衆の詩  金子 兜太

https://kaigen.art/kaigen_terrace/shu-no-uta-tota/ 【衆の詩  金子 兜太】より

「海原」創刊号の編集後記の中で編集人の堀之内長一が次のように記しています。

■金子先生に「衆のうた」「『衆のうた』ふたたび」という一文がある(ぜひお読みください)。今後の海原の行方をあれこれ考えるときに、なぜかしら「衆」という言葉が迫ってきた。碇の衆、光の衆、風の衆、帆の衆。不思議な名称であるけれども、少しずつ愛していただければと願っている。連衆といえば連句の世界を思い浮かべる方も多いと思うのだが、「衆」は端的に仲間であり、人間がつくる場に集う人々の謂であると思う。

そこで、『三十周年・評論集成 海の道のり』海程会〈II金子兜太論稿〉より「衆のうた」と「『衆のうた』ふたたび」を二回に分けて転載します。昭和49年金子兜太55歳、日本銀行を定年退職したころの論稿です。

(昭和49年/1974年 「海程」106号より)

衆の詩  金子 兜太

 全国高校野球大会が終わって、優勝校と凖優勝校の選手たちが、晩夏のひかりのなかを歩いていた。そして、もう秋だ。

 この九月末には、私はいまの勤め先をやめることになっているが、正味二十七年勤めて、不思議に感慨らしいものがない。周囲の人のほうが感慨ぶかそうで、戸感うことしばしばである。

 専念してきた俳句についても、いまここでどうという特別の感想はない。ただ、なにかといえば思いだしていた、正岡子規「俳諧大要」のなかの次のことばが、またぞろ思いだされるのである。

 「佐藤一斎にかありけん、聖人は赤合羽の如し、胸に一つのしまりだにあれば全體は只ふはふはとしながら終に體を離れずと申せしとか(後略)」

 私にとっては気軽な箴言になっているわけだが、これを子規自身に当てはめれば、すぐ、

  鶏頭の十四五本もありぬべし

に結びつく。この句の示す客観の眼・・・・が「胸に一つのしまり」であり、「十四五本もありぬべし」の無造作・・・ぶりが、「只ふはふは」の正体である。子規の「写生」は、この両方が並存し、やがて不思議なく彼の体内で融合してゆく状態であって、晩年の句になると、無造作というより、むしろ自然さといいたいものを感じさせ、「自然」こそ「只ふはふは」の究極とおもったりする。

 これを「写生」の範型とみている。ところで、私は日常・・ということについて、こう書いたことがある。「日常は、喜怒哀楽、愛憎哀歓の生臭さにみちた〈即物的(フィジカル) な日日〉の刻み(そして繰りかえし)だが、態度を持するものには〈志向の日日〉でもある」――この即物的な日日とは、とりもなおさず熕悩具足の、虚仮こけ不実の、軽賤の日常であって、それは生ぐささにみちている。しかし、志向はそこにしみてゆくから、煩悩のままにすませるものではない。といっても、煩悩の日常によって、志向が歪められないといった保証はどこにもない。だから、二つの日常は重なり合い影響しあってすぎてはゆくが、それはむしろ葛藤の日日というべきだろう。それだけに、志向は鍛えられ、日常は振幅をふかめるのだ。

 子規の客観の眼・・・・に、この志向を加え、無造作に代えて、即物的日常を置くのが、私の「胸に一つのしまり」と「只ふはふは」である。そしてここ数年、この意味の日常と俳句の結びつきを、とくに即物的日常を大きく受けいれる方向で、私はかんがえてきた。だから、こういう素朴な句にぶつかると、すぐまいってしまう。

  初豌豆味増汁の香り天までも  小笠原正雄

  とびのりたい夏の雲よ麻痺の足  沢田好見

  夜道までぬーと突きだす鍵の穴  市原正直

  爆心地土地の老女とよその人  奥山東風

 これらには、日常実感を抜きにしては受けとることのできない、ういうい・・・・しい弾みがある。

 日常を、とくに即物的日常を離さずに、俳句の内質として重視しようとする私の姿勢を刺戟した事情がいくつかあった。その一つは、私自身も含めての前衛的営為の成果と反省である。

 その成果は、手っ取り早くいえばマンネリズムを打破して、この伝統詩形を戦後の現実に投じたことにある。前衛といっても、俳句の場合は第一線的模索ていどのことだが、はっきりしていることは、伝統詩形を徹底して現在の場からとらえなおそうとしたところにあった。だから、古典についてもこれを相対化して、現在の場から取捨する。伝統の公理を信じないで、自分の体感自体から抽出しようとする。現代自由詩の技法や流行の風俗にたいしても、その意味で積極的だった。

