水は有限であり、循環する「命の資源」

https://4dsk.co/article/media-series/asahi-sustainablefuturecreation/6752/  【水は有限であり、循環する「命の資源」】

今回の日本への一時帰国では、全国20以上の大学での講義と、アウトドア雑誌のロケ撮影で、北海道から沖縄まで駆け回った(2013当時)。

ニュージーランドという、もう一つの生活拠点を得たことで、今回の滞在では、日本の自然について改めて見えてきたものがある。

郊外の、人間と自然が共生する日本独特の里山風景。

そこから、さらに遠く離れた奥地に残る荘厳な自然。

中でも登山雑誌のロケで訪れた年間降水量8千ミリを誇る水の王国、屋久島が圧巻だった。

海抜ゼロメートルから歩き始め、九州最高峰の宮之浦岳(標高1,936 m)に登頂し、反対側まで歩いて再び、海抜ゼロまで降りる、「0 to 0(ゼロ・トゥ・ゼロ)」と呼ばれる、ほとんどの人がやらないハードな登山をやってきた。

この4日間の登山は苛烈(かれつ)だったが、清らかな雨が深い原生林を育み、森が生み出す純粋な水が、豊かな海を創るという、圧倒的なほど美しい自然界の循環を、体感することができた。

そして、そんな森と海がもたらす命が、ぼくらの体をつくる、という当たり前の事実を、改めて肌で感じることができた。

この「水の循環」をたどるような屋久島縦断を通じて、水は命の源であると改めて確信。

都市空間にいると、水道をひねればドバドバと水が出てくる。つい人は、水は無限だと勘違いしてしまう。だがすべての水は有限だ。

湖沼河川などの表層にある水や、浅い地下水など、地球上で人類がすぐに使える淡水は、全体のわずか0.01%。

17年後には、世界の水需要が供給を4割上回るという研究結果がある。

世界保健機関(WHO)によると約11億人が、いまだに安全な水の供給を受けられずにいる。

これまで日本が、豊かな水を享受できたのは、海に囲まれた独特の地形と、世界トップレベルの高い森林率のおかげだ。

しかし、今この日本の水をめぐり、「争奪戦」が水面下で繰り広げられている。外国資本が、日本の水源地を買いあさっているという。

水は「万物の母」。

失ってからでは遅すぎる。

ぼくらはもっとこの貴い「命の資源」の保全に神経をとがらせるべきだ。


https://www.chuo-u.ac.jp/usr/jhs_activity/award/winentries/17th_result/result03/ 【受賞論文【優秀賞】世界の水問題と私たちの課題(宿命)】 より

神奈川県立横浜平沼高等学校 2年 佐々木 萌

1. はじめに

「美味しい!」水を飲んでこんなに今までこんなに尊いと感じたことがあっただろうか。 暑い夏、無人島にゴミ拾いのボランティアで5日間滞在した時のことだ。この島は昔、人 が住もうとして井戸を掘ったが、水は出なく無人島になってしまった。電気が無くても5日間どうにか暮らせたが、水だけはそうはいかなかった。水は毎日船でタンク一杯だけ運び、一人当たりの水の量がごくわずかと決まっていた。チーフが「地球が指十本だとすると水は七本あるけど、飲み水は爪の先くらいわずかだよ。」と教えてくれた。それからは飲む水も一滴もこぼさず、工夫し、節約して水を使った。この無人島での生活で、水というのはこんなに大切で私達の生活と結びついていたのか知ることができた。

 この夏、ニュージーランドに行った。環境を知ることが目的でもあった。世界に水道水が飲める国は13カ国だけで、ここニュージーランドも飲める国の1つだ。しかし田舎では水道がなく、雨水をタンクに溜めて利用していた。ホストファミリーよっては、シャワーは5分以内と決められていた。シャワーも使いすぎると出てこないからだ。市税に水道代が含まれ、追加徴収がないのに、どこの家庭でも節水を心がけていた。水をたくさん使うと、市が保有する水が無くなる。そのため市役所が不定期で見回りをし、農業排水も個別調査を行うほどだ。世界でも水が豊富な国なのに何故か調べたら、雨が多く降っても、ろ過処理に制限があるため、処理できる量が決まっているからだった。水環境が悪い地域では、かなり深刻な問題だった。

 私たちの住む日本は、全国どこでも水環境に恵まれ、水道も整っている。日本ほど自由に贅沢に水が使える国は無いのかもしれない。「世界ではきれいな水を飲めない人が十億人以上いる」と聞いたことを思い出す。水は環境によって違うことに気が付き、「今の世界の水環境の現状」と「これからの私たち日本の今後の取り組み」について考えてみた。

