山頭火の日記  ㉒

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946090548&owner_id=7184021&org_id=1946119089 【山頭火の日記(昭和8年2月15日~)】より

二月十五日 涅槃会。

けさは早かつた、御飯をたべて、おつとめをすまして、しばらく読書してゐるうちに、六時のサイレンが鳴つた。朝月夜がよかつた、明けゆく風が清澄だつた。読書、読書、読書に限る、他に累を及ぼさないだけでもよろしい。アメリカは黄金を抱き込んで、しかも貧乏に苦しんでゐる! これに似た人間が日本にも存在する、黄金を食べても餓は凌げないのだ、胃は食物を要求してゐるのだ、物そのものの意義を理解しなければ駄目だ。くわうくわうとして日が昇る、かたじけないと思ふ。小為替一枚受取つた、さつそく米と酒とを買つた、米二升四十六銭、酒二合十八銭、そして煙草が四銭。午後、晴れて寒い風が吹く、何となく物足らないので、樹明君を招いて一杯やりたいと思ひついたので、湯屋まで出かけた途次、顔馴染の酒屋へ寄つて、一升借入の交渉を試みたが、不調に終つた、私は断られて腹を立てるほど没常識ではないが、さりとて、借りそこねて平然たるほど没感情的でもない、貸して貰つた方がうれしかつたのが本当だ、とにかく酒一升借るだけの銭も信用もないのは事実だつた! だいたい、掛で飲まうなどといふ心得は褒めたものぢやないね、もつと物に執する心持を捨てなければなるまいて。陽が傾いて樹明来、酒はのみたし酒はなし、学校の畜舎へまでのこのこ出かけて、かしわとさけとにありつく、そしてひとりでインチキカフヱーでホツトウイスキー一杯、泥まみれになつて戻る、いのちを持つて戻つたのはまことに感心々々。

 じゆうぶんやすんだ眼があいて春

 枯木はおだやかな朝月である

 これが新国道で、あれはやきいもや(柳井田所見)

 みんな働らく雲雀のうた

 水音の藪椿もう落ちてゐる

 枯草の日向の脚がぽこぽこあるく

 咲いてここにも梅の木があつた

 朝月夜、竹藪がさむうゆれだした

 鳴るは楢の葉で朝月夜

 朝月はうすれつつ竹の葉のなかへ

 つめたく風が、私もおちつけない

 枯れつくしてぺんぺん草の花

 つつましく酔うてゐる庵は二十日月

 やまみちのきはまればわいてゐる水(改作再録)

【咲いてここにも梅の木があつた】

この日の日記に、「咲いてここにも梅の木があつた」の句があります。山頭火の随筆に、次の『三八九雑記』があります。

「その梅はもう盛りをすぎたけれど、あちらこちらにしろじろと立っている。裏畑の三本、前の家の二本、いずれも老木、満開のころは、一人で観るのにもったいないほどであった。道べりの二三本、これは若木だが、すこし行くと、ここにも一本、そこにも一本というぐあいで、なかなかのながめであった。こんなところもあったのかと驚くぐらい、花をつけてはじめて、その存在をはっきりさせている。

  咲いてここにも梅の木があつた 」

【水音の藪椿もう落ちてゐる】

またこの日の日記に、「水音の藪椿もう落ちてゐる」の句もあります。山頭火の随筆に、次の『三八九雑記』があります。

「ここ矢足は椿の里とよばずにはいられないほど藪椿が多い(前のF家の生垣はすべて椿である)。ぶらぶら歩いていると、ぽとりぽとり、いつ咲いたのか、頭上ゆたかに、素朴な情熱の花がかがやいている。

  水音の藪椿もう落ちてゐる 」

二月十八日

曇、寒、小雪、閉ぢ籠つてゐるにはよい日である。三八九原稿整理。午後、街へ出かける、三日ぶりである、入浴、木炭を持つて戻る。樹明来、お茶とビスケツト。かうして、つつましくしてゐることも悪くない。明日は、樹明君が朝から、そして敬坊も来庵の予約。不快な――それは私自身の不安心を暴露する以外の何物でもなかつた夢に襲はれた、そして頻りに囈語を吐いた(自覚してゐて寝言をいふのだから助からない)、修行未熟、精進せよ。このあたりに、いかに多くの鶏が飼はれてゐるか、そしてその鶏がいかに屡々鳴くかを今更のやうに知つた。

 山から下りてゆく街へ虹立つた

 暮れて寒い百舌鳥がまだないてゐる

彼の過去帳を繰りひろげて見る。――最初の不幸は母の自殺。第二の不幸は酒癖。第四の不幸は結婚、そして父となつた事。第五の不幸……同時に、彼の最初の、そして最の幸福は?

