仏教と医学 ―「丹田」考 ―

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はじめに

 本号は、奇しくも袴谷憲昭教授の退任記念号である。論者が初めて教授にお会いしたのは、今は閉校となった駒澤大学短期大学の入学試験の時で、教授は受験生の面接官をされていた。入学の目的等を質問されたように記憶しているが、その他のことはもはや失念してしまった。ただ、それまで仏教に無縁の者が入学試験に顛倒して話すことを、教授は真伨に聞いてくださった。このことは今も忘れることがない。それから十数年、教授の授業を度々拝聴し、弛まざる日々の学びという研究者の根本的姿勢を教えていただいた。今、その教えが遠く果てしないことを思う。感謝を申し上げる次第である。

さて、本論の題目「丹田」は臍下丹田と言われ、臍下に在る気力の根源とされる。天台大師智顗の講説、『摩訶止観』や『小止観』等にも、心が上にある時は臍下にその意を移せと説く。従来の解釈では、心が上にある状態を思考に偏する状態と捉えている。ところで、筑波大学の先行研究によると、人体の重心位置は常に臍上にあり臍下ではなく、呼吸によってその重心位置が移動するという。その結果に従えば、そもそも人の心は臍下に収まらない性質を本来的に持つのではないだろうか。丹田と称される他の部位とは異なる臍下の感覚は、呼吸がその上昇を性とする心に働きかけた時に現れるのではないかと想像する。

 また、従来、丹田は種々の採寸法が示されている。だが、我々の身体は固有のものであり、常に「動」の中で息づく統体なのである。それゆえ、動体に即した採寸法が問われるべきではないだろうか。そこで、本論では中国医学(以下「中医学」)の「骨度法」を紹介し、心と人体の重心、丹田と呼吸の関係について考察を試みたい。

1、阿闍世に見る病治から、天台大師の「心」へ

『大般涅槃経』梵行品第八の五に、六師外道との対応後にあって尚も苦悶す仏る阿闍世は、大医耆婆に自らの胸中を語る。(1)

耆婆。我今病重。於正法王興惡逆害。一切良醫妙藥呪術善巧瞻病所不能治。何以故。我父法王如法治國。實無辜咎横加逆害。如魚處陸當有何樂。如鹿在弶初無歡心。如人自知命不終日。如王失國逃迸他土。如人聞病不可療治。如破戒者聞説罪過。我昔曾聞智者説言。身口意業若不清淨。當知是人必墮地獄。我亦如是。云何當得安隱眠耶。今我又無無上大醫演説法藥除我病苦。

 この阿闍世の苦悩に対する耆婆の答えは、「善哉善哉」である。

耆婆答言。善哉善哉。王雖作罪心生重悔而懷慚愧。

 岡亮二氏は『教行信証』口述50講「信30講 阿闍世と「耆婆」において、次のように述べている。(2)

この阿闍世の訴えを耆婆は聞くことになるのですが、その耆婆の阿闍世に対する次の言葉が非常に重要なのです。耆婆はそこで「善哉 善哉」と言ったのです。これは今までの六師外道とは全く異なる発言です。苦悩する阿闍世に向かって、それはなかなかよいことだというのですから。今までは、阿闍世の心を慰めるために、必死になって、あなたは罪などつくっていない、悩む必要はない、地獄など存在しないから何も畏れる必要はない、などと説かれてきたのです。それに対して日はの対応は、阿闍世の悩み苦しむその姿を、そのまま肯定するのです。そして、その苦悩している心こそが尊いのだと諭すのです。

 この岡氏の発言は、末尾の「その苦悩している心こそが尊いのだ」の件に、率直な感想として無理を覚える。だが、阿闍世の苦悩に寄り添う耆婆がここに示されていることには違いない。阿闍世は身の病を発症するほど心を病み、身は腫れ臭気を発し懊熱し、どのような医者も阿闍世の苦悶を治すことはできない。そして、悶絶する阿闍世のために釈尊は月愛三昧に入り、大光明を放つ。

その光が阿闍世の身を照らし、身の瘡が癒えるのである。そこには、人を真に癒す仏の存在と、それに反して、人は人を窮極的には安ずることができないという教義が展開する。四苦八苦は人が逃れることのできない苦である。だが、その中にあって病は四苦の中で唯一、人が介在できる法門と思いたい。人の身が己心を映し出す「言葉」であると考えれば、身を真に理解できる者こそ、心を健やかにし安心を与えることができるのではないだろうか。

