https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946433089&owner_id=7184021&org_id=1946468673 【山頭火の日記(昭和10年1月1日~、其中日記八)】 より
『其中日記』(八)
唐土の山の彼方にたつ雲は
ここに焚く火の煙なりけり
一月一日
雑草霽れてきた今日はお正月
草へ元旦の馬を放していつた
霽れて元日の水がたたへていつぱい
けふは休業(やすみ)の犬が寝そべつてゐる元日
椿おちてゐるあほげば咲いてゐる
元日の藪椿ぽつちり赤く
藪からひよいと日の丸をかかげてお正月
お宮の梅のいちはやく咲いて一月一日
空地があつて日が照つて正月のあそび
湯田温泉
お正月のあつい湯があふれます
年頭所感
噛みしめる五十四年の餅である
清丸さんに
ここのあるじとならう水仙さいた
ここに舫うてお正月する舳をならべ
坊ちやん万歳
霜へちんぽこからいさましく
霜晴れの梅がちらほらと人かげ
耕やすほどに日がのぼり氷がとける
足音、それはしたしい落葉鳴らして(友に)
みんないんでしまへばとつぷりと暮れる冬木
ふけてひとりの水のうまさを腹いつぱい
【行乞記(八)】
『行乞記』(八)には、昭和10年1月1日から昭和10年12月6日までの日記が収載されています。
一月十一日 晴、あたたかい。
近頃の食物の甘さ――甘つたるさはどうだ、酒でも味噌でも醤油でもみんな甘い、甘くなければ売れないさうだが、人間が塩を離れて砂糖を喜ぶといふことは人間の堕落の一面をあらはしてゐると思ふが如何。朝、浜松飛行隊へ入営出発の周二君を駅に見送る、周二君よ、幸福であれ。前の菜畑のあるじから大根を貰ふ、切干にして置く、大根は日本的で大衆的な野菜の随一だ。よい晩酌、二合では足りないが三合では余ります。うたたね、宵月のうつくしさ。
周二君を送る三句
落葉あたたかう踏みならしつつおわかれ
おわかれの顔も山もカメラにおさめてしまつた
おわかれの酒のんで枯草に寝ころんで
甘いものも辛いものもあるだけたべてひとり
枯草を焼く音の晴れてくる空
枯木に鴉が、お正月もすみました
送電塔が、枯れつくしたる草
私の懐疑がけふも枯草の上
時間、空間、この木ここに枯れた
【枯木に鴉が、お正月もすみました】
この日の日記に、「枯木に鴉が、お正月もすみました」の句があります。また山頭火の句に、「お正月の鴉かあかあ」があります。正月の思い出も、はるかに遠くなりました。それを懐かしむ気持ちもありません。さっぱりと気楽である、といえばいえるし、寂しいといえばそうもいえます。
一月廿五日 霜晴れ、のどかな日かげ。
午前、街へ出かけて、払へるだけ払ひ、買へる物だけ買ふ。午後、また出かけて駅までゆく、いろいろの用事を思ひだして山口へ、そして鈴木さんを訪ねる、頼む事は頼んで、御馳走を頂戴した、帰途湯田で入浴、温泉にひたつてゐる心持は徃生安楽国だ! 帰庵したのは十時だつた、労れた、々々々。留守中に来客があつた、酒と肴を持つて来て、そして飲んでも食べても待ちきれなかつたらしい、――彼は樹明君でなければならない、――机上のノートには何のかのと書き残してあつた。私は此頃めつきり衰弱して、半病人の生活をしてゐる、そしてさういふ生活が私をしてほんたうの私たらしめてくれる!
