https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2019/04/28/001042 【俳句は取合せ(6/10)】より
蕪村の「さみだれ」28句(続)
さみだれや鳥羽の小路(こみち)を人の行(ゆく)
季語=さみだれ、取合せ語=鳥羽の小路、連結語(とりはやし)=人の行
ここに出て来る人は、旅人ではなく、田んぼを見回る百姓であろう。風雅集の歌「あやめ草引く人もなし山城の鳥羽に波こす五月雨のころ」を踏むという。
さみだれに見えずなりぬる径(こみち)哉
季語=さみだれ、取合せ語=径、連結語(とりはやし)=見えずなりぬる
句意は明解。切れ字「哉」が喪失感を誘うか。
五月雨や滄(あを)海を衝(つく)濁水(にごりみず)
季語=五月雨、取合せ語=濁水、連結語(とりはやし)=滄海を衝
五月雨をあつめた濁流が青い海に侵入している様子。漢字表記が荒々しさを演出している。
さみだれや水に銭ふむ渉(わた)し舟
季語=さみだれ、取合せ語=渉(わた)し舟、連結語(とりはやし)=水に銭ふむ
銭ふむとは、料金を決める、という意味。値踏みに通じる。舟の渡し賃を増水の加減によって決めるのである。五月雨の時期は、川が増水するので、渡し賃は高くなる。
濁江(にごりえ)に鵜の玉のをや五月雨
季語=五月雨、取合せ語=濁江、連結語(とりはやし)=鵜の玉のを
濁江は、水の濁った河口。「玉のを」とは命のこと。「五月雨に濁って増水した河口にいる鵜の命が危うく見える。」という。
摂(かかげ)あえぬはだし詣(まひ)りや皐(さつき)雨
季語=皐雨、取合せ語=はだし詣り、連結語(とりはやし)=摂あえぬ
「摂あえぬ」とは、裾を持ち上げきれない、こと。「はだし詣り」は、神仏に願をかけるのに、裸足で参拝すること。句は、裾の濡れるのもかまわないで、祈願のために裸足詣りする皐雨の情景を詠む。
さみだれや鵜さへ見えなき淀桂
季語=さみだれ、取合せ語=淀桂、連結語(とりはやし)=鵜さへ見えなき
淀桂は、魚渡川と桂川の合流点。五月雨の増水のために、この合流点には鵜の姿さえ見えない、という。
皐雨(さみだれ)や貴布祢(きぶね)の社燈消(きゆ)る時
季語=皐雨、取合せ語=貴布祢の社燈、連結語(とりはやし)=消る時
貴布祢(貴船)が舞台の謡曲「鉄輪」を背景にしている、とのこと。鬼女が現れる情景か。
小田原で合羽(かつぱ)買(かう)たり五月雨
季語=五月雨、取合せ語=小田原、連結語(とりはやし)=合羽買たり
小田原なら提灯と思うが、五月雨ともなれば合羽を買うことになる。
https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2019/04/29/000310 【俳句は取合せ(7/10)】より
蕪村の「さみだれ」28句(続続)
閼伽棚(あかだな)に何の花ぞもさつきあめ
季語=さつきあめ、取合せ語=何の花、連結語(とりはやし)=閼伽棚に
閼伽棚は、仏前に供える花や水などを置く棚。句は、古今集の旋頭歌「うちわたす遠方人にもの申す我そのそこに白く咲けるは何の花ぞも」を踏んでいる。五月雨にも拘わらず、何の花かはわからいが、閼伽棚に置いてあることに心惹かれた。
あか汲(くみ)て小舟あはれむ五月雨
季語=五月雨、取合せ語=小舟、連結語(とりはやし)=あか汲てあはれむ
舟底にたまった水を掻い出す船頭の仕草が、小舟を大切にしている様子に見えたのだ。
さみだれの大井越(こし)たるかしこさよ
季語=さみだれ、取合せ語=かしこさ、連結語(とりはやし)=大井越たる
五月雨で川止めになる前に大井川を越えられたことを自慢している様子。