 さて、天台大師智顗の講説『摩訶止観』『修習止觀坐禪法要』(以下『小止観』)、『釋禪波羅蜜次第法門』(以下『次第禅門』)に於ける「心」は、つねに上に位置する。

正用治病者。丹田是氣海。能鎖呑萬病。若止心丹田則氣息調和。故能愈疾。即此意也。又有師言。上氣。胸滿。兩脅痛。背膂急。肩井痛。心熱懊。痛煩不能食。心䛫。臍下冷。上熱下冷。陰陽不和。氣嗽。右十二病。皆止丹田。丹田去臍下二寸半。(3)二明治病方法者。既深知病源起發。當作方法治之。治病之法乃有多途。擧要言之。不出止觀二種方便。云何用止治病相。有師言。但安心止。在病處即能治病。所以者何。心是一期果報之主。譬如王有所至處群賊迸散。次有師言。臍下一寸名憂陀那。此云丹田。若能止心守此不散。經久即多有所治。有師言。常止心足下。莫問行住寢臥即能治病。所以者何。人以四大不調故。多諸疾患此由心識上縁故。令四大不調。若安心在下。四大自然調適衆病除矣。有師言。但知諸法空無所有不取病相。寂然止住多有所治。所以者何。由心憶想。鼓作四大故有病生。息心和悦衆病即差。 (4)四用心主境治病者。有師言。心是一期果報之主。譬如王有所至處。群賊迸散。心王亦爾。隨有病生之處。住心其中。經久不散。病即除滅。又師云。用心住憂陀那。此云丹田。去臍下二寸半。多治衆患。又師云。安心足下。(5)

『摩訶止観』には有師の言として十二の病が記され、症状は身体上部に集中する。智顗は自らを下品に置き、身の理解から観心を化導するが。罹患の際には、丹田に心を置くことを指示している。また、『小止観』にも有師の言として、常に心を足下に止めよと記され、『次第禅門』にも師云うとして、丹田が多くの病を治し、心を安ずる部位を足下としている。疾患の原因については、『小止観』に「多諸疾患此由心識上縁」の言があることから、智顗が疾の原因を心識の上縁と捉えていることが知られる。また、智顗の用いる中国医学の基礎理論や臨床上の講説からは、熟された医学的知見が想像される。その智顗が心識の上縁を疾の原因とする時、心の本質について医学的にはどのような意識を持っていたのだろうか。心とはその鎮まり処である丹田に、容易に収まらない本質のものなのだろうか。

2、中医学の「心」とは

 智顗の捉える心の本質について、中医学から検討を試みよう。資料は、中国医学の基礎文献『黄庭内経素問』、『霊枢』、『難経』である。

 ① 『黄庭内経素問』

・黄帝問曰.願聞十二藏之相使貴賎何如.岐伯對曰.悉乎哉問也.請遂言之.心者.君主之官也.神明出焉.(靈蘭祕典論篇第八)

・心者.生之本.神之變也.(六節藏象論篇第九)

・五氣所病.心爲噫.(中略)五精所并.精氣并於心則喜.(中略)五藏所惡.心惡熱.(中略)五藏化液.心爲汗.(宣明五氣篇第二十三)

・五藏所藏.心藏神.肺藏魄.肝藏魂.脾藏意.腎藏志.是謂五藏所藏.(宣明五氣篇第二十三)

・心熱病者.先不樂.數日乃熱.熱爭.則卒心痛.煩悶.善嘔.頭痛.面赤.無汗.(刺熱篇第三十二)

・夫心者五藏之專精也.(解精微論篇第八十一)

② 『霊枢』

・愁憂恐懼.則傷心.(邪氣藏府病形第四)

・所以任物者.謂之心.心有所憶.謂之意.心䇟惕思慮.則傷神.神傷則恐懼自失.(本神第八)

・心氣通于舌.心和則舌能知五味矣.(脉度第十七)

・心者.五藏六府之主也.故悲哀愁憂則心動.心動則五藏六府皆搖.(口問第二十八)

・五藏六府.心爲之主.(師傳第二十九)

・舌者心之官也.(五閲五使第三十七)

・憂思傷心.(百病始生第六十六)