かあとなけばかあとこたへて小春日のからすども
夜あけの風のしづもればつもつてゐる雪
見あげて飛行機のゆくへの見えなくなるまで
たたへて凍つてゐる雲かげ
あたたかなれば木かげ人かげ
枯草へ煙のかげの濃くうすく
わかいめをとでならんでできる麦ふむ仕事
竹の葉のいちはやく音たてて霰
改作二句
木枯は鳴りつのる変電所の直角線
しんみりする日の、草のかげ
【あたたかなれば木かげ人かげ】
この日の日記に、「あたたかなれば木かげ人かげ」の句があります。宇宙の大きな巡りの、いわば営みとでもいうべきものの中に、静かにいこう自然と人間とが、一体となって存在する姿が詠われています。
一月三十一日 晴曇、ずゐぶん冷たい。
明方やつと眠りついたと思つたら、恋猫のために眼覚めさせられた、いがみあひつつ愛し、愛しあひつついがむのが、彼等の此頃の仕事だ、どうすることもできない本能だ。
旧正月まへ
こころたのしくてそこらで餅をつく音も
更けてひとり焼く餅の音たててはふくれる
霙する草屋根のしたしさは
霜晴れの、むくむくと土をむぐらもち
ふるつくふうふういつまでうたふ
改作
ほつと夕日のとどくところで赤い草の実
【ひとり焼く餅】
この日の日記に、「更けてひとり焼く餅の音たててはふくれる」の句があります。ひとりの寂しさに住みなれて、とにもかくにも正月を迎え、餅を焼いて食べることのできる平安さに住んでいるようです。
二月二十一日
なかなか寒い、霜がつめたい、捨てた水がすぐ凍るほどであるが、晴れてうららかで、春、春、春、午後は曇つて、夜はぬくたらしい雨となつた。おいしい雑魚を焼いてゆつくり昼飯を食べてから近在を散歩する、春寒い風が胸にこたえるので、長くは歩けなかつたが、蕗のとうと句とを拾つて戻つた。けふもまた誰も来なかつた、誰も来ないでよろしいけれども、淋しいなとは思つたことである。ありがたいことには、私は此頃また以前のやうに御飯をおいしく食べるやうになつた、逃げた幸福がかへつてきたのである、生きることは味ふことであるが、食べることは味ふことの切実なるものである(殊に老境に於ては、食べることが生きることである)。夜は盲目物語を読んで潤一郎芸術の渾然たるにうたれた、そして人の一生といふものが痛感された。
なむからたんのうお仏飯のゆげも
ひとりぐらしも大根きりぼしすることも
おもむろに雑魚など焼いてまだ寒いゆふべは
窓ちかくきてたえづるや御飯にしよう
焼いては食べる雑魚もゆたかなゆふ御飯
蕗のとうが、その句が出来てたよりを書く
蕗のとう、あれから一年たちました(緑平老に)
空が山があたたかないろの水をわたる
住みなれて藪椿なんぼでも咲き
歩けなくなつた心臓の弱さをひなたに
蕗のとうのみどりもそへてひとりの食卓
ほろにがさもふるさとで蕗のとう
藁塚のかげからもやつと蕗のとう
【ほろにがさもふるさとで蕗のとう】
この日の日記に、「ほろにがさもふるさとで蕗のとう」の句があります。其中庵での作品で、この日は蕗のとうの句が多いです。蕗のとうは春の使者ですが、ほろにがい風味が過去を思い出させます。そして、人生のほろにがさまで味わうのです。また、「やつと蕗のとう」の句碑が、岡山市一宮の徳寿寺境内にあります。
三月八日
春が来たことをしみじみ感じる。身辺整理。机を南縁から北窓へうつす、これも気分転換の一法である。在るがままに在らしめ、成るがままに成らしめる、それが私の心境でなければならない。
山火事も春らしいけむりひろがる
ぬくうてあるけば椿ぽたぽた
草へ草が、いつとなく春になつて
【第三句集『山行水行』刊行】
山頭火は、昭和10年2月28日に第三句集『山行水行』を刊行しています。冒頭に、「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」とあり、後ろ書きに次のようにあります。
