山頭火の日記 ⑳

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946031504&owner_id=7184021&org_id=1946062144 【山頭火の日記(昭和8年1月1日~、其中日記二)】より

『其中日記』(二)

其中日記は山頭火が山頭火によびかける言葉である。日記は自画像である、描かれた日記が自画像で、書かれた自画像が日記である。日記は人間的記録として、最初の文字から最後の文字まで、肉のペンに血のインキをふくませて認められなければならない、そしてその人の生活様式を通じて、その人の生活感情がそのまままざまざと写し出されるならば、そこには芸術的価値が十分にある。現在の私は、宗教的には仏教の空観を把持し、芸術的には表現主義に立脚してゐることを書き添へて置かなければならない。

  うららかにして

     木の葉ちる

一月一日

私には私らしい、其中庵には其中庵らしいお正月が来た。門松や輪飾はめんどうくさいので、裏の山からネコシダを五六本折つてきて壺に した、これで十分だ、歯朶を活けて、二年生きのびた新年を迎へたのは妙だつた。お屠蘇は緑平老が、数の子は元寛坊が、そして餅は樹明君が送つてくれた。いはゆるお正月気分で、敬治君といつしよに飲みあるいた、そして踊りつづけた、それはシヤレでもなければヂヨウダンでもない、シンケンきはまるシンケイおどりであつた! 踊れ、踊れ、踊れる間は踊れ! 芝川さんが上海からくれた手紙はまことにうれしいものであつた。

 お地蔵さまもお正月のお花

 お正月のからすかあかあ

   樹明君和して曰く

 かあかあからすがふたつ

 シダ活けて五十二の春を迎へた

【其中日記(二)】

『其中日記』(二)には、昭和8年1月1日から昭和8年3月19日までの日記が収載されています。

【お正月のからすかあかあ】

この日の日記に、「お正月のからすかあかあ」の句があります。山口市小郡上郷の海禅寺に、この句碑があります。

【ぼろ着て着ぶくれておめでた顔で】

其中庵での正月では、句集『草木塔』に「ぼろ着て着ぶくれておめでた顔で」の句があります。其中庵で食うや食わずのあてのない暮らしを続ける山頭火にも、正月はやってきます。餅や御節があるわけでもなく、静かで侘びしい独り住まいの正月ですが、山頭火もなけなしの財布を叩いて少し多めのお屠蘇でも味わったのでしょうか。なんとまあぼろの着物を着て、しかも寒そうに着ぶくれて、それでいながらちょっと幸せそうな自分の顔で、ちょいといい気分になってお屠蘇を飲もうとするや、その水面に好々爺とでもいいたくなるような自分の影が映ります。流れ流れて旅に疲れ、やっと落ち着くことのできた其中庵の中で、のんびりと迎えられた正月が嬉しくてたまらない山頭火がいます。

【独慎】

昭和8年の正月については、次の山頭火の随筆『独慎』があります。

「昭和八年一月一日、私はゆうぜんとしてひとり(いつもひとりだが)こここうしてかしこまっていた。昨年は筑前の或る炭坑町で新年を迎えた。一昨年は熊本で、五年は久留米で、四年は広島で、三年は徳島で、二年は内海で、元年は味取で。――一切は流転する。流転するから永遠である、ともいえる。流れるものは流れるがゆえに常に新らしい。生々死々、去々来々、そのなかから、或はそのなかへ、仏が示現したまうのである。私はまだ『あなたまかせ』にまで帰納しきっていないことを恥じるが、与えられるものは、たとえそれがパンであろうと、石であろうと、何であろうとありがたく戴くだけの心がまえは持っているつもりである。

行乞の或る日、或る家で、ふと額を見たら、『独慎』と書いてあった。忘れられない語句である。これは論語から出ていると思うが、その意味は詮ずるところ、自分を欺かないということであろう。自分が自分に嘘をいわないようになれば、彼は磨かれた人である。人物に大小はあっても人格の上下はない。

私は五十二歳の新年を迎えた。ふりかえりみる過去は『あさましい』の一語で尽きる。ただ感情を偽らないようにして生きていたことが、せめてものよろこびである。独慎――この二字を今年の書き初めとして、私は心の紙にはっきりと書いた。」

一月九日

徹夜した、といふよりもあれこれ考へてゐるうちに夜が明けてしまつたのである。盥に薄氷が張つてゐる、うららかな陽が射してゐる。敬坊からの手紙はあまりにさびしくかなしくした、敬坊よ、しつかりしてくれ、しつかりやつてくれ。麦飯を食べることにする、経済的理由よりも生理的、生理的よりも心理的理由から。落葉の掃き寄せをふと見たら、水仙、私の好きな水仙がある、落葉の底から落葉を押し分けて伸び出たのである、生きるものの力、伸びるものの勢を見て、今更のやうに自然の前に頭がさがつた、私は落葉をのぞき雑草をひきぬいて、すまないけれど私の机上に匂うであらう水仙を祝福した。夜、樹明、冬村の二君が酒肴持参で来訪、飲んで話した、ここまではよかつたが、それからワヤになつた(もつとも私はあまりワヤにはならなかつた)、いふまでもなく赤い灯へ、彼女等のテーブルへ、泥酔乱舞の世界へ――。更けて戻つてから、飯を炊き味噌汁をこしらへた、やれやれ、御苦労、々々々。火鉢に火があり、米桶に米があり、そして酒徳利に酒があるとは、さてもほがらかな風景であるかな。慾には銭入に銭があつてほしい!