 しかしその反面、最短定型にとっては過度な詩法を求め、ピントのずれた散文的要求を課したことも事実で、詩を非日常のものとする図式に執着しすぎたきらいもある。だから、日常総体はもちろん、即物的日常などはまったく軽視されて、そこから汲みとりうる豊かな実感と言葉を、地下に埋もれさせる状態になっていたのである。それへの反省があった。

 いま一つの別の事情は、前衛のそうした営為に対する反作用のなかにあった。つまり、伝統回復のリゴリズムを正の作用とすれば、伝承追随とマンネリズムの再版、正当化といった負の面を一方にひろげる結果になったのである。この場合は、古典と竸い立つの気概はなくて、ただいたずらな模写をこととするわけだから、日常からの生きた汲みあげがおろそかになることは当然でである。

 それらの事情のなかで、〈衆の詩〉としての俳句の特性をおもわないわけにはゆかなかった。遍歴のあと「軽み」にいたった芭蕉晩年の思案の態をおもい、「荒凡夫」一茶の日常詠がもつ存在感の妙味にひかれたのも、そのためである。ことに、一茶の句は晩年になるほどよい。その事情にもひかれた。

 むろん、日常、とくに即物的日常からの汲みあげが、そのまま「詩」にならないで、「声」にとどまることは、「地下じげ連歌」以来、ことに、談林、貞門の徒の大方においても、あきらかである。だから芭蕉は「高悟帰俗」の心意を留め金とした。一茶の、煩悩まみれの日常詠が「詩」になりえたのは、彼の農民的感性の柔軟もさることながら、都会にもなじめず、土着者にもなれなかった――そういう個(孤)化衆庶の孤独の心底がかみしめられていたからである。

 一茶の句、

  山畠やそばの白さもぞっとする

  秋風にふいとむせたる峠かな

  芥子提げて喧嘩のなかを通りけり

  うつくしや年暮れきりし夜の空

などなど。

 一茶「おらが春」にある惺庵西馬の跋に、「ざれ言に淋しみをふくみ、おかしみにあはれを尽して」とあるが、ざれ言のなまなまさしさ・・・・・・・が淋しみをふくみ、それと、おかしみ・・・・とが、これらの作品の資質を決定しているのである。なまなましさもおかしみも、単なる形容ではない。美というより存在感といえるものだが、これらが、即物的日常から汲みあげられて、句の資質として定着していたのである。〈衆の詩〉としての俳句は、ここに顕著な特徴を発揮すべきものなのだ。

 むろん、現代俳句がこの点ですべて不毛なわけではない。たとえば、

  ローソクもってみんなはなれてゆきむほん  阿部完市

のおかしげなリズム、

  春夏秋冬魂くいちらかすは何  和田魚里

の妙な生理。そしてまた、

  夏が寒いA埋立地水流る  小原洋一

のなまな違和感。

(「海程」一〇六号 昭和49年9月6日付「朝日新聞」夕刊より転載)


https://kaigen.art/kaigen_terrace/shu-no-uta-hutatabi-tota/  【「衆の詩」ふたたび 金子 兜太】より

兜太44年前の思いに学ぶもの。独特の言葉使いに戸惑うかもしれない。しかし、脱近代的なその論旨を読んでみていただきたい。

(昭和50年/1975年 「海程」115号より)

「衆の詩」ふたたび  金子 兜太

 ■体からだ――心と肉体の合一としての主体

 僕が「衆」ってことを言い出したのは、造型論で主体の表現を目的とすると言っておりますね、その主体の全身性の獲得というか、回復といってもいいんでしょうけど、全身性の獲得ということを考えてるからなんです。それからいま一つ、同時に言わなければならないことは、天然の問題です。だがこれは一応おいといてあとで申します。