五月雨の堀たのもしき砦(とりで)かな
季語=五月雨、取合せ語=砦、連結語(とりはやし)=堀たのもしき
五月雨のおかげで堀に水がいっぱい溜り、砦としてたのもしくなった、という句意。
昆布で葺(ふく)軒の雫(しづく)や五月雨
季語=五月雨、取合せ語=軒の雫、連結語(とりはやし)=昆布で葺
この句は、円山応挙の「蝦夷の図」につけた画賛句である。「蝦夷では、屋根を葺く昆布から垂れる雫が五月雨に見えるだろう。」という。
さみだれや仏の花を捨(すて)に出る
季語=さみだれ、取合せ語=仏の花、連結語(とりはやし)=捨に出る
句意は明解。仏に供えていた花が枯れたので五月雨の中を捨てに出た、という。
さみだれや大河を前に家二軒
季語=さみだれ、取合せ語=家二軒、連結語(とりはやし)=大河を前に
「大河を前に」という連結語(とりはやし)の効果が絶妙。また「家二軒」の数字二が効いている。
帋燭(しそく)して廊下過(すぐ)るやさつき雨
季語=さつき雨、取合せ語=帋燭、連結語(とりはやし)=廊下過る
帋燭は、こよりに油を浸して灯火としたもの。さつき雨のために邸内が更に暗くなっているのだ。情景が鮮やかに見えるようだ。
さみだれのかくて暮(くれ)行(ゆく)月日哉
季語=さみだれ、取合せ語=月日、連結語(とりはやし)=かくて暮行
五月雨が降り続くと、何しようもない無為の日々になるので、誰しもこうした感懐を抱く。連結語(とりはやし)の措辞の効果である。
https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2019/04/30/000747 【俳句は取合せ(8/10)】より
結社誌「古志」2019年1月号の作品から
うとうとと夢の中味も土用干 大谷弘至
季語=土用干、取合せ語=夢の中味、連結語(とりはやし)=うとうとと
土用干は虫干ともいう。その時期に夢の中味も土用干する、という発想が新鮮。ただ、連結語(とりはやし)の「うとうとと」は、平凡だろう。
一服の茶や蝙蝠を借景に 大谷弘至
季語=蝙蝠、取合せ語=一服の茶、連結語(とりはやし)=借景に
この句の季語としての蝙蝠は、動物を差している。それが借景になっている、となると古民家の軒先を見ながら、座敷で或いは縁側で一服の茶を頂いている情景を想像する。
水中花李白の盃はいまいづこ 大谷弘至
季語=水中花、取合せ語=李白の盃、連結語(とりはやし)=いまいづこ
水中花は、水を入れたコップなどに入れて造花や作り物の魚、鳥などを開かせるもの。 江戸時代に中国から伝来したらしい。延宝年間に酒席での遊びとして酒の杯に浮かべることが流行したため、「酒中花」「杯中花」の呼び名もある。酒を好んだ李白には、「月下独酌」という有名な五言古詩があり、それは宮廷を追われる直前の44歳の春に作られたとされる。宮廷の俗物官人たちの酒席から抜け出して一人月下に盃を傾ける。俳句は、この時の盃は今はどうなっているのだろう、と詠んでいる。作者が酒中花の盃を手にしているのだ。そしてふと李白の漢詩「月下独酌」を想った、と解釈する。
新年へ這ひ出してこい赤ん坊 長谷川櫂
季語=新年、取合せ語=赤ん坊、連結語(とりはやし)=這ひ出してこい
初句と二句の表現に驚く。まるで別世界から(隣の寝室からでもよいが)この世の新年に這い出してくるようで、元気を感じまことにめでたい。
落雁の箱を開けば花野かな 長谷川櫂
季語=花野、取合せ語=落雁、連結語(とりはやし)=箱を開けば