「山行水行はサンコウスイコウとも或はまたサンギヨウスイギヨウとも読まれてかまはない。私にあつては、行くことが修することであり、歩くことが行ずることに外ならないからである。昨年の八月から今年の十月までの間に吐き捨てた句数は二千に近いであらう。その中から拾ひあげたのが三百句あまり、それをさらに選り分けて纏めたのが以上の百四十一句である。うたふもののよろこびは力いつぱいに自分の真実をうたふことである。この意味に於て、私は恥ぢることなしにそのよろこびをよろこびたいと思ふ。
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
あるけば草の実すわれば草の実
この二句は同型同曲である。どちらも行乞途上に於ける私の真実をうたつた作であるが、現在の私としては前句を捨てて後句を残すことにする。
私はやうやく『存在の世界』にかへつて来て帰家穏坐とでもいひたいここちがする。私は長い間さまようてゐた。からだがさまようてゐたばかりでなく、こころもさまようてゐた。在るべきものに苦しみ、在らずにはゐないものに悩まされてゐた。そしてやうやくにして、在るものにおちつくことができた。そこに私自身を見出したのである。在るべきものも在らずにはゐないものもすべてが在るものの中に蔵されてゐる。在るものを知るときすべてを知るのである。私は在るべきものを捨てようとするのではない、在らずにはゐないものから逃れようとするのではない。『存在の世界』を再認識して再出発したい私の心がまへである。うたふものの第一義はうたふことそのことでなければならない。私は詩として私自身を表現しなければならない。それこそ私のつとめであり同時に私のねがひである。 (昭和九年の秋、其中庵にて 山頭火)」
三月三十一日 曇、やがて晴。
身心整理。――転身一路、しつかりした足取でゆつくり歩め。一転語――
春風秋雨 五十四年
喝
一起一伏 総山頭火
とうとう徹夜してしまつた。年をとるほど、生きてゐることのむつかしさを感じる、本来の面目に徹しえないからである。
親しい友に――
……私はとかく物事にこだはりすぎて困ります、そしてクヨクヨしたり、ケチケチしたりしてゐます、私のやうなものは生きてゐるかぎり、この苦悩から脱しきれないでせうが、とにかく全心全身を句作にぶちこまなければなりません。……
なんとけさの鶯のへたくそうた
あるだけの酒をたべ風を聴き
悔いることばかりひよどりはないてくれても
――(このみち)――
このみちをゆく――このみちをゆくよりほかない私である。それは苦しい、そして楽しい道である、はるかな、そしてたしかな、細い険しい道である。白道である、それは凄い道である、冷たい道ではない。私はうたふ、私をうたふ、自然をうたふ、人間をうたふ。俳句は悲鳴ではない、むろん怒号ではない、溜息でもない、欠伸であつてはならない、むしろ深呼吸である。詩はいきづき、しらべである、さけびであつてもうめきであつてはいけない、時として涙がでても汗がながれても。噛みしめて味ふ、こだはりなく遊ぶ。
ゆたかに、のびやかに、すなほに。さびしけれどもあたたかに。――(序に代へて)
四月十八日 晴。
うらうらとして蝶がもつれる、虫がとびかふ、草がそよぐ、小鳥がさえづる、そして人間は。私は散歩した、嘉川の南端までぶらぶら歩きまはつた。落ちつきすぎるほど落ちついた、山頭火が山頭火らしくなつてきた、山頭火は山頭火でなければならない、山頭火はほんたうの山頭火にならなければならない。夢で鰒を貰つた! 春の夜のナンセンスとはいひきれないものがあるやうだ、私はその鰒を思ひ浮べては独り微苦笑を禁じえなかつた。
身のまはりは草だらけみんな咲いてゐる(ナ)
あれから一年生き伸びてゐる柿の芽(昨春回想)
水へ水のながれいる音あたたかし
五月の風が刑務所の煉瓦塀に
ずんぶりひたるあふれるなかへ
わいて惜しげなくあふれてあつい湯
【うらうらとして蝶がもつれる】
この日の日記に、「うらうらとして蝶がもつれる」とあります。山頭火の句に「うらうら蝶は死んでゐる」があります。自然の生の中で、生き物が最後に迎える死。そうした意味で、自分も蝶もなんら変わらない、と山頭火は観じたに違いありません。
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