現代俳句コラム ②

https://gendaihaiku.gr.jp/column/743/  【夏の山国母いてわれを与太と言う 金子兜太 評者: 松田ひろむ】より

 母親にとって、子供はいくつになっても子供という。

 ここでは「与太」といいながら、わが子を眼を細めて見ている様がうかがわれる。

 作者もまた「与太」と言われることに満足している風が楽しい。

「夏の山国」と、ややぶっきらぼうに置かれた季語が、おおらかで言い換えれば、いかにも「与太」らしい。(「与太」は東京落語の与太郎から出た言葉。)

 この句には書かれていないが、すでに百歳を超えた母なのだ。

 次の句のように老母と言いながら、それがテーマになる幸せ。

 老母指せば蛇の体の笑うなり

  蟬時雨餅肌(もちはだ)の母百二歳

 おうおうと童女の老母夏の家

 白餅(しろもち)の裸の老母手を挙げる

 この句には谷佳紀の鑑賞があった。「久々に訪ねてみれば、開け放された家の中で、搗きたての餅のようにふっくらぺちょんと坐り、暑さを避けている裸の老母。おお来たか、私は元気だよというようにふんわり手を挙げた。」(「海程」)とあるが、いかにも白餅がいい。兜太(とうた)の母は、蛇・蟬時雨・裸といつも夏の風景のなかで笑っている。

※金子兜太先生を偲び、2004年の現代俳句データベースコラムから再掲載いたしました


https://gendaihaiku.gr.jp/column/745/ 【おおかみに螢が一つ付いていた 金子兜太 評者: 大石雄鬼】 より

 ぶっきらぼうで野太い俳句。まさに金子兜太らしい金子兜太だからできる俳句。おおかみという巨大な存在感。そこにぽつんと螢がくっついている。「付いていた」という言い方から、誰かが語りかけている印象があるが、それは兜太自身の声ではない。むしろ、この句を読んだ瞬間、誰かの声が自分の声になっている。自分が呟いている。まるで、今、見てきたかのように。

おおかみは日本では古来から「大神」。そして絶滅していった。一方、螢火は「たましい」。螢もいまにも絶滅しそうである。螢が助けを求めるように絶滅したおおかみにくっついている。そしておおかみは大神となり、たましいである螢を日本の外へ連れ出す、その直前の一瞬。

 この現実から切り離されたような一コマは、絵本の一ページのようでもある。この不思議な感覚は、螢が夏の季語、狼が冬の季語、という俳句の決まりごとが影響しているかもしれない。もちろん絶滅したニホンオオカミと現存する螢との組み合わせが不思議さを醸しだしているが、俳句をつくる者に刷り込まれてしまった狼は冬のものという決まりごとと、夏の象徴である螢との同時の存在がこの俳句に不思議な印象を与えている。それは、宮崎駿の映画「千と千尋の神隠し」の四季の花が同時に咲いているシーンの異様さに似ている。(ちなみにこの映画では、一つ一つの花の名がわかるように描かれており、その結果各季節の花が同時に咲く不自然さからそこが異界であることがわかる演出になっている。)

 金子兜太は多くの狼の句を作っているが、これほどストレートで、これほど難解で、これほど心に残ってしまうものは、この句を置いてないであろう。この句の裏にある憂いている兜太の根幹の部分を感じたい一句である。

※金子兜太先生を偲び、2013年12月24日現代俳句データベースコラムから再掲載いたしました。


https://gendaihaiku.gr.jp/column/1780/ 【三月十日も十一日も鳥帰る 金子兜太 評者: 高野ムツオ】 より

 この句の発表は十月だから、震災の悲劇に直面しての即吟ではない。むしろ、この時間認識は災禍から一年以上を経た今の思いとして読むべきもののように感じられる。私は、角川「俳句」三月号の小澤實との対談で、この句の三月十日は震災の前日、つまり、何事もなかった平常時、そして、十一日は予想だにしなかった悲劇に見舞われた日、その変転の二日を並べたものとして鑑賞した。渡り鳥にとっては、人間が平穏無事の日も大被災の日も、なんら関わり合いがない。いずれも人間以上に生きることに必死の日々なのである。そして、その必死の日々を当然の日常として生きてゆく鳥への畏敬の思いの句であると鑑賞したのである。

 雑誌が発売になってまもなく、読者から一葉のはがきが舞い込んだ。その人の鑑賞では、この三月十日は東京大空襲の日ということであった。殊に当時の体験者には、それ以外には読めないとも記されてあった。なるほどと頷いた。そうであれば、十日、十一日は人間が引き起こした災禍の日。そうした人間世界とは関わりがなく、渡り鳥は渡り鳥として日々生きているということになる。