落雁は、澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、型に押して乾燥させた干菓子のこと。名は近江八景の「堅田の落雁」にちなんでつけられたという説がある。この句では、頂き物の落雁であり、その箱を開けたとき、目に飛び込んできた色鮮やかな菓子の様子を詠んだもの。落雁をくれた人への御礼の気持が表現されている。
喝食の唇あかあかと枯野かな 長谷川櫂
季語=枯野、取合せ語=喝食の唇、連結語(とりはやし)=あかあかと
喝食とは、禅林で食事時に修行僧へ食事などを知らせることをいう。また、その役目をした有髪の少年(のちには稚児)をさす。この句は、作者が冬の枯野が見える禅寺で食事を頂いたとき、食事の世話をしてくれた稚児の赤い唇に気付いたことを詠んだものと思われる。新鮮な取り合せになっている。
引力を真横に断つや鬼やんま 加田 怜
季語=鬼やんま、取合せ語=引力、連結語(とりはやし)=真横に断つ
トンボが空を水平に飛ぶということは、地上からの引力に打ち勝っているからで、それを初句二句のように表現した。連結語(とりはやし)が新鮮に感じられる。
爽やかやホモサピエンス歩を進め 外澤桐幹
季語=爽やか、取合せ語=ホモサピエンス、連結語(とりはやし)=歩を進め
随分と抽象的な内容だが、ホモサピエンスという言葉により、現生人類が春の陸地を歩んでゆく壮大な歴史の情景を想像することになる。
猫と尼りの字で眠る秋深し 岩崎ひとみ
季語=秋深し、取合せ語=猫と尼、連結語(とりはやし)=りの字で眠る
実景であろう。連結語(とりはやし)の表現が具体的で新鮮。
https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2019/05/01/001132 【俳句は取合せ(9/10)】より
今、令和に入った。新鮮な感覚を大切にしたい。
元号の替はる真夜中新酒酌む
新しき令和の船出花いかだ
結社誌「古志」2019年1月号の作品から(続)
底紅や人から暮るるすみだ川 升谷正博
季語=底紅、取合せ語=すみだ川、連結語(とりはやし)=人から暮るる
底紅は、紅むくげのこと。隅田川の岸辺に咲いていて、人たちも歩いているのだろう。夕方になると底紅よりも丈の高い人の方が早く翳るという句意か。「人から暮るる」が目の付け所。
落ち鮎や雲より高き摩崖仏 上田悦子
季語=落ち鮎、取合せ語=摩崖仏、連結語(とりはやし)=雲より高き
川辺でアユ釣りをしている人の目線で詠んだようだ。視線が川面から摩崖仏へと移っていった情景。連結語(とりはやし)の効果によって壮大な景色になった。
沢ふかく山女うとうと望の月 廣野 稲
季語=山女、取合せ語=望の月、連結語(とりはやし)=沢ふかくうとうと
山女は夏の季語。望月といえば秋の季語。ただこの句では、「望の月」は単に満月を差しているのだろう。夏の満月の夜、山女が深い沢中でうたた寝をしている幻想的な情景を詠んだ。
向日葵の顔の向く方津波立つ 安斎奈緒
季語=向日葵、取合せ語=津波立つ、連結語(とりはやし)=顔の向く方
向日葵を擬人化した。現実にありそうな不気味な情景に思える。向日葵(平和)と津波(脅威)
の取合せの効果といえる。
一筋の筧の水や新豆腐 岩崎八男
季語=新豆腐、取合せ語=筧の水、連結語(とりはやし)=一筋
今年採れた大豆で作った豆腐(新豆腐)が、筧の水の流れくる器に浮かんでいる情景。連結語(とりはやし)の「一筋」が、新豆腐の旨さを想わせて巧みである。
残る歯を後生大事に豊の秋 永井せいし
季語=豊の秋、取合せ語=残る歯、連結語(とりはやし)=後生大事に
豊の秋は、作物、特に稲のよく実った秋のことで、特に食欲を感じる言葉である。それも残る歯があってこその楽しみである。それが連結語(とりはやし)で巧みに表現されている。