・心者.五藏六府之大主也.精神之所舍也.其藏堅固.邪弗能容也.容之則心傷.心傷則神去.神去則死矣.(邪客第七十一)

・五藏氣.心主噫.(九鍼論第七十八)

・心者神之舍也.故神分精亂而不轉※.卒然見非常處.精神魂魄散不相得.故曰惑也.(大惑論第八十)

 ③ 『難経』

・浮而大散者.心也.(四難曰)

・心者血.肺者氣.(三十二難曰)

・心氣通於舌.舌和則知五味矣.(三十七難曰)

・憂愁思慮則傷心.(四十九難曰)

 古典における心の定義は、神明・五臓六腑の主・大主・神の舎。また、心は噫・愁憂恐懼によって傷つけられるという。『霊枢』本神第八には、「所以任物者.謂之心.心有所憶.謂之意.心䇟惕思慮.則傷神.神傷則恐懼自失.」として、物を担う所以の者が心であり、心は常に無限の物をその中に蔵し、感情の影響を一番に受けるのである。そして、③『難経』には、脈が浮いていて大散であれば心が患されていると判断している。脈が浮とは脈診が軽取して脈に触れるもので、病邪が肌表にあることを表している。身体内部が外邪に抵抗し、そのために脈気が外に向かうので指に浮いて感じられるのである。大散は、大脈は脈形はゆったり大きいが、湧きあふれる象がない。邪気が盛んで病が進行している病証と虚証(正気の失調)に現れやすい。散脈は脈拍が散漫で、元気(人体の根源的な気)の離散があり、正気は消散し臓腑の気が耐えようとしている。(6)このような脈状の時は心に病があるという。

 また、心は五行(木・火・土・金・水)では「火」に相応するため、熱を誘因する性質を持つ。「火」を内在する五臓六腑の大主である心が、憂愁等の感情を過度に受ければ、火(陽)は上昇し、陽である気も上昇する。その結果、心の安処である丹田からはさらに遠ざかる。中医学の基礎理論に知見を持つ智顗が、このような心の本来的な「火陽」の性に未熟であるとは思われない。

3、身体の重心と呼吸

 重心と呼吸、丹田に関する一連の論文は(7)、筑波大学に於ける実験結果を踏まえたもので、その一つ「臍下丹田のキネシオロジー的研究」(8)に浅見高明氏は、「3.重心と丹田の関係」の項に「柔道部員の重心実測値は98.1cmで、丹田の位置よりも6.6㎝高い所にあった。(中略)すなわち柔道選手、剣道選手ともに丹田と重心とは一致せず、重心高よりも丹田高の方がかなり低く、重心垂線は重心垂線よりもかなり前方にあった」と述べ、身体の重心が丹田より高いことを明らかにしている。

 また、同論文中の「IV.考察」では「柔道部員の丹田高は91.5cmであり、重心高よりも6.6㎝低い所にあった。(中略)丹田は臍高よりも約10㎝低い所にあるということになる。白隠禅師や貝原益軒の言う臍下三寸に丹田があるという表現とほぼ一致するわけである」や、「2.坐法丹田と正坐の意義」にも「坐位における丹田は臍位置をきめて、それよりも三寸下(9.1㎝)にとったものである。力学的な重心位置は丹田よりも約7㎝上方であった」と結論し、重心位置は臍上にあり、丹田が古来の三寸下の記載と合うと記している。続いて、浅見氏を筆頭とした論文「臍下丹田と重心位置に及ぼす呼吸法の影響」には、実験結果として呼吸による重心位置の移動が示されている。

 浅見氏等は、臍下丹田を気の位置を気力やパワー、身体エネルギーの源であると捉えており、実験の意義については、客観的に内観と一致して捉えようとする点であると述べている。

 実際の実験は、四種の呼吸法(胸式、腹式二種(吸気により横隔膜を下げる・呼気により横隔膜を下げる)胸腹式を、一般人と丹田呼吸法の修練者にやらせ、重心が呼吸によって移動する距離を測った。その結果を、論者が試みに表にしたものが下記である。