【家庭人失格】

この日の日記に、「最初の不幸は母の自殺。第二の不幸は酒癖。第四の不幸は結婚、そして父となつた事」とあります。「家庭人失格」を自覚して、妻子に心ひかれつつ遠ざかる山頭火の姿は、まことにいたましく、読む人の心をひくのです。

二月廿一日

樹明居で朝飯をよばれる、産後の奥さんにすまないと思ふ。何とうららかなお天気だらう。桂子さんから小包到来、御厚情のかずかずほんとうにありがたく頂戴いたしました。大山さんから稿料落手、それだけ飲んでしまふ。樹明君違約して不参、それが却つてよかつた。焼酎よ、お前と永劫に縁をきる。文字通り無一文。人間を離れて人間はゐない、彼、彼女、等々。

 さんざ労れて春めいた雨となつた

 水のいろも春めいたいもりいつぴき

 霜、水仙は折れて咲いてゐる

【水のいろも春めいたいもりいつぴき】

この日の日記に、「水のいろも春めいたいもりいつぴき」の句があります。山頭火の随筆に、次の『三八九雑記』があります。

「なんとなく春めいてきた、土鼠(もぐら)がもりあげた土くれにも春を感じる。

  水のいろも春めいたいもりいつぴき

私もこのごろはあまりくよくよしないようになった。それはアキラメでもなければナゲヤリでもない、むろんサトリでもない、いわば、老のオチツキでもあろうか。近眼と遠眼とがこんがらがってきたように、或は悠然として、或は茫然として、山を空を土を眺めることができるようになった。放心! 凝心もよいが放心もわるくないと思う。おかげで、この冬はこだわりなく生きてきた。春になったら春風が吹くでしょう。」

二月廿五日

未明、樹明来、宇部へ出張して、飲み過ぎて、三田尻まで乗り越して、やうやくここまで来たといふ、いかにも樹明らしい、ふたりいつしよにしばらく寝る。明けてから、お茶を飲んで、さよなら、それから私は飯だが、もうシヨウユもスミもタバコもコメもなくなつた、まだハムとアメとが残つてゐる! 村のデパートで、サケ一杯とタバコ一袋とを借りた。国際聯盟決裂の日、日本よ強くなれ、アジアは先づアジア人のアジアでなければならない。三八九、三八九、三八九はメシのタネだ、ああああ、ああ。樹明君が夕方再び来庵、豚のお土産を持つて、――一杯あげたいとは思へども。――夜は三八九原稿を書く、あひまあひまに読みちらす。今日は自然の事実を一つ発見した、水仙も向日葵のやうに太陽に向いて咲くといふことである、花はたいがいさうだけれど。ハムばかり食べてゐる、まるで豚の春だ。舌皷を食べた(これは山口名物、これも樹明君のお裾分)。

 暮れきらないほの白いのは水仙の花

 陽がさせば水仙はほつかりひらき

 とろとろとける『舌皷』の春ですね

 水のいろも春めいたいもりいつぴき(再録)

 水仙こちらむいてみんなひらいた

 あたたかく虫がきて夜の障子をたたく

 すつかり春らしく家々のけむり

 地べた日向をころげて落葉

 焚火あたたかく風さわぐ

【水仙こちらむいてみんなひらいた】

この日の日記に、「水仙こちらむいてみんなひらいた」の句があります。山頭火の随筆に、次の『三八九雑記』があります。

「水仙がおくれてやたらに咲きだした。先住者が好きだったのだろう、畑のあちこちにかたまりあって、清純たぐいなき色香を見せている。そんなわけで、仏壇も水仙、床の間も水仙、机の上も水仙です(この花にはさびしいおもいでがあるが、ここには書くまい)。

  水仙こちらむいてみんなひらいた 」

二月廿八日

晴、春景色、朝酒、万事豊富、炭、酒、米、煙草。樹明来、大に飲み大に語つて、往生安楽国!

 ほつかりと宵月のある枯枝で

 風がでて葉が鳴るゆふべの祈り

 春風の豚でうめく

 日向の椿がぽとりと水へ

 春がきたどろどろの蓮を掘つてゐる

 草の芽乞食が荷をおろした

【「三八九」第六集発行】

この日に山頭火は、「三八九」第六集を発行しています。山頭火の随筆に、次の『道』があります。

「いつぞや、日向地方を行乞した時の出来事である。秋晴の午後、或る町はずれの酒屋で生一本の御馳走になった。下地は好きなり空腹でもあったので、ほろほろ気分になって宿のある方へ歩いていると、ぴこりと前に立ってお辞儀をした男があった、中年の、痩せて蒼白い、見るから神経質らしい顔の持主だった。『あなたは禅宗の坊さんですか。……私の道はどこにありましょうか』『道は前にあります、まっすぐにお行きなさい』