 私が表現における思想的な主体という時、これはいつも言ってきましたことですし、自分でも自慢しておることで、現在ますます自慢してるんですけどね、心身全体を主体と言ってるわけです。心と肉体の弁証法としての主体(体からだといってもよい)、そういう体という形で主体というものがあるわけです。このへんのところは復習になるんですが、たとえば、風土とは肉体であるともうすでに八年前に言ってます。徳才子(青良)君がこの言葉を多としておりましてね、その後「風土ってのは肉体なんですよね」と言ってくれるんです。よくわかってるんですわ。これを正確に言えば、心と肉体の弁証法としての主体、それがすなわち風土でもあるという見方でいいでしよう。生活の中で思想を肉体化するってこともたびたび言ってます。思想ってものはそれ自体が充足してあるんじゃない。一人一人の生活をへて肉体化されなければならないということなんです。そうでないと表現者のものになりませんね。人間のものにならんです。よく言われる思想と人間は別だというような詭弁が通用してしまいます。私は生活者の中の思想を肉体化するっていうことを盛んに言ってきたわけです。デカルトがやったように、近代思想のはじまりからそうであるように、物心というものを切り離した考え方を私はとってきておりません。これは私の得意なところでしてね、始めっから反対してるんです。そういう意味で私は近代に反逆し、心と物というかわりに、心と肉体の合一としての主体という言い方をしてきたわけです。これは全体的に主体をとらえるということです。

 最近じつは意を強くしてるんですが市川浩という人が『精神としての身体』という本を書きましてね、これは僕の思想にひじょうによく似てます。彼は現象学派だが、その立場から、心だけを切り離した近代思想に反逆する人がようやく出てきたのです。心と体をむすびつけた、いわゆる身体という考え方、これでとらえなければ人間の存在全体をとらえられないと言ってます。私はこれを心と肉体の弁証法による主体という言い方をしてきたわけです。体からだという言い方もしました。体でとらえろとか、体を働かせろとかね。市川さんの本はなかなかいい本でわが意を得ておるんですが、ところが僕はそれをさらに一歩進めて、「衆」ということにつなげるんです。

 ■たとえ・・・の動脈硬化と言葉の記号化

 実際に俳句をつくってきて、みんなの俳句を拝見し、一九六〇年以後のいわゆる前衛の仕事を見て、自分もその中にいてですね、これはもう常識論になってますけど、一番端的に感じましたことは、たとえ・・・がひじょうに硬いということです。私は比喩と言いません。たとえ・・・と言います。たとえ・・・の中で部分的なたとえ・・・がおこなわれている時は比喩であり、一句全体がたとえ・・・を実現している時が、象徴である、シンボルであると考えますが、その両方を包括する概念としてたとえ・・・といいます。そのたとえ・・・がひじょうに硬い。いわばたとえ・・・の動脈硬化ってものを感じ続けてきましたね。とくに伝承派のまき返しがあってから前衛の人達が硬くなって、たとえ・・・について頭を使いすぎる。心を労しすぎる。そのくせ体を使ってないのですな。だからますます硬くなってくる。なかには、エロスとか言う人もいて、言葉を肉体の流れのままに使おうという言い方でもって、肉体面を重視する人達もおるわけだが、その場合でも公式化してるんです。そういう動脈硬化を痛感してきましたねえ。

 いまにして思うと〈銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく〉という僕の句も硬いです。批評性としてはそれほどのもんじゃない。普通なんだが句の中におくとひじょうに硬い批評性を感じさせてしまう。それは言葉が硬い、たとえ・・・が硬いからなんです。本当の意味の身心充足した状態がないということじゃないかと思う。主体的表現が十分におこなわれていないと自分なりに受けとってます。

 一方では動脈硬化への反省が強くこもっているんでしよう。いわゆる言葉というものヘの過度の依頼、言葉がオールマイティーである、すべて言葉といえば足りるという考え方がかなり強く若い人からでてきたわけです。そのくせ一方では言葉は全然信用できないという見方がありながらね。一方では過度に信頼してしまい、その結果、言葉は完全に記号化し、私からみるとくらげのような浮遊物になってきてるんです。特に一九七〇年代にはいってからですね。

 ■衆――ひろい意味の主体へ

 そこでこれは僕をふくめての反省なんだが、心と肉体の弁証法としての主体というものだけではなお足らんのじゃないだろうか、つくっている感じではどうも足りない。つまり、その場合の主体は孤立した状態、一人の人間の状態です。ところが社会性論議の時期を振り返ってみればわかるが、僕らは社会的存在なんだ。人間の中にいる存在です。ということは、人々との関係というものを、心プラス肉体の中にさらにとりいれなければならない、金子兜太という一人の俳句づくりが、自分の心と肉体をフルに活動させて俳句をつくるつくり方、それだけではまだ足りないということ、いま一つ自分の周辺におる人々というもののもっている思想とか肉体を総合した主体をとりいれていく必要があると考えたんです。そこから私はその人々ということを「衆」と言ったんです。