  対象者             重心移動距離

          普通呼吸    深呼吸    腹式呼吸   逆式(丹田)呼吸

  修練者     0.2㎝      0.29㎝     1.23㎝     1.59㎝

  一般人     0.22㎝     0.30㎝     0.74㎝     0.31㎝

修練者では、普通呼吸や深呼吸に差はほとんど見られないが、腹式呼吸と逆式(丹田)呼吸は移動距離が大きく、丹田呼吸法による重心移動が最も大きくなる。だが、一般人ではそのような違いはない。浅見氏等はこの結果を踏まえ、貝原益軒の『養生訓(巻第二)』の「臍下三寸を丹田という。腎間の動気ここにあり。(中略)胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし」を引いて、「ここにいう「気を集める養気の術」こそこの丹田呼吸法であるということを認識したわけである。(中略)臍下丹田と重心位置の距離が、呼吸法によって短縮する可能性が示唆され、武術や気功の「氣沈丹田」の科学的説明が可能となった」と述べている。つまり、丹田呼吸法によって、身体の重心が丹田に移動する可能性があるというのである。この指摘は人体が静止する物体ではなく、常に動く生命体であること。また、身体全部が一つの統体であるという基礎的概念に立った見解であるだろう。従って、このような浅見氏等の検討から推察すれば、智顗の示す丹田が臍下三寸、もしくは二寸半とあっても、それらは記載上の間違い等ではなく、人間の丹田が呼吸によってその定位置を異にするとも考えられるのである。

4、智顗の文献に見る丹田の作用

 先に述べたように、『摩訶止観』には、丹田が気の海であり万病全ての治を飲み込むほど気息を調和すると説かれ、その万病を治癒する丹田の具体的作用については同病患境に、赤痢白痢の治療法として、手で丹田を痛いほど念すれば即治すると説いている。

若赤痢白痢。卒中惡。面青。眼反。脣黒。不別人者。以手痛捻丹田。須臾即差。(9)赤痢や白痢を治するのであるから、丹田には強靭な治癒力があると言わねばならない。上記の症状は決して軽症とは思われず、人を見分けることもできない状態は重篤である。「顔青」は顔面に血色がなく、命の躍動は見られない。目は「眼反」で白目をむき、唇も「黒」であるから、生命を絶する重篤な状態である。卒中の中でも悪種と想像できる。

 また丹田の名称に関して、下記の①『摩訶止観』(10)は丹田を気海とし、②③『次第禅門』(11) では臍を気海、丹田を憂陀那としている。④『小止観』(12)は臍下一寸を憂陀那と述べ、⑤『法界次第初門』(13) では口から出る風自体を憂陀那と名づけている。これは⑥『大智度論』(14)と同様である。

① 丹田是氣海。能鎖呑萬病。若止心丹田則氣息調和。故能愈疾。   

② 臍是氣海。(中略)若繋心臍下。臍是氣海。亦曰中宮。繋心在臍。能除衆病。

③ 用心住憂陀那。此云丹田。去臍下二寸半。多治衆患。又師云。安心足下。多有所治。其要衆多。

④ 臍下一寸名憂陀那。此云丹田。若能止心守此不散。經久即多有所治。有師言。常止心足下。莫問行住寢臥即能治病。

⑤ 人欲語時。口中出風。名憂陀那。還入至臍。響出時觸七處退還。

⑥ 如人欲語時。口中風名憂陀那。還入至臍觸臍響出。響出時觸七處退。

そこで、これらを整理すると次の表となる。

       文献       臍     丹田      口中出気

    ①『摩訶止観』           気海

    ②③『次第禅門』     気海     憂陀那

    ④『小止観』             憂陀那

    ⑤『法界次第初門』                 憂陀那

     『大智度論』                   憂陀那

『摩訶止観』以外の智顗の前期文献は、その典拠である『大智度論』の説を『法界次第初門』が用い、次に『小止観』はその口中から出る風を臍下一寸の丹田に当て、その丹田が『次第禅門』には臍下二寸半と続くことから、呼吸を軸とする一連の変遷であることが知られる。憂陀那は息であり風であるが、そのまま気海(気の総集)に相応するとは考えがたい。

 次に、後期文献『摩訶止観』には憂陀那の語は見られず、丹田は「気」の海と説かれている。このような智顗の前後期に於ける思想や教義の違いは、すでに佐藤哲英博士等によっ論じられているが、智顗がなぜ前期で丹田を「有陀那」とし、後期で「気海」と説いたのかについては、未だ充分に検討されていないのではないだろうか。

