる感慨が籠められているように思われる。

【他出】遍昭集、定家八代抄、歌枕名寄

【主な派生歌】

梢さへたのむかげなく枯れにけり花の姿の根にしかへれば(崇徳院[新拾遺])

しぐれゆくかた野の原の紅葉がりたのむかげなくふく嵐かな(藤原家隆)

これまでもたのむかげなくなりにけり花にしほるる雨のゆふぐれ(藤原秀能)

秋かけてふりにしやどの村時雨たのむかげなくぬるる袖かな(実伊[玉葉])

題しらず

秋山のあらしのこゑをきくときは木の葉ならねど物ぞかなしき(拾遺207)

【通釈】秋の山を吹き荒す嵐の声を聞くときは、我が身は木の葉ではないけれども、なにか悲しい気持だ。

【補記】西本願寺本の『遍昭集』は詞書「もみぢを見はべりて」、第二句「あらしのかぜに」。

【他出】遍昭集、拾遺抄

ちりのこりたる紅葉を見て

唐錦枝にひとむらのこれるは秋のかたみをたたぬなりけり(拾遺220)

【通釈】美しい紅葉の錦が枝に一むら残っているのは、秋の形見を絶やさぬのであった。

【語釈】◇唐錦(からにしき) 大陸渡来の錦。紅葉を喩える。◇ひとむら 「むら」は布二反分を一巻にしたものを数える語。「群」の意を掛ける。◇秋のかたみ 過ぎてしまった秋を思い出すよすが。◇たたぬなりけり 絶やさぬのであった。「絶たぬ」に「裁たぬ」の意を掛け、錦の縁語とする。

【他出】遍昭集、如意宝集、拾遺抄、俊頼髄脳、定家八代抄

【主な派生歌】

唐錦君に見よとやまつら山のこるもみぢも枝に一むら(慈円)

唐錦秋のかたみをたたじとや霜までのこる庭のひとむら(後鳥羽院)

さを鹿の朝たつ野べの唐錦枝に一むら秋風ぞふく(順徳院)

題しらず (二首)

我が宿は道もなきまで荒れにけりつれなき人を待つとせしまに(古今770)

【通釈】わが家の庭は通り道もないほど荒れてしまった。無情な人を待つ気でいた間に。

【他出】古今和歌六帖、三十人撰、和漢朗詠集、三十六人撰、定家八代抄、八雲御抄、愚問賢註

【補記】女の立場で詠んだ歌。単純ゆえに余情をたたえた歌である。こうした歌をベースとして、後世複雑な情趣を競う恋歌が咲き乱れることになる。

【主な派生歌】

待つとせし人のためとはながめねどしげる夏草道もなきまで(藤原定家)

つれもなき人やは待ちし山里はのきの下草みちもなきまで(藤原良経)

都人まつとせしまに山里のみちもなきまで花ぞふりしく(正徹)

 

今来むと言ひて別れし朝あしたより思ひくらしのねをのみぞなく(古今771)

【通釈】あの人が「すぐ行く」と言って別れた朝からというもの、思い悩んで日を暮らし、ひぐらしのように泣いてばかりいる。

【補記】これも女の立場で詠んだ歌。「思ひくらし」に蜩を掛けた言葉遊びがある。表現を凝縮する遍昭の技巧の冴えは、掛詞ばかりでない。むしろ上句にみごとに発揮されている。この句は息子の素性に引き継がれて、恋歌の不滅の名作を生み出すことになる。

【他出】遍昭集、古今和歌六帖、拾遺集(作者を壬生忠岑とする)、定家八代抄

【主な派生歌】

今こむといひしばかりに長月の有明の月をまちいでつるかな(*素性[古今])

またこむといひて別れしなごりのみながむる月に有明の空(藤原有家)

いまこむといひてわかれし雁がねの思ひ出でてや月に鳴くらむ(宗良親王)

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