https://textview.jp/post/culture/14161 【五月雨で勢いを増す最上川を詠んだ、芭蕉の名句】 より
俳句に用いられる季語は、季節を愛でることばです。昔から多くの句が詠まれてきましたが、季節がめぐってくるたびに引用される名句があります。4月号から新連載としてスタートした「名句徹底解剖ドリル」は、そんな古今の名句に込められた作者の心情や背景を、新進の俳人である髙柳克弘(たかやなぎ・かつひろ)さんがドリル形式で解き明かし、新たな魅力を発見していきます。通常、一つの句についての解説は数行であることがほとんどですが、本連載では見開き2ページを使って徹底的に解剖し、名句とその作者に深く迫ります。
5月号では五月雨(さみだれ)と最上川を題材とした、芭蕉の名句を取り上げています。
五月雨を集めて早し最上川
芭蕉
Q 季語の「五月雨」はどのような雨を指すでしょう?
・晴れの多い5月にたまに降る雨
・えんえんと降り続く梅雨(つゆ)時の雨
・夏の暑さを忘れさせる清々しい雨
正解は「えんえんと降り続く梅雨時の雨」です。旧暦の5月は、新暦では梅雨の時期に当たります。芭蕉の一門では、五月雨は「晴れ間のないように詠むもの」(『三冊子(さんぞうし)』)と考えられていました。
この問題の他に、芭蕉がこの句を詠んだ時の最初の構想や、ほどこされた「調べ」の工夫など、全5問が出題されています。ドリルに挑戦し、丁寧な解説を読むことで、句の新たな魅力が見えてくることでしょう。最後にはまとめで復習します。
この句は『おくのほそ道』の旅で最上川を下った時の、舟に乗った実感を詠った句です。五月雨の膨大な水量を一つに集めたかのような最上川の勢いと水量を感じさせます。最上川の持つ伝統的な恋の情緒を潔く切り捨て、恋の香りをまったくさせない、豪快な最上川の姿を描き出した点に、名句たる理由があります。
■『NHK俳句』2014年5月号より
https://japanknowledge.com/articles/kkotoba/03.html 【初夏―其の三【梅雨】と【五月雨】】より
日本の自然の特徴として、その多様性と豊かさを挙げる人が多い。しかしこれには愛郷心や愛国心といった心理的要因も入ってくるので、多分に主観的な見解と言われてもやむを得ない。何をもって客観的に判断するかの基準の問題が難しいからだ。それでも四季のめりはりのある移り変わりについては、日本の気象条件の明らかな特徴ということは言えるだろう。そして日本の四季の変化を特徴づけるものの一つが、夏と秋のそれぞれの前半に降り続ける長雨。夏の梅雨(五月雨)と秋の秋雨である。
初夏も終わり、六月に入ると、太陽高度が高くなり、太平洋からの移動性高気圧が現れるようになる。それと同時に中国の揚子江流域から沖縄付近の海上にかけて、東西に走る気圧の谷つまり前線が形成される。梅雨前線である。これが太平洋高気圧の成長とともに、一日30キロメートルぐらいの速さで北上する。夏至のある六月は、ほんとうならば一年中で最も日照時間が長いはずなのに、前線の影響で曇雨天が続くため、晴れる日は極端に少ない。このような気象現象は世界中でこの地域にしか見られないもので、外国の学術書などでは専門語としてBAIUが使われている。
梅雨は主に時候をさし、五月雨は雨そのものをさしているとする歳時記などが多いが、かならずしもそうではないようだ。ことばとしての出現は五月雨の方が早く、「古今和歌集」の時代から、梅雨は近世中期以降、俳諧から一般に使われるようになった。つまり五月雨は雅語であるのに対して、梅雨は俗語としての呼びかただったわけである。五月雨が使われるようになる以前は、「長雨(ながめ)」という言いかたの中に含まれていた。
中国では「黄梅雨(こうばいう)」、あるいは「黴雨(ばいう)」とこれを呼んだ。黄梅雨は梅の実の黄熟から、黴雨は黴が生えるような湿っぽさから名づけられたものである。実際、このころの湿度の高さはすさまじく、「梅雨どきのナメクジは壁を抜ける」ということわざがあるくらいだ。また梅雨の終わりには、それまでの冷たくしとしとした降りかたから一転して、暖かく強いいわゆる豪雨になることが多い。ちょうど陰暦五月二十八日は曽我兄弟が討たれた日にあたることから、この日、降る雨を兄の十郎祐成(すけなり)の愛人、大磯の遊女・虎御前(とらごぜん)の悲しみの涙に見立て、「虎が雨」と呼び、季語にもなっている。
なお古典は当然、陰暦だったので、「五月晴」は、今日のように梅雨が終わって晴れあがった天気をさすのではなく、梅雨のさなかの晴れ間のことを言った。
五月雨や苔むす庵の香の物 凡兆
虎が雨晴れて小磯の夕日かな 内藤鳴雪
ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子
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