 どちらの読みをとっても、句にこめられている批判精神の高さは損なわれることはないだろう。私が前者に読み、はがきで教示してくれた人が後者の読みとするのは、たぶん、それぞれが生きてきた時間や時代の相違ということになる。それが鑑賞にも反映したのだ。ちなみに作者の金子兜太はどちらだったか。仄聞したところでは、どうやら後者の方であるようだ。

出典:「海程」(平成23年10月号)


https://gendaihaiku.gr.jp/column/1843/ 【長寿の母うんこのようにわれを産みぬ 金子兜太  評者: 河野輝暉】 より

 漱石の俳句に確か、海鼠のように産まれる、というのがあり、その時も驚いたが、掲句には唖然として、無季に気付いたのは暫くしてからだった。「トイレの神様」というこれまた珍奇な歌が若者に受け、昨年のNHK「紅白歌合戦」に初登場した。両者の共通点は、神と出産という聖なるものと「ご不浄」に表わされる屎尿という穢れとの一体視であろう。万象に八百萬(ヤオヨロズ)の神性を認知する神道。この聖典とされる「古事記」はまたスカトロジィの書として連想される。伊邪那美命(イザナミノミコト)が次々に神を産む。「屎(クソ)に成りませる神の名は波邇夜須毘古(ハニヤスヒコ)の神。次に波邇夜須毘売(ハニヤスヒメ)の神。次に、尿(ユマリ)に成りませる神の名は弥都波能売(ミツハノメ)の神。」と記されている。世界広しといえど、事もあろうに糞尿に神の名前のある宗教を他に知らない。天照大神らが高天原を、籾種をこの中津国にもたらした太古から、この終戦後の二十年近くに至る迄、農耕生産の肥料は何に依存してきたかを考えるといい。人糞尿が主力だった。古代は農生産も生殖も等価視され、分離していなかった。兜太の主張する「産土」は、「(苔の)産(ウム)す」と太陽の「日」の合成語でムスビの思想であり、これの生成化育する土地、という意。結果的にはアニミズムの信仰である神道の基本理念と同じ事であろう。

 敗戦時にマッカーサーによる日本弱体化という占領政策が施行された。国家神道は戦争協力宗教として法的にも受難を経過している。その原初的感覚に目を向けたい。

 黄金なす瑞穂の美しさは、生産力を持つ母性の美しさである。そこには賢しらぶった、美醜、浄穢の分別は雲散霧消して互が融合する。兜太俳句は、過剰に陳腐で優美な花鳥諷詠から、生きもの感覚を主唱している。俳壇を真の「俳」に踏みとどまらせて、人間解放を続行している。「長寿の母を波邇夜須毘古とし産まれけり」のパロディを謹呈申します。


https://gendaihaiku.gr.jp/column/1954/ 【果樹園がシャツ一枚の俺の孤島 金子兜太 評者: 大牧 広 】 より

 果樹園という陽光を思わせる舞台がまず読む人に示されて気持を開放的にさせる。そしてどうこの句が完結するか、それは「孤島」という内向きの言葉で完結させている。ここに金子兜太という作家の姿を見る。

 すでにこの句によって金子兜太像を見てしまったが、今一度この俳句をじっくりと楽し見たい。

 「果樹園」、この設定から南欧の伊豆の又は小豆島などが自由にイメージすることができる。深い青色の海と太陽の下でオレンジかオリーブが実って熟れている。その場所に来たのは若者か屈強な男か、とにかくシャツ一枚だけの男、そしてその果樹園が自分の孤島=城だというのである。

 こうした表現から私は映画「ゴッド・ファーザー」のコルシカ島のシーンを思い出す。あの映画は悪の世界を描いていたが、つねに主人公達は悪ゆえの苦さを身に沁みて行動をしていた。ゆえに彼等の思考や行動には知性さえ感じられたものだった。

 この金子兜太の俳句にはその味わいがある。解放と閉鎖との表現の綾がそう思わせるのである。

 金子兜太のこの句の延長線上の俳句に、

  粉屋が哭く山を駈けおりてきた俺に

  林に金星麦こぼれゆく母郷

  二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり

 がある。

 栄光と挫折といえばよいのだろうか、尋常でない意識が織りこまれていて金貨が降ってくるような詩的なたかぶりを覚える。この読後感は至福と言ってよいものである。

出典:『金子兜太句集』昭和三十六年


https://gendaihaiku.gr.jp/column/2293/ 【きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中 金子兜太 評者: 安西 篤 】 より