2.世界の水環境の現状

 水は人類にとって最もありふれた液体であり、基本的な物質である。また、人が生命を維持するには必要不可欠であり、様々な産業活動にも不可欠の物質である。私たちの暮らす地球上にはおよそ14億km³の水があり、その大半の約97%が海水で、淡水は約3%しかない。しかも、私たちの生活に使える水は、地球上の水のわずか0.8%である。※1 水不足を招いている最大の要因は世界の人口増加である。日本では少子化でぴんと来ないが、世界の人口は増えるばかりで、人口増加と人間の水利用量の間には高い相関関係があることがわかった。2020年頃には、世界は今より40%以上も多くのきれいな水が必要になるとも言われている。※2 水資源の枯渇化を示す代表的なものに「水ストレス」がある。※3「人口一人当たりの利用可能水資源量」のことだ。日本も水ストレスが高い地域と認識されている。でもそこまで深刻に感じないのは、他国から水資源を大量に輸入しているからだ。国によって、水の流入量や水資源の分配に大きな差があるという問題点を指摘している。世界で11億人が安全な水を利用できず、26億人が衛生設備を利用できない状況を生み出していた※4 。2015年には世界人口の91%が改良された飲料水源を使用しており、目標は期限である2015年の5年前に達成された。だが一方で、まだ世界の6億6300万人の人々が改善された水源を利用することが未だに出来ずにいる。ユニセフ講演会で知ったが、その半数近くが、サハラ以南のアフリカ諸国に集中している。安全な水を得られない人が、6人に1人もの割合でいるのだ。農業にも生活用水にも汚染水を使用せざるを得ず、まだ大勢の人が深刻な病気に掛かっている。水汲みは子どもたちの仕事で、毎日水の重さに耐えながら、遠い道のりを歩き続け、池や川、湖、井戸などから水を汲んでいる。疲れ果てた子どもたちには、学校に通う時間も体力も残されてない。そこで知ったことは、子ども達が安心な水が飲めず、毎日800人以上も死んでしまっているという悲惨さだった。日本では飲み水や料理はもちろん、お風呂、トイレにまできれいな水を使っているのが当たり前と思っていただけに、世界の中で必死に水を手に入れ、それを命にしている人がいることはショックだった。私たちに何か出来ることはないだろうか。

 先日スーダンにおいてボランティアで医療支援、社会支援活動を行う、医師の川原直行氏の講演会に参加した。※5 彼は大使館の医務官としてスーダンに赴任したが、目の前で 苦しむスーダンの患者を救うことが許されなかった為、外務省を辞し、無料で医療支援を始めた。診療所にやってくる子どもで多いのは下痢であった。スーダンでは、川やため池の水をそのまま飲用している為、それが原因で感染症が多数発症しているという現状を知り、そこで水浄化に関する調査事業を行い、老朽化して使用できなくなった古井戸の改修工事を行い、地域住民の飲用水として提供した。きれいで安全な水が供給出来ることで、多くの命が助かり、医療も良くなった。それは彼を支える多くの友人、後輩たちの協力も大きい。おかげで現地の人の生活も少しずつ豊かになった。一人の人間の力が起点で、多くの人の協力が生まれ、これほど多くの命を助けることが出来るのだ。きれいな水の供給が、百の薬より多くの命を救うということがわかった。とても素晴らしいことだ。

 水は命の根源だ。水は地球上の全ての命を支える有限な資源なのだという認識を持ち、水不足の問題を真剣に取り組まなければならない時が来たのだ。

3.日本の水問題

 日本は戦後、高度経済成長を経て世界有数の経済大国へと成長した。日本は周りを海に 囲まれていることもあり、生活用水のほかに、農業、産業や水力発電所など、多岐にわたり水を利用してきた。その反面、多くの環境破壊を行ってきた。そのツケで河川や海域等の水質や水辺環境が悪化し、水俣病やイタイイタイ病などたくさんの病気を発症させてしまった。それらが現在の我々の生活にも大きな影響を与えている。生徒会で近所の大岡川に清掃に行った時、想像以上のたくさんのごみと汚れた水を見た。かつては蛍が飛び交っていた川だったのに残念だ。水は、人間の手で悪いものにも、良いものにもなってしまうということである。今まで周りの川や海の環境に対して関心がなかったことに反省し、私たち一人ひとりが「水問題」を真剣に取り組まなければならない時が来たのだと感じた。