 また、『摩訶止観』では丹田の位置は臍の下二寸半である。これが『小止観』には一寸、『次第禅門』には二寸半と異なる。このように丹田の位置は文献により数種の違いがあるが(15)、おおむね臍下一寸から二寸半の間である。智顗の説く丹田の位置については、従来その採寸法による違いや、間違いであるという見解が知られている。丹田については、武藤明範氏を初めとする先行研究が知られる。(16)また、大野栄人氏等の著書『天台小止観の譯註研究(17)』には、病患境の注に次の記載がある。  

丹田を臍下「一寸」とする記述は、既に『天台小止観帳中記』で指摘するように、写し誤りと考えられる。(中略)『天台小止観帳中記』巻第七(370 ~ 372頁)が記すように、二寸半は鯨尺の長さである。これを曲尺に直せば、曲尺の一尺は、鯨尺の八寸(30.3センチ)である。従って、鯨尺の二寸半は曲尺の臍の下三寸(九・三センチ)である。

上記は、丹田の位置の採寸を『天台小止観帳中記』に従い、鯨尺と曲尺から採寸した寸法が示されている。つまり、文献に於ける丹田の位置の相違は、鯨尺では二寸半が曲尺では三寸ということであり、採寸法による違いからという捉え方なのだ。また、続けて大野氏等は「丹田」は、臍から三寸(九.〇三センチ)下の下腹部をいう。気海と同じ。坐禅の時、体気をここに集めると精神が散乱せず、また思惟に適し、治病の効果があるという。と述べている。この一文は大野氏等が臍下三寸にある丹田を設定し、そこに気を納めるという論順であると思われる。だが、このような丹田をまず想定することから始まる解釈自体に誤りはないだろうか。この疑問を検討する前に、丹田の位置について中医学の採寸法を取り上げたい。

5、中医学「骨度法」からの考察

 今日まで中医学にある「骨度法」という採寸法が、丹田に関する研究自体に記されたことはないだろう。「骨度法」は従来の鯨尺や曲尺といった客観的採寸法ではなく、むしろ恒久運動本体である身体に合わせた採寸法である。智顗の文献解釈にこの採寸法を紹介するとともに、智顗が実践から、つまり自らの感覚から丹田を規定し、その結果として文献間の相違が現れたのではないかと考えるのである。

 一、骨度法(18)

 まず、身体上には経絡という流れがあり、その中を気血が流れ、臓腑と四肢、関節とを連絡し、身体の上下・内外を貫いて身体全体の機能を調節している。

その経絡上に経穴は存在する。身体上にある経穴の部位は人体に個体の差異があるため、経脈の長さが異なり、経穴も厳密には各人によって違いがある。そのため同じ一寸と言っても、個人差があり長さに違いが出る。そこで、人体の一定の点から点までを長さの単位として定め、それを何分割かして尺寸を定めるという採寸を骨度という。骨度はその字のとおり、骨格を基準として個人の寸度を定めたもので、『霊枢』(19) の記載が基本となる。ここには人体の採寸が示されている。

黄帝問于伯高曰.脉度言經脉之長短.何以立之.伯高曰.先度其骨節之大小廣狹長短.而脉度定矣.黄帝曰.願聞衆人之度.人長七尺五寸者.其骨節之大小長短.各幾何.伯高曰.頭之大骨.圍二尺六寸.胸圍四尺五寸.腰圍四尺二寸.髮所覆者.顱至項.尺二寸.髮以下至頤.長一尺.君子終折.結喉以下至缺盆中.長四寸.缺盆以下至臼妍.長九寸.過則肺大.不滿則肺小.臼妍以下至天樞.長八寸.過則胃大.不及則胃小.天樞以下至横骨.長六寸半.過則廻腸廣長.不滿則狹短.横骨長六寸半.横骨上廉以下.至内輔之上廉.長一尺八寸.内輔之上廉以下至下廉.長三寸半.内輔下廉下至内踝.長一尺三寸.内踝以下至地.長三寸.膝膕以下至䋰屬.長一尺六寸.䋰屬以下至地.長三寸.故骨圍大則大過.小則不及.角以下至柱骨.長一尺.行腋中不見者.長四寸.腋以下至季脇.長一尺二寸.季脇以下至髀樞.長六寸.髀樞以下至膝中.長一尺九寸.膝以下至外踝.長一尺六寸.外踝以下至京骨.長三寸.京骨以下至地.長一寸.耳後當完骨者.廣九寸.耳前當耳門者.廣一尺三寸.兩顴之間.相去七寸.兩乳之間.廣九寸半.兩髀之間.廣六寸半.足長一尺二寸.廣四寸半.肩至肘.長一尺七寸.肘至腕.長一尺二寸半.腕至中指本節.長四寸.本節至其末.長四寸半.項髮以下至背骨.長二寸半.膂骨以下至尾骶.二十一節.長三尺.上節長一寸四分分之一.奇分在下.故上七節至于膂骨.九寸八分分之七.此衆人骨之度也.所以立經脉之長短也.