 第一句集『少年』所収。昭和26年、組合運動から逐われ、日銀福島支店に転勤させられた頃の作。配所のわびしさをまったく感じなかったといえば嘘になるが、日銀を相手に戦ったという高揚感は残っていた。

 「きょお!」という汽車の擬音はこれまでにない表現だが、「喚いて」とあるからには明らかに擬人化されたもので、その音象が「この汽車」に託した心意のかたちに勢いを与える。そしてまっしぐらに走りこむ「新緑の夜中」。フランスレジスタンス運動をテーマにした映画の一場面のようなリアリティがある。映像自体の迫力もさることながら、畳かけるような破調の韻律の力強さがものを言っているからだろう。


https://gendaihaiku.gr.jp/column/2404/ 【曼珠沙華どれも腹だし秩父の子 金子兜太 評者: 森下草城子】 より

 毎年、曼珠沙華が咲く時期になると、必ずこの作品を思い出す。秩父という山峡、その山間の地が醸し出す景を直に捉え得ている。明るく、開けっ広げて屈託のない子供の日常、自然の申し子の世界とでも言いたいものがある。秩父という風土の中で育まれてきた子ども達の剥き出しの姿を感じる。着衣がはだけて、腹が丸出しになっても無頓着に遊ぶ子どもの世界である。この作品に触れて、沢木欣一は「戦時下であるから秩父の子は弊衣をまとい、栄養不良で腹ばかり大きいのである。」と述べているが、終戦前後の食料難の時期を重ねて捉えていた。


https://gendaihaiku.gr.jp/column/2431/ 【霧に白鳥白鳥に霧といふべきか 金子兜太 評者: 倉橋羊村】 より

 眼前の次第に霧に包まれてゆく白鳥。その白鳥に視点を定めると、回りに立ちこめてきた霧が、動きながらやや深まってくる光景が思い浮かぶ。句中での主観客観のおのずからな切り替えが興味深い。さらに一句全体をつらぬくリズムが、静から動へとなだらかに動き始める感覚も快い。書かれた文体を視覚的に眺めると、「白鳥白鳥」と語を重ねつつ、その間に微妙な休止とスイッチバックの感覚が味わえるのも、俳句形式の妙味といえる。


https://gendaihaiku.gr.jp/column/2465/ 【猪がきて空気を食べる春の峠 金子兜太  評者: 村井和一】 より

 空気を食べる猪。山の彼方の青空まで食べそうです。猪は満足そうです。

  猪のねに行くかたや明の月  去来

に対して芭蕉は、人里へ下りた猪が明け方に山へ帰るのは古人も知っていたことだ。優美を旨とする和歌でさえそれを〈帰るとて野べより山へ入る鹿の跡吹きおくる萩の上風〉と技巧的に詠んでいる。自由に作れる俳諧で、当り前に詠んでも仕方がない、と評しました。「俳諧自由」という言葉の起りです。


https://gendaihaiku.gr.jp/column/1686/ 【船医上陸ジャカランタ青い花 金子皆子 評者: 山中葛子】 より

 船医と降りるジャカランタの青い森

平成17年80歳。肺の癌が背骨に転位し、痛みの強まる日々の中、6月9日『花恋』により北溟社「詩歌句大賞」を受賞された金子皆子は、21日には、7階の最上階のポスピスに移られた。その部屋は一面の大きな窓が明るくて、かつての船旅を思い出す句が詠まれている。

 ベットの傍らの机上には『下弦の月』の刊行に向けられた主治医による月の写真の表紙が製作されていて、日々の作品が加えられる形になっていた。歳時記は一切見られず、自らが季節感となっている全身全霊の作品だ。

 『下弦の月』の「下弦の月」の章の巻末に収められた冒頭の二句は、痛みが劇しくなり俳句ができなくなってゆくなかでの貴重な日が詠まれている。ご一緒したその日は、車椅子で広い病院内をめぐりながら中庭に降りて、真っ白なテーブルを囲んで、拾った赤い実を並べながら、小鳥たちや秋の花たちをながめた。紫蘇の葉に似た強烈な色合いのあざやかさをながめながら皆子は、いきなり「ボルトブラッシ青い花」「ジャカランタ青い花」と口ずさまれた。それは突然何かに誘発されたような語感で、私は、まだ見ない「青い花」を想像した。兜太先生との異国の旅が思われる「ジャカランタ、ボルトブラッシ」の強烈な語感は、力づよく私の心に落ちて揺れた。