 大石雄介君に言われたんで『日本国語大辞典』で衆という言葉を調べてきたんですが、大勢という意味が基本にあるんですね。それから人々という意味です。それ以外の意味はありません。あとは旦那しゅう、とか衆工人のように接頭あるいは接尾に使われるのであって、基本の意味は大勢の人、人々ということです。みんなは衆というとすぐ、通俗的なもの、世間的なもの、いわゆる大衆という名の、文学にとっちゃある意味でプラスにならないもの、浮薄なものというものを頭にうかべるんですね。これは僕だってそういうふうに速断する時があります。ところが衆という言葉に一つ言葉をくっつけなければこういうものにならんのです。たとえば大衆と言った場合は大勢中の大勢の衆なんです。箸にも棒にもならんような衆が大衆なんですが、衆は違います。俗衆とも言いますね。通俗化された衆であってやはりたんなる衆ではありません。だからエリートのことを逆に優衆とでも言ったらいいんじゃないんですかね。秀才なんて言わないでね。

 そういうわけでね、衆という言葉には通俗性とか世間性とかは全然ないのです。そこんとこがずいぶん誤解されてます。衆という言葉についている垢をそのまま飲みこんでいるんだなあ、みんなは。ここらでいっぺん洗い直してもとの言葉にもどしてみなけりゃいけません。人々とか大勢の人とか言えばいいのかもしれませんがね。俳句の世界では衆という言葉が慣用されてきてます。ご承知の芭蕉の「許六離別ノ詞」に「予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて用る所なし」と言った有名な言葉があります。自分は大勢の人のようにはいかないのだ。夏の炉冬の扇みたいなもので、季節はずれの役に立たないものだ。これが自分の風雅だから大勢の人々とはとても一緒にはできない。習慣には従っていけない。だから、自分だけの、異端だというわけです。この場合の衆には少しも俗衆とか大衆とかいう概念はありません。あくまでも大勢の人ということです。俳諧の世界では衆という言葉はかなり普通に使われてきたと思うんです。普通に使われなくたって芭蕉のこの言葉があればいいと思うんです。それを根拠において使ってゆきたい。

 それでね、このことからもっと具体的になにを考えるかというと、人々と自分の主体との合一ということです。二段構えです。自分の心と肉体の合一が最初の主体でした。それでは足らないと衆をプラスすること、つまり狭い意味の主体と衆の合一としてのひろい意味の主体をそこで考えたということです。それははしなくも、社会性という言葉で言われた、外に向かって自分の主体をひらいていくということを、もっと内在的にようやくとらええたという感じをもってます。あの時の社会性なんていうのは、主体と社会性の分離現象がやっぱりあったと思うんです。衆という言葉でようやくとらえました。

 衆ということ、つまり大勢の人、自分の外にいる大勢の人というのがなにを意味するのか、これは今後いろんな人からいろんな意見が出て議論になりましようが、いま私の考えてる大勢の人とは最大公約数の人です。特別すぐれた人でもない。特別に駄目な人でもない。俗衆でもなければ優衆でもない。平均的な人達ですね。

 ■衆の日常

 その最大公約数の人にとっての存在状態というものをみてまず出てくるのは、その人達の「日常」ってことです。日常とはなにか。体が生活的に働いている場です。この場合の体とは狭い意味の主体でしたね。それが生活的に働いているんです。動いているんじゃありません。動くということに人間の意思がはいります。にんべん・・・・がつくんです。そしてその日常に湧いてくるものが僕の主体にとってひじょうに栄養になります。そのなり方が三つあります。

 まずその場面でいち早く感知できるものは、体のなまなましさです。二番目は言葉と交錯する体の働きの自然さを感じます。日常というのは体が生活的に働いている場だから当然そこでは言葉が語られています。言葉がない生活なんて考えられない。そうするとそこで語られている言葉と交錯している体、体が言葉を吐き、言葉が体にはねかえってくるそういう体の働き、これがいかにも自然だということですね。それから三番目は、本能あるいはそれの情念的発現としての欲望への受用と抵抗です。これを率直に受け入れるかあるいは反発するかという動きが生き生きとおこなわれているということ。この三つを衆の日常という存在状態の中でまず感じます。