白露のこぼれて島の生まれんと 神蛇 広
季語=白露、取合せ語=島、連結語(とりはやし)=こぼれて生まれんと
白露のこぼれる風景を見て、国生み神話を想像したのだ。『古事記』では、イザナギとイザナミの二柱の神は、天の橋にたち矛で混沌をかき混ぜ島をつくる。この句は、簡潔に美しく詠まれている。
バス停は炎の中や曼殊沙華 神谷宜行
季語=曼殊沙華、取合せ語=バス停、連結語(とりはやし)=炎の中
バス停の周辺に曼殊沙華が咲き乱れているのだが、連結語(とりはやし)の効果により、バス停が火事場のような緊迫感を覚える。
老いたれば顔が気になる曼殊沙華 天野 翔
季語=曼殊沙華、取合せ語=顔、連結語(とりはやし)=老いたれば気になる
華麗な曼殊沙華を見て老年に入った自分を顧みた。体で気になるところとしては、足腰、視聴覚などいろいろあるが、作者は特に顔に老いが現れることに不安を感じたのだ。醜く枯れてしぼんで散ってゆく曼殊沙華の生態が、人の容貌の変化と重なって思われた。
みろく石饅頭となり月の宿 木下洋子
季語=月の宿、取合せ語=みろく石、連結語(とりはやし)=饅頭となり
この句のみろく石は、高野山奥ノ院の御廟ノ橋を渡ってすぐ左側の中にある祠に納められた石を指すようだ。この名をつけた饅頭がみやげとして売られている。作者は、この饅頭を月夜の宿で食べたのだ。俳句を詠む現場を思わせる。
秋蜘蛛の慌てて登る水鉄砲 谷 卯木
季語=秋蜘蛛、取合せ語=水鉄砲、連結語(とりはやし)=慌てて登る
蜘蛛を見て水鉄砲をかけることは、子供のころに体験した記憶がある。慌てて登った場所が不明な点、少し物足りない。
鳥渡る古城はゴブラン織の中 花井 淳
季語=鳥渡る、取合せ語=古城、連結語(とりはやし)=ゴブラン織の中
ゴブラン織とは、フランスのゴブラン工場で製作されたタペストリーのこと。工場は、ルイ14世以来、王立工場として王室向けにタペストリーなど織物を生産していたことで知られる。
句の「鳥渡る古城」からは、古城の空を渡ってゆく鳥を想像するが、連結語(とりはやし)により、タペストリーの図柄であることを知る。この思考過程が楽しい
https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2019/05/02/000508 【俳句は取合せ(10/10)】
おわりに
「二物衝撃」の章で述べた芭蕉と蕪村の五月雨の句の比較について再考しておこう。
芭蕉句は、俳句紀行「奥の細道」の最上川の条に出てくるものであった。句の前に書かれた文章によって周辺の情景が具体的に描写されるので、俳句の情緒が一段と心に浸みる。独立した俳句とすると、先に触れたように、最上川が動く、即ち他の川に差し替えられる。よって文章と一体として鑑賞されるべき作品なのである。この一句を読むたびに紀行文に書かれた情景が思い浮かぶ、という効果を狙った文藝と言える。芭蕉の俳句作品には、紀行文の中で鑑賞すべきものが多々あるので、注意を要する。
一方、蕪村句は、一句独立した作品として鑑賞してよい。それで先に述べたように読者に衝撃を与える力をもっている。芭蕉と違って蕪村は、「総常両毛奥羽など遊歴せしかども紀行なるものを作らず。またその地に関する俳句も多からず。」(正岡子規「俳人蕪村」)であった。
俳句の基本作法として取合せにつき分析してみたが、連結語(とりはやし)をいかに工夫するかが究極のポイントになることが分った。取り合せる二つの事物(一つは季語・季題)の選択と連結語(とりはやし)の措辞に心をくだくことになるのである。
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