上記を整理すると下記となる。全身を7尺5寸と捉え、各部の寸法を定めて、それを分割するのである。

身長…7尺5寸

頭部  ・前髪際から後髪際…1尺2寸

・前髪際から眉間…3寸

・前髪際から下顎骨の下縁…1尺

・喉頭隆起から胸骨の頚切痕…4寸

・後髪際から第1胸椎…2寸5分

・両額角髪際間…9寸

胸腹部 ・両乳頭間…8寸

・胸骨体下端から臍…8寸

・両肩甲骨内縁間…6寸

・腋窩横紋前端から季肋(章門穴すなわち第11肋骨前端下際)…1尺2寸

・季肋(章門穴すなわち第11肋骨前端下際)から大転子…6寸

・臍から恥骨結合上縁…5寸

上肢部 ・大椎穴すなわち第7頚椎棘突起の下の隆椎から肩峰外端…7寸

・肩峰外端から肘尖(肘関節)…1尺

・腋窩横紋前端から肘窩横紋…9寸

・肘関節横紋から手関節横紋…1尺

・手関節横紋から第3中手指節関節(手の平の長さ)…4寸

・第3中手指節関節から中指先端(中指の長さ)…4寸5分

下肢部 ・大転子から膝窩中央(膝関節横紋)…1尺9寸

・恥骨結合上縁から大腿骨内側上顆上縁…1尺8寸

・大腿骨内側上顆上縁から脛骨内側顆下縁…3寸5分

・膝関節横紋(委中穴)から外果頂点…1尺6寸

・脛骨内側顆下縁から内果頂点…1尺3寸

・膝窩から踵骨上縁…1尺6寸

・外果下際から地面…3寸

・足の長さ…1尺2寸

・足の幅…4寸5分

 二、同心寸法

 上記の骨度法による採寸は、一人一人の長さを一々計るのである。そのため、正確を期す方法とはいえ繁雑となる。そこで、簡便法として各個人の人体のある部分を長さの尺度として用いる方法が考え出された。これが同身寸法である。

この採寸は、男は左手を用い、女は右手を用い、手の母指第一節の横幅を1寸とし、示指(人差し指)・中指(中指)・薬指の第一節を合わせた幅を2寸。手の示指から小指までの中節を合わせた幅を3寸とする簡便な方法である。図は『経絡経穴概論』から転載したものであるが、このような採寸法を鍼伮の専門学校では今も用いている。つまり、骨度法や同身寸法は採寸する本人主体の採寸法なのである。

 三、智顗の説く丹田

 上記に於いて、骨度法による採寸の可能性を述べた。そこで、改めて智顗の説く丹田を考察したい。

 例えば、智顗の示す丹田を骨度法で採寸すれば、採寸者の一寸が記載者の一寸ではなく、一寸三分、一寸五分等となることも可能となるのである。何故なら、体格の相違が寸法の違いを生むからである。実際に智顗が丹田の位置を臍から下に指さし(自身では二寸)説いたとする。ところが、それを記録する者が自らの骨度を用いて採寸すると、臍から一寸半もしくは二寸半と判断し記録することもでき得るのである。つまり、骨度法とは、丹田ばかりでなく他の部位についても一寸または半寸の違いは当然起こり得る採寸法なのである。

 また、智顗は丹田を気海と説くが、中医学では丹田相当穴が関元穴・石門穴・気海穴・陰交穴の四穴に広まる。『鍼伮甲乙経』には次の記載がある。

陰交.一名少關.一名横戸.在臍下一寸.任脉、氣衝之會.刺入八分.伮五壯.氣海.一名牺牶.一名下肓.在臍下一寸五分.任脉氣所發. 刺入一寸三分.伮五壯.石門.三焦募也.一名利機.一名精露.一名丹田.一名命門.在臍下二寸.任脉氣所發.刺入五分.