 そして「あなたは頭で俳句を書いている。頭を捨てなさい」と言われてきた私の俳句を次へと導く俳句表現のテーマとなった。

 無限にわきあがってくる熱情を創作する俳句への尊敬。山深い秩父から海辺の街への往環の年月に巡り合っている自己表現の個の孤の魅力。徹頭徹尾の身体体験による想念のリズム、生理的なリズムはテクニックを超えて愛の気合いを見せて予感的である。 金子皆子は平成18年3月2日他界された。

出典:遺句集『下弦の月』平成19年6月22日 角川書店刊


https://gendaihaiku.gr.jp/column/1688/ 【霧笛の夜こころの馬を放してしまう 金子皆子 評者: 山中葛子】より

『花恋』の「白い花白い秋」の章に収められているこの句は、診察治療を受けるために海辺の街に滞在する皆子の部屋の濃密な静けさと繋がってくる。

  エレベーターで五階へ冬空ののっぽ

  鯛焼き一つ私に秋の窓二つ

  誰もいない点らない冬の部屋一つ 

 千葉県旭市のホテルサンモールの五階へエレベーターで昇るその部屋には二つの窓があり、たいていは片方にカーテンが降ろされ深海のごとくに仄暗く、霧笛が聞こえてくる。日常をはなれた一人だけの創作意欲のわきあがる部屋であった。「草原のなかに全身を投じたい」の皆子の言葉があざやかによみがえる。「こころの馬」とは天然のままを生きる野生の馬であろうか。霧笛と馬の嘶きが溶けあう解放感がとげられたファンタジックな作品である。

 また、二つの窓の風景は、『花恋』の「白丁花」の章に収められた佐藤鬼房逝去への句に繋がってくる。

  鬼房亡し誘われるごと寒の雨

  冬の湖沼の光に同じこころかな

 冬の雨が降り続いている窓。海とは反対側の街並みの向こうに冬の光をどんよりとたたえている湖沼は、「海程」の初期を共にした同志鬼房を亡くされた無念の涙のよう。俳句の道への尊敬が実感される。

 病んで良かった! 

 これは現在只今の強烈な思い。

 病んで申し訳なかった! 

 これは家族、特に息子夫婦への思いです。  「あとがき」より

俳句形式への尊敬が語られている闘病の1186句が収められた句集『花恋』の作家姿勢が鮮烈である。

出典:句集『花恋』平成16年12月18日角川書店刊

評者: 山中葛子


https://gendaihaiku.gr.jp/column/1690/ 【「あれが海です」聖夜砂嵐砂嵐 金子皆子 評者: 山中葛子】 より

 金子皆子の第4句集『花恋』の「花幻」の章に収められている句である。熊谷在住の金子兜太夫人の皆子は、平成9年に右腎悪性腫瘍のため、右腎臓全摘の手術を受けられ、その後の平成12年、尊敬する主治医が千葉県旭市の旭中央病院に移られたことを機に、月の半ばは旭市のホテルサンモールに滞在し、6年に及ぶ診察治療を受けられている。この間には、左腎の部分摘出手術、肺への転移が見られるなど、二度の手術による傷痕は、お天気によって傷むという〈薔薇の体に霧笛沁みこむ海の街〉の句があり、ご自分を「薔薇の体です」と明言されていられた。

 この句は、そうした療養中での闘病の苦しい時間がふっ切れたような神秘的な一条の光がさして、肉体が叫びをあげたようなまるごとの俳句詩型になっている。「あれが海です」の「です」は、対話の相手が目前にいる発語であり、ふたりごころの会話体もかがやいている。

  抱えられ倒れず二〇〇〇年の聖夜

  ミッドナイトブルー極まりし海を背後に

  腕時計刻(とき)を合わせる聖夜かな

 「花幻」の章にみられる2000年の聖夜は「砂嵐砂嵐」の畳みこむリズムの中で存分に命を発光させて美しい。「ミッドナイトブルー」の海を背景に「腕時計」の刻を合わせている特別な夜。予感のポエジーとも言えるような、手垢のつかない原始的な息づかいが描き出されていよう。子を産み継いでゆくことの、女性でなければ書けない肉体感がパッションゆたかに台頭している。

 「あれが海です」の作品は、神奈川現代俳句協会のシンポジウム「これからの俳句について」の「めざす俳句の姿」として私が発表させていただいた懐かしい句。その時から10年が過ぎているが、現在ただ今にあっても「めざす俳句の姿」に違いない。

出典:句集『花恋』平成16年12月18日角川書店刊

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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