 ここでわかれる月へいばりして

 霜の大根ぬいてきてお汁ができた

 たべきれないちしやの葉が雨をためてゐる

 落葉の、水仙の芽かよ

 曇つた寒空できりぼしきりつづけてる娘さんで

 冬空、何をぶちこはす音か

 猿まはしが冬雨の軒から軒へ

 雨となつた夜の寒行の大皷が遠く

 考へてゐる電燈ともつた

 冬蠅よひとりごというてゐた

 楢の葉の枯れて落ちない声を聴け

【楢の葉の枯れて落ちない声を聴け】

この日の日記に、「楢の葉の枯れて落ちない声を聴け」の句があります。山頭火の随筆『草木塔』に、次のようにあります。

「楢の葉 楢の葉はおどろきやすい。すこしの風にも音を立てる。枯れても、おおかたは梢からはなれない。その葉と葉とが昼も夜もささやいている。夜おそく戻ってくると、頭上でかさかさと挨拶するのは楢の葉である。訪ねてくる人もなく、訪ねてゆく所もなく、そこらをぶらついていると、ひらひらと枯葉が一枚二枚、それも楢の葉である。楢の葉よ、いつまでも野性の純真を失うな。骨ぶといのがお前の持前だ。

  楢の葉の枯れて落ちない声を聴け 」

一月十四日

曇、后晴、小雪、――私の心は明朗。梅花一枝を裏の畑から盗んで来て瓶に した、多過ぎるほど花がついてゐる、これで仏間の春がととのふた。敬治君からうれしい返事が来た、彼の平安が長続きするやうに祈つてやまない。昼も夜もコツコツと三八九の原稿を書いた、火鉢に火のないのが(木炭がないので)さびしかつた、燗瓶に酒があつたら賑やかすぎるだらう。

 落葉ふんでどこまでも落葉

 雑草もみづりやすらかなけふ

 木枯の身を責めてなく鴉であるか

 冬の夜ふかく煙らしてゐる

 寒うをれば鴉やたらにないて

 けさは雪ふる油虫死んでゐた

【寒うをれば鴉やたらにないて】

この日の日記に、「寒うをれば鴉やたらにないて」の句があります。山頭火は、鴉の句をしばしば作っており、「風の中かあかあ鴉」の句もあります。黒染めの衣に身を包んで旅を行く山頭火は、いわば風の中で、かあかあ鳴いている鴉なのでしょうか。

一月十六日

薄雪がまだらにつんでゐて晴、明けてから最初のお天気らしいお天気である。うららかで、あたたかで、日向ぼつこしてゐねむりするにはもつてこいの日だ。けさの御飯は上出来だつた、仏様も喜んで下さるだらう、まだ雪をかぶつてゐる大根一本ぬいてきておろしにする。「松」がきた、待つともなく待つてゐる手紙は来ない、まもなく新聞がくる、これでもう来る人も物もないわけだ。それにつけても、樹明さんはどうしたのだらう、こんなに長く、といつても五日ばかりだが、やつてこないことは、今までにはなかつた、禁足か、自重か、それとも家事多忙か、身辺不穏か、とにかく気にかかるけれど、此場合、訪ねてゆきたくない、行くべきでないと思ふ、いろいろの理由から。――三八九の原稿を書きつづける、煙草のなくなつたのが残念だ、一服やりたいなあ、と灰の中の吸殻をさがしてみる。午は菜葉を煮て食べる、寒いからラードを少し入れる。火を焚きつつ、私はいつも火について考へる、火、ひとりの火。この火床(くど)も火吹竹も私がこしらへたものである。水仙は莟がだいぶ大きくなつた、裏の梅二株は見頃だ。晩にはすいとん汁をこしらへた、御飯が足らないらしいから。夜、やうやく三八九の原稿を書きあげた、安心して寝る。よろこびがしづかにわく、そのよろこびを味ふ、しづかな雨がふる、その雨を味ふ。

 冬ぐもり、いやな手紙をだしてきたぬかるみ

 あたたかし火を焚いて古人をおもふ

 芥うかべて寒の水の澄まうとする雲かげ

 寒い朝の土をもりあげてもぐらもち

【ひとりの火をつくる】

この日の日記に、「火を焚きつつ、私はいつも火について考へる、火、ひとりの火」とあります。山頭火の句に、「ひとりの火をつくる」があります。自ら選んで、好んでのひとり住まいなのに、その家に帰って、あらためてひとりであることを確認し、どうにもならないひとりであることに入り込んでいきます。