 それがまた僕の主体にとっては栄養源になるんです。これはカンフル注射とかいったものとは違います。実際に生野菜を噛んでとったような体にしみる栄養になります。これを摂取していくという中に僕の主体はさらに深められていく。さらに立体的になり、さらに全身的になります。その場面で表現をおこなうことを考えるのです。

 ■純動物――衆の純質

 そしてここから一歩前へ進むわけです。衆の存在状態である日常は当然自分の中にもあります。それを僕は「内なる衆」と言うんです。自分の外にいて社会を形成している大勢の人達というのは「外なる衆」としてとらえられる。ここでまた内なる衆と外なる衆の二重構造として考えられ、ここにも弁証法があるわけです。僕は弁証法の徒ですからね。すべて相対的なとらえ方しかできませんし、相対的にしかとらえません。絶対化を避けて聞いてください。必ず相対化しています。内なる衆が絶対ではない。外なる衆が絶対でもない。両方の弁証法的関係という二重構造がそこに働きます。

 それではそういう衆の日常というものから自分が基本の栄養剤にするもの、エッセンスとする存在性とはなにかということが問題になってくるわけです。漠然ととらえ吸収する、あるいは生理的に利用するという状態だけですませるのではなく、基本的に栄養になるものをとらえなければならないのです。

 そういう存在の純質を僕は「純動物」という形でとらえているわけです。これは森田緑郎君の質問にあるように、「原郷」と純動物というのは緊密な関係にあります。つまり原郷を感じる能力をもったものが純動物ですから、原郷というイメージは当然基本の栄養になります。

 だからここでまとめてみますとね、衆というものの中には存在状態としての日常という形で、それこそ日常的にとらえうるものがある。同時にまことに非日常的にしかとらえられないような、もっとも本質的なもの、つまり純質がある。つまり、日常の中に自分達が日常的にとらえているものと、非日常性をもった純質の衆の内容というものとの二つがある。そして最後の目的は、非日常性をもった、日常の中の非日常的な部分であって、それが純動物だと言える。それが原郷という想念につながるものであるからそれをとらえたいということだな。

 ■子規の「土がた」

 前にも書いたことですが、正岡子規が「月並調」ということと「土がた」ということを言ってます。子規の月並調というのは概念があいまいで、直感的に掴んだものにちがいない。文化文政から天保以後の俳諧は、町民から農民にずうっと広がっていったんです。そして主導力という言い方はおかしいんですが、たとえば芭蕉時期の主導力はなんてったって芭蕉とか去来の類い、つまり武家の出です。だけども文化文政期から天保にはいりますと、町民あるいは一茶のように農民の出になります。こういう人たちの俳諧は、すぐ類型と惰性におちいりやすいから、これを子規がみた場合、ひじょうにもっともらしくみえたんですね。芭蕉などを崇拝してみせて、みように精神家ぶったことをいうけれども、それが全く受け売りで身についてない。ただ形だけを真似てみせたとか身振りが多くって中身がない。それにもっともらしい。口ではひじょうに美しいことを言うが、一皮剥けばひどく卑俗。上っ面では金もうけに関係のない顔をしているが裏ではなにやらうろん・・・なことをしていたりしてね。そういうふうに裏と表の違いを平気でやり、そういうものが句にぷんぷんと匂うんですよ。それから従来の俳句の惰性的表現にのっかって互いに褒めっこする。ちょうどいまの俳句の季題趣味と同じです。季題だけを便宜的に使ってそれを手がかりに褒めっこしたりけなしっこしたりという習慣。マナリズム。こういうもっともらしくって卑俗で陳腐な俳句の世界を、子規はひじょうにいやがってるんで、それが月並調です。

 だからこれは談林貞門俳諧への非難とはちょっと違うとこです。談林貞門にも卑俗さはあります。しかし、化政期から天保以後のもっともらしさや陳腐さとはすこし違うということです。談林貞門はかなり野放図な面とか助平、猥雑なものとかを句にしようとしてますから、ある意味じや新鮮なねらいがあったと思うんです。殿上文化に対する衆庶文化の爆発とでもいうかな。ただ両方に共通することは、風俗はふんだんにあったし、それにまつわる言葉もあふれていたが、詩が足りなかったということでしようね。感動を与える力がなかった。体の芯にささってくるもの、体をふるえさせるもの、そういう詩質が足らなかったということははっきりしています。だから子規は月並とけなした。