留十呼.伮三壯.女子禁不可刺伮中央.不幸使人絶子.〔氣府論註云.刺入六分.留七呼.

伮五壯〕關元.小腸募也.一名次門.在臍下三寸.足三陰、任脉之會.刺入二寸.留七呼.伮七壯.〔氣府論註云.刺入一寸二分〕

ここに見る丹田は石門穴であるが、大蔵経には石門を地名とする記載はあっても丹田とするものは見られない。そこで、智顗の説く気海を経穴として捉えれば、智顗が丹田を気海とする理由は上記四穴の主治が答えとなるはずである。(20)

陰交穴  取穴部位: 神闕穴の下一寸

効  能: 婦人の血症。

主  治: 婦人病一般。

気海穴  取穴部位: 神闕穴の下一寸五分

効  能: 元気の要穴。補元気。

主  治: 虚労、奔豚気、雀乱、疝気、陽萎、遺精、頭痛、耳聾。

石門穴  取穴部位: 神闕穴の下二寸

効  能: 婦人病一般。

主  治: 月経不順。子宮内膜症。

関元穴  取穴部位: 神闕穴の下三寸

効  能: 腎陽の温補、温下元 

主  治: 雀乱、疝気、虚労、奔豚気、癲証。

Ⓒ渡辺東洋医学研究所

任脈 天突 璇璣  華蓋  紫宮  玉堂  中庭  鳩尾  巨闕  神闕  陰交

気海  関元  中極  曲骨  石門  上脘  中脘  下脘  水分  建里

 上記四穴は、主治から二種に分別できる。気海穴と関元穴は精神的疾患を中心とする治癒に、また、陰交穴と石門穴は婦人科を中心とする治療である。智顗が示す丹田は、原文では万病を治すのである。上記に見る気海穴の効能は、「元気(21)の要穴」である。この「元気」は、関元穴の効能「腎陽(22)」を含む人体総括の気を指す。つまり、気海穴は、気海という名が示すように「気」を主治とし、さらに元気を鼓舞し増益する要穴であり、精神的疾患の治薬に応用される穴といえるのである。中医学に熟知する智顗が、後期文献『摩訶止観』の病患境において丹田を気海と称するのは、このような気の意味を満たす薬として気海を捉えているからであり、諸前期文献に見る「憂陀那」ではこれらの意義において不足となるのではないだろうか。この気について、『難経』『霊枢』は次のように記している。

『難経』(23)

諸十二經脉者。皆係於生気之原。所謂生気之原者。謂十二經之根本也。謂腎間動気(24)也。五藏六府之本。十二經脉之根。呼吸之門。三焦之原。一名守邪之神。故気者人之根本也。

『難経』(25)

三焦所行之兪爲原者。何也。然。臍下腎間動気者。人之生命也。十二經之根本也。故名曰原。

『霊枢』(26)

岐伯曰。人有髓海(27)。有血海。有気海。有水穀之海。凡此四者。以應四海也。・・・爲気之海。其輸上在于柱骨之上下。前在于人迎。・・・気海有餘者。気滿胸中。悗息面赤。気海不足。則気少不足以言。

ここに記す気海は、臍下腎間の動気であり、生気の原にして十二経脈の本、五臓六腑の本と解釈される。

6、結論

 人の身体は個別のものである。この自明の理から、中医学の採寸法「骨度法」を紹介した。智顗の文献に見る丹田の位置の相違を、従来は記載上の間違いや採寸法の違いと捉えている。だが「骨度法」から推察すれば、丹田の位置は臍下三寸とも二寸半とも解釈され、丹田に関する新たな解釈を提示できたのではないかと考える。

 ところで、先に引いた大野氏等の「「丹田」は、臍から三寸(九.〇三センチ)下の下腹部をいう。気海と同じ。坐禅の時、体気をここに集めると精神が散乱せず、また思惟に適し、治病の効果があるという」は、丹田を捉えた上で、その部位に気を集めれば坐禅時の精神安寧がなさせるという解釈である。また、中医学の「骨度法」も大野氏等の原文解釈同様、丹田がすでに存在するという前提から推考した。

 だが、想像を巧みにするなら、丹田は呼吸によってその存在を現すのではないだろうか。呼吸により身体の重心が移動することで、丹田はその存在を明確化し、坐禅の修行者に他の部位との違いを感覚として示すのではないだろうか。

