https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/12912 【「五月雨を集めて早し最上川」(芭蕉)】より
吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)
松尾芭蕉の『奥の細道』は有名で、教科書などにもよく採用されています。そのため事実が書かれていると信じている人も少なくないようです。でもこれは文学作品ですから、当然虚構も含まれています。そのことは、同伴した門人の河合曽良が書いた旅日記(奥の細道随行日記)と比較すればすぐにわかります。
それだけではありません。俳句や和歌・漢詩は推敲するのが当たり前です。本人が改めるだけではありません。後人の手もしばしば入ります。芭蕉など、門人たちに自詠の句の是非を議論させることを、教育の一環としていました。だからこそ推敲の過程を辿る面白さがあるのです。
さて掲載した句ですが、曽良の旅日記によると、元禄2年(1689年)5月28日に大石田(山形県)に到着し、29、30日とそこに滞在している間に句会を催しています。その句会の発句として芭蕉は、五月雨を集めて涼し最上川 と詠じました。みなさんの知っている句と少し違いますね。
一般に知られている句は、「涼し」が「早し」になっています。ですがこれは間違いではありません。芭蕉は最初「涼し」と詠んだのです。その理由は簡単です。その年の東北・北陸は異常に暑く、芭蕉も暑さに閉口していたからです。だから最上川の川風を受けて、素直に「涼しい」と詠んだのでしょう。それもあって、今でも山形県大石田では「五月雨を集めて涼し最上川」の方がよく知られているとのことです。
ところが『奥の細道』を見ると、五月雨を集めて早し最上川 となっています。いつの間にか「涼し」が「早し」に推敲されているのです。これについては、発句を詠んだ後、芭蕉は六月三日に実際に最上川の川下りを体験したようです。
五月雨は現在の梅雨に相当します。大量に降り続いた雨によって、川は増水します。京都の保津川下りでさえスリル満点ですから、日本三大急流(他は富士川・球磨川)に数えられている最上川であれば、きっと恐怖の川下りだったでしょう。そのことは『奥の細道』にも、「水みなぎって、舟あやふし」と記されています。
当初、夏の暑さと句会への配慮から、無難に「涼し」と詠じた芭蕉でしたが、実際に奔流となって流れる最上川の川下りを体験したことで、後に「早し」に推敲したのです。たった二文字の改訂ですが、これだけで句の趣は大きく変わりました。穏やかな流れが激流に変貌したのです。そして最終的に芭蕉は、この形をよしとしたようです。
ところで、歌枕ともいわれている「最上川」には、どんなイメージが付与されていたのでしょうか。代表的な古歌としては、
最上川のぼればくだる稲舟のいなにはあらずこの月ばかり(古今集東歌1092番)
があげられます(万葉集には見当たりません)。これによれば、川を上り下る稲舟のイメージが一番印象的だったことがわかります(稲舟はこれが初出)。これは最上川が舟運(しゅううん)に利用されていたからです。また「否」を導く同音の序詞という技法も認められます。
そのことは『奥の細道』にも、「茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いなぶねとは云ならし」とあるので、芭蕉も古今集歌を念頭に置いていたことがわかります。ただしそこに急流のイメージはありません。どうやら最上川を「早し」と詠んだのは、芭蕉が嚆矢だったようです(もちろん「涼し」も同様です)。
もともと最上川を詠じた歌はそんなに多くありませんが、その中で兼好法師の詠んだ、
最上川はやくぞ増さる雨雲ののぼればくだる五月雨のころ(兼好法師家集)
は「五月雨」が読み込まれている点が共通しています。また季節は異なりますが、斎藤茂吉の、最上川逆白波の立つまでに吹雪く夕べとなりにけるかも(白き山)
は、最上川の自然の猛威を詠じている点が特徴です。歌枕のイメージが徐々に広がっている(くずされている)のがわかりますね。芭蕉の句は決して伝統的な詠みぶりではなかったのです。最上川に行ってみたくなりませんか。
https://jphaiku.jp/how/suikou.html 【推敲とは?】 より
推敲とは俳句の質を高めるために、字句を吟味して練り直すことです。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
これは『奥の細道』に収録されている松尾芭蕉の名句です。芭蕉が元禄2年5月27日(1689年7月13日)に山形市立石寺を訪れ、岩に岩を重ねたような山姿を目の当たりにし、その静寂に心が澄み渡っていくような心境を句にしたものだとされています。
彼はこれを一発でひらめいて書き残した訳ではありません。