 しかし一方では、「渾沌が二つに分れ天となり土となるその土がたわれは」という歌をつくり、自分は決して天の上の人間ではない、むしろ地下の人間だと言ってます。そこで言われている「土がた」とは月並というもっともらしいもの、卑俗なもの、陳腐なものを剥きとったあとのなまなましさです。それは武家であろうと町民であろうと農民であろうと、みんな人間に還元される、そんな階級性をなくして人間に還元された、その人間のもっている純質、それを「土がた」と言ったのです。

 そうすると子規の中には、伝来的な習慣と卑俗の状態における衆と、人間的純質をみせている衆という二つが考えられ、その陳腐な方、コンべンショナルな衆を月並調とけなし、人間の純質をしめしている衆を「土がた」ととらえ、自分もその仲間にはいりたいというわけなのです。二重構造です。

 いま私が言っている衆もそれです。ただ私の場合には二つあるんで、内なる衆と外なる衆という形で自分の内部に反映させている衆が一つ。それからそのなかにいまのように月並調と「土がた」的な衆というものが同時にあるということなんです。

 そして私は月並調的な衆をけっして嫌いません。そういう日常をどんどん摂取して、そういうものの中の生まな動きの中に自分を置きたい。しかし同時に「土がた」としての衆、私の言葉で言えば純動物としての衆に自分の基本の視点をおきたい。それを獲得したいと考えているわけです。

 ■天然と自然

 そしてそのことが最初にちょっと申し上げた天然と自然にかかわってくるのです。自分の主体というものをさらに拡げるためには、衆とならべて天然というものをはっきりとらえておきたい。天然は月並調の衆と同じです。僕は庭に樹をたくさん植えて生活しているからよくわかるが、植物ってのはひどく粗暴で冷酷な面があるんですね。植物だからいいもの、植物だから素直なものなんてことは絶対ありません。もういかにもずうずうしくって弱肉強食的なもんです。犬や猫とも一緒にいますが彼らにも当然あります。ひじょうにずるい面がある。そういう点でね、月並調の天然がありまた逆に「土がた」的な天然がある。その「土がた」的な天然というものを私は「自然」と言ってるわけです。だから私の場合はいつも、天然の本質としての自然という言い方をしているわけで、これはちょうど衆と純動物ということとびったり照合します。衆はすなわち天然、天然の自然はすなわち衆の純動物です。

 だから僕のいまの詩作構造としては、心と肉体というものの全体としてのせまい意味の主体・・・・・・・・にくわえまして、衆と狭い意味の主体との合一によるひろい意味の主体・・・・・・・・に、さらに天然をくわえて、その全体によるよりひろい主体・・・・・・・というものを考えてるわけです。そういう主体が熟していけばいくほど自分の俳句はさらにみずみずしくなり、さらに本質的になってくる。こう期待してるわけですね。ただいまの僕はあくまでも人間に執着しているから、天然と自然ということについてはそれほど言わないわけです。むしろいま積極的に言うことは衆と純動物です。これをなんとか包摂していきたいですね。

 ■ふたたび純動物

 そこで純動物ってことになってくるんですが、私はよく男女の関係で説明するんです。当世流行のポルノ小説のような技巧をこらした関係は、それだけでは、月並調で、純動物に対して、動物的といえます。純動物はポルノ的性戯ではなく、生まな本能、愛欲といいますか、それが中心になっている関係、そのときの男女は純動物なんです。愛とは、そういう生まな本能の生粋な和解であり闘いだとおもいます。その愛のうえに築かれるものが責任。

 ポルノ的本能実現は、はからい・・・・をもって本能が実現された状態ともえます。はからいのない生粋の愛欲の姿が純動物の姿でです。そういうときの男女の交合の中には原郷が宿っている。エクスタシーのなかには原郷があるが、ポルノ小説の中に極楽が見えてくるなんて書いてあっても、それは極楽らしいもので、極楽でもない。だから地獄だってあらわれはしない。ポルノ小説的はからいは、本能的ではあるが本能そのものではないんですね。

 動物と純動物の区別はそこです。そして衆の日常というのはおおむね動物の面が強く、だけども同時にその中に純動物が必ずひそんでいる。僕の中でも同じです。その純度。それが究極において詩であり、感動の因です。

 ■物と言葉――相対あいたいなるもの

 そういう具合に僕は全部相対あいたい的な考え方でその合一をまとめますから絶対化しません。物と言葉です。言葉というのは必ず相対あいたいの物をもっているということです。そして人間が物に触れているとき、それは必ず言葉で表現されているということです。そういう意味でも、物もまた相対あいたいの言葉をもっているということです。だから武田伸一君が心配してくれたように、物の絶対化という考え方をもっておりません。「俳句もの説」とは違います。物と言葉の弁証法です。