人間は「恒動性」、つまり恒久の運動状態を生きている。そして、恒久的運動と相対的静止という、両局二方面の働きによって安定を得ている。また、この相対的静止は心身の安定性を増加させるものの絶対的静止ではなく、恒久的運動との平衡によって働きを現す。すなわち、智顗の文献に見る丹田は、中医学等の知見を越えて、その時々の呼吸により智顗が捉えた、「動」中の「静」であり、「静」中の「動」であると想像する。

おわりに

 智顗の説示を検討するとき、身体は動と静の平衡のなかで呼吸する、一個の生命体であると感じる。そして、観心とは生命自身になることと思うのである。

―――――――――――――― 

(1)T12,p.477b。

(2)岡亮二『『教行信証』口述50講-親鸞のこころをたずねて第二巻(下)』(1994年、

教育新潮社)参照。

(3)T46,p.108a。

(4)T46,p.471c。

(5)T46,p.506a。

(6)『針伮学[基礎編]』p.207参照。(天津中医学院 学校法人後藤学園著、東洋学術出版社、1991年)

(7)「“自然体” と臍下丹田の科学教育(特集 武と教育)」浅見高明、『体育の科学』、

1998年。「〔総説〕正坐と結跏趺坐における丹田と重心の位置について」浅見高明・平井仁、『武道学研究』、1994年。

(8)「臍下丹田のキネシオロジー的研究」浅見高明、『東京教育大学体育学部スポーツ研究所報』1972年。

(9)T46,p.109b参照。

(10)T46,p.108a参照。

(11)②T46,p.492b参照。③T46,p.506b参照。

(12)T46,p.471c参照。

(13)T46,p.691a参照。

(14)T25,p.103a 参照。

(15)唐の清涼山大華嚴寺の沙門澄觀撰による『大方廣佛華嚴經疏』に丹田に関する記載がある。「三腰出仙人者。腰謂臍輪之下。氣海之間是吐故納新。出仙之所故(T35,p.929a)。澄観によれば、腰は仙人が生まれるところと称している。その腰は臍輪の下で、気海の間を吐故納新の部位だという。

(16)「天台智顗の著述にみられる「丹田」の役割について」、『東アジア仏教』(2008年、東アジア仏教研究会)p115。「天台の禅観・止観思想の特徴-臍下三寸の丹田について(上)」、『愛知学院大学大学院文学研究科文研会紀要』(2008年、愛知学院大学大学院文学研究科文研会編)p16参照。

(17)大野栄人、伊藤光壽、武藤明範『天台小止観の譯註研究』(1996年、山喜房佛書林)

p392参照。

(18)『経絡経穴概論』p13「1、総論」骨度法、参照。

(19)『霊枢』骨度篇十四、参照。

(20)李丁著『鍼伮経穴辞典』(1992年、東洋学術出版)p394「第14節 任脈」参照。

(21)気は世界を構成する最も基本的な物質であるとされる。人体の気には、分布部位や来源、機能の違いにより四種(元気・宗気・営気・衛気)の名称がつけられている。元気は生命活動の原動力であり、これらの気のうちで、最も重要で基本的なものである。元気が充足すれば、臓腑・組織に働きは活発になり、失調すれば、種々の疾病を生じる原因となる。(『鍼伮学』[基礎篇]p33「第一節・気血津液」参照)

(22)腎陽は人体に於ける陽気の根源であり、臓腑組織を温匦し生化する作用がある。

(『鍼伮学』[基礎編]p63「第2節・蔵象」参照)

(23)『難経』「第八難」参照。

(24)腎間の動気は原気の発動を意味するが、両腎の中間である命門とする説もある。

(『鍼伮学』[基礎編]p65「第2節・蔵象」の付、命門、参照)

(25)『難経』第六十六難、参照。

(26)『霊枢』海論變第三十三、参照。

(27)腎の五行属性の一つは、体は骨に合し、骨を主り髄を生じる。髄は骨髄と脊髄に分けられ、脊髄は上部で脳に繋がり、「脳」は髄が集まっていることから別名「髄海」ともいうのである。(『鍼伮学』[基礎篇]p65「第2節・蔵象」⑤腎、参照)

***本論中に於ける経脈図は、渡辺東洋医学研究所の経脈図を転載した。

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