【けさの御飯は上出来だつた】

また日記に、「けさの御飯は上出来だつた、仏様も喜んで下さるだらう」とあります。山頭火の句に、「けさの御飯はようできました観音さまへ」があります。山頭火は、味取観音堂の堂守となって以来、観音信者でした。其中庵時代、押入れの仏間には、木彫りの観音像と自殺した母上の位牌を祀っていました。花活けは、汽車で買える駅弁に付いていたあの頃の茶びんで、それに季節の草花を活けていました。そして朝夕、その前でお経をあげていました。

一月十九日

雪もよひ、手紙は来ない、行乞は気がすすまないからやめる、といふ訳で、野菜食がはじまる、菜葉(大根葉をも)をラードでいためて塩で味付けするのだつた。五厘銅貨を握つて村のデパートへ出かける、きのふ、おばさんの諒解が得てあるので、焼酎一合と豆腐二丁とを買うて戻る(此代金十六銭、まだ二銭あまつてゐる!)、飯をたべないものだから、何となくよろよろする(酒好きは酒好きですね、間違なく)。朝は砂糖湯、昼は野菜、それから焼酎と豆腐だつた、これではゼイタクすぎる、まつたくさうだ。とにかく山籠と思へば何でもない、いや、けつこうすぎる、かういふ機会を活用して、かういふ食事をしなければウソだ。おちついた、おちついた、おちつきすぎるほどおちついた(すぎるといふ言葉をつかひすぎる!)。……焼酎はにがかつた(いかに酒のうまいことよ)、豆腐はからかつた(ここで味噌醤油の必要なことがわかる)、でも、おかげで、腹がふくれて、ほろ酔気分になつた。その気分で原稿を書いた、曰く、乞食漫談、曰く、其中庵日記。さらに書きたいのが、過去帳――自叙伝(これは長くなる)。やつぱり御飯がたべたい、米がほしい、私は日本人だから、日本的日本人だから(しかし、この豊葦原の瑞穂の国に生れてきて、酒がのめるとはうれしいな!)。ゆふべ、枯枝をひろひあるいて、二句作つたが、放哉坊の『枯枝ぽきぽき折るによし』には、とてもとても。昨日今日の新聞は、第二共産党検挙記事で賑やかな事此上なし、共産党そのものは私の批判以外の事件だが、彼等党人の熱意には動かされざるを得ない、人と生れて、現代に生きてゆくには、あの熱意がなければならない、私は自から省みて恥づかしく、そして羨ましく思つた。学校からの帰途、樹明君が寄つてくれた、ほんとうに久しぶりだつた(ここへきてから逢はなかつた時日に於て最長レコード)、かはつた事がなくて、元気な顔を見てうれしかつた(先日、たしか十一日にやつてきた時は色身憔悴だつた)、そしておみやげをいろいろ貰つた、干魚、塩辛、インキ、そしてバツト。何やかや食べて飲んで、腹がいつぱいになつたけれど、御飯を食べないものだから、何だか力がなくて労れてゐる、日本人は(今日以後の若い人は、私たちより時代のちがふ若い人は別として)やつぱり、米喰ふ虫だ。早く、寝床にはいつて漫読する、野上八重子さんの小説の文章の気のきいてゐるのに感心した。それでは、けふはこれでさようなら。書き漏らした事をもう一つ、――今夜はどうしたわけか、やたらに溜息がでる、はてめんような、これは何の溜息でござるか!

 湯がわいてくる朝日をいれる

 枯木よりそうて燃えるあたたかさ

 あたたかく枯枝をひろうてあるく

 ゆふべの枯枝をひろへばみそつちよ

 夕風の枯草のうごくは犬だつた

 更けて荷馬車の、人が馬が息づいて寒い星のまたたき

 落葉鳴らして火の番そこからひきかへした

 つめたいたたみをきて虫のぢつとしてゐる

 落葉ふかく藪柑子ぽつちり

 すこし日向へのぞいて藪柑子

 ちぎられて千両の実のうつくしくちらばつて

 日向の梅がならんで満開

 夜どほしで働らく声の冴えかえる空

 冴えかえる夜でようほえる犬で

 たたずめばどこかで時計鳴る

   句賛として四句

 一日花がこぼれて一人(枇杷)

 はなれて遠いふるさとの香を味ふ(松茸)

 その香のしたしくて少年の日も

 家を持たない秋ふかうなつた

 ほのぼの明けてくる土に咲けるもの(十薬)

【たたずめばどこかで時計鳴る】

この日の日記に、「たたずめばどこかで時計鳴る」の句があります。また、山頭火の句に「たたずめば風わたる空のとほくとほく」があります。山頭火は、自らが行かなければならない土地が、そこにあるように思っています。それは、どんなにこの先歩いても、行きつけない土地であることも、知っています。しかし、やはり行かなければならないと思うのです。死を見つめて、歩き続ける山頭火を見ることができます。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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