 たとえばここにコーヒーという言葉があります。このコーヒーという言葉がコーヒーという物を失ったとき、おそらくコーヒーそのものの生地の味も香りも失うであろうし匂いもつやつやしいものも失うでしょう。だけども、コーヒーという物だけがあり言葉をもたなければ、それはあくまでも人間から孤立、いや疎化といってもよい状態にとどまるんです。人間の中にははいってこない。つまり人間に属さない。だからあくまでコーヒーという物はコーヒーという言葉をもたなければならない。言葉をもって人間の所有になるんです。しかし、人間の所有になったコーヒーという言葉が、コーヒーという物を失ったら、その言葉はたちまち色あせてしまって、こんどはその言葉が人間から孤立してしまいます。味も香りもない言葉のコーヒーなんか誰が相手にするもんか。当然、そうなればコーヒーという言葉をつかった俳句は人を感動させることがない。いかにうまいことを言っても、すでにマナリズムにおちいってます。言葉が情性化しています。伝承俳句のつかっている季語なんてものはそうですね。

 たとえばトマトという物の輝き、新鮮さ、トマトという物そのものの物質感、その純質が自然ですが、トマトという天然物のもっている自然、その質をですね、トマトという言葉がとらえない限り、その中に包蔵しない限り、言葉はいろあせ、死んでしまいます。そして、夏の季語としてのトマトというとき、それは夏の季語としてのトマトという言葉の次元で受けとられていますから、すでに物から離れかけているんです。そして、言葉としてのマナリズム、惰性化するんです。トマトという言葉がいくらつかわれても一つもひからなくなり、作品の中に感動的な役割りをしめして来なくなります。

 私は季語は全部たとえ・・・だと思ってます。言葉と同時にたとえ・・・であるとなると、ますます物が大事になります。トマトという言葉がなにかをたとえようとしても、物ばなれした言葉ではたとえ・・・の効果をみせない。そこでたとえ・・・のみずみずしい機能を回復させるためには、トマトという物そのものの質感、つまり自然をとらえ直さなければならないのです。トマトの場合、質感からみて、冬の方がいいと思えば、どうどうと冬のものなりとして、冬のトマトとして、俳句を書けばいいのです。それが物から言葉をみてゆくという、質的な言葉の使い方であって、いつもそれが必要なんじゃないですか。それをやらないでいると、季語は全部陳腐化して、言葉の死骸になってしまう。くどいようですが、言葉の根、つまり物の裏づけの中で言葉を生かしていく、新鮮にしていくということです。

 それは季語以外の言葉でも同じことですね。私は詩につかわれる言葉は全部たとえ・・・だと思ってますから、つまり、詩語とはたとえ・・・の十分な言葉とおもっていますから、たとえ・・・としての季語といったわけですが、同時にコーヒーだって灰皿だってそうなんです。それを物である灰皿から離れたところで、灰皿という言葉だけの次元で使うから、生きたひかったた言葉にならないんです。そのへんが「俳句評論」の人達と違います。「俳句評論」の人達の言葉が、説脂ミルクみたいなね、ありゃ病人食だと僕は思ってるんだが、ふやけているのは言葉の中に物をつかんでないからです。健康人は生まのミルクを飲もうとします。伝承派の人になると、置きっぱなしにして変質したミルクをミルクと思っているんですね。生まの、新鮮なミルクの味がわからない。いや、しだいにわからなくなってゆきます。

 私が物と言葉というときの物は、衆に重なります。天然を考えている時は、物すなわ天然です。そして物の質といえば、衆の場合は純動物であり、天然の場合は自然です。その物の質と自分の言葉の照合の中で言葉がひかることになる。

 ■七五調と形かたち、そして型かた

 次に俳句をとらえるときも、「七五調」と「形かたち」という相対あいたい関係で俳句をとらえられると思います。そして、七五調と形の合一のなかから決まってくるものが「型かた」です。形と型は違います。形は、七五調が五、七、五の形という意味での形ですから、普通に定型といわれるものと受けとってください。私たちが俳句を作るとき、七五調のリズムを追いつつ、同時に五・七・五の形を描いています。その形。そして、そこに一つのリズムと形の融合した、一つの心的形象ができあがります。精神的形姿といってもよい。それが型です。その型の定着と継続変化のなかに伝統と現代の問題がある。