山寺や石にしみつく蝉の声 淋しさの岩にしみ込むせみの声
さびしさや岩にしみ込む蝉のこえ といった、試行錯誤段階の句も残されています。
現存するだけでも4つの別バージョンの句が存在することから、芭蕉が山寺の麓の宿に逗留しながら、たくさんの失敗作を作って、これも違う、アレでもない、と悩み抜いたことがうかがえます。
名句という先入観があるにしても、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の方が、下記の3つの句より、山寺の静寂に満ちた情景や物悲しさが伝わって来ると思います。
ちょっとした言葉の変更によって、句全体のイメージや質が大きく変るのです。
推敲という言葉の語源は、中国の唐詩紀事に収められた次のエピソードにあります。
唐の中頃の時代、賈島(かとう)という男がロバにゆられながら、詩の創作に夢中になっていました。
彼は「僧は推す月下門」という句を思いついたのですが、途中から「僧は敲く月下門」の方が良いのじゃないのかとも考え始めました。
どちらにしようか迷って、ロバの背で門を推したり敲いたりする仕草をしていたところ、前方不注意で、長安都知事、韓愈(かんゆ)の行列に突っ込んでしまいました。
賈島は役人に捕らえられて、韓愈の前に引き立てられ、非礼をわびて事情を説明しました。韓愈は、詩人としても名高い人だったので、「それは君、『敲く』のほうが良いな。月下に音を響かせる風情があって良い」とアドバイスしました。
これをきっかけに二人は意気投合し、二人は詩について論じあったそうです。
この故事を元に、詩や文章を吟味して手直しをすることを『推敲』と呼ぶようになったのです。
推敲のコツ
俳句が出来上がったり、推敲で手直しした後、一日時間をおいて、再度、声に出して読んでみると良いです。
時間を経過させることで、より客観的に自分の作品を見直すことができ、欠点に気づきやすくなります。
この際、声に出してみることで、リズムの善し悪しも吟味できます。
俳句は音楽的要素も強いので、耳に心地よく響くかどうかも重要です。
松尾芭蕉は、次のように述べています。
句調はずんば舌頭に千転せよ。
「句の調子がうまく整わないときは、千回は口ずさんでみなさい」という意味です。
句が耳にどのように聞こえるか、その音楽性を芭蕉は重視していたわけですね。
また、推敲段階で浮かんだ句は、芭蕉のように消さずに残しておき、後で見比べられるようにしておくことをオススメします。
もしかすると、最初に浮かんだ句や、手直しする前の句の方が、推敲した後の句より質が高いかも知れないからです。
やり過ぎに注意
小説などでも文章の推敲を行なうのですが、作家の中には後書きで、「たった一行の文章をこねくり回して、気がついたら一日が経っていました」と告白する人もいます。
文芸には、これで100点満点という線引きが無いので、より高い質の句を目指して、永延と推敲を続けることができます。
賈島が韓愈の助言を受けて「僧は敲く月下門」にしようと決めたのに、「いや『僧は蹴る月下門』の方が良いんじゃないか? いらだつ感じが出る」などと考えて、悩み続けるようなものです。
下手にこねくり回した結果、当初の良さが消えて、質が悪くなることもありえるのです。長く推敲を続ければ、質がドンドン向上するといった保証はありません。
時間も有限ですので、ある程度、推敲をしたら、切り上げる必要があります。
https://jphaiku.jp/wp/2019/04/02/4134/【上手な俳句ができる!推敲の5大ポイント】より
1・季語のチェック
季語を別の物に置き換えをしたほうが良いか?
無季語俳句の場合、本当に季語を必要としないか? 入れる余地がないのかを検討
季語の説明をしていないか ?
2・言葉、語彙のチェック
語彙の重複はないか? 重複表現は削る。
語順の入れ替えを試みる。
常套句・手垢の付いた語句がないか?
漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字・数字などの表記が効果的か?
声に出してみてリズム感があるか?
助詞の使い方は適切か?置き換えてみる
3・切れ字のチェック
切れ字を2つ使用していないか?
切れ字を本当に必要としているか?
4・その他、基本のチェック
字余りは上五に持ってくる方が納まる
2つ以上の動詞を極力避ける
下五を極力名詞(体言)にする
下五が動詞の場合は終止形で言い切る
5・内容のチェック
もの、事の説明・報告に終わっていないか?
言いたいことが現れているか、あるいは出過ぎていないか?
読者が想像できる余地があるか?
過去の俳句に類句・類想句がないか?他の俳句に酷似していないか?
最後に自分で納得したか ?
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