4.今後の私たちの取り組み

①個人の取り組み

現在日本では一日に必要とされる最低水量の実に六倍の水を使用している。しかし、日本人一人あたりの降水量は世界平均の三分の一なのだ。よって毎年夏になると水不足で慌ててしまう。日ごろの無駄使いをなくすことが大切だ。又、使い終わった後の汚れた水は川や海に流してはいけない。洗剤の使い過ぎもなくし排水を減らすことが大切だ。水は循環している。水を汚すことはイコール、自分たちに跳ね返ってくることなのだ。

②地域住民と地方自治体の取り組み

地域住民で一体となって水環境への関心を高め、行政も一体になって水の節約と美化をすることが必要だ。住民一帯の力が大きく改善できることも多い。毎年8月1日を「水の日」としている。「水の日」とは、水資源の有限性、水の貴重さ及び水資源開発の重要性について国民の関心を高め、理解を深めるために設けた記念日だ。毎年、「水資源功績者表彰受賞者」※6 を表彰している。具体的な活動の内容としては、河川全域の清掃、政策提言、意見交換、学習会・イベントの実施が挙げられる。私の住む横浜では、河川や海域の水質改善はもちろん、流量、周辺環境を含んだ水環境の保全・創造を長期的・総合的に推進する「横浜市水環境計画」を平成5年度に策定している。※7 これらで多くの人が常に水環境問題について興味・関心を持ち、学ぶことが今後の行政側の役割である。

③企業と国の取り組み

これまでの水環境を悪くしてしまった国と企業の責任は大きく、これ以上汚染水が海に流れてはいけない。環境保全活動はもちろん地球規模で深刻化している水問題に対処することだ。国と企業としての役割をしっかり受け止めるべきである。国としての国際協力事業の推進、海洋汚染の研究、企業からは募金活動、金銭的支援や地域との協力、ボランティアの増加がある。日本ユニセフでは、みんなの支援でより多くの子どもたちに清潔な水を届けられるよう井戸などの給水設備を作ったり、衛生的な生活が送れるようトイレを設置したり、学校教育や保健所を通じて、石けんを使った手洗いなどの衛生習慣を広める活動をすすめている。※8 テレビや新聞などマスメディアを通じ、もっと多くの人に環境に関する新しい知識・情報を幅広く提供し、推奨していくことも必要だろう。

5.おわりに

水環境は我々の経済社会活動のあり方を反映したものである。私達日本は、蛇口をひねれば水道からいつでもきれいな水が出てくる。良質な水が使えるこの恩恵に感謝し、守り、そして将来の世代によりよい水環境を継承していく宿命がある。世界には1杯の水さえ満足に飲めない人がまだ大勢いる。これからは、私たち一人一人がそれぞれの役割をふまえ、水環境と自分との関わりを学び、水環境保全活動や推進活動に主体的に参加していかなければならない。それが環境に恵まれた私たちの責任だ。

【参考文献・参考引用】

※1.国土交通省 水資源>世界の水資源

http://www.mlit.go.jp/mizukokudo/mizsei/mizukokudo_mizsei_tk2_000020.html

※2.「人口増えすぎ問題」を考える|なんとかしなきゃ!プロジェクト

http://nantokashinakya.jp/sekatopix/article020/

※3.国連開発計画(UNDP)「人間開発報告書」第12章 水資源に関する国際的な取り組み

www.mlit.go.jp/tochimizushigen/mizsei/hakusyo/H19/3-12.pdf

※4.国連ミレニアム開発目標2015報告書

http://ja.wfp.org/news/news-release/150710

※5.川原尚行 認定NPO法人 ロシナンテス「世界のどこにでも「医」を届ける!」

www.mlit.go.jp/tochimizushigen/mizsei/hakusyo/H20/3-12.pdf

川原尚行(著)「行くぞ!ロシナンテス 日本発 国際医療NGOの挑戦」山川出版社

(2015/5/30)

※6.水資源:水資源功績者表彰‐国土交通省

http://www.mlit.go.jp/mizukokudo/mizsei/tochimizushigen_mizsei_tk1_000015.html

※7.横浜市環境創造局政策水と衛生

http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/etc/jyorei/keikaku/mizutomidori/

※8.ユニセフの主な活動分野|日本ユニセフ協会 講演会にて

https://www.unicef.or.jp/

以上すべて2017.8.31現在


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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