 では、その七五調とはどういうものかというと、これはきわめて土俗的なものです。日本人古来の言語習慣で、いわば私達の肉体です。肉体のリズムです。だから、地方に行けばいまだに七五調がなつかしまれているし、民謡のあらかたが七五調(五七調も含めて)です。東京のような都会人になると嫌いますが、七五調に反撥して自由詩を書きますが、これじたいが土俗性の証明のようなものです。それに対して形ってのは心理的なもの、あるいは精神的といってもよいものなんです。

 七五調といえば、それは五・七・五という形なんだから現象的には同じことなんです。だけどもわれわれはちゃんと分けて受けとっています。二重構造として、俳句を成りたたせる二重がらみの要素としてね。つまり、七五調一本だととらえておりません。俳句は定型としての形だけともとらえておりません。七五調と形の二重構造としてとらえてます。同じことのようですが違う次元からとらえてます。七五調のリズムにのせるという時の僕らはひじょうに肉体的で情念的になってます。だけれども形にはめる意思が同時に働いていて意志的になっています。意志的で心的です。そして両方がぴたっとうまくあった時に俳句は完成する。その時に心と肉体の合一としてのせまい意味の主体の形象がそこにできあがるともいえるわけです。七五調が肉体で形が心。俳句形式が体。そこにできあがったのが型です。そういうものが累積され伝統が形成されていくと考えます。

 ■俳諧

 それからここで考えておかなければならないものに俳諧があります。俳諧というの俳句にもりこまれた衆の世界です。七五調の土俗性にひたり、形に衆の日常性(日常のこころ)をもりあげたものが俳諧という俳句内容と私は考えているから、それは生ま生ましく、諧謔と哀歓のあいだを、かなりわがままにいったりきたりしているものだとおもいます。だからそれだけでは詩にはならない。純動物がそこに姿をちらつかせ、それへの直観や志向に裏打ちされはじめると詩が宿ることになります。

 俳諧は、そういう、衆を不可欠の前提として形成されてきたものですから、それを内容として受けついでいる俳句も、俳諧と詩の相対あいたいで、いつも見ていないといけないわけですね。どうも皆さんの考えをみていると、詩に傾きすぎて俳諧を忘れているようにおもう。相対関係においていませんね。だから、衆というと、すぐ俗衆、大衆とイコールと受けとってしまう。これははきちがえというものです。

 それからいま一つの錯覚は衆の存在状態としての日常だけで衆を考えているということです。動物を忘れている。次は外なる衆だけを考え内なる衆を見ない。これをはっきり認識すれば衆という言葉は少しも軽蔑すべきもんじゃない。むしろ人間だとか社会だとかいう言葉より、こんな生硬な言葉より、もっとも俳句らしい熟した言葉じゃないかと自負してますがね。

 ■自作をふりかえって

 以上、るる・・申し上げたことをもとにしましてね、ここらで自分の句で具体的に辿ってみますと、さきほどの〈銀行員〉の句でも感じたんだが、ひろい意味の主体、つまり衆との合一を考えることが作句上大事だと気づいたのは〈人体冷えて東北白い花盛り〉 〈三日月がめそめそといる米の飯〉 〈霧の村石を投らば父母散らん〉というあたりの句を作ったときです。あのあたりで痛感しました。この三つの句のもっている妙に人間臭い生臭いもの、これはいったいなんだろうと考えたんですよ。そうするとこれは自分の中のこころからはみ出している部分、つまり肉体、いわば志向的日常に対する日常的日常といえる日常である。そして、日常的日常とはなんだろうと考えた場合、それは大勢の人のもっている日常、自分の中のだらだらした日常、つまり自分の衆としての存在状態だと気づくわけです。そういうものをしたたかに、ためらいなくとりいれていく営みがあって、はじめて志向的日常が艶をもってくる、生臭く息づいてくる。そして、言葉も輝いてくるとわかったんです。

 最近の「霧と繭」一連なんかはみんなから批判されてますが、せまい意味の主体、つまり体からだが十分に働いてないということです。だから新鮮味がない。従来的なんです。したがってあれは、伝承俳句だといわれる面が出てくるんです。ひろい意味の主体への努力はあるが、衆の方に傾きすぎてるもんだから、日常性から十分に離れられず、伝承的な作法や言語感を脱却しそこなった面があるんだな。しかし、そういう時だってあるさ。 (「海程」一一五号)

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