私は或は路上問答を試みられたのかも知れないが、とにかく彼は私の即答に満足したらしく、彼の前にある道をまっすぐに行った。道は前にある、まっすぐに行こう。――これは私の信念である。この語句を裏書するだけの力量を私は具有していないけれど、この語句が暗示する意義は今でも間違っていないと信じている。句作の道――道としての句作についても同様の事がいえると思う。句材は随時随処にある、それをいかに把握するか、言葉をかえていえば、自然をどれだけ見得するか、そこに彼の人格が現われ彼の境涯が成り立つ、彼の句格が定まり彼の句品が出て来るのである。平常心是道、と趙州和尚は提唱した。総持古仏は、逢茶喫茶逢飯喫飯と喝破された。これは無論『山非山、水非水』を通しての『山是山、水是水』であるが、山は山でよろしい、水は水でよろしいのである。一茎草は一茎草であって、そしてそれは仏陀である。南無一茎草如来である。道は非凡を求むるところになくして、平凡を行ずることにある。漸々修学から一超直入が生れるのである。飛躍の母胎は沈潜である。所詮、句を磨くことは人を磨くことであり、人のかがやきは句のかがやきとなる。人を離れて道はなく、道を離れて人はない。道は前にある、まっすぐに行こう、まっすぐに行こう。」

三月十六日

ぬくすぎたが、はたして雨だ、この雨が木の芽草の芽を育てるのである。サイレンと共に起きた、何となく心楽しい朝だ。降つたり止んだり、照つたり曇つたり、まことにとりとめのない日和、かういふ日和には、しぜんルンペン――旅人をおもふ、行乞流転の苦を考へる。……俳句の本質については一家見を持つてゐるが、俳句と時代との相関についてはアヤフヤである、史的研究が不足してゐるからだ、勉強しなければならない。芸術の極致は自楽ではあるまいか。芸術は闘争を超越する(私は此意味に於て、明らかに芸術のための芸術、芸術至上主義者である)。社会――個性――芸術。酒を飲む、から酒を味ふ、へ、そして、酒に遊ぶ、へ。酒と人とが、とうぜんとして融けなければ本当でない。

 ここにも春が来て生恥をさらしてゐる

 煮ゑえるもののうまいにほひのたそがれる

 煮ゑる音の、よい日であつたお粥

 たまたま人くれば銭のことをいふ春寒

 暗さ、ふくろうはなく

 梅はなごりの、椿さきつづき

 椿おちてはういてただよふ

 おもひつめては南天の実

 春がきたぞよ啼く鳥啼かぬ鳥

 彼岸入といふ晴れたり曇つたりして

 晴れては曇る鴉のさわがしく

 人を待ちつつあたたかく爪をきりつつ

【暗さ、ふくろうはなく】

この日の日記に、「暗さ、ふくろうはなく」の句があります。また山頭火の有名な句に、「ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない」があります。山頭火といえば、放浪の途上、木賃宿の部屋や野宿をした山中などで、何度となくふくろうの声を聞いているはずです。ぐったり身体は疲れ果てているのに、ちっとも眠りに落ちていかないもどかしさ、そんなとき、山頭火の魂はいつしかどこかに潜むふくろうと、まるで旧友同士のように共感しつつ、徒に朝を待ちながら語り合います。時として襲う孤独の悶えを、飾ることなく表白した句です。

三月十九日

すつかり春だ。増富黎々火さんが大山澄太さんと打合せてをいた通りに来庵、またお土産沢山、――味噌、塩昆布、蒲鉾。大山さん自身出かけて、酒と酢と豆腐とを買うてくる、どちらがお客さんだか解らなくなつた。樹明君もやつてくる、其中庵稀有の饗宴がはじまつた。よい気持で草原に寝ころんで話した、雲のない青空、そして芽ぐみつつある枯草。道に遊ぶ者の親しさを見よ。夕方、それぞれに別れた、私は元の一人となつた、さみしかつた、さみしくなければ嘘だ。夜、樹明君再来、何だか様子が変だつた、私も少々変だつた。風を聴きつつ、いつしか寝入つてしまつた。

 ここからがうちの山といふ木の芽

 石に蝶が、晴れて風ふく

 春風の鉢の子一つ

┌厳陽尊者、一物不将来の時如何。

│趙州和尚、放下着。

│厳―――、一物不将来、箇の什 をか放下せん。

└趙―――、擔取し去れ。

『山はしづかにして性をやしなひ、水はうごいて情をなぐさむ』

【春風の鉢の子一つ】

この日の日記に、「春風の鉢の子一つ」の句があります。松山市の一草庵跡に、山頭火自筆のこの句碑があります。この句は、「雲の如く行き・・・・・」に繋がり、放浪の旅をまとめた『行乞記』の冒頭を飾っています。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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